5-8 レベル4の陰謀
日曜日だ。雀の声に起こされ、高杉陽太は日付を確認する。
昨日訪れたはずの今日は始まっていない。
確かに明日が訪れていた。ふと寝返りを打つと左肩に柔らかなぬくもりを感じた。
樹美鈴が安らかな顔で寝息を立てている。
「・・・・・・」
長い睫毛だと思った。
「お邪魔か?」
声の方向に視線を向けると月野卓郎がベランダに立っていた。
一張羅とばかりに最近は黒いコートを着込んでいる。だが、夏の日差しは冬の寒さよりも鋭い。月野は髪を汗に濡らしていた。
「いや、どうした」
ゆっくりと起き上がる。寝ぼけているのか、美鈴がぎゅっと陽太の服の裾を掴んでいた。
「ケムリが来るとすればここだろ」
月野はそう言ってソファに腰を下ろした。ぼふん、と音を立ててソファは月野の体重に押しつぶされる。
「そうだな。俺たちにも作戦は必要だしな」
「対策の間違いだろ」
月野はニヒルな笑みを浮かべた。その通りだ。
藤堂大悟から美鈴を守らなければならない。
騒ぎに乗じて何をやらかすかわかったものではないのだ。警戒を怠ることは出来ない。
「作戦ってのが班分けになるなら、藤堂とお前は一緒の班になる」
月野は言った。陽太と同じ考えにほっとする。
陽太はじっくりと頷き、月野の言葉を待った。
「お前は藤堂から目を放すな。万が一、藤堂が前線を離れたら、陽太も前線から抜けろ。最優先は美鈴だ」
もちろんだ。陽太は再度首を縦に振った。
モンスターはループの中で何度死のうが挑戦できる。だが、藤堂が考えるのも嫌になるようなことを考えているのならば、それは永遠に残る傷となる。
仮にループしたとしても、それは記憶に残るのだ。復讐しても時間が元に戻るだけ。デメリットはあっても、メリットはないのだ。
「これを」
月野が差し出したのは短いベルトだ。中央にはスマートフォンを入れる留め金付きのケースが鎮座している。
「連絡はすぐに取れるようにしよう。電源は切るな」
腕にベルトを通して付け心地を確認する。しっかりとしていて多少振り回してもビクともしない。
ふいに陽太のスマートフォンがブルブルと震えた。電話番号は非通知だ。
ケースから取り出し、耳に当てる。
『おはよう』
のんびりとした声色。わずかに聞き覚えのある声にメガネをかけた少年を思い浮かべた。
「どうした」
姿勢を正し、毅然とした声で応じる。陽太の様子を見て、月野もじっと耳を傾けた。
『順序が逆になってしまうが、まずは集まってくれないか。場所は海賊公園といえばわかるかな。今から一時間後、そこで説明する』
会長は淡々と告げた。海賊公園とは実際に公園ではない。工業団地を抜けた先にある工場跡地である。
入口を入ってすぐのところにある崩れたモニュメントが海賊の船長の帽子のような形をしているから、地元の子供には海賊公園と呼ばれている。
危険だから遊びに行ってはいけないとよく怒られたものだ。だが、子供とは危険だからこそ遊びに出かけたくなるものなのだ。
「わかった」
余計な質問はしなかった。陽太は噛みしめるように了承した。
「なんだって?」
間髪入れずに月野は問いかける。
「召集だ」
陽太は立ち上がる。美鈴の腕がずるりと床に落ちた。打ち所が悪かったのか、美鈴はうめき声をあげてようやっと目を開いた。
「おはよう」
そう言って笑いかけると美鈴は少し照れくさそうに微笑むと寝袋の中に顔を埋めて、恍惚としたため息を吐き出していた。
「準備しろ」
月野の素っ気ない言葉が降り注ぎ、美鈴もようやく月野の存在を理解した。
慌てて立ち上がるが、寝袋が足に絡まって美鈴はドタンと大きな音を立てて床に倒れた。
部屋の隅で陽太は星宮灯里に電話をしている。
昨日のこと。そして、今の電話のこと。
星宮の金切り声は受話器からキンキンと漏れていた。
なんでそう言う大事なことをその日のうちに言わないの!なんで私はいつも仲間外れなの!高杉のバカ!今からそっち行くから!一五分待っててよ!
ベランダの傍にいた月野の耳にもはっきりと聞こえた。乱暴に切られた電話を手に陽太は頭が痛そうだった。
助けを求めるような陽太の視線を受け、月野は頭を指さした。
「寝癖くらい直せ」
その言葉を受けて陽太はうんざりとした顔で、傍にあったタオルをひっつかみ、ベランダへと足を運び、隣の部屋に姿を消した。
美鈴は気怠そうに頭を振り乱し、のらりくらりと準備をしていた。
秘密基地での美鈴の着替えは星宮が用意したものだ。美鈴の普段着は動きやすいというよりも女の子らしいものが大半だが、今は動きやすさを重視されたものばかりだ。
脱衣所で着替えた美鈴はショートパンツに長そでのロングTシャツを着こんでいる。
エプロンの形をした鎧を頭から被り、両手にミトンの形をした籠手をはめる。左手には鍋の蓋の盾を装備する。
ソファの後ろから引っ張り出したのは泡だて器銃だ。銃口の先端を取り外さなければ、巨大すぎる銃。美鈴はそれを軽々と片手で持ち上げ、慣れた手つきで銃身を外した。
「今日、ループするのかな」
大きなボストンバッグに機銃をしまい、美鈴はぼんやりとつぶやいた。
そこでふと月野に疑問が浮かんだ。
今回はグランドクエストという他のパーティと協力して行われるミッションだ。
例えば、一つのパーティが全滅し、他の二つのパーティが標的を倒した場合、クエストはクリアとなるのか。
そもそも同じ時間軸を共にする人間が一人だけクエストをクリアし、ループを抜けた場合、どうなるのだ。
ループの中とループの外、それを唯一区切るのがモンスターの存在だとしたら、先にループを抜けることが出来れば、危険が一つ減る。
ループを繰り返す条件は一つだけ。
「・・・藤堂を・・・す。そうか、そうすれば・・・」
美鈴の問いかけに応えようとはせず、月野はぶつくさと独り言を始めた。
よくある光景だった。美鈴はさして気にも留めずに足元にバッグを置き、ソファの上に腰を下ろした。だが、しばらく経っても月野は独り言を止めない。
ループの外やループの中、と言った単語が部屋の中を駆けまわっている。
「なにしてんだ」
頭にタオルをのっけた陽太が帰ってきた。ぽたぽたと滴が床に落ちる。
月野はニヒルにほほ笑むだけで、何も言わなかった。
俺の中には闇がある。今にもそんなことを言いたそうな顔だった。




