CHAPTER 1
CHAPTER 1
×1887/12/26 切り裂きジャックNo.13×
0130
よく惨劇の場を血の雨が降る、というが、その光景は雨と言うより、噴水だった。
降り注ぐ血を浴びた彼女は、焦点の定まらない瞳で、糸の切れた人形のように膝立ちの姿勢で固まっていた。
「おい」
俺が呼びかけ肩を揺すると、彼女はたった今、目が覚めたかのように、ぱちくりとまばたきをし、こちらを見上げた。
「あ......ク、クリスマス?」
「クリスマスはもう昨日だ」
「あ......」
そっか、と彼女はつぶやいた。
「クリスマス。でき、なかった」
血まみれになった自身の手を不思議そうに見ながら、ぽつりとつぶやく。
「来年は、出来るかなぁ」
彼女は空を見上げた。空からはしんしんと真っ白な雪が降ってきていた。
――出会いは二日前にさかのぼる。
×1887/12/24×
1645
夕暮れ時。
ロンドン郊外の廃病院で、俺は組織の男に連れられてきた彼女と出会った。
「ほらコイツが、今日からオマエの面倒を見るベティだ。挨拶しろ」
男に背を押されて、彼女はよたよたとよろけながら俺の前に出る。
襤褸のような貫頭衣の裾からのぞく、ガリガリに痩せた手の甲に彫られた『13』のタトゥーが目に入った。
「は、はじ、ハジメ、まして......13、で、す」
緊張のせいか、はたまた薬のせいか。噛み噛みのたどたどしい言葉で彼女は言った。イントネーションもでたらめだ。
「じゃあ、頼んだぞ」
それだけ言うと男はこちらの返事も聞かず足早に去って行った。俺らとできる限り一緒に居たくない、という本心が見え透いている。
「あ、あ」
彼女はあまりにもあっけなく立ち去る男に、不安そうに手を伸ばしかけ、だがすぐにその手を下ろした。
「............」
こちらを伺うその瞳に宿るのは、わずかばかりの怯えと、あきらめだ。
これまで、幾度もひどい目にあい続けてきたのだろう。
「おい」
俺が呼びかけると彼女はビクッと身をすくませた。
「おい、ジャック」
「じゃっく......?」
「オマエだよ、オマエ」
薬漬けにされ『仕事』のためだけに生かされている少女たち。
「あ、あの......」
なんだ? と促す。こわごわと彼女は口を開いた。
「あのあのあの、あ、あたし、13」
彼女は、まるでそれが自分の名前であるかのように言った。
「あの......」
No.13――それは彼女を識別するための番号であり名前ではない。組織に引き取られた少女たちは、以前の名前を捨て、ジャック、という共通のコードネームが付けられていた。
「あ、あの......べ、べ、ベティはな、な、何番?」
「さあな」
俺たち『ベティ』は彼女たちの世話役に与えられるコードネームだ。同じように番号で管理されている。
普段はお互いを区別するために番号で呼び合うことが多いのが組織の慣わしだった。だから彼女がそれを知りたがるのは当然のことだった。
「ご、ごめんなさい......」
うつむいて、身体を震わす彼女に思わずため息がこぼれる。
「今日から俺がオマエの世話係だが......先に伝えておく」
こっちみろ、と言うとビクッと震えて彼女は顔を上げた。
「俺はオマエをジャックと呼ぶ。だからオマエは俺をベティと呼べ」
「は、い......?」
ジャックは不思議そうな顔をして俺を見た。
「それから、俺は理由もなく謝られるのが嫌いだ。悪いこともしてないのに謝るな」
「あ、ご、ごめ――」「あぁ?」
「はっ、ハイっ!!」
ビクッと震えるジャックに、まぁ今はこんなもんか、と独りごちる。
「よ、よろシク、お、おお、お願いします!」
ブン、と勢いよく彼女は腰から身体を折り曲げて頭を下げた。
「ああ、よろしくな、ジャック」
ぽかん、と彼女は口を開けた。
「どうした?」
「は、はい......なんでも、ない、です」
はい、とうつむいてジャックは頷いた。
「あの......あの、べ......べ......」
ベティ、とジャックは小さな声で呼んだ。
「なんだ?」
う~~~、うめきながらぐにぐにと身体をくねらせている。
「よ、呼んだダケ」
「そうか」
名前を呼ばれるうれしさは分かっている。分かった上で、そう呼んだ。ジャックの気分を良くし、信頼させるのも仕事の内だ。
「さてジャック......早速だが、仕事だ」
「あ、は、ハイ!」
ジャックはとてもいい笑顔を見せている。
「初仕事、だな」
「ハイ! ハイ! あの、あのあの、あ、あたし......」
がんばります、と彼女は両手で拳を作っていった。全てこちらの思惑通りに。
×1887/12/25 フェアリー・フェイ×
