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「失礼。黒犬様のお相手はこの高遠が」
高遠さんは僕の前で優雅に一礼した。だけど、その目は怒りで燃えている。瞬時に僕の前に身を滑らせたその素早さから、武道の経験者であることは明らかだ。
「そこをどいてください」
黒猫と西園寺は高遠さんの後ろで死闘を繰り広げていた。勝負は互角といったところ。西園寺の体の軸にはブレがない。拳さばきもスピードも申し分なかった。
黒猫はというと……確かに技術はすごいんだけど、どこか動きに覇気がない。気のせいかな、右足を庇っている?
「さっき、痛めた……?」
西園寺の素早い動きについていけているものの、次第にダメージが蓄積されているのがわかった。黒猫の顔が苦痛で歪んでいる。
足の痛みのせいなのか、西園寺からの攻撃のせいなのかは区別がつかない。ただ、黒猫には余裕がなかった。ギリギリのところを踏ん張っている、そんな感じ。
「あの、高遠さん、戦わずに穏便に済ますことってできませんか? ここは見逃していただきたいんですけど」
愚問なのは百も承知だ。僕は戦いたくないんだ。
さっきとっさに警備員相手に手を出してしまったけど、本当は誰かを傷つけたくはない。
幼い頃の思い出がよみがえる――僕が怪我させてしまったあの子。
「何をおっしゃいますやら。そのようなことは承知いたしかねます」
「僕は、戦いたくないんです。できることならこの拳をふるいたくないんです。黒猫たちを止められませんか?」
「黒犬様。あなた様はなぜここへ押し入ったのでございますか? 主だと豪語していらっしゃったのに、これではあまりにも黒猫様が気の毒ではありませんか。黒猫様はあなたのために戦っているのではないですか? ……これ以上何かおっしゃられても、この高遠、引くわけには参りません」
高遠さんの言っていることは理解できる。でも体が動かない。いざ戦うとなると足がすくんで動けないんだ。
「しっかりしろ!」
黒猫が遠くから僕を怒鳴りつけた。
西園寺との戦いで僕に構うどころじゃないはずなのに。そんな余裕ないくせに。
その声は僕の背中を押してくれたんだろうか、それとも僕の強靭な後頭部を叩きのめしたんだろうか。……どちらかと言ったら後者かな。
黒猫の喝ではっきりと目が覚めた。
傷つけたくない、それは今も変わらない。ただがむしゃらに空手を習っていたあの頃とは違う。むやみやたらに目の前の相手を倒すことだけを目標にしていた昔とは違う。
今は守らなきゃいけないものがある……守るために戦うんだ!
「そう、ですね。すみません、高遠さん。引くわけにはいかないですよね」
高遠さんだって西園寺を守るために戦っている。引けないのは当然だ。
「おわかりいただけましたか。では改めて……お手合わせ願いますっ!」
その言葉が開戦の合図になった。