妖怪里の秘境の奥へ
紫の着流しを着た煙管の煙を旨そうに吐く男とその仲間達の登場により、魔法居酒屋キキョウ店内の雰囲気が一変したでござる。
背後に数人の部下を従えた流れるように美しい黒髪に瞳の鋭い眼光。
煙のような模様が描かれた紫の着流しに身を包み、朱色の煙管を吹かして歩いて来る。
そして、口元は多少の笑みこそ見せてはいるが、このキキョウの人間達の先程までの喧騒を消してしまうだけの殺気が、悪意がこの男にはあった。
「……」
この男……ぬらりひょんの居た場所にいた元の世界の高杉晋作に似た男……用があるのは拙者のようだな。
このタカスギ・シンクウは元王族の男で、カツラ国王の息子でもあった。
国王はすでに工事済みで見た目が二十代の女子でござるが……。
(これは一悶着ありそうだな……)
スッ……と拙者は隣に座るミツバの膝に手を当て少し奥へ押した。
その男の仲間が声を荒げながら店員に注文を取っていると、拙者を見据えた男は真っ直ぐに向かって来る。
「よぅ、俺はタカスギ・シンクウ。お前さんに会いに来たんだ。アオイ・コウケン」
と、言うと拙者の真横に座り酒を一杯注文したでござる。店の客達は息を潜めるようにタカスギの部下の連中を刺激しないように静かにしつつ、この店から逃げようという算段を立てている。
「この国の連中がぬらりひょんを倒した男が異世界から来たと噂してて来たわけよ。どうやら本当に面白ろそーな男だな」
ミツバも不安そうに拙者の方を見てはいるが、それに笑顔で答え隣の不可思議な男と会話するでござる。
「初めましてでござるな。拙者はアオイコウケン。異世界からこの世界に来た侍でござる」
「ほぅ、侍? またよくわからん職業だな。その棒切れを持っている奴の事を言うのか?」
「……棒切れとは酷い。これは刀と言って、この世界のソードと同じような物でござる」
ニタァ……と猛獣が食い荒らす動物を見つけた時のような嗤う瞳をするタカスギは言う。
「違うな。お前はそうは思ってねーさ。今、俺が棒切れって言った時のその目。阿修羅のような狂気を秘めていたぜ。ケケケ……アオイの本質がちょっと見えたぜ。酒が旨い」
このタカスギは拙者を試すように会話を続けて来る。
どうやら拙者はあまり関わり合わない方がいい人間に絡まれているでござるな。
タカスギの仲間達の傍若無人さとは違い、拙者達のカウンターだけは別空間のように静まり返っている。
そして、恐ろしいほどの殺気でタカスギは拙者に話しかけているでござる。
「聞く所によると、アオイはここではない異世界から来たようだな。ぬらりひょんを倒せたのも、その世界の力か?」
「違うでござる。元の世界はこの世界のように魔法などという奇術も無いでござる。文明的に言うならこっちの世界の方が進んでるでござるよ」
「ほう、それでもこっちの大妖怪ぬらりひょんを倒したからにゃ、そっちの世界の人間の方が武芸に優れているって事だろーよ?」
「そうでござるな。剣技に関しては拙者のいた世界の方が優れているでござる」
「ケケケ! 言うねぇアオイ。いいぜ……お前さんは、結構気に入りそうだ」
笑うタカスギにミツバは怒りの視線を浴びせているが、タカスギは動じもしない。
おそらく、タカスギはミツバの事など全く目に入っていないのだろう。
この男、興味の無い事にはまるで関心を示しそうにない。
そしてタカスギは煙管の煙を吐き、言うでござる。
「変わった格好だな。とてもあの大妖怪ぬらりひょんを倒したとは思えねぇ」
「これは和服でござる。お主も似たようなものを着ているでござろう。それにぬらりひょんを倒したのは偶然でもあるから拙者の力だけじゃ……!」
その瞬間、水が拙者の頭を濡らしたでござる。
男はコップの中の酒を拙者にかけたようだ。
「どうした? ぬらりひょんを倒した男がこんな事にも対処出来ないのか? とんだ腰抜けだな。異世界から現れた男ってのは! なぁ、野郎共!」
『ハッーハッハーッ!』
魔法居酒屋キキョウは男の言動で盛り上がるでござる。
それを怒り心頭な目でミツバは見てはいるが、拙者はまぁまぁ……と抑え、
「折角の酒がもったいないでござるよ。酒とは楽しく飲むもの。人の頭にかけても……」
