4-10 レベル4のデュラハンとイレギュラー
首のない騎士と新しい名を与えられた騎士は先端が三つに割れた槍を提げて立っていた。
広い街だが、治安はさしてよくはない。暗くなれば、夜道を歩く人の数は激減する。
マンホールから這いだした騎士は静かに地上を闊歩する。月の灯りを避けるように建物の隙間を縫って歩いていた。
やがて、彼の目の前に剣を携えた男たちが現れた。憔悴しきった顔つきの男たちは、問答無用とばかりにとびかかる。
全部で四人だ。騎士は槍を振るわなかった。
目の前から直線的に走ってくる男の顔面に右足を叩きつける。男の体は用意に宙を舞う。想定済みとばかりに他の男たちが攻撃を仕掛ける。
一本の剣を避け、二本の剣を鎧に包まれた両腕で弾く。ガキン、と鉄と鉄がぶつかり合う音が響く。
耳障りな音に近隣に住まう人々が窓から顔を覗かせた。
ある者は唖然とし、ある者はカメラを取り出し、ある者は警察に電話を掛けた。
頭上を飛び交う悲鳴や歓声を耳にしながら、彼らは戦いを繰り広げた。
狭い路地裏では騎士は槍を振るうことは出来なかった。その鎧の強度を除けば、騎士の攻撃は恐れるに足りない。
男たちは攻撃を防がれながらも、何度も立ち上がり、何度も挑戦した。
そのたびに一人は宙を舞い、そのたびに攻撃を防がれた。
騎士は少しずつだが、路地裏を抜けようと歩を進めていた。じりじりと距離を詰めていくが、それを赦すまいと四人の剣士は戦いを挑んだ。
彼らの左手首に嵌められたナビゲーターには九九という数字が刻まれている。
それ故に彼らは必死だった。本当の死闘であると理解していた。だから、痛みに悶えようと剣を手放さなかった。
悠長に構え過ぎていた。最初の三〇日は遊んで過ごしていた。毎日どれだけ使っても、再び戻るのだ。楽観的な彼らにとっては都合のいい毎日だった。
特別苦戦などしたことはなかった。それでも余裕をもって三一回目から戦いを始めた。
一度の敗戦と五回の休暇を取るようになった。気が付けば、五〇を超え、気が付けば七〇を超える頃にはようやく焦りが出てきた。
毎日のように戦い続けたが、とうとう九九を迎えてしまった。
己の愚かさを悔やんでいた。選ばれた者として浮かれていた。
今になって剣を握りしめた自分の運命を知る。これは罰なのだ、と彼らは思った。
大した意味も持たずに怠惰に生きていた彼らを神が叱責しているのだ。
それでも、九九というチャンスをくれたのだ。そのチャンスをつかみ取ろうとしなかったのは己自身である。
これ以上チャンスはないのだ。それ故に彼らは戦うしかなかった。
いつしかそれを見ていた人々は四人の男を応援するようになった。路地裏に反響する声援に応えるべく、彼らは戦い続けた。
路地を抜ければ広い道へと出る。日中であれば車通りが激しく、路地裏よりも狭く感じられる道だ。だが、今は車はほとんど通らない。
そこに出られてしまえば、騎士を邪魔するものは何もない。
それとわかっていながら、止めることは出来なかった。月明かりの下に騎士は立つ。
今まで足元に向けられていた銀色の槍が天を衝くように持ち上げられる。
騎士の眼前には四人の剣士。彼らが立つのは一本道の路地裏。
彼らは知っていた。その槍の重みと鋭さを。
それ故に立ち止まった。思考が止まった。剣を握る手が力を失った。
敗北と悟った。だが、騎士はただ待っていた。
彼らが再び剣を握り、立ち向かってくる姿を待っていた。
あくまでも正々堂々と戦おうとしている。その姿を見て、剣士たちは諦めることを諦めた。
戦うことを選択しているのではない。戦うことを強制されているのだ。
人生に敷かれたレールがあるのならば、彼らは一度脱線し、そして、神を名乗る少女によって、もう一度レールの上に戻された。
今はレールの上に障害物がある。その先に道が広がっているのだ。ならば、邪魔者は排除しなければならない。
剣士たちは吠えた。正面に対峙する騎士との戦いに高揚しているのだ。
それ故に地面を蹴り上げた。力強い跳躍で一人が騎士の目の前に飛び出す。
刹那をも切り裂く三叉の槍。男の体は真っ二つに両断される。頭上を舞った血しぶきの中、二人目が斬りかかる。
