CHAPTER 3
CHAPTER 3
×1888/08/07 マーサ・タブラム×
全身三九箇所をナイフで滅多刺しにした後、咽を突き刺し再殺。
久しぶりの再殺だからか、再殺時の性格豹変がこれまで以上だった。
再殺自体に問題はなし。
×1888/08/31 メアリ・アン・ニコルズ×
手足をばらばらに引き裂き、咽を掻き切って再殺。
再殺終了後、No.13の鎮静剤を撃ち込んでから落ち着くまでの時間が徐々に延びている。
次回からは量を増やすことを検討。
×1888/09/08 アーニー・チャップマン×
全身を縦に引き裂き再殺。
今回もだが、No.13は執拗に再生体を嬲る傾向がある。
安定した再殺のためには改善すべきだが、再殺時の人格はこちらの言うことをまったくきかない。
鎮静剤を1.25倍に増量。
×1888/09/30 キャサリン・エドウッズ×
四肢を磔にした上で、全身を真っ二つに引き裂いて再殺。
前回鎮静剤を増やしたばかりだが、効きが悪くなっている。
ここのところ、再殺が増えていた。
以前は月に一件だったのが、二週に一度のペースに変わった。
ジャックは徐々に、そして確実に、壊れていった。
そして、事件は起こった。
×1888/10/02 ホワイトホール・ミステリー×
「大丈夫、だよ」
顔面蒼白でふらつきながらジャックは言った。
「馬鹿。全然大丈夫じゃないだろ、ちゃんと寝てろ」
ジャックはここ数日調子が悪かった。今日はいつにもまして悪く、まともに立つことも出来ない状態だった。
「ねぇベティ......そばにいて」
ベッドに横たわるジャックは心細そうにそう言った。
「わかった。ちゃんとここにいるから。安心して寝てろ」
「うん......そばにいてね」
俺の袖口を掴んで離さない彼女に黙って頷く。
「わかったから、大人しく寝てろ」
「うん」
そう言うと大人しくジャックは目をつむった。
「............」
身体が弱っているのだろう。ジャックはすぐに眠りへと落ちていった。
すぅ、すぅ、という寝息が聞こえてしばらくした後。
俺はそっとジャックの手を離させた。
ん、ん、と虚空を掴む仕草をした彼女の手をぽんぽんと軽くなでる。
「悪いな、ジャック。薬と食べ物、買いに行ってくるから」
ジャックが寝静まったのを確認して俺は夕暮れの街に出掛けた。
×××
日も落ちた頃、買い物を終えて家に帰ると、なぜか閉めたはずの玄関の鍵が空いていた。嫌な予感がした。急ぎ部屋へ入る。
「ジャック......?」
ベッドはもぬけの殻だった。
家中のドアを開けジャックを探す。
「ジャック! ジャック!!」
どこにもいなかった。
玄関の鍵が空いていた時点で外へ出たことは予想できていた。おそらく、目を覚ましたジャックは、俺が家にいないことに気がつき、外へと探しに出て行ったのだろう。
「くそッ!!」
手近にあったゴミ箱を蹴り飛ばし、俺は家を飛び出した。
ジャックの行きそうな場所を考える。あいつは俺を探して出掛けたはずだ。なら、俺が立ち寄りそうな所に向かったに違いない。
俺はたった今来た道を戻る。
イーストエンドに差し掛かったところで、脇道からよろよろと出てきた華奢な人影を見つけた。
「ジャック!」
「ベティ......」
「どこいってたんだ! 心配した——」
血まみれのジャックの姿に俺は声を失った。
「どうしよう......ベティ」
それは見慣れた姿だった。
「わたし、わたし......」
仕事後のジャックはいつもこんな風に血まみれだった。
「人、殺しちゃった」
×××
錯乱するジャックを家へと連れて帰った俺は、彼女を風呂へと入れてやった。
少し出掛けてくるから待っていろ、とジャックに伝え、俺はジャックの殺害した人間の処理へと向かった。
再殺と殺人は明確に違う。再殺は、組織によって管理されている。組織の人間はなにも言わないが、組織のバックは英国政府だ。だから、再殺によって俺たちが官憲に追われることはない。
しかし、今回のは殺人だ。
組織に殺人がバレれば、当然ジャックは処分される。
だから、隠さなければならない。
先ほどジャックを見つけた脇道へと入っていく。そこには無残にばらされた女の死体が転がっていた。
手早く頭部と胴体を持ってきた袋に放り込み、路地の先のテムズ川へと向かう。
せめてもの供養のため、頭部と細切れになった手足をテムズ川に向かって投げ込み、十字を切る。
それからすぐ袋を担ぎ、川沿いを西へと歩いて行く。普段の生活圏とは真逆の方向だ。
二キロほど進んだところだろうか。ホワイトホールの一際人気のない路地裏で、俺は周囲に人がいないことを確認し、袋を開ける。中身をその場にぶちまけた。
壁に、手近に落ちている軽石で文字を刻む。
『The Jews are the men That Will not be Blamed for nothing』(ユダヤ人は理由なく責められることはない)
この文は先日起きた殺人事件の折に壁に刻まれていたものだ。新聞社は報じていないが、人の口に戸は立てられない。
ユダヤ人が起こしたと思われるその事件の続き......あるいは模倣犯だと警察に思われればそれでいい。
