ファミレスに行こう
<ユリナ>
私はパパのほうをちらりと窺うと、ヤミコちゃんの無言の催促を受けて一筋の冷や汗をかいている。きっとあわよくばこのまま黒猫の魔女として正体は隠したままでもいいので、公式発表として華々しく、新しくデビューした黒猫の魔女です! 皆! 応援よろしくね! 的な展開を夢見ていたことが一目で分かった。
しかし敵もさるもの。ヤミコちゃんは基本的に周りのことには無関心であり、きっと今頃は魔法少女関係は早く終わらせて、これから家に帰って勉強するかご飯を食べるかお風呂に入って寝るかして、元の暗く辛い日常に戻ることを考えているのだろう。
最初に言った通り、魔法少女としての活動も秘匿も任意だ。この契約を裏切ればヤミコちゃんは魔法少女への興味を完全に失い、今までの人生で自分を裏切ってきたその他大勢に向けるような気怠げな表情のまま、面倒そうに対応するだろう。
確かにこちらの言うことは聞いてくれるだろうが、彼女自身から動こうという気が皆無になるのだ。
なので人を助けるために無茶をすることなく、黒猫バスではなく車で現場に向かい、オーガを一体ずつ淡々と処理して、きっと大勢の犠牲者が出ていた。彼女自身が心の奥底ではいくら人を助けたくても、その感情を利用して利益に変えると大人だと見られてしまえば、魔法の力は最低限しか使わなくなってしまう。
今後も黒猫の魔女の力を十全に振るわせたいのなら、私たちや魔法省あくまでも協力者として、ヤミコちゃんが自発的に魔法少女の活動を続けることが必要なのである。そして今の彼女のモチベーションは、限りなく0に近い。
「そっ…そうだね。もう部署の引き継ぎは終わったから、一部の職員はこの場に降ろして、卯月家に帰ろうか」
瞬間、黒猫バス内からブーイングが巻き起こる。誰もこの謎の魔法生物から降りる気はなかった。それは夢物語のような幻想的な黒猫に乗るチャンスなんて、一生に一度乗ることでさえ奇跡なのだ。
外でこちらの様子を窺っている大勢の人たちも近くから見ることが出来て、小さな頃に望んだ夢が叶い、感動でむせび泣いていることだろう。
私たちがどうしたものかと悩んでいる時、目の前のヤミコちゃんのお腹から、空腹を告げる可愛らしい音が鳴った。
「お腹空いた」
「安藤、菓子パンならあるけど、食うか?」
「いいの?」
「ああ、安藤は皆を守ってくれたからな。当然の報酬だろう? まあ、俺の菓子パンじゃ不足だろうけどな」
そう言ってタツヤ君が照れながら鞄の中からクリームパンを取り出してヤミコちゃんに差し出すと、彼女はありがとうとお礼を返して、包装を破り一口齧った。
「美味しいか?」
「うん、クリームパンは初めて食べた。とても美味」
タツヤ君から受け取ったクリームパンを幸せそうに食べているヤミコちゃんは、大人びているのに少女らしい可愛らしさが前面に出ており、見惚れる程に綺麗だった。
何と言うか、魔物を倒すのがクールな女悪魔だとしたら、今は慈愛に溢れた女天使のように見える。その姿に先程までは騒がしかった車内が、今は穏やかな雰囲気に包まれている。
「初めてって、クリームパンぐらい食べたことあるだろ?」
「パンを買ってもらったことはないし、お小遣いも自由に使えない」
「あっ…安藤、もしかして外食も、行ったことがない…とか?」
世間ではお嬢様と呼ばれている私でさえ、友達(偽)と一緒にコンビニのクリームパンを食べたことぐらいあるし、お小遣いも毎月かなりの大金を受け取っており、結局使い道が思い浮かばないので、殆どを貯金に回しているぐらいだ。
しかしそれでも、今この場に菓子パンを買って食べたことのない中学生がいるとは思わなかった。
