2-8 レベル2の一撃
いよいよ昨日過ぎたはずの今日がやってきた。
高杉陽太は日付を確認して息を飲んだ。
昨日が今日もやってきた。
それと理解すると同時に陽太は剣をベルトに納めた。用済みとなった鞘を見つめる。
せっかく用意したのに無駄になってしまった。
やれやれとため息を吐き出し、家を飛び出す。
星宮灯里もまたバスケットボールをカバンにしまう。
昨日過ぎたはずの今日が戦いを知らせる。
「今日遅くなるから」
玄関でバスケットシューズを履きながら、母親に告げ、家を飛び出す。
月野卓郎はほくそ笑む。制服にも着替えずに全身を漆黒の天衣に包み込み、つま先を必要以上の装飾に包まれたブーツ、軌跡のない足元に突っ込む。
右手には夜を繋ぐ契りを装備し、玄関へと向かう。
「お兄ちゃん!なんて恰好してんのよ!」
妹の美月が怒鳴り声を上げる。その声に呼び起こされたように両親が顔を出す。
「バ、バカ!デカい声を出すな!」
「卓郎!あんた学校は!?」「お前また勝手に休む気か!」
卓郎は制服に着替えることを余儀なくされた。
樹美鈴は気づいていなかった。
いつも通り起き、いつも通り支度をして、いつも通り学校へと向かった。
学校に来てから星宮と陽太が登校していないことに気が付いた。
美鈴は予感する。
二人が昨日何をしていたのか。そして、その結果、家にも帰らず、とうとう学校にも訪れなかった。
美鈴は予感する。そして、走り出した。
モンスターの目撃情報はない。
前回はニュースにも取り上げられた。おまけに自身が対面したのだ。
探すことは容易だった。だが、今回は違う。
突然、昨日訪れた今日が発現したのだ。
高杉陽太と星宮灯里は二人の家の近くの公園でブランコを漕いでいた。
「始まったな」
陽太の声は絶望に満ちている。その隣で星宮はブランコに座ったまま器用にボールを弾ませている。
「お前はいいよなぁ」
見えない鎖に繋がれた決して星宮自身を傷つけることのない武器。それに比べて使い勝手の悪い剣へと成り下がった自身の武器。
ただの鈍器がここまで神秘的に昇華したにも関わらず、なぜにこんなグレードダウンを果たしてしまったのか。だが、まだレベル2なのだ。
ここから徐々にレベルを上げていけば武器の性能は増していくと陽太は仮定する。
最終的にはいくつもの刀身が宙を舞い、それを指先で操って敵を攻撃する、なんて妄想も増していく。
星宮はめんどくさそうに陽太の話を聞いていた。ボールはすでに自由に弾んでいる。
星宮がバスケットのゴールにボールを投げ込む。地面に落ちたそれを持ち手を引っ張ることで手繰り寄せる。
見えない鎖は触れることも感知することも出来ない。ましてや、それには際限がない。
星宮が持ち手を引っ張らない限りどこまでも遠くへと飛んでいく。
最早ロケットパンチのようなものだ。
一家に一台は欲しいところである。
陽太はブランコに座ったまま暇をつぶすようにフリースローを繰り返す星宮の背中を見つめていた。
「で、どうすんの」
一通りボールを投げ終え、飽きたとばかりに星宮は振り返った。
どうもこうもない。
現状はどうしようもないのだ。どこにいるかもわからない。
ただ、しなければならないのは、警戒態勢を維持することだ。ループを一刻も早く終わらせ、明日を再び取り戻す。
それこそがしなくてはならないことであり、今、出来ないことでもある。
土色の巨腕にはこちらを探し出して襲ってくるという習性はない。
それは何度も繰り返したループの中で発見した事実である。
ある一定のリズムの中でじっとこちらを待ち構えている。そして、そんな毎日を永遠に繰り返す。
今もどこかの林で彼らの敵となる存在を待ち構えていることだろう。
「とりあえず森に行こうぜ」
陽太は重たい腰を持ち上げて歩き出す。それに倣って星宮もまた歩き出した。
どこかで翼がはためく音を耳にした。
月野卓郎は公園のトイレにいた。
