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自我を崩壊させる死刑

作者: 湯気

殺人犯であった鶴見が真人間になったのは改心したからではない。全てを忘れたからであった。

現在から少し先の未来、日本では"死刑"という制度に新たな選択肢を提示していた。

それは、"記憶消去"という選択肢であった。遺族が望むのであれば死刑囚の記憶を完全に消し去り、真人間として社会に進出させることが出来るのだ。

若い女性を故意に殺した鶴見は、それまでの前科や反省を見せない態度を問題視され、異例の死刑判決を受けた。

誰もが通常通りの死刑が行われると思った中、娘を殺された遺族である両親が出した選択は"記憶消去"であった。

異例の選択にこの話は様々なメディアに取り沙汰された。

鶴見は記憶を消される前にこう言った。

「俺の記憶を消しても俺の行為は残り続ける」と。

記憶を消された鶴見には新たな記憶が埋め込まれた。

それは、幸せな家庭に生まれ、幸せに育ってきたという記憶であった。

両親とは死別し、配偶者のいない33歳という、孤独ではあるものの、犯罪とは縁遠い記憶であった。

政府によると、これは"記憶消去"による死刑のために作られた記憶とのことであった。

もちろん整形及び、氏名の変更なども施されており、新たな地に引っ越してきたという設定を付け加えれば、問題なく社会に溶け込めてしまえた。

こうして生まれ変わった鶴見は、ある地で数年間何事も無く過ごしたのであった。


亀井がマンションの郵便受けに手紙が入っていることに気づいたのは夜勤の警備の仕事から帰った午前7時前の事であった。

『6年前の事を覚えているか。復讐を果たしに行くぞ』

そうパソコンで入力された手紙に心当たりなど全く無かった亀井は子供の悪戯だろうと腹を括っていた。

しかし、2日3日と経っても似た内容の手紙が送られてくる事に違和感を覚えた亀井は、隣人に住むジャーナリストの田中に相談したのだった。

「なあ、どういう事かな? なんで俺にこんな手紙がくるんだと思う?」

「そんなことを俺に聞かれてもなあ……やっぱり書かれてる6年前に何かしたんじゃないのか? わざわざ手紙を出してくるくらいだ。記憶にくらい残ってるんじゃないのか?」

「そうは言っても……あの年は両親が立て続けに病気で他界してしまったからそれ以上に記憶に残る事なんてないと思うぞ」

「そういえば以前そんな話をしていたな。ここに越してきたのもそれが理由だったか……」

「そうだよ。両親が他界して実家に暮らす選択肢もあったんだが一人で暮らすにはあまりにも広すぎるからね」

「引っ越す前にも特にトラブルは無かったか?」

「記憶している限りは隣人とも普通に挨拶を交わして引っ越したかな」

そこで二人の問答は途切れる。田中は少し考えた後、口にした。

「分かった。俺もこの話には興味が出てきた。仕事の合間に6年前にあった事件とか調べてみるよ」

「助かる。俺も6年前の写真とかから手掛かりを探してみる」

亀井はそれまで送られてきた手紙を田中に預け、その日は解散としたのだった。


数日後、亀井は田中に呼び出された。

田中曰く「例の話」についてであった。

「6年前の事について調べてみたぞ。それで少し興味を惹くものがあってな。6年前と言えば死刑制度の"記憶消去"が初めて行われた年だったんだよ」

「そういえばそんな話があったな。確か殺人犯が受けたんだっけ?」

「ああ。若い女性が鶴見という男に殺された、という事件だ」

「その事件がどうしたって言うんだ?」

「記憶消去された鶴見は顔を変え、戸籍も変えて、全く馴染みのない地域へ引越ししたらしいんだ。それが6年前だ」

「おいおい……俺がその鶴見って男だとでも言うつもりか? 大体俺は両親が死んだからここへ来ただけであって……」

「記憶消去されたものは新たな記憶を植えつけられるらしい。これは表沙汰にされていないが、その記憶は主に家族は死、恋人はいないという孤独な記憶である事が多いらしい」

「そ、そんな事言われたって俺は何も知らないぞ」

「あくまで可能性の話だ。あの手紙に書かれている因縁をお前が忘れているだけなのかもしれないし、ただの悪戯だってこともある」

「だが、ここ数日間手紙は毎日投函されている……とても悪戯とは思えないぞ」

「そうか……もし俺の仮説が正しいとしたら6年前の身に覚えの無い復讐の理由も辻褄は合うと思うが……」

「確かにそうだな……しかし……」

亀井は自身の記憶に不安を持ち始めていた。これまで自分の見てきた風景、信じてきた記憶が全て作られたものだったらと思うと頭がおかしくなりそうだった。

