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ゴスッという鈍い音。そして後頭部を襲った鋭い衝撃で僕は目を覚ました。
この衝撃は広辞苑の角だ、間違いない。なぜなら毎日、僕は広辞苑の角で頭を殴られているからね。具体的に言うと、後頭部の皮膚だけが妙に分厚くなるくらい殴られてる。
「そろそろ図書室閉めたいんだけど。寝るならよそで寝てくれないかしら。寝ぐせまみれで半ボケの瀬野優人くん?」
背後から怒気を帯びた冷ややかな声が聞こえる。でも、僕はつとめて爽やかに振る舞った。こんなことで冷静さを欠いていたら紳士として失格だ。紳士たるもの、いつだってクールでなきゃ。
「やあ、花野。今帰ろうと思ってたところだよ。それと何度も言うけど、これは寝ぐせじゃないからね」
彼女は図書委員の花野いづみ。放課後、毎日図書館でうたた寝してしまってる僕を起こしてくれる唯一の図書委員で、僕のクラスメイトだ。
僕は殴られた後頭部を押さえながら、バッチーンと花野にウインクする。花野はぶるっと身を震わせた。まるで見てはいけないものを見たかのようなまなざし。
「あなた……いろんな意味で迷惑よ。これ以上薄気味悪いものを蔓延させる前に、早く帰ってくれないかしら」
図書室の西側にある大きな窓から夕陽が差しこんでいた。放課後は図書室に入り浸り、下校時刻ギリギリまで寝る……いや、本を読むのが、僕の日課だ。
「そっか、もうこんな時間なんだね」
立ち上がって窓を見ると、そこにはひどい自分の姿が映っていた。机に突っ伏しながら寝ていたせいか、頬には腕時計の跡が残っている。ちなみに髪の毛は跳ね放題で乱れているようだけど、これはくせ毛であって寝ぐせじゃない。大事なことだからもう一度言うよ、くせ毛であって寝ぐせじゃない。
周囲にはほとんど生徒は残っていなかった。残っているのは受付カウンターで本を読んでいる図書委員くらい。
花野はトレードマークの赤縁眼鏡を右手で直すと、黙って僕の背中をぐいぐい押し始めた。
「ちょっ……押さなくてもちゃんと出てくよ」
できればシャツの裾を小さくつまんで、上目づかいで引きとめて欲しいところだけどね。
花野は図書館の出口まで僕を押しやると、にっこり微笑み、ひらひらと手を振った。
「閉める前に掃除したいの。瀬野くんは邪魔。はい、さようなら」
花野は図書館の重たいガラス扉を勢いよく閉めた。ガチャンと扉の鍵をかけ、扉の向こうの看板をひっくり返す。看板にはでかでかと書かれた閉館の文字。花野のポニーテール頭が遠ざかっていくのを僕は熱い視線で見送った。
彼女の後ろ姿を見ながら毎日思うのは、彼女が三つ編みにしてくれたらもっと文学少女っぽくなるのに、っていうこと。花野が陸上部ならポニーテール万歳! って、もろ手を挙げて喜べるのにね。