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愛玩ファントム 〜真夏の夜のエトセトラ〜  作者: 山石尾花
潜入! 【八月八日 木曜日〜八月九日 金曜日】
98/100

20

 *****


 着物姿のおばあさん――西園寺喜美代と、白いロングコートを着た女の人が見つめあっている。女の人は涙ぐんでいた。だけど、女の人の瞳には強い決意が宿っていた。


『みちる、どうしても行くのですね』

『はい』


 ちらちらと雪が舞っていた。これは花野の母親――西園寺みちるが西園寺家を出る瞬間だ。


『本来母として、西園寺家当主として、わたくしはあなたを意地でも止めなければなりません。わたくしはあなたの考えを改めさせるために、あらゆる手を尽くしました。……それでもあなたは行くのですね』

『はい』


 険しい顔をしていたおばあさんの表情がふうっと和らいだ。諦めだとか、呆れじゃない。もっとあたたかな何かだ。

 おばあさんは着物の袂に手を入れ……懐中時計を取りだした。モノクロの過去の中、懐中時計だけが鮮やかな色を放っていた。


『これをお持ちなさい。困った時にはこれを売ってお金になさい』

『母様。でもこれは母様の大切な……』

『大切だからです。ここからは母の言葉ではなく、一人の女が言う言葉だと思って聞きなさい』


 西園寺みちるの目が大きく見開かれ、涙があふれた。金の懐中時計を受け取り、胸に押しあてる。


『西園寺のことは忘れなさい。心配せずとも、西園寺の意思を継ぐものは必ず現れます。わたくしも、康之もいるのですから。あなたが去っても、西園寺の家は変わることなく続いていく。わたくしはそう信じています』


 雪が一層降り積もった。二人の吐く息が白く漂う。


『みちる、幸せになりなさい』

『……はい……さようなら、お母様』


 母から娘へと、あの懐中時計は託された。そこには恨みつらみなんてものは一切なく、ただ娘を思う母の気持ちだけがあったんだ……。


 *****


「おばあさまは、あの懐中時計を託したの?」


 西園寺も泣いていた。僕も泣いていた。

 僕のもう一つの願い……そうだ、西園寺に本当のことを知ってもらいたかったんだ。

 西園寺の涙が一粒、雪の中で見つめあう二人の間にこぼれ落ちた。涙で二人の姿はかき消える。


「わたくし、もう恨まなくていいんですわね?」


 二人が映し出されていた水面を撫でながら、西園寺はむせび泣いた。


「もう、このくらいでいいでしょう」


 そう言って、八重さんは歌を口ずさむ。そのメロディーに共鳴し、足元の水が一滴一滴、宙に浮かぶ。

 西園寺は空を見上げた。心の荷が下りたように、爽やかな表情で。


「おばあさま、わたくし西園寺家を守りますわ。おばあさまのように、必ず」


 不思議な光景だった。逆さまに降る雨。僕たちがここにいられる時間はあとわずかだと、なんとなく気づいた。

 これで、すべて終わったんだ。


「さようなら、瀬野様。タマとシロのために泣いてくれてありがとう」


 微笑む八重さんに、僕も静かに微笑みかえした。


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