叩きつけられた剣は鎧を弾いた。肩を守っていた白い鎧は地面を転がった。
一瞬よろめいた。やった、と笑みを浮かべた男の眼前に騎士の拳が飛んできた。避ける暇もなく、それは男の鼻をひしゃげる。だが、突き出された腕は隙だらけだ。
もう一人がその腕目がけて剣を振りかざす。鎧の隙間を縫って叩きつけられた一撃は騎士の肘から下をひれ伏した。
どす黒い液体がぼたぼたとこぼれた。だが、騎士はよろめかない。まるで、そうなることを想定していたかのようだ。
目の前で横っ腹を見せる男に狙いを澄ました三叉の槍を突き立てる。
脇腹を貫き、心臓に深くえぐりこむ。その体は生贄のように空へと掲げられる。だが、最後の一人が暗闇から飛び出した。
無防備になった腹部に目がけて、剣を突き刺す。その時、初めて騎士はよろめいた。
内臓をえぐり出そうとするかのように男は突き刺した剣をねじり回す。そのたびにビクビクと騎士は痛みに震えた。
「いけぇ!」
鼻を潰された男は怒号を上げる。その声に頭上からの声援が被さった。
腹部に剣を刺した男も怒号を張り上げる。頭上の槍にはまだ他の仲間が刺さったまま。その状態では反撃することは出来ないだろう。
そう思った矢先だった。騎士は倒れた。いや、倒したのだ。自ら地面を蹴り、目の前にいた剣士に覆いかぶさった。
剣はずぶりとなおも深く刺さり、地面に伏した剣士は白目をむいて、その衝撃に意識を失った。
剣はなおもそこに刺さっていた。騎士は槍を杖のようにして立ち上がり、鼻のひしゃげた男を向き直る。
男の手には剣はない。抜けた腰だけが、彼の足元に落ちていた。
三叉の槍に突き刺さった男を血を払うように地面に投げ捨てる。
騎士は腰を落とし、槍を構えた。
腹部の剣を抜こうとはしない。そして、じっと待っているように見えた。
鼻のひしゃげた男も諦めたように立ち上がる。膝が彼を笑っている。
ガクガクと生まれたての小鹿のように全身を震わせながら、彼は剣を手に取った。
腰を落とし、剣先で騎士に狙いを澄ませる。
深呼吸を一度、二度。三度目を吐き出す頃には全身の震えは治まっていた。
最後の瞬間。それは人生最大のエンディング。
彼は生きていた。それを実感していた。だが、満足はしていなかった。
ここで安らかな死を迎えるくらいならば、生きて苦痛と共に生きよう。
神よ、我らの罪を赦し給え。願わくば、迷える我らに救いの手を。
誰かが窓の外から誤って花瓶を落とした。ゆっくりと落下し、地面に落ちると止まった時間を動かす合図のように世界に響き渡る。
剣士は両足に力を込めた。先に動いたのは騎士だった。
その長い槍を突き出し、その切っ先が一歩を踏み出した男の頬を掠めた。
男は仲間がつけた傷目がけて剣を振り抜く。腹部目がけてまっすぐに襲い掛かる剣は、ただただまっすぐに突き進んだ。
それを見ていた誰もが勝利を確信した。指笛を鳴らす準備をしていた者もいた。だが、槍による攻撃はフェイクだった。
騎士はすかさず上体を持ち上げ、置いてけぼりにされていた左足を振り上げた。
剣士の目には見えなかった。気が付くと目の前を白い歯が舞っている。赤い雫が頬に数滴落ちてきた。
顎に力が入らないと気付いて、彼の顎が潰れたことを理解した。
あぁ、と彼は安らかに諦めることにした。眼前にはわずかな星々が輝いていた。
都会の星空は少し寂しい。それでも、確かに輝いていたのだ。
大きな星の光に飲まれてしまっていようと、望遠鏡の向こうでしか見えない石ころであろうと、そこで輝いているのだ。
誰かが見つけてくれることを待っていた。いつか、ただの石ころでも輝けるって誰かに言われたかったのだ。
でも、満足していた。
お前が俺を輝かせたのだ。
騎士は宙を舞った男の胸に槍を振り上げる。臍を突き破り、内臓を引きちぎり、肋骨を砕き、その胸で小さく躍動する心に終止符を打ち付けた。
男は一瞬だけ苦悶の表情を浮かべたが、その目が光を失うと同時に安らかな暗闇が灯るのが見えた。
騎士は槍を引き抜き、血を振り払った。窓から様子を伺っていた人々は一瞬沈黙し、次々の窓を閉じ、鍵を掛けた。
