4-5 レベル4の接近遭遇
「もう最悪」
放課後の秘密基地である。星宮灯里はいくらか小奇麗になったソファの上でぶうたれた。
「大変だね」
ソファの上に腰を下ろしているのは樹美鈴。美鈴はケラケラと楽しそうに笑った。
カチン、カチンという音に顔をむければ、床に腰を下ろした月野卓郎は携帯コンロに火を点けようとしていた。
ガスが切れているのか、なかなか火は点きそうにない。月野は黙々とカチンカチンと音を立てていた。
「先生もすごい見てくるし、教室のみんなの視線もすごい嫌な感じ」
星宮はやれやれと愚痴をこぼした。今日一日中、三人に突き刺さる視線は犯罪者に向けられるような疑いの目だ。
仮釈放中の犯罪者とはこんなにも肩身の狭いものなのだろうか。
「気にすることはないさ」
美鈴の食事を買いに行っていた高杉陽太が買い物袋を提げてベランダから現れた。
「俺たちのことを尾行しようなんて人もいないだろうし、いつも通りにしていればいい」
カチン、と一度だけ音を響かせ、月野は陽太と向き直った。
「油断はするな。ただでさえ俺たちがこうして人気のいない場所に集まっているのは危険なんだぞ」
実際の人の目は気になった。だから、陽太も遠回りしてここまでやってきた。
よほどガスコンロに苛立ちを覚えていたのだろう。月野は取り乱したように息遣いを荒くしていた。
「それでまた捕まったら誰が美鈴を助け出すんだ?また俺か?」
刺のある言い方に星宮が立ち上がる。口を開きかけた星宮を美鈴が腕を引っ張って食い止めた。
陽太も閉口したまま、じっと責めるような目で月野を見ていた。月野はため息を吐き出して、再びカチンカチンとガスコンロで下手くそな演奏を開始した。
「美鈴、しばらくはカップ麺だけど、我慢してくれよな」
陽太が声を明るくして言った。その雰囲気を読み取って美鈴も元気よく声を張り上げて返事をした。
「カップ麺パーティだね!」
なんでもパーティと付ければ楽しくなるわけではない。星宮はその言葉をごくりと飲み込んだ。
「じゃあ、美鈴には俺のオススメな」
そういって陽太が取り出したのは「こってり豚骨、ニンニク20パーセントアップ」と物々しい名前のカップ麺だった。
「・・・塩」
美鈴はすぅーと視線を逸らし、陽太の持つ買い物袋の中に頭を突っ込んで、ぼそりとつぶやいた。
陽太は「こってり豚骨、ニンニク20パーセントアップ」を右手で持ったままフリーズしている。
たまたま目が合った星宮もいそいそと買い物袋の中に頭を突っ込み、塩味のカップ麺を取り出す。
助けを求めるように月野を見たが、月野は不機嫌な顔で買い物袋に手を突っ込んだ。
「こってり豚骨、ニンニク20パーセントアップ」が出てきたが、月野はそれと確認すると別のカップ麺を取り出して、足元に置いた。
失恋したような気分だ。陽太は渋々「こってり豚骨、ニンニク20パーセントアップ」の封を切る。
それと同時にカチン、という音の響きがわずかに変わった。見るとガスコンロには煌々と燃える青い輪っかが浮かび上がっていた。
「やっと点いた!」
それを見て月野は嬉々とした声を上げた。陽太の持つ買い物袋からミネラルウォーターを取り出し、透き通った水が薬缶の中を満たしていく。
「それより、いつまでこうするつもりなんだ」
薬缶をコンロの上に乗せ、月野は静かに問いかけた。
誰も応えない。
実際に終わりは見えないのだ。それどころがたかだか一日を過ごすだけで、精神的疲労は予想を超えていた。
学校で受けた視線、視線のない場所での緊張、それをごまかすように笑い合う喜劇は苦痛を伴った。
「ほとぼりが冷めるまでだ」
陽太は語気を強めた。
「それはいつまでだよ」
いつもの余裕ぶった月野の姿ではない。悲劇の主人公を演じているかのような姿だ。
迫真の表情に陽太は思わず口を閉じた。
「まだ一日目でしょ」
開き直るように言ったのは星宮だった。月野はキッと目を吊り上げた。
「そうだよ、焦ることないよ」
美鈴も剣呑な空気を吹き飛ばすように声を弾ませる。それに倣って陽太もややあって笑った。
「お前を誰だと思っている」
ニヒルな笑みを向けられ、月野はため息を吐き出した。
「我が名は無限の砲撃!光と夜を繋ぐ暗黒の契約者!その声は剣、その剣は火、陰った明日を切り裂く光!輝け!歪んだ灯!」
呪文を唱えながらベランダへと出て、夜を繋ぐ契りを月に掲げた。
小さな太陽のような火の玉が夜の闇へと飛んでいく。
「やり過ぎだ!バカ!」
陽太はベランダに立ち尽くす月野を慌てて家の中に引っ張った。
「強力な力でござんすね」
もみ合いをする陽太と月野の背後でズズズ、と麺を啜る音が響いた。
一斉に振り返るといつの間にかガスコンロの火は消え、口から煙を吐き出す薬缶だけが乗っている。
その向こうで灰色のパーカーを着込んだ男が「こってり豚骨、ニンニク20パーセントアップ」をむせながら啜っていた。
全員の視線が集まると男はややあって笑って見せた。
「いつの間に」
陽太はソファに置かれていた剣に手を伸ばし、月野は右手を突き出して男に狙いを定めた。
「おぉっと、やめてくだせぇ。あっしはプレイヤーですぜ」
男は慌てて降参するように両手を上げた。
プレイヤーという言葉にわずかに安堵する。だが、その一瞬を突かれた。
男は口から煙を吐き出した。瞬く間に部屋中に煙は充満し、陽太には隣に立つ月野の姿すら見えなくなった。
「敵意はありゃせんぜ。ただ、武器を手にした相手と面を合わせて話をするつもりもござぁせん。どうか悪しからず聞いてくだせぇ」
男は返答を待たなかった。息を整えるように深呼吸をすると、言葉を続けた。
「ガンナーの樹美鈴、で間違いはござぁせんね?」
気配だけで美鈴が首を縦に振ったのが分かった。
「そっちの坊主二人はプレイヤーで間違いはござぁせんね。剣士と異能使いですかい。そこのお嬢ちゃんは何をお使いで?」
「ボ、ボールです。鎖で繋がった、叩く武器です」
星宮の声は怯えていた。男はほほぉと感心したような声を上げている。
「バランスのいいパーティでござんすね」
褒められた。だが、そこに含まれた笑みは、ただ彼らを褒めているようなものではなかった。
まるで、品定めだ。
「あっしはケムリ。また近いうちにお会いすることになりやしょう。そんときは、またここでお会いしやしょう」
ふっと煙が吹き飛び、視界が明るくなった。先ほどまでケムリがいたはずの場所には空っぽのカップ麺だけが無造作に転がっていた。




