5-3 レベル4の夢の入り口
樹美鈴にねだられ、高杉陽太は秘密基地に宿泊することになった。
美鈴を動物に例えるならば犬だ。構ってほしくて仕方がないといった様子で陽太に襲い掛かってきた。
漫画を読んでいれば背中に覆いかぶさり、ソファに座っていれば膝の上に頭を乗せてきた。
その都度、頭を撫でてやらないと美鈴は気が済まないらしい。
陽太が無視を決め込むと喉をゴロゴロ鳴らして、陽太の肩に鼻を押し当ててハッフンハッフンしている。
「ねぇ、陽ちゃん」
夜が深くなり、美鈴はソファで寝転がり、陽太は床で寝袋に包まれている。
暗闇の中で美鈴のか細い息遣いだけが響いていた。
「どうした?」
美鈴に背中を向けたまま陽太は応える。ふふん、と美鈴が嬉しそうに笑った。
「久しぶりだね。こうしてお泊りするの」
美鈴の父が陽太を敵対視してからというもの、遊ぶ機会は随分と減った。
泊まりなど、いつ以来だろうか。
「そういえばさ」
陽太が思い出したように笑う。
「小学校の修学旅行覚えてる?」
「あ!」
美鈴は素っ頓狂な声を上げた。その声を聞いて美鈴も思い出したと理解した。
小学校の修学旅行はバスで研修施設に泊まりに行った。旅行とは名ばかりの宿泊研修だ。といっても、子供たちにとっては、友達がいればそこが遊び場だった。
二泊三日の修学旅行。二日目の夜に美鈴が暴走した。女子の部屋を抜け出し、男子のベッドに潜り込んだのだ。
それは大変な騒動となった。
それを陽太が知ったのは翌日の朝だった。美鈴は寝ぼけて陽太を探し、まったく知らない生徒の布団に潜り込んだのだ。
夜中に悲鳴を轟かせた美鈴が教師陣に取り囲まれ、責め立てられた男子生徒は困惑するしかなかった。
挙句、勘違いから始まった初恋は彼に小学校を卒業の前に美鈴に告白するという暴挙に走らせ、トラウマを思い出した美鈴の切り裂くような悲鳴の前に撃沈した。幸いにも彼は同じ中学校に上がることはなかったが、なんともビターな残酷な初恋である。
「やめてよぉ」
美鈴は恥ずかしそうに声を押し殺した。その声を聞いて陽太は楽し気に声を上げた。
よっぽど悔しかったのか、あるいはあの日のリベンジとばかりに美鈴はソファから滑るように体を落とした。
トスン、と静かに響いた音に驚いて振り返ると、眼前に美鈴の顔があった。
「お、お前!何してるんだよ!」
陽太の体は寝袋の中にある。突然のことに驚き、ファスナーが開けない。おかげで陽太は芋虫のようにクネクネと抵抗することしか出来なかった。
それを見て美鈴はにやりと不敵に笑った。あまりにも意地悪な笑みだ。
陽太はえんやこら、と腹筋に力を入れて飛び起きた。だが、そうはさせまいと美鈴の腕が伸びてきて、陽太の体は再び地面に叩きつけられる。
「ぐふへへへ」
美鈴はだらしない笑みを浮かべて、両腕と両足を陽太の体に巻き付けた。
体の自由を奪われた陽太は少しでも逃れようと必死に上体を振り回すが、美鈴は離れない。
それどころが振動で揺れる美鈴の頭が視界の端にチラチラ映る。微動だにしない薄気味悪い笑みが、ひょいと現れては消える、を繰り返す。かえってそれが恐怖を煽る。
「だーめ」
自分のものだと主張するように美鈴は陽太の胸に顔を埋めて陽太の動きを封じた。
ぴったりと体を押し当てられ、陽太はようやっと抵抗を諦めた。
「ねぇ、陽ちゃん」
全身に感じる柔らかさを意識しまいと羊を数えていた陽太に声が掛けられた。
「ひぇ!?」
素っ頓狂な悲鳴を上げて、美鈴はくくくと笑った。
「な、なんだよ」
陽太が怒気を孕んだ声で問いかける。美鈴は笑うのを止め、声のトーンを落とした。
「神様ってひどいよね」
雪が降るような静かなトーンだ。聞き逃してしまえば、あっという間に溶けていくような気がした。
「どうして」
「だって、・・・戦いたくないんだもん」
ヒビの入ったガラスに似ていた。指先でつつけば簡単に割れてしまうような、消え入るような言葉。
「大丈夫」
陽太は体をよじって右腕を取り出すと、しがみついていた美鈴の頭をそっと撫でた。
長い髪の毛が手のひらで踊って溶けていくようだ。するりと流れる髪の毛の柔らかさが心地いい。
美鈴も猫のように喉を鳴らしているのがわかる。
「俺が美鈴を守るから」
その言葉の強さに美鈴は目を閉じた。陽太は噛みしめるように、自分自身に言い聞かせるように、何度もそう言った。
「今度は誰も」
決意のような言葉は途中で途切れた。美鈴が様子を伺うように視線を持ち上げると、陽太はうっすらと瞼を閉じようとしている。
その横顔をジッと見つめ、美鈴は少しだけ笑みを浮かべた。柔らかくて全身を包み込むような優しさが、胸の内に広がっていくのを、陽太も瞼の中で感じていた。
「俺が」
うわごとのように陽太は口を動かした。美鈴も陽太の腕に抱き着くようにして、瞼を閉じていた。
「全部」
美鈴の寝息が暗闇に響く。陽太の言葉もほとんど寝息と変わらない。だが、確かに陽太は言葉を紡いでいた。
「やり直すんだ」
その言葉は誰の耳にも届かない。その言葉の意味を誰も知りはしない。
陽太すら沈んでいく思考の中でわずかに困惑していたが、それは夢の中で霧散する。
俺は、何を、やり直すんだ。
その問いかけに応える者はいない。けれど、夢の入り口の向こうにパーカーで顔を隠す少女がチラリとほほ笑むのが見えた気がした。




