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CHAPTER 2

CHAPTER 2


×1888/02/25 アニー・ミルウッド× 


 2130

 再殺執行。標敵は四十近くの煤けた金髪の女だった。

 No.13は初回に比べて慣れてきた様子。再殺時に薬を打つと、人格が豹変する。

 再殺完了後も、再生体の下腹部・足を幾度も刺し、嗜虐性を見せる。

 再殺には問題ない。むしろ好戦的になり適していると言える。


×××


 俺たちはおおよそ月に一度のペースで再殺を行った。

 標敵は俺らが探すわけではなく、組織から手紙で知らされる。

 普段、俺たちは組織の借りたロンドン橋近くにあるアパートで暮らしていた。


「ねえねえベティ」


 ジャックは寝間着のまま部屋の隅に置かれた一人掛けソファーで膝を抱えて座っていた。


「どうした?」


 この家に着た当初、ジャックは部屋の中ですら俺の後をついて回った。

 だが二ヶ月が過ぎ、徐々に緊張も解け、自分の居場所をソファーの上に決めたようで、このところ、そこに座っていることが多くなった。


「今日はなにする?」


 俺たちは仕事のない日はすることがない。


「なにがしたい?」

「なんでもいいよ?」


 ぐー、とジャックのお腹が音を立てて鳴った。そういえば朝からまだなにも食べていなかった。


「食べたいものあるか?」

「なんでも大丈夫だよ?」


 ジャックは一事が万事この調子だった。組織で育ったために、自分の願望というものがなかった。「自分の好きな料理」というものはおろかそもそもの「食べ物」の名前すら知らないことが多くあった。

 この二ヶ月、意図的に多様な料理を与えてみたが、ジャックにとって食事は未だエネルギー補給以上の意味合いを持たないようだった。


「出掛けるぞ、支度しろ」

「はーい」


 そういったジャックは、立ち上がって俺のことをじっと見た。まるで支度が出来た、といわんばかりだ。


「待てジャック......それで支度できたのか?」

「?」


 ジャックは首をひねって自分の格好を確認してから、こくん、と頷いた。ジャックは寝間着のままだ。


「着替えてこい」

「かわいいよ?」


 これ、とジャックは自分の服をつまむ。彼女が着ているのは最近流行のパジャマと呼ばれるのもで、確かに洒落ているが外出着ではない。


「......着替えてこい」


 もう一度いうと、ジャックは首をもう一度かしげて、はーい、と返事をして着替えにいった。

 わずか二、三分で着替えて戻ってきたジャックは、きちんと外出用の服を着ていた。


「これでいい?」

「......ちょっとこっちこい」


 俺はそう言ってジャックを鏡台へと連れて行く。鏡の前の椅子に座らせ、櫛を手に取り、ジャックの髪に当てる。


「ふあ」

「変な声出すな」


 ぼさぼさの髪を梳いてやる。


「う~~~」

「じっとしてろ」


 くすぐったそうに小刻みに頭を揺らすジャックをまっすぐにさせ、細い髪に櫛を通す。


「伸びてきたな」

「そう?」


 どうしてもじっとしてられないのか、ジャックは足をぶらぶらとさせていた。


「よし、まぁこんなもんだろ」

「ありがとう」

「出掛けるぞ」


 俺とジャックは連れだって表へ出た。

 石畳の道路を歩き、飲食街の並ぶメインストリートへと向かっていく。


「ねえねえベティ、なに食べる?」

「そうだな......今は肉の気分だな」

「じゃあローストビーフサンド?」

「ああ」


 俺が肉が食べたい、といったときは大抵そうだった。俺たちは人目を忍ぶ必要はなかったが、それでもあまり関わりたくないため、持ち帰りの出来る料理を選ぶことが多かった。


「ジャック、おまえはなにが食べたい?」

「うーん、なんでもいいよ?」

「なにか気になったら言えよ?」

「うん!」


 二人で街中をぶらぶらと歩く。この道をもう少しいったところに行きつけのパン屋があった。

 その店のローストビーフサンドが俺のここ最近のお気に入りだ。


「ジャック?」


 ふと気がつくと隣を歩いていたはずのジャックがいなかった。

 振り返ると、ジャックは三歩ほど手前で立ち止まり、通りを挟んで向かいを歩く親子を見つめていた。


「どうした?」

「......あ、うん。なんでもない」


 そういったジャックの視線はしかし、親子から離れなかった。いや正確に言うならば、その子どもの持っているものだ。


「アレが気になるのか?」

「ううん」


 いこ? とジャックは俺を促した。

 しかし、俺は行き先を変更。通りを渡り、路上に面したところに設けられたカウンターから、その店の親父に声をかけた。


「そいつをひとつくれ」

「はいよ」


 親父から受け取ったそれは――アイスクリーム。ジャックが先ほど食い入るように見つめていた物だ。急に行き先を変えた俺を転がるように追いかけてきたジャックの前に突き出す。


