7-2 レベル6の聖戦の狼煙
「なんの冗談でぇ?」
夢ケ丘市警察署。朝の気怠い時間だ。それぞれが新聞を読んだり、コーヒーを飲んだりしている。
まだ仕事モードに切り替えることの出来ない人々がオフィスには大勢いた。
その中で喫煙者の肩は狭い。どれだけ立派な肩書を持っていても、煙草を手に持つ時は隅っこの喫煙室へと追いやられた。
石動玄太は古株の刑事だ。彼が喫煙室の入り口の傍の席に腰を下ろす時、喫煙室に出入りしたがる者はいなくなる。
舘林清二が久しぶりに出勤した。長いこと休暇を取っていた彼は、清々しい表情を浮かべて署内を歩いた。
「また休むつもりか?」
喫煙室の王様は舘林に渡された封筒を地面に叩きつけた。
辞表、と書かれていた。
「次は復帰しようたって、そう簡単に帰っちゃこれんぞ」
石動はぴしゃりと言った。だが、舘林は物怖じしなかった。
「えぇ、わかってます。でも、僕にはやらなきゃいけないことが出来たんです」
「警察にもやらなきゃならんことがあるんだぞ。今は神様問題で手ぇいっぱいだってのに」
きっぱりと告げた舘林を遮るように、石動はため息を吐き出した。
「神様?」
無神論者の石動が、ホトケと口にすることはあっても、神様などと呼んだことはない。
「どういう意味です」
舘林の問いかけを鼻息で吹き飛ばすとポケットからDVDを取り出した。
真っ白い表面には何も書かれていない。
「今日はもういい。それを見てから、明日もう一度出直せ。とっとと帰れ」
石動は言葉を叩きつけ、まだ長い煙草の火を消した。
何も書かれていない白紙のDVD。舘林はそれをポケットにしまうと言われた通りに帰路へとついた。
つい昨日まで当たり前に藤堂大悟や高杉陽太が寝泊まりをしていた我が家だ。
コーヒーの染みも焼き肉の匂いも部屋には残っていない。
舘林はテレビにDVDをセットし、ソファに腰を下ろす。
今どきの神様がDVDの中にいるとは思わなかった。コーヒーを片手に茶番を楽しむ程度な気持ちだった。
自分には神を名乗る人間の物語になど興味はない。それよりも大きな使命がある。
武器を手にゲームを終わらせる。そして、神となった暁には、平和な世界を作り上げようと考えた。
戦争も飢餓も小さな諍いすらも存在しない。そんな世界の夢を見ようと決めた。
諦めなければ、願いはかなうと信じた。
DVDの映像は海外のニュースの映像だ。あいにく読むことは得意だが、聞き取ることは苦手だった。
そのニュースの見出しは神を名乗る蛇男という題から始まった。
様々なニュースの総集編だ。
片腕が蛇の醜悪な顔をした男、始まりの蛇と呼ばれた男のインタビューだ。
『あなたはどうしてそんな姿に?』
マイクを持った女性が尋ねた。男はわからないと泣き続けた。
次のニュースに切り替わる。
始まりの蛇が研究施設に運ばれるところが映される。
軍の研究機関だとかで詳しい所在地は公表できないらしい。車に乗り込む始まりの蛇の姿だけが一瞬映った。
またニュースが切り替わる。
次は随分と遠くから映された映像だ。目の前には森林、その向こうには太陽に燃える山影が見える。
黒煙を立ち上らせた炎の中にうっすらと建物が見えた。炎の中心はどうやらそこのようだ。
画面が再び切り替わった。
スマートホンか何かの映像だ。画質はひどく荒い。
街中の光景だ。アスファルトにビル、道端のポストや街路樹がちらほらと見え、その中心に始まりの蛇が立っている。
彼は警察に追われているようだ。怒号のような警官の声を無視し、体に突き刺さる弾丸をものともせずに歩いている。
『俺はすべてを思い出した』
始まりの蛇が吠えた。ノイズ交じりの絶叫が舘林の部屋を包み込む。
『罪深き神よ!聞こえているか!俺のエデンを、俺に還す時が来た!お前の罪は赦されない。俺は俺の玉座を取り戻しに行こう。神を名乗れぬ少女と共に!』
次はヘリからの映像だ。すさまじい風の音に紛れてリポーターがマイクに向かって声を荒げる。
残念ながら字幕は出なかったが、彼女がジャパンと口にしたことで、少しだけ理解した。
ヘリは海の上を飛んでいる。カメラに映し出された海面の状況に舘林は息をするのを忘れた。
巨大な島が泳いでいる。
一瞬、そう見えた。だが、それは違った。
海面から覗く土色の肌。それを見て、それがよく知る生物であることを理解する。
海面下でチラつく赤い大きな目玉が、カメラ越しに舘林を睨み付けているようにすら感じた。
巨大だ。どういう原理で水の中を泳いでいるのかはわからない。ただ、まぎれもなく、それは海を渡ろうとしている。
その背中には始まりの蛇を先頭に名前のない騎士が身の丈ほどもある銀色のフォークを手に立っている。
その背後には無数の土色の巨腕の群れと夜を這う蜥蜴や暗闇に燃える竜の姿も見える。そのほかにも舘林が見たことのないようなモンスターたちが、綺麗に列を成して、そこに立っていた。
そして、そこに立っているのはモンスターだけではなかった。
黒いローブを纏った司祭のような人間もちらほらと見えた。その中でもひときわ目を引いたのが、短パンにパーカーを着込んだ少女だ。
フードで顔を覆っているが、まぎれもなく少女である。そして、あまりにも自然に立っている彼女の存在が、あまりにも不自然だった。
「神を名乗る少女?」
続いて日本のニュースだ。
モンスターの集団は太平洋から日本の領域へと入ってきた。直進し、それはやがて夢ケ丘市の傍の港町へと上陸するだろうと予測された。
テレビ画面では神の存在について視聴者に問いかけている。
台風の進路図のように、モンスターの集団の進路が日本地図に描かれた。
まぎれもなく彼らは、ここに来ようとしている。
海上保安庁のほかに海軍自衛隊が太平洋に集められ、上陸は阻止できるだろうと何の専門家かはわからないが、偉そうな髭の男は語っていた。
「ここにいるのか」
次なる神を決めるゲーム。次の神は誰が決めるのだ。
それは一度目の選別を終えた神ではないのか。そして、その神はどこから、このゲームを眺めている。
一度目の選別が、言うなれば予選だとしたら?
めぼしいプレイヤーを選別し、二度目が本当の選別だとしたら。
神はこのゲームを傍観している。
これは神を名乗る少女が用意したイベントなのか。
ナビゲーターには何も表示されない。




