7-5 レベル6の亀裂
海軍自衛隊の敗北は瞬く間に日本全土へと伝わった。前線で戦った国境防衛艦鶫を筆頭に、戦艦は次々と海に沈んだ。
無数の海兵たちが、土に還ることは出来なかった。それでも、なおも戦艦は投入されている。
足止めをすることは出来ても、その進攻を止めることが出来ない。
彼らの行き先を知らない人々は、ひたすらに祈りを捧げていた。いくつもの命を屠った化け物が、どうかここへは来ませんように、、と。
自宅でニュースを見て月野卓郎は睨むような目つきでテレビ画面を見ていた。
「おっかないねぇ」
呑気な声を挙げたのは妹の美月だ。キツネ色のトーストにマーガリンを塗ったくり、鼻の頭を白くさせている。
ようやっと体に凹凸が出てきたが、頭の中はまだ子供だ。
すでに七隻の戦艦が落とされているという事実も受け入れることは出来ても、理解することにまで至ってはいないのだろう。
「なに難しい顔してんの」
テレビ画面をジッと睨み付ける月野に気が付き、美月は不思議そうに尋ねた。
その声を聞いて、月野はややぁって笑った。
「大丈夫だ。兄ちゃんに任せろ」
「なにそれ」
仏頂面の美月を置いてけぼりに月野はリビングを出た。
「宿題やんなよっ!」
扉越しに聞こえた声に月野はやれやれとため息を吐くと、真っ黒いコートに袖を通した。
玄関を出て、月野は人目も気にせずに詠唱を始めた。デカデカと響く声に通行人は鬱陶しそうに視線を向けた。
直後、にやりとこぼれた笑みを残して、轟音と共に月野の体は空へと上昇した。
ポカンとした顔で通行人は彼の背中を見送った。
一直線に月野が向かったのは秘密基地だった。古びた団地の一室。
本来なら樹美鈴の仮住居として稼働していたはずの場所。
ベランダに到着すると共に眼前に鋭い剣先を突きつけられた。あと数ミリ前に出ていれば、鼻が切り裂かれていたことだろう。
ぎょっとする月野を見て、カタナは剣を下ろした。
「やっぱりここにいたか」
額に汗を浮かべながら月野はニヒルな笑みを向けた。その視線の先でソファに腰を下ろした会長が満足そうに笑みを浮かべた。
その隣でワッパが嬉しそうにバウンドしている。奥の台所の方ではケムリがぷかぷかと煙草を吸っていた。
「察しがいいでござんすね」
ケムリがニヤリと笑うと、月野もニヤリと笑みを返す。
「僕たちも逃亡者なんでな。ここはしばらくの間、間借りさせてもらうよ」
会長は言った。すでに想定済みだ。月野は口を尖らせながらも頷いた。
「それより、やっぱりあいつらはここに来るんだよな」
月野の問いかけに、四人は一度だけ顔を見合わせた。驚いている様子はない。その視線の交錯は、確認だった。
「神様に選ばれたから、だろうな。僕たちも確信している」
やっぱりか、と月野は項垂れた。
胸がざわつくような感覚だ。気のせいと言われてしまえば、気のせいで終わってしまうほど些細なモノ。だが、それは間違いなく、海の上の敵に反応していた。
距離が近くなればなるほど、その感覚は心臓の辺りをざわつかせた。
「勝ち目はあると思うか?」
月野の問いかけと共にケムリは隠れるように台所に引っ込んだ。
カタナも明後日の方向を向き、会長だけが笑みを浮かべて月野と視線を交わす。
「相手が大きすぎる。数も多い。僕たちの戦力では戦いにもならないだろうな」
それは月野も大いに予想していた。だが、グランドクエストで指揮を執っていた会長に、改めてそう言われると本当に勝ち目などないような気がした。
「大丈夫」
重たい空気を吹き飛ばすように笑ったのはワッパだ。ケラケラと楽しそうに声をあげている。
その表情には不安など微塵もなかった。ただ幸せであるとばかりに微笑んでいた。
「そうだな」
ワッパを褒めるように、会長は頭を撫でた。子猫のようにハミングする姿は、しっかりと躾の行き届いたペットのようだ。
「とにかく、まずは陽太たちを救出しよう」