2330
標敵は「フェアリー・フェイ」という三十路絡みの売春婦だった。
ヤツが客の男と別れ、家へと帰る道中、俺たちは物陰からヤツの様子を伺っていた。
「準備はいいか?」
「ねえねえ、ベ、ベティ......きょ、今日が何の日か知ってる?」
「あ?」
今から仕事だって時に、ジャックは緊張感がなかった。通りに着けられた壊れかけのガス灯が明滅する。
昨日あの後。ジャックの姿があまりにもみすぼらしく、仕事をするにも難儀だったのでまずは洋服を買い与えた。
適当に入った店で若い女店員に見繕わせただけだが、ジャックはいたく気に入ったらしかった。
着た姿を、鏡で何度も見て、こちらを執拗にちらちらと見てくるので、似合ってるぞ、と言ってやると、いっちょ前に顔を赤くして照れていた。そこから俺に対してやたらと懐くようになった。
そして今。その服を着て、こちらの袖をくいくいと引っ張っていたジャックだが、俺の視線にビクッと震えて手を離した。
「ごっ、ごめ――あっ」
「謝んなっていったろ」
ぐしゃぐしゃとジャックの頭を撫でる。俺は一息ついて、レンガ造りの壁に背を預けると、懐からたばこを出して口にくわえた。
「で、今日がどうした?」
「あ、あ......えと、えと」
「ん?」
マッチを擦り、火をタバコに点し、出来るだけ優しく促してやる。これから仕事だってのに気分を損ねられたらたまらない。
「あの......あの、ク、クリスマス......」
「ああ」
そんなことか、と舌打ちしたくなったが、代わりに煙をゆっくり吐き出す。昨日から、町中はクリスマスの飾り付けで溢れている。服屋の店員もジャックに「クリスマスプレゼント? 良かったわね」なんてほざいていた。
「そうだな......仕事が終わったら、ゆっくりとやるか」
クリスマス、と言うとジャックの顔が明るくなった。
「うん......うん!」
うれしそうに頷いたジャックだがその手足は細かく震えていた。
「怖いか?」
「......」
ジャックはフルフルと頭を横に振った。
「無理するな。初めてなんだ。怖くて当たり前だ」
怖いか、ともう一度尋ねると、逡巡しながらもジャックはコクンと頷いた。
仕事――それは、あの売春婦を殺すこと。
俺はこいつに、殺しをさせようとしている。
「大丈夫だ。心配するな、これまで何度も練習してきただろう?」
うん、とジャックは顔を下げた。
当然の反応だ。いくら練習してきたとはいえ、殺しに忌避感を覚えない方がどうかしている。そういう意味でこいつはまだまだまともだった。
だが仕事をするにはその正気は邪魔だ。
だから。
「ねぇベティ......お薬、打つの?」
「ああ」
ジャックの正常な思考を奪うため。肉体の限界を超えさせるため。薬を打つ。
「あの......あのね......あたし、お薬あんまり好きじゃないの」
「そうなのか? だけど、薬打たないと病気治らないぞ?」
ジャックは生まれつき病気を抱えている。組織は薬と仕事を、治療の一環だと教えこんでいた。
「うん......うん、だけど......だけど」
薬が心身をぶち壊す物だ、ということを本能的に察しているのだろう。ジャックの表情は暗いままだった。
「大丈夫だ。怖くない」
「......うん」
短くなったタバコを足下に捨て火をもみ消す。なぁ、ジャック、と呼びかけて、身体を折って視線を合わせる。
「俺を信じろ」
「うん......うん!」
ジャックはそれまでの不安が嘘のように目を輝かせた。
「信じる。あたし、ベティ信じる」
「いい子だ、ジャック」
頭をくしゃっと撫でてやる。本当にいい子だ。虫酸が走る。
「えへへ」
そんなやりとりをしている内に、人気のない薄暗い路地へと標敵は入っていった。
「さて、じゃあそろそろ仕事、しなきゃな」
「うん!」
「薬、打っても大丈夫か?」
「うん......大丈夫!」
ベティのこと信じる、とジャックは笑った。
鞄から鍵付きの黒塗りの小箱を、ジャケットの右ポケットから鍵を出す。
開けると、そこにあるのは注射器と薬の詰まったバイアルだ。
懐からマッチを出して擦り、その火で注射針を炙る。十分に熱した後、注射筒にそれをセットする。バイアル上部のコルクへと針を刺しこみ、押子を引っ張り中の薬を注射器へと吸い入れる。
ジャックはそれをじっと黙って見つめていた。
「よし......じゃあ、打つぞ」
「うん」
軽く押子を押すと、数滴の薬がこぼれた。空気が抜けていることを確認し、針をジャックの首筋に押し当てる。
「少し痛むけど、我慢してくれ」
「うん......ねぇベティ」
がんばるね、とジャックは言った。俺は頷き、静脈へと針を入れる。
