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「母は今入院しているの。夏休みの終わりに手術があるんだけど、成功するかは五分五分だって言われたわ。明日からは委員会の仕事を休んで、しばらく病院通いするつもり。母が入院した時、この話を聞かされて……大事な懐中時計まで託された」
僕は黙って花野の話に耳を傾けた。
「一か月前、いつものように図書委員の仕事で図書室に残っていたの。受付カウンターから少しの間、席を離れた隙に……懐中時計がなくなっていたわ。その日、図書室の空調機の調子が悪くて、図書室はすごく暑かった」
花野は遠い目をして話を続けた。
「いつもはカーディガンのポケットに入れて肌身離さず持っているわ。でも、その時だけカーディガンを脱いで……カウンターに置きっぱなしにしてしまったの。この学校で物が盗まれるなんてそうあることじゃないと思っていたけれど、油断するものじゃないわね」
「学生課に届いてなかった? 落としたのかもしれないし」
「バカね。確認しに行ったに決まってるじゃない」
花野は僕の質問を愚問だと言わんばかりに退けた。
「一人で図書室に残って探し回ったわ。図書委員の子全員に心当たりがないか聞いてみたけれど、手がかりは何もなかった」
「人をむやみに疑うようで悪いけど……盗られたんだとしたら、その日一緒に当番に当たっていた図書委員の子、怪しいんじゃないのかな」
花野は首を振って否定した。
「その子も私と一緒に行動していたの。だから違うわ。盗ったとしたら、その日図書館にいた誰かよ」
僕は一か月前のことを必死で思い出そうとした。……まったく犯人の検討もつかない。
毎日図書館で残っている割には、図書館の様子についてさっぱり覚えていない。だいたい読書に集中しているか眠っている僕には、周りの様子なんか目に入っていなかった。
「ごめんね……僕が何か見ていたらよかったんだけど」
「瀬野くんのことなんか最初からあてにしていないわ。どうせいつも居眠りしているんだから」
「たまには本を読んでるよ!」
僕はすかさず花野の言葉を訂正した。花野はフッと顔を綻ばせた。
「まあ信じてあげるわ。その言葉」
その時、まるでタイミングを見計らったかのように交差点の向こうからバスがやってきた。行先は駅前のバスターミナルだ。話しこんでいるうちにバスの到着時刻になっていたみたい。
僕は停留所のベンチ裏に下がって、花野を見送ることにした。
「見つかるといいね、時計。僕もできるだけ力になるよ」
花野の大切なものが見つかればいい、心の底からそう思ったんだ。
「そうだわ、瀬野くん。私が図書委員で受付カウンターの係になってから、あなたが最初に図書館で借りた本、何か覚えている?」