5-7 レベル4の悩み
養生しろ、とケムリは言ったが、とても安らかに眠ることは出来なかった。
昨日は発情期の猫のように甘えてきた樹美鈴も緊張からかあまり飛びついては来なかった。
秘密基地では風呂はもちろん、シャワーも浴びられない。美鈴は黒カビの生えた洗面所でペットボトルの水を桶に溜めて体を洗っていた。
扉一枚を隔てて高杉陽太は見張りをしている。腕に剣を抱いて、胡坐を掻いている。
扉の向こうからぴちゃぴちゃと水の音が響いていた。
「さむぃ」
夏と言っても水で体を洗うのは酷なことだ。時折美鈴のぼやき声が聞こえたが、陽太は聞こえない振りをした。
「作戦ってどうするのかな」
水音に紛れて、美鈴の声が聞こえた。それは聞こえていたが、答えあぐねた。
敵は無数の強敵だ。おまけにボスはドラゴンだ。
一戦目で勝てるとは到底思えない。たった一匹の土色の巨腕にも陽太と星宮灯里は苦戦を強いられたのだ。
そんな敵がザコ敵も同然に数を集めている。二対一でも何度も挑んだのだ。二対二の状況に置かれると想像しただけでも勝ち目は見いだせない。
改めてグランドクエストに挑戦するメンバーの構成を思い出す。
近距離、中距離、遠距離の三つに班を分ける。
まず、近距離には当然陽太が挙がる。続いてカタナと呼ばれた女、更田という居合抜きの老人、そして、巨大な剣を振りかざす大五郎丸使いの藤堂大悟。
中距離には飛び跳ねる衝撃と呼ばれる鈍器を使う星宮灯里、手裏剣のような三角定規を扱う小学校教諭の横島、ぬいぐるみ使いのワッパ。
遠距離には戦乱の機銃の美鈴、指輪使いの円術師の金巻、無限の砲撃の月野卓郎。
どれにも分類できないのが、会長を名乗るメガネの少年とケムリだ。
ケムリに関しては攻撃向きではない。完全な支援型である。
会長だけは武器も能力も見せなかった。誰もそれを指摘することも忘れていた。
陽太と月野が忘れていたのは仕方ない、としても、口うるさい藤堂が閉口したのは不自然だ。
「聞いてる?」
美鈴の声に苛立ちが含まれている。陽太はハッとして思考を止めた。
「あぁ、ちょっと考えてた」
「裸?」
「ち、違う!作戦だよ、作戦!」
「ふ~ん」
美鈴の声は妙に刺々しかった。
「土色の巨腕に関しては、たぶんみんな戦ったことがあるから、作戦は立てられる。でも、暗闇に燃える竜は作戦の立てようがない。飛べるのは月野だけだ。でも、月野は飛んでいる間に他の魔法は使えない」
月野の魔法は一度に一つの魔法しか使えない。空は飛べても、それは移動手段として、だ。戦闘には使えない。それは月野も承知の上だ。
どれだけ上手に陣形を組もうと空からドラゴンが舞い降りれば、一瞬にして陣形は崩れるだろう。
作戦は配置の問題ではない。いかに空を制するか、だ。制空権を奪われてしまえば、敗北は見えている。
「じゃあ、空と地上で分けるのかな」
それも検討した。だが、敵の数が多すぎるし、空の敵は強大だ。空に対抗できる人数も限られる。
地上が破られれば対空部隊も全滅だ。逆に対空部隊に火力が足りなければ、地上部隊も全滅だ。
勝算はどれほどあるのか。戦う場所はどこだ。
森林ならば土色の巨腕の縄張りだ。だが、広場に出れば暗闇に燃える竜の格好の餌食。
「でも、モクモクさんなら、ちゃんと考えてくれそうだよね」
確かに、ケムリほどの用心深い男だ。作戦には最新の注意を払うだろう。だが、会長と藤堂は信用できない。
いざとなれば、あっさりと捨て駒のように扱われる危険性がある。
「会長って高倉先輩?」
「知ってるのか?」
「そりゃ我が子の生徒会長だもん」
えっへんと美鈴は言った。
高倉生徒会長は文武両道を手にした最強の生徒会長と言われている。特技は合気道と茶道。学力テストでは副会長とトップ争いを繰り返している。
「イケメンなんだよ~」
あざけるような美鈴の声に陽太はモヤモヤした。正体不明のUFOが飛来したような気分だ。
「怪物と戦うのに顔は関係ないよ」
ふてくされたような陽太の声を聞いて美鈴はケラケラと笑った。
実際に会長の顔は整っていた。中性的な顔立ちで、本に視線を落とす横顔は美しさすら感じられた。
イケメンというのも納得がいく。陽太も比較的中性的な顔ではあるが、到底及ぶ気はしなかった。
「出るよー」
美鈴は呑気な声を挙げた。一瞬なんのことかと疑問符を浮かべたが、陽太は思い出したようにその場を逃げ出した。
美鈴はちゃんと服を着て脱衣所から出てきた。なんだかよかったような残念なような複雑な気持ちだ。
「なぁに?」
濡れた髪の毛にタオルを当てる美鈴はきょとんとして陽太を見た。頭の中を探られまいと陽太はベランダへと逃げ出した。
外の風は生ぬるい。まるで、姿のない人間に肌を舐められているような不快感が襲い掛かってくる。
部屋の中は蝋燭の光だけが灯っている。ベランダから見える街の景色は蛍の集団だ。小さな光がいくつも輝いていた。
「外の方が暑いね」
美鈴はタオルで髪の毛の水気を取りながら現れた。サンダルに爪先を滑り込ませ、土埃を被った手すりに指先を触れさせた。
青い暗闇の中で美鈴の肌は幽霊のように白く映った。わずかに濡れた肌は煽情的だ。
今の姿はキャミソールにひざ丈ほどのハーフパンツを穿いている。キャミソールの肩ひもの下からブラジャーの紐が顔を覗かせている。
濡れた髪から落ちた滴が艶めかしい。耳に掛かった髪の下にある綺麗なうなじ。首筋、鎖骨、胸元へと視線が落ちた。
慌てて視線を上げるが、美鈴から目を放すことが出来ない。再び首筋を通り、顎、唇へと向けられた。
美鈴はようやっと陽太の視線に気づき、気まずそうに足元に視線を彷徨わせた。
「ど、どうしたの?」
少しだけ冷えたのだろう。ぷっくりと膨らんだ唇は少しだけ色味が薄い。その色とは裏腹に吐き出された息は悩ましい熱を孕んでいる。
その熱が、肌にまとわりつくようだ。夏の熱気がじっとりと体を這いまわっていた。
おずおずと怯えたような足取りで、美鈴の指が手すりを這ってきた。その指先が陽太の手のひらに添えられる。
「寝、寝ようか」
ハッとして陽太は踵を返す。裏返った声に思わず美鈴は笑みをこぼした。
「えっちー」
美鈴はキャーと嬌声を上げてソファにダイブした。ギシ、と悲鳴を上げ、埃が宙を舞う。星空が展開したようにろうそくの光を浴びて埃が輝いていた。
「そ、そういう意味じゃない!」
そう言って陽太は逃げるように寝袋をひったくるとソファから離れて中に潜り込んだ。
美鈴は少しだけ寂しげにその背中を見つめた。陽太はすぐに寝息を立てはじめ、それを聞いて美鈴も諦めたように蝋燭の火を消して、毛布の中に顔を埋め、夢の中に足を運んだ。
美鈴の寝息を聞いて、陽太は悩まし気にため息を吐き出した。