「......ッ」
ジャックは痛みに耐えるように目をつむった。押子を押し込み薬を入れていく。数秒で薬は彼女の血液に溶け込んでいく。
「よし、打ち終わったぞ。もう大丈夫だ」
針を抜いて俺は言った。だが返事がない。
「ジャック?」
「............」
ジャックの目がバチッと開いた。ランランと光る目で俺を見る。
「キャハ」
ジャックは、笑った。
「キャハ、キャハハハハ!!」
不自然なまでに目を見開き、瞬きもせずジャックは笑う。
「ベティ、ベティ!!」
バンバン、と俺の背中を叩いてジャックは跳ねた。
「アイツダネ? アイツだよネ?」
そう言って、標敵を指し示す。
「ハヤく、ハヤく!! ヤラせて!!」
口の端から泡を飛ばし迫るジャックに押し倒された俺は、頷いた。
「ああ、行ってこい」
「キャハ!!」
笑うと同時、ジャックは跳んだ。標敵に向かって駆けていく。そのスピードはもはや人間のそれではない。
「............」
それを見送り、ふ、と俺は息を吐いた。
懐からタバコを取り出し、マッチを擦り火をつける。
ジャックがアレを始末するまで俺の仕事はひとまず終わりだ。
「............」
深々と煙を吸い込み、肺を満たす。
「......信じてる、か」
くそったれ。
言葉とともに煙を吐き出した。
×××
五分後、そろそろ頃合いかと思い俺はジャックを追った。
目の前の女の腹部に、木の杭を突き立てながら、ケラケラとジャックは嗤っていた。
「リップ! リップ! リップ!」
何度も何度も何度も。突き立てた木の杭をガンガンと蹴り、女の身体を貫通させる。
女、と呼んだが、こいつはもはや人間ではない――再生体と呼ばれる、有り体に言えばゾンビ、というヤツだ。
死んだ人間が生き返る----この現象は、売春婦にのみ見られるため、性病の一種だと推測されていたが、詳細は一切分かっていない。
再生体を再び殺す作業――いつから誰が呼んだか知らないが、これを再殺と呼んだ。rest in peace「安らかに眠れ」の略である。
「リップリップリップリップ......リップ!!」
一際強く蹴り込んだ瞬間、杭は女を貫き通した。再生体の身体がビクンと跳ね、動きを止めた。
再殺完了。これで仕事は終わりだ。
「ジャック」
再生体を再殺する役割を背負わされた少女――彼女らを再殺少女といった。
俺の言葉にジャックは気づかず、動かなくなった女の死体を蹴り続ける。
「チッ」
再生体は見た目は人の形をしているが、化け物だ。普通の人間では手も足も出ない。
だからそれを殺す事の出来る再殺少女も当然化け物にならねばならない。そのための薬だ。
「ジャック、止まれ!」
俺は彼女の細っこい首筋に、注射器を突き立てた。
ガクリ、と彼女の身体が崩れ落ちる。
鎮静剤を打ったのだ。
――これが、今巷を騒がせる「切り裂きジャック」の正体だ。
×××1887年12月26日×××
0135
「あ」
ようやく我に返り落ち着いたジャックは、自分の姿に気づいて声を上げた。
「服が......」
ジャックの服は返り血を浴びて真っ赤に染まりぐしょぐしょだ。どれだけ洗っても、落ちはしないだろう。
「ご、ごめんなさい......」
「気にするな」
髪をぐしゃぐしゃと撫でてやる。ジャックの細い髪の毛も血まみれでべとべとだった。
「でもでも、ベティが買ってくれたのに――」
「また買ってやるさ。明日にでも買いに行こう」
「でも、でも......」
「初仕事、ちゃんと出来たご褒美だ」
だから、な? と言ってやる。組織から十二分に金は受け取っている。生活には何不自由ない。
「うん」
そう頷くと、ジャックの視線がうつろになった。
「疲れただろ。寝ていいぞ」
「ん......」
ジャックはまぶたを閉じ、眠りに落ちていった。
羽織っていた外套をかけてやり、ジャックごと背負う。
「ベティ......」
ありがとう。
「......ああ」
礼を言われるようなことはしていない。何一つ。
俺は、組織に与えられた住処へ向けて歩き出した。
×××
再殺少女は元は普通の少女だった。
生まれつき梅毒に冒され行き場をなくした少女たちが売り飛ばされ、行き着くのがこの組織。
そこで彼女たちは、常人では耐えられないような劇薬を大量に投与される。そして、多くは耐えられず苦しみもがいて死んでいく。
生き残ったわずかな者たちが、化け物――再殺少女へと変身する。
再殺少女は「再生体となった生みの親を殺せば、救いが訪れる」と教えられ、それだけを希望に生きている。
この子は何ヶ月持つだろうか。
俺はこうして、ジャックを壊していく。