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午後八時。夕飯のにおいが漂う住宅街の一角。その中の、ある家の屋根の上にて。
「た……玉井、やっぱり僕も行かなきゃいけないのかな」
「当たり前だ。あと名前で呼ぶな。黒猫と呼べ」
「……はい」
僕は要さん特製のボディースーツを身にまとい、黒猫に連れられてお仕事体験にやってきた。
スーツがピチピチで……僕のあんなところやこんなところが浮き彫りになっているのかと思うと体がもじもじしてしまう。初めて使う仕事道具にあたふたしながらも、なんとか黒猫の手を借りずにここまで来ることができた。
出発したのが午後七時だから、ここまで一時間もかけちゃったんだけどね。黒猫一人ならここまで十分もかからないんだって。でも黒猫は何も言わずに見守っていてくれたりして……なんだかんだ、優しいところがあるんだね。
「今日の仕事は簡単だ。盗みじゃない、安心しろ。この前の赤いおもちゃの指輪を持ち主に返す。それだけだ」
盗みじゃない、その一言に僕はホッと胸を撫で下ろす。
「持ち主……さなちゃんだっけ?」
「ああ。盗むのも仕事の内だが、持ち主に返すのも仕事だからな。あの指輪は兄に初めてもらった大事なものらしい。兄といっても血のつながりはないそうだ。……その辺のことは、瞳に透視してもらった情報だがな」
「ふぅん、どうしてそんなに大事にしてるんだろう……」
「さなの兄は再婚相手の連れ子だ。さなもさなの兄も、なかなかお互いに打ちとけることができなかったんだ。去年の夏、二人で夏祭りに行くまでは」
黒猫は手の平で指輪をコロコロと転がしながら続けた。
「そこでさなはこの指輪を兄に買ってもらったんだ。それをきっかけに、二人は仲のいい兄妹になっていったらしい。さなの思い出が詰まっているわけだ」
他人から見ると、単なるおもちゃの指輪だけど、さなちゃんにとって大事な指輪なんだ。神様に見つけてほしいとお願いするほど大切なもの。それを今から届けにいくんだ。
「……って、ここは……」
黒猫から指輪の話を聞き、いざさなちゃんの元へ! と気を引きしめたところまではいいんだけど。
「どうした?」
「まさか……さなちゃんって……」
見覚えのある家。だっていつもお世話になってる人の家だからね。
クリーム色の壁、灰色の屋根……そして表札に踊っているのは見慣れた『佐々木』の三文字。
「ここは……わが心の友、吉行くんの家じゃないですか」