7-6 レベル6の始まりと終わりの衝突
海の上の出来事だった。それは誰も知らない現実の外。
すべての時間が停止した。
さざ波はひょっこりと海面から顔を出したように動きを止め、カモメたちは空から吊るされたように羽ばたくを止めた。
「久しぶりだなぁ、リリス!」
時間の止められた海はまるで大地のように硬かった。巨大なハサミを持った土色の化け物は、逆らうように体を動かしたが、全身を包むような固い海は、それを許さなかった。
蟹の甲羅の上で、始まりの蛇は宙に浮かぶ少女と対峙する。
白いパーカーに短パン姿の少女だ。水面に立つ少女は優雅に歩を進める。
「久しぶりね、ヤハウェ。随分醜い姿になったものね」
ヤハウェと呼ばれた蛇はカカカ、と爽快に笑った。
「そう悪いもんではないさ。神様よりはよっぽど清々しい。お前こそ、随分偉くなったもんだな」
フフン、とリリスは得意げに笑みを返した。
「あなたよりも長いこと神様をしているからね。奉られ過ぎて、板についちゃったみたい」
リリスはトン、と足音を立てて甲羅の上に着地する。無数の土色の巨腕が盾になるように始まりの神の前に立った。
「いい、どけろ」
ヤハウェの声に土色の巨腕たちは、おずおずと後退した。
それと入れ替わるように名前のない騎士が前に出た。
銀色のフォークをリリスにつきつけ、じっと睨み付けた。その目に宿るのは憎しみと憐みだった。
あと数センチ、フォークを突き出せば、リリスに突き刺さる。だが、その数センチの隙間の中で憎しみと憐みがせめぎ合う。
「あなたとも久しぶりね、アダム」
その名を呼ばれ、デュラハンはゆっくりとフォークを下げた。
かつて、神が作り上げた楽園には二人の神と一人の人間がいた。一人はすべてを作り出した創造主ヤハウェ。一人は記憶を失ったリリス。
記憶を取り戻したリリスはやがて、楽園を去った。
この対面は数十億年という長い月日を隔てた再会である。
「僕としては初めまして、かな」
はるか昔の話である。ましてやアダムにとっては、何度も輪廻する前の記憶だった。
うっすらと胸に痛む懐かしさだけが、二人の繋がりを教えてくれた。
「こいつはまだお前のことを思い出しちゃいねぇよ。それに昔話をしに来たわけじゃねぇんだろ?」
右腕の蛇が威嚇するようにチロチロと舌先を覗かせた。
リリスはやれやれとため息を吐き出した。
「えぇ、そうね。懐かしいお友達と喧嘩をしに来たんだった」
リリスの視線はデュラハンの横を通り過ぎ、ヤハウェの肩を飛び越え、その奥に佇む少女を見ていた。
「久しぶりね」
神を名乗れぬ少女は静かに笑う。その微笑みの向こうに滲む憎悪が、ぐにゃりと空気を歪めた。
白いパーカーに短パン姿。リリスとうり二つの外見を持つ少女。フードの下から覗く真っ赤な目が、ぎょろりと蠢いた。
「やっと会えたね、リリス」
「待ちわびたわ、エバ」
アダムの骨と土から作られた人形。それが人類の起源である。
彼女が子供を産み、彼女の子供が反映し、彼女の世界が始まった。アダムから生まれた人形は永遠の命を持っていた。
それ故に、ただ一人生き続け、この世界を見ていた。
神を辞め、人類の輪廻の中に消えたヤハウェ。
限られた命を与えられ、その寿命を全うしたアダム。
二人は無限の輪廻の中を彷徨い続けた。そして、エバは、二人を探し続けていた。
リリスに殺されたヤハウェとアダム。
神を名乗る少女との戦いは、神を名乗れぬ少女の復讐劇。
歪んだ世界。過ちに満ちた世界。
その全てを終わらせるため、正しい輪廻を、正しい神を選別するための戦い。
その玉座を奪い合うための神々の諍い。
「貴女を殺しに来たわ」
ベコン、と音を立てて、エバの足元がへこんだ。固い甲羅にヒビが入り、足元から鯨の断末魔のような声が響き渡った。
「直接対決にしちゃうの?」
リリスは嘲るように笑う。それと共にエバを真似るように足元をへこませる。
再び鯨が鳴いた。
「ここで終わらせるのはお前の本位じゃないんだろ?」
蛇をしならせ、ヤハウェが二人の間に割って入る。びりびりとヤハウェの体を震わせる空気を肌で感じる。
「えぇ、そうね。今、殺したところで、あなたたちはどうせ輪廻するだけだもの」
臨戦態勢を解いたリリス。荒ぶるように呼吸を繰り返すエバをなだめるようにアダムは彼女の肩に手を置いた。
「ラスボスはラスボスらしく城で待ってろよ」
「そうするわ。でも、あなたたちはチートすぎるのよね」
そう言ってリリスは右手を突き上げた。手のひらから光の柱が飛び出し、雲を突き抜けた。
時間が動き出す。リリスを中心に突風が衝撃波のように襲い掛かる。
彼らのやり取りをじっと見つめていた黒いローブの修道士たちが、悲鳴と共に吹き飛ばされる。
アダムがエバを庇うように立ち、ヤハウェだけは、次に起きる出来事に期待してワクワクしたような顔をしている。
「足止めってところか?」
独り言のようにささやかれた言葉にリリスは満足そうに笑みを浮かべた。
直後、太陽を貫くように伸びた光が右手と共に振り下ろされる。
すかさずアダムがエバを抱きかかえ横っ飛びして地面に倒れた。ヤハウェもまた、その光を避けた。
光ではなかった。それは輝いて見えるほど白い刃だった。天上を衝くように伸びた剣は、雲を突き抜け、空を切り裂き、慈悲もなく振り下ろされた。
ローブを来た修道士の体が真っ二つに裂け、その刀身は地面へと突き刺さる。
いかにも硬く見えた甲羅は、まるで豆腐でも砕くように刃先を沈めた。
甲羅を破られ、悲痛な鯨の声が響いた。だが、それを切り裂くように光の柱は海ごと両断した。
海が割れる。轟音の中に鯨の悲鳴はかき消された。
「お前は、まだ俺の代わりに罪を重ねるのか!?星宮」
ヤハウェは尋ねた。
それは遥か遠い昔の過ち。
嫌気が差し、神を辞めた。
アダムに自分の使命を押し付け、輪廻の向こうに逃げた。
そして、アダムもまた自分の使命を投げ出した。
その終着点。
押し付けられた神を名乗る羽目になった少女。
その罪を背負うことになった少女。
それは果てしない悪夢。
「お前が!お前たちが!私に押し付けた!だから、全うしてあげる!」
始まりの神と終わりを待つ神。
「今でも私はあんたを待ってるから!今度こそ、ちゃんと助けに来てよ」
それは懐かしい名前だった。
「待ってるからね、高杉」
それは救済を求める二度目の物語。