書き終えた俺は、来た道を急ぎ戻った。
×××
「わたし、倒れちゃったの」
家に帰った俺は、部屋の隅の椅子で膝を抱えて丸くなるジャックに蜂蜜入りのジンジャーミルクティーを淹れてやった。
マグカップを受け取り、そっと口をつけたジャックは幾分か落ち着いたように見えた。
「起きたらベティがいなくて、家の中探してもいなくて......それで外に出たの」
マグカップの縁を指でなぞってジャックはつぶやいた。
「でも、身体が全然思うように動かなくて、路地で座り込んでたら......あの人、助けてくれたの」
「そうか......」
「このあたり、最近物騒だから気をつけて、って......」
そうか、と俺はもう一度頷く。
「殺人鬼が出るらしい、って......そう言って起こしてくれたの」
「ジャック」
俺はそれ以上いわなくていい、と首を横に振った。だがジャックは頭を強く横に振る。
「なのに! なのに......わたし......」
ジャックは、う、とうめいた。
「うぅ......ううぅ......」
呼吸が次第に荒く変わっていく。ジャックの手からマグカップがこぼれ落ちガチャンと音を立てた。
「くふ......ふ......ふふ、ふ......アハ!」
「ジャック......?」
「キャハハ! キャハハハハ!!」
ジャックはぎょろっと目を見開いてこちらを見るとニタァと笑った。
「コロシた! コロシてヤッた!」
キャハハ、と耳に付く声で笑う。
「ジャック!」
「!?」
肩を掴んで揺すると、ハッとジャックの表情が元に戻った。
「わたし......今......今」
ジャックはそう言うとわっと泣き出した。
「大丈夫だ。大丈夫だ、ジャック」
俺はただそう言いながら抱きしめることしか出来なかった。
その日からジャックは、明確に、壊れていった。
×1888/10/07×
「痛い......痛いよぅ......ベティ」
ジャックの体調はあの日以来、急激に悪化した。
梅毒が進行し全身の皮膚が肥大化して爛れては落ちていく。
しかし、組織は再殺少女の状態に関係なく仕事を持ってくる。
もしも使えないと判断されたらそれまで。その時点でその少女は廃棄される。
だから、ジャックの体調がどれほど悪かろうと再殺をさせなければいけなかった。
「お薬......お薬ちょうだい」
度重なる薬の使用で、ジャックの身体はもう限界だった。
痛みをごまかすために薬を使い、その薬によって身体はいっそう壊れていく。その繰り返し。
再殺少女の終わりはいつだってこうだった。俺はこれまでに何度も、こうなった少女たちを見てきた。
彼女たちは、助かることはない。俺に出来るのは、命尽きるその日までの苦痛を和らげてやるだけだ。
「ねぇベティ......クリスマスまであといくつ?」
痛みにもがく合間のわずかな一時、ジャックはうわごとのようにつぶやいた。
「クリスマス、楽しみだなぁ」
「......クリスマスに欲しいものでもあるのか? したいことは?」
もしもあるなら、今すぐ用意してやるつもりだった。
しかし、ううん、とジャックは首を横に振った。
「欲しいものがあるわけじゃないの。ただ、クリスマス、っていうのをしてみたかっただけ」
わたし、一度もしたことないから、とジャックは弱く笑った。
「暖かいお家で、クリスマスツリーを飾って、七面鳥とかケーキを食べるの」
それがしてみたいだけ。
ジャックはそう言った。
「ああ、やろうなクリスマス」
「出来るかな?」
「もちろんだ」
最初からわかっていたことだった。
もう何度も繰り返してきたことだった。
「早くママ見つけて、病気治したいな」
「そうだな」
俺は、再殺少女をこうして何回も壊してきた。
どうにかする術はないかと、もがいたこともある。
組織に逆らい、ジャックを連れて逃げたこともある。
「ママのこと、ほとんど覚えてないんだけど、ひとつだけ覚えてるんだ」
「どんなことだ?」
「クリスマスにね、お菓子くれたの」
ジャックは親指と人差し指の先を合わせて小さな円を作って見せた。
「こーんなちっちゃなチョコレート一個だったけど、すっごくおいしかった」
だからね、クリスマス、好きなの。とジャックは笑った。
「じゃあ、クリスマスにはチョコレートケーキを買おう」
「うん!」
「だから......がんばれ」
「うん!」
しかし、俺にはどうしようもなかった。
再殺少女は救えない。
×××
再殺が出来るのは、娼婦の腹から生まれた、先天梅毒に冒された少女だけ。
全ての再殺少女は、再生体が人間であったころ産み落とした娘である。
多くの少女は、自身の生みの親と出会う前に死んでいった。再生体に殺されることもあった。病気に冒されて死ぬこともあった。薬に耐えられず死ぬことも、精神が狂い自ら命を絶ったこともあった。
それらをくぐり抜け、自分を生んだその再生体と出会い屠ることの出来た少女は、死ぬ。
どうしてそうなのか。誰がその法則を見つけたのか。一切が不明だ。
再殺少女はいつか自分の母親だった再生体を殺したそのときに、永遠の眠りにつく。
救いなどどこにもない。
その日は近づいていた。