「すまなかったな。こんな話くらいしかなかったんだ」

田中は申し訳なさそうに亀井に言った。

「いや……頼んだのは俺の方だ。こちらこそすまなかったな」

「俺が言うのもなんなんだが気にしすぎても仕方ないと思うぞ」

「ああ、そうだな。なるべく気にしないようにするよ」

そう言い残すと亀井は田中の部屋から逃げるように帰っていった。


数日後。

「気にしないようにする」と言ったものの、日に日に亀井の疑念は膨れていっていた。

目を覚ます度にそれまでの記憶が実は作られたものだったのではないかとさえ思うようになっていた。

それでも何とか身を起こし、その日も夜勤へ向かうための準備を始めていた。

少しして準備を整えた亀井はマンションを出た。

その直後、背後に人の気配を感じ取った。

「やっと……やっと見つけたぞ! 鶴見!」

亀井が振り返ると、そこには彼よりも一回り年上であろう男女が立っていた。直感的に彼らが夫婦だと感じ取る。

亀井には人の良さそうな男が先ほどの怒りに満ちた声を発したとは到底思えなかった。

「貴方たちは……?」

「お前が殺した娘の両親だ!」

男がそう叫んだ。亀井は体中からじっとりとした汗が出てくるのを感じた。

「貴方が娘を殺したのよ! 娘を返して!」

女も怒りに満ちた声で金切り声を上げた。

二人の様子は正気のものとは亀井には思えなかった。完全に怒りでおかしくなっている。

亀井が踵を返し逃げ出そうとした時、頭に衝撃が走った。

視界が歪んだかと思った直後には、亀井は床に倒れていた。

何者かに頭部を殴られたのに気づいたのは数秒してからであった。

亀井は視線だけを動かし自分を殴った者の正体を探る。

そこには、金属バットを持った青年が立っていた。

「やったよ姉ちゃん。ようやく仇が討てるよ」

青年がそう呟くのを聞き、亀井は彼が被害者女性の弟であることを察した。

倒れた亀井を囲むように親子三人が見下ろす。

「よかったね。父さん、母さん。こいつを死刑になんかしないで」

「そうね。こいつが他人の手で殺されても私たちの怒りは収まらないもの」

「思い出すまでじっくりと痛みを与え続けよう。それがこの男の罪なんだからな」

亀井は薄れゆく意識の中で思った。

きっと楽には死ねないし、彼らを説得するのは不可能だろう、と。

そして、自分が鶴見であることを認めれば楽に死ねるのだろうか、と。


数年後、ある事件が巷で話題になった。

それは『記憶を消された元死刑囚自殺する』という内容であった。

死んだのは鈴木という男性で、記憶を消される前は鶴見という名であった。

鶴見が死んだ理由は、消した筈の鶴見自身記憶が甦り、新しい記憶と混在することで、重度の精神疾患を起こしたためであった。

これにより"記憶消去"による死刑は見直される事となった。

やがて調査が進められると"作られた記憶"というのも虚偽であった。

多額の報酬で被験者を募り、その記憶をコピーしていたことが判明したのである。

被験者は100人以上にも上っていたが、彼らは実験終了と共に実験に関する記憶を消されていた。

加えて、鶴見の新しい記憶として選ばれた一名を除き、他の被験者たちのデータは全て消去されていたため、被験者の特定は困難を極めた。

警察は唯一、データが残されていた亀井を捜索している。

彼は数年前から失踪し、未だ見つかっていない。

読了ありがとうございます。


亀井と遺族による盛大な勘違いの物語でした。

書いていて思ったのが「いかにミスリードできるかが面白さに繋がる」という事だったので書いていて楽しさがありましたね。

作中では"記憶消去"なんて選ぶ遺族なんてまずいないって感じで書きましたが実際はどうなんでしょうね?

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― 新着の感想 ―
[一言] 亀井は可哀想だが、まちがえた遺族はどうするのか。 どっちにせよ亀井が消えたということで先を考えてもあまり気分のいいことでは無いでしょうが。
[良い点] なかなか面白かったです。亀井=鶴見だと思ってましたが……自分の記憶を実家近くまで確かめに行けば良かったのに。 とはいえ、やりきれないですね。 [一言] 亀井は鶴見の記憶のオリジナルだったと…
[一言] なんと言いますか、亀井が「記憶を消された鶴見」ではないということが、つまり、被害者遺族は無関係の人間を鶴見だと勘違いしているのでは?、と、薄々思っていました。 確信を持っていた訳ではありませ…
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