「ほらよ」

「え......でも」

「もう買っちまったんだ。いらんなら俺が食べるぞ?」

「あ、あ! た、食べる!」


 俺の手からアイスクリームを受け取ったジャックは、ちろり、と赤い舌をのぞかせて恐る恐るアイスを舐めた。

 ジャックの目が大きく見開かれた。


「............!」

「どうだ?」


 まん丸に見開いた目がこちらを見上げる。うまいかなんて、聞かなくてもその表情を見たら一発で分かる。


「ほら、溶けるぞ」

「あ、うん!」


 慌てたように溶けてたれてきたアイスをジャックは舐めた。おいしそうに目をつむる。


「ベティは?」


 ん、と俺にアイスクリームを差し出してジャックは言った。


「俺はいい。全部食べな」

「うん!」


 ジャックはあっという間にアイスクリームを食べ終えた。唇の端にアイスクリームがついているのを、指先でぬぐってやる。


「うまかったか?」

「うん、おいしかった......すごく!」


 そうか、と俺は頷いた。

 この日からアイスクリームがジャックの好物になった。



×1888/03/28 エイダ・ウィルソン× 

 

 2330

 再殺執行。標敵は三十代、赤毛の再生体。

 全身をナイフで刺した後、首を真一文字に掻っ切り再殺完了。

 投薬後に豹変するのは変わらない。

 投薬中の記憶は、普段のジャック自身にもある程度残っているようだ。



×××



 俺が置きっ放しにしていた新聞を、ジャックが広げていた。

 これまでにもジャックがそうしているところは何度か見ていたが、俺には疑問があった。


「ジャック、おまえ字が読めるのか?」


 俺の問いに彼女は、きょとんと目を丸くして、首を横に振った。


「わかんないよ?」


 当たり前のように言う。


「......面白いか?」

「ううん」


 面白くもない新聞を、ジャックは興味深そうにぱらぱらとめくっていった。


「ベティは字が読めるんだよね」

「ああ」

「なんて書いてあるのか読んで?」


 ジャックはそう言って俺に一面を示した。

 そこに書かれた見出しを声に出す。


「ホワイトチャペルに現れた"名無しの切り裂き魔(ジャックザリッパー)"」

「わたし?」


 ああ、と俺は頷く。


「えへへ、有名人みたい」

「......ああ、そうだな」


 ジャックはうれしそうに新聞の紙面を眺めていた。


「ねぇねぇ、続き! 続き読んで!」


 求められるまま続きを読みながら、俺は二つのことを考えていた。

 新聞社が俺たちのことを嗅ぎつけているのではないか、という心配が一つ。

 もう一つは、ジャックの反応だ。

 連続殺人犯、と自分のことを書かれてそれを喜ぶものか?


「なあ、ジャック――」

「でも、殺人鬼、だって」


 ぷくっと頬を膨らませてジャックは不満をあらわにした。


「わたし、再殺してるだけだよ?」

「ああ、そうだな」


 そうだ。再殺は殺人ではない。相手は人では無いのだから。


「再生体のことはみんなには秘密だからな、仕方ないさ」

「うん......」


 ジャックのその言葉に少しほっとする。しかし、俺の心は奥底でざわついたままだった。


「大丈夫。ジャックの仕事はみんなのためになる、立派なことだ」

「うん」


 ジャックは思い出したように言った。


「そういえば、ベティはお仕事しないの?」

「......は?」

「ベティ、いつもお家にいてのんびりしてるけど......お仕事はいいの?」


 ジャックは俺のことを働いていないと思っていたらしい。現在進行形で仕事中だというのに。


「もしかして働いてないの?」

「は、働いてるさ!」

「なんのお仕事?」


 他ならぬオマエの世話が俺の仕事だ、と言いたいところだが、ぐっとこらえる。

 まぁ端から見たら、ただ少女とだらだら日常を過ごしているだけだ。


「ベティはなんの仕事してるの?」

「俺は......医者だ」

「お医者さん!? ベティすごいね!」

「ああ、すごいだろう。俺は医者なんだぞ」


 そう、俺は医者だった。

 正規のルートからドロップアウトした闇医者。だから再殺少女の世話なんてものをやっている。


「そっかぁ、だからベティ、お薬くれるんだね」

「ああ」


 ジャックは再殺少女としてのスイッチを入れるシャブ以外にも、たくさんの薬を飲んでいた。

 それらは、傷ついた身体の補修を助けるものと、生まれつき冒されている梅毒に対する薬だ。俺の仕事には、それらの薬を調合し、ジャックの体調管理をすることも含まれている。