そこに残された騎士は体中から血を流し、空を見上げるように上体を逸らして立ち尽くしていた。
遠く響くパトカーのサイレンが近づいてくる。騎士は槍を握り直し、その音の方へと振り返る。
そこには彼の腰ほどの身長の少女がいた。パーカーを着て、短パンを穿いた少女だ。
「あなたはよくやったわ。これで自由にしてあげる」
そう言う少女の右腕には少年の頭が眠るように瞼を閉じてぶら下がっていた。
「これからは好きに生きなさい。首のない騎士」
騎士は敬うように跪いた。少女は冠を乗せるように、騎士の首に少年の頭をそっと乗せた。
閉じられた瞼が開かれる。少年の目は狂気に満ちたように血走っている。
その目がわずかな光にまぶしそうに閉じられた。
「いい子ね。これであなたが夢見ていた人生を取り戻すことが出来るのよ」
少年は薄く目を開き、少女をジッと見つめた。
「あ、ぐぁ」
声が出ない。まるで、干からびたようにこぼれた声は言葉には成れなかった。
少年の目には憤りが満ちている。少女は不思議そうに少年を見ていた。
「なんでそんな顔して、」
いるの、と問いかけようとした少女に向けて少年は槍を突き立てた。
三叉の槍は少女の体を貫いたが、少女は気にも留めていないような顔で少年の顔を見つめていた。
傷口からは血も流れてはいない。
「あらあら、反抗期かしら?」
茶化すように笑う少女を見て、少年は唾を飲み込んだ。
「これが僕の望んだ自由だと?僕から自由を奪い、希望を奪い、神すらも奪ったお前が!これを僕が望んだとでもいうのか!」
少女はつまむように槍に指を添えた。少年がどれだけ力を込めようとも、刃はするりと少女の体から抜けていく。
「生きたいと願ったから、私は願いを叶えたのよ」
「こんな形など望んではいなかった!」
少年は胸倉をつかもうと腕を伸ばしたが、左腕が見当たらない。少年はつんのめるように前のめりに倒れ込んだ。
少女はそれをサッと避けた。
「そこまでは知らないわ。ごめんなさいね、これからのあなたには興味ないのよ」
ふふ、と楽し気に笑うと彼女は路上に転がった男たちへと歩み寄った。
バラバラになった肉塊を集め、子供がプラモデル組み立てるかのように、それらを繋ぎ合わせていく。
まるで、児戯だ。わざと足と腕を逆にしたり、本来のそれとは違う姿へと塗り替えていく。
ボールに手足の生えた巨大な化け物だ。四つの頭が八つの目玉を中央で開いた。その下には大きな口と鋭い牙が列を成している。
巨大なボールを支えているのは数本の人間の腕と足だ。それも本来の姿とは大きさを変え、立っているだけで、それらの重さによりアスファルトが陥没していた。
「この四人は仲良しなのよ。だから、一つにしてあげた方がきっと嬉しいよね」
巨大なボールはその声を聞いて嬉しそうに笑っている。地面についた足で体を持ち上げ、大きな手で拍手をしている。
蛙の鳴き声のような笑い声を響かせ、歪に顔を歪めて笑っていた。その笑顔は喜びよりも悲しみが滲んでいた。
パトカーのサイレンがすぐ側にまで近づいてきた。遠くにサイレンの赤がチカチカと輝いていた。
「ほら、お行きなさい」
少女の声を聞き、ボールは両手と両足を地面に添えたかと思うと高く飛び上がった。
頭の上に生えた腕で街灯を掴み、耳から生えた足が壁を蹴り、顎から生えた腕で再び建物を掴んでは昇っていく。
それを見て少女は楽しそうに嬌声を一度上げ、ふわりと体を宙に浮かせた。
「答えろ」
少年は再び三叉の槍を少女の胸に突き刺した。
「名前のない騎士、あなたはもういいの。好きなところで生きなさい」
少女の言葉に込められた慈悲は少年の心に突き刺さった。
こんなひどいことをしておきながら、どうしてそんな目を向けるのだ。
どうして、そんな眼差しを向けられるのだ。
「お前は誰だ」
少女の体が暗闇に溶け込むように光を失っていく。
「私は神を名乗れぬ少女」
か細い声で少女は続けた。小さな声はそっと足元に落ちていく。
少女の落とし物を拾い上げるように、少年はその名を繰り返す。
「エバ」
再び顔を上げた少年の前には無数のパトカーのランプと銃口が向けられていた。