「石川君、外食って美味しい? 私を留守番に残して妹と両親はよく行ってる。
今日は皆の夕食を作れないから、三人で外食に行くと連絡が入ってた」
「そっ…それは…だな。安藤、今度俺と一緒に…一緒…なっ、何でもない」
想像以上にヤミコちゃんの家庭環境は、最悪というか底辺以下で地面を突き抜けて潜り込んでいたようだ。あまりの酷さに二人の成り行きを見守っていた両親と職員も絶句しており、青筋をたてている人も大勢いる。
義憤にかられてヤミコちゃんの家族を襲撃だけはしないで欲しい。私も成敗したいのは山々だけど、それは彼女が望んでいないので手を出したくても出せない状態だ。
それよりも今はタツヤ君の煮えきらない態度に憤っている。普段は調子のいいことを言っているのに、肝心な所でヘタれているのだ。
そんな状況でパパが片手を上げて口を出してきた。
「ヤミコちゃん、お腹が空いたのなら、ご飯を食べてから帰ろう。今から家に帰って食事を作るのは大変だろう?」
「確かに食事を作るのは時間がかかる。でも駄目」
パパの提案に多少は同意したものの、ヤミコちゃんはすぐに断りを入れる。割といい案だと言うのに、何処が駄目だったのだろうか。
「私は、お金を持ってないから」
目の前の魔法少女の答えに私は泣きそうになってしまう。それは悲しいからではない。今まで彼女を助けてあげられなかった自分が、何とも情けなくて悔しいからだ。
そんなヤミコちゃんに、パパが自分の目元の涙をすっとハンカチで拭き取ったあと、再び声をかける。
「いいんだよヤミコちゃん。お金はいらない。魔法少女としての活動報酬だと思ってくれればいい。もっとも、それでも全然足りないけどね。
とにかく今は何も考えずに一緒に外食に行こう。あと、私をパパだと呼んでくれてもいいんだよ?」
さり気なくヤミコちゃんの肩に手を置いて、白い歯を覗かせながら微笑みかけるパパは格好よかったけど、娘とママの前でやられるのはとても複雑だった。
でも今回は許してあげることにする。卯月家の養子に迎えたときの予行演習だと思っておこう。既に賛成3と反対0なので、この決定が覆ることはないだろう。
「本当にいいの?」
「いいんだよ。今日は何でもおごってあげるから、ヤミコちゃんの行きたい所に行こう」
普段殆ど無表情のヤミコちゃんが、少しだけ嬉しそうに笑っていることがわかる。その心の底からの笑顔が周囲の人々の涙腺を刺激する。
「私の行きたい所? なら、ファミレスに行きたい」
「ファミリーレストランかい? もっと高級なお店でも構わないよ? ヤミコちゃんはお金の心配なんてしなくていいんだからね」
「違う。三人でファミレスに行って美味しい物を食べたと、よくラインで報告してくるから、何となく興味があるだけ」
もう駄目だった。彼女は気づいてないだろうけど、ヤミコちゃんはきっと家族の温もりを求めているからこそ、ファミレスに行きたがっているのだ。
これを断ることなど出来るはずがない。その言葉を正面から受け止めたパパも、目線をそらして流した涙をまたもハンカチで拭う。さらに職員の何人かが堪えきれずに泣き崩れている。このままでは彼女の被害者が増える一方だろう。
今は一刻も早くファミレスを目指すべきだ。そう結論を出したパパたちの行動は早かった。
「誰でもいい! この近辺のファミレスの情報を出せ!」
「そう言われると思って、周辺地図から既に検索済みです!」
パパが流れるような動きでヤミコちゃんに専用端末を渡して黒猫バスに複製を頼むと、たちまちフロントガラスに3Dで周辺地図が映し出され、近い位置のファミレスから順番にマーカーが立てられていく。
「でかした! その中でも高評価は言うまでもないが、直接店で食べた者はいるか!」