制服を脱ぎ捨て、漆黒の天衣に身を包む。
右手に嵌められた夜を繋ぐ契りがじゃらりと不敵に笑った。
月野もまた標的を捉えてはいない。
公園の広場へと移り、右手を心臓に重ねた。
「汝の姿は闇、汝の名は夜、盟約に則り我が力と成りて顕現しろ、我が名は無限の砲撃。その真名に置いて我を天へと誘わん!現実から逃避!」
直後、月野の周囲を突風が吹き乱れる。竜巻のように月野の体を覆い尽くす。
やがて、月野の足は地面を離れていく。
「ははは!これが我が闇の力よ!」
高笑いを残して月野の体は上昇する。風に身を任せ、空を飛ぶ。
月野の魔法は強力である。それは自身でもまだコントロールは出来ない。
月野の体は竜巻に巻き込まれ、上下左右が在らんところへと飛んでいく。
すでに自分がどこを向いているのかもわからなかった。
「クソったれ!お前は俺の力だろうが!」
その言葉に反発するように竜巻を勢いを増し、月野の体を明後日の方向へと吹き飛ばす。
「わぁ!止まれ止まれ止まれ!げふぅ」
地面に叩きつけられた月野は静かに息を引き取った。
樹美鈴は高杉陽太の家へとやってきた。
戦乱の機銃を背中に背負いこんで肩で呼吸を繰り返す。
インターフォンを鳴らすと陽太の姉の凛子がのっそりと顔を出した。
「あれ、みぃちゃん、学校は?てか、それなに」
寝起きのままの姿である。パジャマを着て、片手にはハブラシを握っている。
怪訝な眼差しを美鈴に向け、今にも瞼を閉じようとうつらうつらと繰り返していた。
「陽ちゃんは?」
ここにいると思ってやってきたのだが、その予想は外れた。いや、ここにいてほしいという願望だった。
ここじゃなければどこにいるというのだ。
ピンク色のネオンの輝く些末な建物が脳裏をよぎった。
「学校に行ったんじゃないの?ていうか、それなに」
凛子の目は美鈴の背中に覆いかぶさっている機銃を見ている。
「朝は家にいたんですね?」
かみつくような勢いで美鈴は尋ねた。凛子は驚いたように首を何度も縦に振った。
「わかりました。ありがとうございます」
「いや、いいけど、それなに」
美鈴はぺこりと頭を下げて走り出した。
「なんなの、アレ」
凛子はぼやきながら、口の中の歯磨き粉を玄関先に吐き出した。
「やっぱりここかよ」
初めて土色の巨腕と対峙した場所。茂った木々の中で、赤い目がゆっくりと動いていた。
静かに呼吸を繰り返し、じっとこちらを見ていた。
「俺が行くぞ」
高杉陽太は研ぎ澄まされた一撃のトリガーを何度もノックする。
にょきにょきと刀身が伸び、剣の形を成す。右腕の籠手をはめなおし、折り畳み式の盾を展開する。
その隣で星宮灯里も籠手とゴーグルをはめた。
ダム、ダム、と音を立てて星宮はその場でボールをバウンドさせる。
「作戦は?」
星宮が尋ねた。
「俺は目をやる。星宮はとにかく注意を引いてくれ」
土色の巨腕から視力を奪うことで勝利した。それ故に、陽太は第一にそれを狙うことにした。
星宮も首を縦に振り同意する。
一度、戦った相手である。その動きも攻撃の範囲も把握済みである。
ましてや射程距離の伸びた星宮の武器がある。遠距離からの援護があれば、敵の動きも鈍る。
以前のように走って広場まで逃げてから戦闘開始でもよかったが、広場まで全力で走り抜けることに体力を使うことも勿体ない。
今回は短期決戦だ。ループはさせない。
陽太は走り出す。それを見て星宮も走る。
その動きに合わせて、赤い瞳が上昇した。
地面を蹴ったのだと思った。だが、一度視界から消えた姿は再び降りてくる気配はない。
二人は思わず足を止めた。
「どこだ」
その答えが耳鳴りとなって響いた。風を切る音と共に流れ星が落下した。
陽太の脳みそが、それが流れ星でないと判断するには時間が足りなかった。
目の前に現れた牙に為す術もなく陽太は飲み込まれ、気が付くと自室のベッドの上だった。