「楽しいね」
ドボドボ……とまた拙者の頭に酒が注がれたでござる。
今度はボトルなので着物も濡れたでござるな。
やれやれ。
「タカスギ殿。拙者はどうやら相当嫌われてしまっているようだが、その訳は大妖怪ぬらりひょんを倒してしまったからでござるか?」
「そうだ。誰もが人妖戦争がこんなあっさりと終わってしまった事を喜んでると思うなよ? 戦が無くちゃ、博打は打てねぇだろう?」
タカスギの紫の瞳が怪しく輝くでござる。
そして煙管の煙を吸い、
「抜け、アオイ。ぬらりひょんを斬った剣技を見せてもらうぜ」
「ここでは出来んでござる。周囲の迷惑を――」
「なら、こいつは死ぬぜ」
瞬時に、タカスギはミツバの首筋に剣を当てていた。
咄嗟に身体が動き拙者はその剣を素手で抑え込む。
「……速い。何て速さだ。まばたきしたらもう間合いに入られるとはな。ここまで強い奴なら歓迎だぜ。この国はもっと強くなれる」
「何を言ってるでござるか? この剣を引くでござる」
「未来の話さ」
言うなり、タカスギは剣に力を込めて来る。
それを抑えつつ、拙者は片手で居合いをかました。
ズバッ! とタカスギの胸元に直撃し、タカスギは店内の壁に叩きつけられる。
さっきまで馬鹿騒ぎをしていた仲間達も黙り込む。
そして清流刀を構え拙者は言う。
「拙者は自分自身だけが苦痛を受けるなら構わない。しかし、拙者の周りにいる仲間に手を出した場合、死をもって償ってもらう可能性がある事はそのこすい脳髄に刻んで貰うおうか」
パラパラッ……と壁の木の破片を払い、タカスギは立ち上がる。
拙者に気圧され何も出来ない仲間達はタカスギを見据えた。
「いい一撃だ……危うく死ぬ所だったぜ。お前さん、酒を頭にかけた事、存外恨んでるだろ? ケケケッ!」
「恨んでなどいない。このままキキョウとここに居る客に迷惑をかけるのは申し訳ない。帰らないならばここで倒れてもらう」
「なら殺れよ?」
明らかにタカスギに何か出来る手は無い。
この男、命で博打をする狂人のようだ。
(この男……殺さねばこちらが殺される。殺すしかないか……)
チャキ……と新撰組時代の事を思い出し、心を闇に鎮める。
しかし、桃色の髪の少女が、その拙者の心を青空に染めた。
「アオイ……殺しはダメだよ。タカスギはあくまで国王の息子。殺せば人妖戦争を解決した英雄でも悪人になるわ」
「……そうでござるな。無意味な殺生はしたくない。決着は別の場所でしようかタカスギ」
その時、けたたましい魔力が弾ける音がしたでござる。
ケケケッと笑うタカスギは言った。
「どうやら、どっかの誰かさんが魔法警察に通報したようだ。面白かったぜ。また会おう。今度は殺し合いの中でな。妖怪の里で待ってるぜ」
「お主は面白可笑しい事にしか興味が無いのか? 他人に危害を加えても問題無い顔をしているのは不快でござる」
「面白ろ可笑しく人として生きなきゃ人生じゃねぇだろ」
そして、タカスギは仲間と共に消えたでござる。
ミツバは酒で濡れる拙者の頭をハンカチでふいてくれる。
「アオイ大丈夫?」
「助かったでござるよミツバ。あのままでは互いに殺し合いになっていたかもしれなかったからな」
「そうだよアオイ。マジになりすぎ。私はそう簡単にやられないよ!」
「そうでござるな。ならば向かうか。奴等の隠れ家へ」
そして、拙者達はタカスギ達を追撃し、バクーフ大陸中央都市の妖怪の里へ歩き出した。
※
拙者とミツバはタカスギ達の隠れ家であるはずの妖怪の里の秘境へ向かう。
今はバクーフ大陸中央都市キリンと呼ばれる妖怪の里であった場所まで目指し歩く。
その内部は深い森で、未だ結界も張られている場所がある。
ミツバが見つけた怪しげな滝へ向かい、拙者達は歩く……はずたが、拙者は立ち止まる。
すると、桃色の髪をポニーテールにするミツバが言う。
「ねぇ、アオイ? さっきから立ち止まる事が多いけど、その地面に何かあるの? 葉っぱが趣味?」
「ん? いや、この妖怪の里には結構野菜が育っているでござるよ。この緑の葉っぱのしたを見るでござる」
「ん? 何か白いね。人間の足みたい」
「そう、見た目はそんな感じでござるかな」