「はいっ! このファミレスが食事は美味しかったですが、接客サービスに問題があります。こちらの店は味はよかったのですが、食事の出てくる時間が少し…」
そのような白熱したやり取りもあり、フロントガラスに表示されたファミレスの矢印が一つ消え、二つ消え、最終的にはたった一つまで絞り込まれた。どうやら目的地が決まったようだ。
「このファミレスにしよう。お金の心配はいらないよ。全て私のおごりだ。ヤミコちゃんは好きに注文してくれればいい」
「ありがとう。今から向かうから、他に用のある人はこの場で降りて、バスの外の人にも連絡しておいて」
そう言ってヤミコちゃんは満面の笑みで運転席に座り直してシートベルトを締め、本当に役目を果たしているのか疑問の謎のハンドルに手をかけるが、誰一人として自分の席を動こうとしない。それどころか外の職員が大勢乗り込んでくる有様だ。
彼女はまさか一人も降りないことはないだろうとしばらく待ってみるものの、それでも皆は座席に座ったまま動かなかった。
状況の変化は何人かの職員が無線や電話で指示を出したり、シートベルトをきちんと締め直したぐらいだろう。
やがてこれ以上待っても無駄だと判断したのか、シュルシュルと階段を引っ込めて、入り口の長方形のドアスペースを全て塞ぐと、黒猫バスは揺れも音も立てずにフワリと浮き上がる。
そのままフロントガラスに表示されたファミレスを目指し、夜の街を空を真っ直ぐに駆けていく。現地に到着するまでの所要時間は三分程だった。
しかし残念なことに、駐車場には全長五十メートル級の黒猫バスを停めるスペースがない。それに一度に大勢の客の来店になるので、そのための席の予約も必要だ。
あらかじめ電話予約は済ませておいたが、念のために何人かが先に降りて店内の様子を見てくることと、駐車スペースを確保することになった。
「壁があるから落下することはない。そこの四角い魔法障壁に入れば下まで移動出来る。…多分」
ファミレスの上空、ビルの五階付近の高さに留まる黒猫バスに、下の人たちは大騒ぎである。長方形の穴の向こうには、階段ではなく十人は余裕で乗れる大きさの、半透明の黒い箱が設置されており、それが黒猫バスの出入り口にピッタリくっついているような状況だ。
しかし地上と空中を繋げるパイプは存在しないので、エレベーター的な箱が完全に浮遊している状態である。
しかもまたヤミコちゃんの多分である。普通なら怖じ気づいて乗り込む勇気が出ないだろうが、魔法省の関係者たちは逆に誰が一番最初に乗り込むのか、言い争いを始める有様だった。
なかなか先に降りる職員が決まらない中で、ヤミコちゃんのお腹がバス内にグー…っと可愛らしく鳴り響く。
「お腹が空いた」
彼女のその一言で、互いに争っている場合ではないと自覚して、ジャンケンという原始的だが即効性のある決まり事で、先行メンバーを決めることとなった。
やがて勝ち残った十人の職人が意気揚々と黒くて半透明な箱に乗り込むと、黒猫バスと箱を繋ぐ魔法障壁の入り口が、スーっと跡形もなく塞がり、音もなく下降を開始した。
その様子に黒猫バスの中と外は大騒ぎであったが、一番喜んだのは全世界初の魔法式エレベーターに乗っている、十人の大人たちなのは間違いないだろう。
やがて一分もしないうちに半透明の箱は歩行者専用道路に降下し、先程塞がれた壁だけでなく、箱全体が夜の闇に溶けるように消え去る。
この科学では説明できない神秘的な現象に周囲の人々はますますヒートアップする中、エレベーターに乗っていた選ばれし十人は、五人ずつに分かれて人混みをかき分け、店内の予約の確認と駐車スペースの確保に奔走するのだった。




