第一章05 「あなたにこれを渡したくて……」
「ただいま……」
気がつくと俺は家の玄関の扉を開けていた。どうやって帰ってきたかは覚えていない。ただ、頭の中は野球のことだった。もう辞めたのに、諦めたはずなのに。
「おかえりー! 遅かったね」
リビングから妹の声が聞こえた。そうか遅かったのか。時間なんて気にしなかったからな。とりあえず二階の部屋に上がる前にリビングにいる妹に顔でも見せるか。
「遊んできたの?」
「まあちょっとな……」
「いいなー高校生は。私も早くなりたーい」
中学三年生の妹、優梨奈はまだ制服のままだった。テーブルで宿題をやっているようだ。ん? ノートと筆記用具がもう一つあるな。
「あの……初めまして」
声の方を見ると肌が透き通るように白い透明感のある少女がいた。ふんわりとした髪が腰まで長く、あどけない童顔であるが、妹よりも背が高く、線が細くて落ち着いてる様子だ。顔は小さく、目はぱっちりとした二重で少しつり上がっている。
雰囲気がどこかミステリアスに感じるその容姿はどっからどう見ても美少女だった。
まさか妹にこんな友達がいるとは。
「あ、どうも」
なんとも気の無い返事だろうか。俺が緊張してどうする。
「私、優梨奈ちゃんの同級生で碧波椛と申します」
妹の友達はおっとりとした口調だった。
「あ、優梨奈の兄の真希人です」
なぜか敬語になってしまった。落ち着け俺。年下だぞ。動揺するな。
「あの……あなたにこれを渡したくて……」
「これは?」
何やら紐の付いた小さいものを受け取った。
「お守りです……それでは」
「もみじちゃんまったねー」
妹の友達は慌てて荷物をまとめて出ていった。ゆっくりしていけばいいのに。あ、もう遅い時間なんだっけ。
「で、これは……あ」
お守りと言っていたこれは手作りのものだった。野球のバットの形をしていて、色からはナチュラルの木製のバットが連想させる。そこに赤い刺繍で”めざせ甲子園”と書かれていた。
「なんで俺にこんなものを……」
「さあね」
「俺が野球辞めたって……」
「知らないんじゃない? 私言ってないし」
「なんで言ってないんだ」
「言えるわけないでしょ。それを見せられたら」
確かにそうだ。でも俺は……
「私だってビックリしたんだから。まさかアニキなんかにあの椛ちゃんが……」
「どういうことだ?」
「なんでもない、なんでもないよ。でも言っとくけど椛ちゃんってすっっっごくモテるんだからね!」
「そうだろうけど……」
俺はどうすればいいんだ。俺にこれを受け取る資格なんてないだろうに。
「で、アニキどうすんの?」
「どうって、無下にできないだろ」
「じゃあ野球またやるんだ」
「え?」
「だってそれ野球のお守りでしょ?」
言われなくてもどっからどう見ても野球の、それも高校野球のお守りだ。
「また関係ないって言う? もみじちゃん泣かしたらさすがに私も怒るよ? 絶対口聞いてあげないんだから」
だからって俺はもう……
「はいはい、喧嘩しないで早く着替えてご飯にしましょう。お父さんももう直ぐ帰ってくるから」
「はーい」
キッチンにいた母親に言われて優梨奈は二階の自分の部屋に向かったようだ。
「真希ちゃん、お母さんはどの選択をしても応援するからね」
「母さん……」
「さっ、真希ちゃんも早く着替えてきなさい」
「ああ……」
それから親父が帰ってきて夕食を終えた後。俺はベッドに横になってもらったお守りを眺めていた。
「めざせ甲子園……か……」
今日はいろんなやつから野球をやれと言われた。
あのイケメンにメガネくんに妹の優梨奈に。
それに妹の友達……
初めて会った子だけど、なんで俺にこれをくれたんだろうか。
俺は運命とか奇跡とか神様とか、そんなものは信じていない。
結局は自分が行動した結果が後について回るだけだ。
ただ、もし本当にそんなものがあるのだとしたら……
「俺にもう一度野球をやれということなのか……」
そう言われているようだった。