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着物姿のおばあさん――西園寺喜美代と、白いロングコートを着た女の人が見つめあっている。女の人は涙ぐんでいた。だけど、女の人の瞳には強い決意が宿っていた。
『みちる、どうしても行くのですね』
『はい』
ちらちらと雪が舞っていた。これは花野の母親――西園寺みちるが西園寺家を出る瞬間だ。
『本来母として、西園寺家当主として、わたくしはあなたを意地でも止めなければなりません。わたくしはあなたの考えを改めさせるために、あらゆる手を尽くしました。……それでもあなたは行くのですね』
『はい』
険しい顔をしていたおばあさんの表情がふうっと和らいだ。諦めだとか、呆れじゃない。もっとあたたかな何かだ。
おばあさんは着物の袂に手を入れ……懐中時計を取りだした。モノクロの過去の中、懐中時計だけが鮮やかな色を放っていた。
『これをお持ちなさい。困った時にはこれを売ってお金になさい』
『母様。でもこれは母様の大切な……』
『大切だからです。ここからは母の言葉ではなく、一人の女が言う言葉だと思って聞きなさい』
西園寺みちるの目が大きく見開かれ、涙があふれた。金の懐中時計を受け取り、胸に押しあてる。
『西園寺のことは忘れなさい。心配せずとも、西園寺の意思を継ぐものは必ず現れます。わたくしも、康之もいるのですから。あなたが去っても、西園寺の家は変わることなく続いていく。わたくしはそう信じています』
雪が一層降り積もった。二人の吐く息が白く漂う。
『みちる、幸せになりなさい』
『……はい……さようなら、お母様』
母から娘へと、あの懐中時計は託された。そこには恨みつらみなんてものは一切なく、ただ娘を思う母の気持ちだけがあったんだ……。
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「おばあさまは、あの懐中時計を託したの?」
西園寺も泣いていた。僕も泣いていた。
僕のもう一つの願い……そうだ、西園寺に本当のことを知ってもらいたかったんだ。
西園寺の涙が一粒、雪の中で見つめあう二人の間にこぼれ落ちた。涙で二人の姿はかき消える。
「わたくし、もう恨まなくていいんですわね?」
二人が映し出されていた水面を撫でながら、西園寺はむせび泣いた。
「もう、このくらいでいいでしょう」
そう言って、八重さんは歌を口ずさむ。そのメロディーに共鳴し、足元の水が一滴一滴、宙に浮かぶ。
西園寺は空を見上げた。心の荷が下りたように、爽やかな表情で。
「おばあさま、わたくし西園寺家を守りますわ。おばあさまのように、必ず」
不思議な光景だった。逆さまに降る雨。僕たちがここにいられる時間はあとわずかだと、なんとなく気づいた。
これで、すべて終わったんだ。
「さようなら、瀬野様。タマとシロのために泣いてくれてありがとう」
微笑む八重さんに、僕も静かに微笑みかえした。