4-3 レベル4のパラドックス
時間軸の収束にはパラドックスが用意されている。
それが他のプレイヤーと接触しろとの合図だとケムリは考えていた。
彼にとっては昨日のこと。仲間と共に黒い蜥蜴を退治した。
その日に起きた出来事は彼の手記に記されていた。癖のようなものだ。
毎日毎日、起きた出来事を書き連ねている。
繁華街の中心の寂れたアパートの一室。ベッドとテーブルだけが置かれた簡素な部屋の中。
カーテンのない部屋に射し込む陽光にケムリは気怠そうに目を覚ました。
起きてから必ずすることは手記の確認だった。
前日の内容に目を通し、ケムリはため息を吐き出した。
本来ならそこには蜥蜴との戦闘の内容を記しているはずだった。だが、書いてあったのは他の内容である。
樹美鈴の華麗な脱走劇だ。留置所の建物を壊し、瞬く間に姿を消した。
蜥蜴の記述は一切なかった。
今のケムリにはその手記の記憶はない。初めこそ驚きはしたが、体験したのは三度目だ。
一度目は困惑、二度目は仮定、三度目は確信へと繋がった。
ケムリはパラレルワールドの存在を認めることにした。ゲームマスターが用意したモンスターを倒し、ループを抜けた翌日は低確率でプレイヤーとコンタクトする。
今回が三度目のコンタクト。
一度目はカタナと出会うことになった。互いに堅気の人間ではないことは一目でわかった。だから、ケムリを名乗り、女をカタナと呼ぶことにした。
暗黙の了解として、二人は特別な言葉を紡ぐことはしなかった。互いが互いの足を引っ張らないことだけを約束し、土色の巨腕と対決した。
ケムリの武器は煙草を元にした愛煙家である。彼が吐き出した煙は周囲を覆い、濃霧に包まれたような状態を作り出す。
これにより土色の巨腕を倒すことは容易だった。
煙の中でも赤い目玉はよく見えた。カタナが持つ二メートルもあるだろう包丁を元にした長い剣、一撃必殺で頭の中身を掻きまわしてやることで、あっさりと勝利した。
二度目には会長とワッパと出会うことになった。
翼を持った土色の巨腕には煙の攻撃は通用しなかった。
翼をはためかせるだけで、あっさりと煙は吹き飛ばされた。
一度目のループは失敗した。だが、二度目には会長の立てた作戦により成功した。
ワッパが抱きしめている変幻自在はぬいぐるみの存在そのものを操ることの出来る武器である。
大きさ、重さ、硬度、温度すらも操ることが出来る。これにより背の小さなワッパでも抱き上げる程度の大きさにも大樹をも超える大きさにもなれる。
ぬいぐるみが上空から落下してきた土色の巨腕の体を受け止め、そこにカタナが斬りかかる。
レベルアップしたカタナの剣は鉄のように硬い土色の巨腕の翼をハムでも斬るようにスパッと切断して見せた。
逃げ場を失った土色の巨腕にトドメを刺したのは会長である。
会長の武器は右腕に嵌めた『生徒会長』と書かれた腕章を元にした武器、絶対的脅威は、腕章から雷を吐き出す力を持っている。
射出までに時間はかかるものの、その威力はパーティの中では一番の破壊力を持っている。
土色の巨腕も会長に狙いを定められ、真っ黒い灰へと姿を変えた。
それからは再び昨日訪れたはずの今日が始まるまでは顔を合わせることはほとんどなかった。だが、ケムリは時折会長の元を訪れた。
「まだ増えるのか」
ケムリの手記を読み終えると会長はうんざりしたように言った。
誰もいない生徒会室。会長の椅子に腰を下ろしたメガネの少年はいつも一人だった。
会長が孤独を好んでいるのか、あるいは、孤独が会長を好んでいるのか。
どちらにしても、いつも彼を包んでいる雰囲気は人を寄せ付け難いものである。
「ゲームはやりやしたか?」
ケムリの言葉に会長は首を横に振った。
パーカーのポケットに手を突っ込み、古いゲーム機を取り出す。弁当箱みたいな大きさの灰色の機械だ。
会長がそれを手に取り、画面を見つめる。ドットの荒い黄土色の画面が鈍く光っている。
「グランドクエスト」
会長は画面に表示された文字を読み上げた。
「こればっかりはネットの受け売りなんですがね」
ケムリは前置きを置いてから、ゆっくりと説明を始めた。
複数のパーティによって行われるミッションである。いわゆるボスと呼ばれる通常の敵よりも強いモンスターと戦うものである。
複数のパーティを集めなければ倒すことの出来ないほどの強敵である。
「今度の手合いは、骨が折れそうですぜ」
ケムリは煙草に火を点けた。ジワリとした紫煙が室内に広がった。
「そうか。他のプレイヤーはお前に任せる。僕は忙しいんでね」
会長はそう言って薄く笑みを浮かべるとゲーム機をケムリに返した。
「一人でやるおつもりで?」
まさか、と会長は鼻で笑った。
「まもなく学校も再開される。直に体育祭もあるから、校舎で会うのはしばらく無理だろう」
ケムリは、ははは、と乾いた声で笑った。
「あくまでも学生の本分は学生といったところですかい。さすが生徒会長殿であらせられる」
皮肉を込めた言葉に会長は余裕の笑みを浮かべた。
「それが学生の務めだからね」
冷ややかな目を向けられ、ケムリは笑うのを止めた。ヤクザとも直接顔を合わせたことがある。それに比べれば会長の一睨みなど痛くも痒くもない。だが、それとは異質な冷たさだった。
気にしなければどうということはない。だが、ケムリの脳みそは警鐘を鳴らしているのだ。
「それじゃ、あっしはこの辺で」
これ以上長居は無用と判断したケムリは廊下と教室を仕切る扉へと足を向けた。
「ケムリ」
ふと呼びかけられ、ケムリは肩越しに振り返った。
窓から射し込む明るい陽光を背にして、会長はじっとケムリを見据えていた。
何かを問い詰めるような眼差しにケムリはゴクリと息を飲んだ。
「報告は怠るな」
低い声を吐き出した。その言葉から逃げるようにケムリは廊下へと歩を進める。
「おっかねぇガキですぜ」
ぼやいた言葉は誰にも耳にも届かない。ただ、呑気に歩いていく背中を会長は扉の隙間からじっと見つめていた。




