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Asgard  作者: 橘花
8/32

8.眠り姫

 8.Rex tremendæ



 ——アインザッツ城王座の間——



 時はウッドベリー襲撃より少し遡る。



 巡回の警備も交代し、王座の間の定位置で休憩していたリリスとアガリアレプト。

 いつも通りアガリアレプトの手には本を、リリスは左手の指輪を眺めながらそれぞれ寛いでいた。

 しかしながら穏やかな一時は、砂上の楼閣の如く脆くも崩れ去る。


 二人より少し離れた所の空間に、歪が生じた。



「なっ!?ルシファー?」


「む?」



 突如、目の前に現れたルシファー。


 それと同時に真っ先に二人が感じたのは、部屋中を満たしていく血と焼け焦げた肉のような鼻につく異臭だった。

 よくよく見るとルシファーはその両手に何かを大事に抱えている。


 ——二人は瞬時に理解した。


 ルシファーが抱えている”ソレ”が何なのかを。



「う……そ……」


「——!?馬鹿な!!!?ご主人様!!」



 そう、その焼け焦げた肉の塊は自分達の敬愛する主であるカルシファー=アインザッツ。

 彼等の脳裏に最悪が過り、心拍数が急激に上がった。

 あり得ない。まさか。


 次に行動を起こしたのはアガリアレプトだった。

 彼は瞬時に椅子を跳ね除けて駆け寄った。



「————ッ」



 アガリアレプトは文字通り言葉を失った。


 余りにも酷い。

 身体は欠損し皮膚は焼け焦げ炭化し、全身血塗れなのだ。

 最早、これが人とは到底思えない程原形を留めていなかった。

 それ程に事態は深刻であった。



「早く『”伊奘冉イザナミ”』を呼べ!!早くしろ!」



 カルシファーを抱えたままその場に座り込んだルシファーが叫んだ。

 普段決して余裕を崩さない、不敵な笑みを湛えた完璧主義の青年は其処にはいなかった。

 その精巧な顔は今や汗に塗れ、息も荒々しい。

 得意ではない回復魔法を全力で使い、更には能力で長距離間の移動。

 ルシファーは完全に憔悴していた。


 ルシファーの悲痛な叫びを聞いたアガリアレプトは返事もせず、瞬時に消える。

 一刻も早く、あの黒円卓議会一の生粋の引きこもりである『伊奘冉イザナミ』を呼びに行かなければならない。

 どう見ても彼女以外には治療出来ない——ご主人様を助ける事が出来ないのは明らかだった。



 時に、Asgardアルガルドでは回復職というものは非常に重宝されていた。

 それはゲームのシステム上、補助特化にすると戦闘能力を殆ど捨てなければならないからだ。

 そもそも魔法自体、比較的低位なら誰にでも使えるので、純粋な魔法使いを選ぶ者は少なかった。

 確かに遠距離の、且つ安全圏に於ける攻撃及び奇襲時に於ける先制攻撃能力に関しては、魔法職が一つ飛び抜けている。

 だがその反面魔法職は脆く、接近戦や味方を含んだ乱戦では持ち味を活かす事ができずに役に立たない置物である。

 選ぶメリットがあまりなかったのだ。

 更にその中での攻撃魔法を捨てた補助特化。

 ソロではどうする事も出来ず、育成にかなりの時間と労力、ストレスが掛かる補助特化の回復職が不人気なのは当然である。

 しかし、不人気であると同時に人気でもあった。

 Asgardではダメージを受けた際、ポーションを飲んで直ぐ全快なんて訳もなく、回復に時間を要したり、完全に回復しないといった回復職優遇措置がとられていたのだ。

 それ故に自分ではやりたくないけど正直欲しい、といった不人気だけど人気という矛盾した現象が起きていた。


 カルシファーも居たら便利という理由で『従者創造システム』を使い一人だけ補助特化を造っていた。

 それが『伊奘冉イザナミ』。

 黒円卓議会一、戦闘能力の低い唯一の回復職だった。



「ご、主人さ……ま……」



 リリスは横たわるカルシファーの横で膝を折る。

 ルシファーは今だに僅かながら回復魔法を掛け続けている。

 その顔は魔力の消耗により青白い。

 だが、その必死の回復魔法も焼け石に水。