「そう言えば......最近体調良いかも」

「そうか。効いてる証拠だな。それならこれから毎回嫌がらずに飲むんだぞ」

「うー」


 ジャックは不満げに頬を膨らめた。


「でもでも、ベティ、他の患者さんは? 仕事しないの?」

「............」

「ねえねえ」


 ぐいぐいと俺の袖をジャックは引っ張る。


「ったく......俺の仕事は、おまえの世話だよ」

「わたしの......?」


 そうだ、と俺は頷く。


「ジャックの体調管理。生活補助......おまえ一人じゃ、アパート借りられないし、食事も出来ないだろう?」

「......そうなんだ」


 そっか、とジャックはつぶやいた。


「ベティはお仕事でわたしと暮らしてたんだね」

「............」


 やっちまった、と思った。これまで少なからず積み上げてきた信頼、のようなものが一瞬で崩れていく音がした。


「そうだよねー、そうじゃなきゃ、わたしなんかと暮らさないよね」


 ガキのくせに、いっちょまえに女みたいなことをいう。これだからガキでも女はめんどくさい。


「ジャック......なにか欲しいものはあるか? して欲しいこととか」

「ご機嫌取り?」


 そうだ。こういうときは、それ以外に出来ることはない。


「まぁ、いいけど......じゃあ」


 うーん、と少し考えるようにジャックはうなり、あ、と声を上げた。


「ベティ、わたしに文字を教えて?」

「文字?」


 意外だった。そんなことを求めてきた少女は初めてだった。


「ダメ?」

「いや、いいぞ」

「ほんと、やったぁ!」


 うれしそうにジャックは声を上げた。


「他にはあるか?」


 ジャックの目がきらりと輝いた。


「ベティ、あと、アイス買ってきて?」

「ああ、いいぞ」

「あと、ご飯食べさせて?」

「......わかった」

「お風呂入れて?」

「............」

「わたしの世話が仕事なんでしょ? ちゃんと仕事してね?」


 働かざる者食うべからず! とジャックはどこで覚えたのかいっちょ前に人差し指を立てていった。


「......ほほう......そうか......」

「......ベティ?」

「わかった......いいだろう」


 俺は口の端をつり上げて笑顔を作る。


「全力で世話をしてやろう」

 


×××



「ほらほら、ジャック。口を開けて、はいあ~ん」


 アイスをスプーンに載せて、俺はジャックに迫った。しかしジャックは頑なに口を開かない。


「どうした食べさせて欲しいんだろ?」

「いい、いいか――もが」


 口を開いた瞬間を狙ってスプーンをねじ込む。ジャックが反抗的にもがもが言ってるが気にしない。


「じゃあ次は風呂だな。お洋服ぬぎぬぎしましょうねえ」

「ま、待って!」

「待たん!」


 洋服に手をかけた俺の手から逃れて、ジャックは自分の身体を両手で抱きしめた。


「や、やだぁ」

「ふはははは、ほーらほーら! 早く服を脱げ! 風呂で全身洗い尽くしてやろう!!」

「ばかばかばかへんたいへんた......ぎゃー! ほんとに脱がしたぁー!」


 ジタバタ喚くジャックの服を脱ぎ捨て、全裸の彼女を小脇に抱えて風呂場へ運ぶ。


「ははは! そら風呂行くぞ!」

「ぎゃー! やだぁあぁぁ!! おかされるぅぅぅ!!」



×××



「どうだ、ジャック、すっきりしただろう」


 たっぷりと泡立てたタオルで全身をくまなく洗ってやり、風呂から上がった俺は聞いた。


「うぅぅ......ばかぁ......へんたい」


 涙目で顔を真っ赤にしてジャックは言った。


「安心しろ、お子様に欲情するほど飢えてねえよ」

「うー」


 こちらをじとっとした目でにらみつける。


「ばかばか。ベティのバカ」


 ふくれっ面でそういったジャックだったが、それでも機嫌は治ったようだった。


「ほんとに......バカ」


 ジャックは顔を赤くしてつぶやいた。

 

