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「あ、優人くん! 優人くんも今から帰るの~?」
肩のあたりで切りそろえた黒髪をたなびかせ、僕に駆けよってきたのは一人の少女。深い茶色の瞳を輝かせながら寄ってくる姿は、まさに忠犬。動物に例えるなら犬以外には考えられない。足元にクルクル纏わりついてくる小型犬だね。
「今ちょうど部活終わったところなんだ。優人くん、一緒に帰ろうよ~」
彼女は幼馴染の白河瞳。
僕の家の近所にある白河神社の一人娘で、小中高とずっと一緒――いわば腐れ縁ってやつだ。僕の心の友、佐々木吉行曰く、瞳の隠れファンは学年問わず多いらしい。瞳と仲のいい僕を羨んでいるやつは数知れず、僕はいつ殺されてもおかしくないんだって。物騒な世の中だよね、まったく。
「あのね、今日、家庭科部でチョコレートマフィン作ったの。優人くんに食べてもらおうと思って、持って帰ってきたんだ」
血の気が引いた。戦慄した。恐れおののいた。
容姿端麗、完全無欠、嫁にしたい女子ナンバーワンとの呼び声が高い瞳だけど、僕は彼女の唯一の欠点を知っているんだ……。
「今回は自信作なんだよ~。ほら、おいしそうでしょ?」
「あ、うん、そうだね。あのさ、せっかく作ってくれて悪いんだけど、今日は体調悪くて。あんまり食べたくないんだ、ははっ……」
「ええ! 大丈夫? 夏バテじゃない? 食べないとスタミナつかないよ。ほら、一口だけでも食べとかなきゃ」
いらないんです。僕は食べたくないんです。なるべく紳士的に、丁重に断ろうと僕は口を開いた。
「隙あり!」
「ふごっ!」
半開きになった僕の口へ、強引にチョコレートマフィンが突っ込まれた。チョコレートの芳醇な香りが口の中いっぱいに広がり、ほろほろと生地がほどけていく……。
それが本来のチョコレートマフィン。でもこれは違う。予測していたものと違う感覚に、脳がパニックを起こす。
焼けたチョコレートは……苦味しかない。マフィンは半焼けで、外側の異様なパサつきとは反対に、中はベチャベチャ。一体何をどうしたらこんな味になるんだろう。
君は家庭科部より科学部が向いてるんじゃない? 瞳の料理を食べるたび、そんな言葉が口から飛びだしそうになる。せっかく作ってくれたものをまずいだなんて、本当は僕だって言いたくない。だけど、愛の鞭だって必要。僕は心を鬼にする。
「う……う……ま……」
「え、うまい? よかったあ!」
瞳はポンと手を合わせて喜んだ。いつも最後まで言い切る前に力尽きちゃうんだ。