高杉陽太を含む六名のプレイヤーが留置場に閉じ込められている。
現在、この秘密基地にいるメンバーで五人。戦力は半分以下となっている。
戦力の補強を最優先することを月野は提案した。
「それはお前に任せるよ」
会長はやんわりと否定した。賛成してくれるだろうと期待していた月野にとっては寝耳に水だった。
「あっしらは他のプレイヤーと接触してきやすぜ」
台所から響いた声に月野は目を丸くした。
「・・・まだいるのか」
神に選ばれた人間。二人でも多いくらいなのに、月野が知っているだけでも一二人もいる。それでも、神に選ばれた人間という称号を持つには多すぎるほどだ。
「同じループの中にいる人間ではありゃせんが、確認が取れているだけで八つのパーティがありやす。うち六つのパーティとはあっしがコンタクトしやした」
ケムリとの出会いを思い出す。突如として現れた男は、偵察のために現れた。
同じような手法で他のプレイヤーとも接触したのだろうと予測する。
「新しい戦力はこちらで用意する。お前の仲間はお前がなんとかしろ」
ニコッと会長は笑った。
「最優先は更田という老人だ。アレは役に立つ。それ以外は好きにすればいい」
静寂。
壁に背をもたれていたカタナはあきれたようにため息を吐き出した。
「アレだのソレだの、と。俺たちはいつからお前の所有物になったんだ?」
ワッパが戸惑うように会長を見上げた。だが、その顔に浮かぶ歪んだ笑みを見て、ワッパは思わず息を飲んだ。
「僕の指揮下に入った時点でお前は駒の一つに過ぎない。それ以上でも以下でもないんだよ。使えないモノまで管理できるほど、僕は寛容な人間でもないからな」
「管理者気取りもいい加減にしろよ。てめぇのモノになった覚えはねぇ」
会長が立ち上がる。『会長』と書かれた腕章が輝きだす。それを見て月野もまた右手を会長に突きつける。
「やめておけ。お前よりも僕の方が早い」
ヒュン、と音を立てて小さな稲妻が月野の頬を掠めた。
耳元でチリチリと髪の毛が焦げる匂いがした。
「ちっ」
分が悪い。素知らぬ顔をしたカタナが殺気を放つ。
下手に動けば、会長の稲妻よりも先に月野の体が飛び散るだろう。
月野はしぶしぶ右手を下ろす。それを見て、会長は再びソファに腰を下ろした。
「遊んでいる時間はないんだ。躾はすべてが終わってからにしてあげるよ」
ニヤリ、と会長は月野を嘲笑った。
「今、やり合ったっていいんだぜ」
月野は強気に笑って見せたが、負け犬の遠吠えも同然だ。その言葉は会長の不気味な笑みをより一層歪ませる。
「まぁまぁ、そうカッカしなさんな。あっしらは用事がありやすから、ここは退いてはくれやせんか」
ケムリはそういいながら二人の間に立った。
「予定なんかあったっけ?」
ギロリと会長はケムリを睨み付けた。
「ついさっき、連絡がつきやした」
ケムリは白々しく頭を下げた。
「高杉の坊主たちがいつまでも留置所にいると思わない方がいいですぜ。いずれ刑務所に連れてかれて、本格的に拘束されたら、いくらお前さんでも無傷とはいかんでしょうよ」
会長から月野へと視線を走らせたケムリは淡々と告げた。
それは事実だ。実際、月野が空を飛んで助けることが出来るのは一人だけだ。
樹美鈴を助け出すのでさえ、場所がわからずに乱暴に建物を壊すという強硬手段を取らざるを得なかった。
少なくとも陽太、美鈴、星宮灯里の三人を助け出すことになる。
いかにして三人を連れ出すか。一人では無理だと判断し、彼らとコンタクトを取った。
「四人相手に躾けられたい願望でもございやすか?」
ふぅ、とケムリは紫煙を吐き出す。それはじりじりと月野へと迫る。
「悪いな、俺は躾けられるより躾けたい方なんでな」
月野はそう言い残して、部屋を飛び出す。ベランダの柵を飛び越え、黒い背中はあっという間に見えなくなった。
「ケムリ」
「なんざんしょ」
「次はお前にも教育するよ」
「・・・肝に銘じときやすぜ」