 その日から、毎日が少しだけ変化した。

 ジャックに文字を教えること。それが日課になっていった。



×1888/04/03 エマ・エリザベス・スミス×

 

 2215

 再殺執行。標敵は珍しく二十代と若かった。

 そのためか、普段よりも再殺に苦戦。

 手こずった苛立ちのためか、再殺後、再生体の局部に鈍器を突き刺し踏みつける、といった場面が見られた。

 No.13は右前腕部を骨折。四週間は戦闘不可。



×1888/06/06×


 ジャックの腕はなかなか治らなかった。

 当初の見込みでは一ヶ月で治ると思っていたが、二ヶ月が経過した今もまだ完治に至っていない。


「......藪医者ー」


 包帯を巻き替える以外の手当をしない俺に対して、ジャックはそう言った。


「藪じゃねえ」


 骨折に対しては患部を固定しておく以外に治療法がないのだから仕方ない。


「うー、闇医者!」

「その通りだ! なんか文句あるか?」

「ないよー!!」


 怪我のせいで思うように動けず、ストレスが溜まっているのだろう。文字を勉強中のジャックは、俺の与えたノートに簡単なフレーズを書き写しながら、ずっと貧乏揺すりをしていた。


「なぁジャック」

「なに?」


 足をばたつかせているジャックに俺は声をかけた。


「買い物、行くか?」


 パァ、とジャックの目が輝いた。


「行く!」


 本当は、今の状態のジャックをあまり外に連れて行きたくはなかった。


「よし、じゃあ着替えてこい」

「はーい!」


 それでも一緒に出掛けようと思ったのは、先のことを考えてだ。

 こうして出掛けられる機会は、もうあまり残されていない。


「準備できた!」


 お気に入りの服に着替え意気揚々のジャックと、俺は買い物に出掛けた。



×××


  

 夕飯の買い物をした帰り道。

 ジャックと二人、紙袋を抱えて道を歩く。


「たくさん買ったね!」


 俺の持つ紙袋に詰まった、バケット、パプリカ、アスパラ、ジャガイモ、オレンジ、リンゴ、ローストビーフ、etc...


「おまえも少しは持てよ」

「え~やだ。だってわたしか弱い乙女だし」

「誰がだ」


 言いながら俺は、歩道からふらふらと出そうなジャックの袖を引っ張った。

 わたしわたし、とジャックは自分の顔を指さす。


「それに、腕だってまだ治ってないよ? 誰かさんが藪だから......」

「悪かったな」

「素直でよろしい!」


 えっへん、とジャックは頷いた。この頃は、最初の頃のような遠慮やこちらに気を使った様子はもうどこかへ行ってしまっていた。


「でも、謝罪するときはもっと誠意を見せて頂きたいなぁ」


 上目遣いでこちらを見るジャックに、俺はため息をつく。甘やかしすぎたか。


「......アイスか?」

「うん!」


 いつものアイス屋で、ジャックお気に入りのアイスを買ってやる。

 歩きながらアイスを食べて、満足そうな笑顔をジャックは見せた。


「ベティ? 最近、お仕事の手紙こないね」


 組織からの連絡がここのところ途絶えていた。


「ああ、そうだな。標敵ターゲットが見つからないんだろう」


 あるいは、新聞社の動向を気にしているのか。

 ここのところ『切り裂きジャック(ジャックザリッパー)』に対する報道熱が高まっていた。それを冷ます目的もあるのだろう。


「わたし、こうやって『ふつう』に生活するの、初めて」

「そうか」

「うん。生まれてからずっとアレだったし......」


 アレ、としかいわなかったが、どんな生活かは容易に想像がつく。


「早くお母さん見つけて、病気治したいな」

「ああ、そうだな」


 母親を再殺すれば、救いが訪れる――病気が治る、と思っている。


「そうしたらさ、ずっとこうやってふつうに暮らせるんだよね」

「ああ、もちろんだ」


 そんなことはあり得ない、と知っていながら俺は笑顔で応えた。


「クリスマス、楽しみだなぁ」

「まだ半年先だぞ?」

「うん......ずっとずっと、こんな風にのんびり、ふつうに過ごせたらいいね」


 ね、ベティ。と、ジャックは屈託なく笑った。

 心がみしり、と軋んだ。


 このまま、こうして穏やかな日々が続いてくれたらいい、と思った。


 組織からの連絡は、それから二ヶ月後の八月までなかった。

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