ズボッ! と拙者はその白い人間の足のようなものを引き抜いた。
「え! それ何なの? 手の先から肘ぐらいまであるね!」
「これは大根という野菜でござる。味噌汁や糠床にしてもいいし、大根をガリガリとおろすと消化が良くなる優れものなのだ。食感はシャキシャキしててごはんが進む食材でござるよ。スザク魔法都市は肉はあっても野菜は少ないから、妖怪達と同盟を結んだのだから野菜も取り入れて行くでござる」
「大根……か。どーれ……」
ガブリ……とミツバは大根をかじる。
すると、涙目で拙者に訴えるでござる。
「うー……苦い!」
「出しかに大根はこのままだと多少苦い。だから調理して最高の食材にするでござるよ」
「確かに、お肉とか魚を食べた後に大根をおろして食べるとサッパリしそうだね。帰ったらミツバちゃんのレパートリーにくわえてやるわよ!」
と、どこからか醤油を取り出したミツバはスパパッ! と風魔法で輪切りにし、醤油を付けつつ食べた。 拙者もそれをつまみつつ滝の音がする方向へ歩き出す。
「……にしても、中々滝が見つからないでござるな。一体これは……」
明らかに滝の音が近くなってはいるが、容易に滝の姿が見えない。
深い森とはいえ、ここまで滝の音が近いならばその姿は見えていいはずでござるよ。
すると、ミツバはもう一度地図を広げ現在地のある程度の場所を測った。
「待ってアオイ。確かにおかしいわね。もう、地図上では滝のある場所を過ぎてる……」
「過ぎてる? 妖怪の里は地形が変化するでござるか?」
「いや、それは結界を張ってあれば幻影魔法とか妖術で出来るけど、今は違うわ。ここまで来る道に結界は無かった……」
ミツバは桃色の髪をかき、まさか! という顏で言ったでござる。
「迷路結界なのかも知れない……」
「迷路……結界?」
迷路結界とは、自然の地形を利用した妖気や魔力を必要としない結界。
故に侵入者はそれに気付かず迷路地獄に陥る可能性がある魔の結界でござった。
「迷路結界というものは承知した。では、迷路結界を出る策はあるでござるか?」
「当て勘で行くしか無いわ。自然の摂理に反するように行けば、道は開ける。けど、この自然に従うように歩いてたら、永遠に同じ場所を彷徨うだけになる……」
「ほーほー。それは面白い。ミツバ、時間が惜しい。早急にここから脱出するでござる」
そして、拙者とミツバは自然の摂理に反するようにメチャクチャに歩き出す。
しかし、容易に滝への正しき道は開けず、一時間あまりが経過する。
流石にミツバの顔にも疲労の色が見え、状況は悪化して来たでござるな。
(タカスギの奴……思わぬ事を仕掛けてくるでござるな……?)
すると、拙者の少し先に印籠があった。
「!」
その模様を見て、一気に駆け寄る。
そして手に取り、拙者は震えた。
「合傘に丸印……これは新選組の密偵である拙者がよく使った……」
何故、これがここに?
まさか、新選組の誰かがこの異世界に転生している?
いや、考えても仕方ない。
今はこの迷路結界を抜けなければならぬ。
「アオイ……どうする?」
「この道を行こう。この道こそが正しいでござるよ」
拙者は一つの確信を持ち歩く。
まるで誰かが正しい道を示してくれるかのように、その合印はあった。
拙者は新選組の誠を信じ、進む。
すると、その道の先に崖があり、大きな滝があった――。
「イヤッホー! 滝だ! 滝だ! 滝壺フォー!」
「ほーほー。滝でござる。さて、ミツバ。先を急ぐ――?」
すでにミツバは拙者の背後に居なかった。
ミツバはジャンプし、滝壺へとダイブしていた。
「ミツバ!」
足元にミツバの赤い魔法少女服があった。
あれ? じゃあ今は下着姿?
自分で脱いだらしい服を拙者は回収し、崖から滝壺を眺める。
プカプカ……と浮かんで来たミツバは言う。
「ちょっと汗かいたし、サッパリしないとね! 虫とかもいたから清潔にしとかないとカブれるし!」
「ほーほー」
ミツバは気持ちよさそうに泳ぎだし、滝壺を楽しんでいる。
まさか、ミツバの奴……。
「ただ遊びたいだけでは……」
「ん? 何か言った?」
「何でもないでござるよ」
さて、敵陣突入でござる。