 所詮はルシファーも低位の回復魔法しか使えないのだ。


 ——何故自分は回復魔法を使えないのだ。


 リリスは思う。

 ご主人様を治療出来ない己の不甲斐なさに拳が震え、涙が溢れ眼前が霞んだ。

 ただ、見ている事しか出来ない自分の情けなさに。

 それと同時に込み上げるは激しい憎悪。


 ——一体誰がこんな事をしたのか。


 身体全身を駆け抜ける黒い感情。

 濃厚な死のオーラが部屋中に充満していく。


 ——決して赦サナイ。


 その激情は城内外すら満たしていき、巡回や警戒に当たってる他の黒円卓議会の面々ですら感じとっていた。



「ムッ……強イ怒りヲ感じル」


「嫌な予感だ。それにこの匂い……」



 城門の警護をしていた"狂骨"と"イフリート"も。



「…………」



 近隣で情報収集を終え、帰路に着いていた"メタトロン"も。



「同胞の怒り……」



 訓練所で練兵していた"モロク"も。



「ふむ……嫌な天気だな」



 そして裏門の警戒と近隣の哨戒に当たっている"アスタロト"も然り。


 全てが同胞の深い悲しみと怒りを感じ取っていた。



 ——スベテ殺シテヤル……


 リリスがその場に立ち上がった。


 だが、それは第三者によって阻まれた。



「……ま、て……だいじょ……う……だ」



 掠れ掠れの空気の漏れるような嗄れた声が聞こえた。

 それとほぼ同時にリリスはカルシファーに左腕を握られる。

 だが、その力は蚊のように弱く、本当に添えられただけだ。



「ご……しゅじん、さま?」


「——ッ!創造主様!動かないで下さい!!」



 ルシファーが叫ぶ。

 だが、カルシファーは話すのを辞めない。



「お……が……おき……る、まで……まっ……てい、ろ」



 そう言い残し、カルシファーは完全に意識を手放した。

 リリスの細い腕から力無く離れていくカルシファーの右手。

 それをそっと置き、リリスは言う。



「分かりました」



 自分にも出来る事はあるのだ。

 ご主人様がお戻りになられるまでこの城を、ご主人様の居場所を守らなければならない。

 それが今の自分の使命。

 激情に駆られている場合ではない、そう気付かせてくれたご主人様の居場所を守るのが今やるべき事だ。

 リリスの目は変わった。



「ご主人様をお願いします」


「頼む。オルトロス達は街にいる筈だ。一度連れ戻して来てくれ」



 リリスは無言で頷くと立ち上がり、行動を開始した。



 ………

 ……

 …



 一方その頃、アインザッツ城内『眠りの間』。



「むぅ……ん……」



 図書室と何ら謙遜の無い膨大な書籍に囲まれた部屋の中央の机で、いびきをかきながら眠る少女が一人。

 古めかしい机には赤茶色の艶やかな長い髪が無造作に広がっていた。


 彼女はこの部屋の主にして万年引きこもりの少女—”伊奘冉イザナミ”。

 本人は他人より睡眠時間が少し多いだけと言い張るが、現実一日20時間は寝てるじゃないかと同胞らの間で囁かれていた。

 城を巡回する兵士達ですら、その姿を知っている者はごく僅かに限る。

 今日も今日とて涎を垂らしながらスヤスヤと気持ち良さそうに眠りにつく伊奘冉だったが、その安眠は直後に打ち破られることとなった。



「伊奘冉殿!!」



 と、大声と同時に扉が木っ端微塵になる程の破壊音。

 爆弾でも破裂したかと思うほどの爆音は、然程広くない室内に残響を残した。

 その衝撃と爆音に伊奘冉の身体はビクッと跳ね上がり、無理矢理微睡みの世界から引き摺り出された。



「なんじゃあ!いきなり!ノックぐらい——「伊奘冉殿!失礼」……はえ?」



 言うがそのまま伊奘冉はアガリアレプトに物での運ぶように担がれた。

 そしてアガリアレプトは破砕した扉を戻り全速力で伊奘冉を運んでいく。



「おい!おろせぇ……?」



 はて、アガリアレプトとはこんな野蛮な事をする奴だったかと伊奘冉は眠い頭で考える。


 あまり他の黒円卓議会の面々とは会わない伊奘冉だったが、少なくとも彼女の中ではアガリアレプトという男は紳士的な奴だ、と認識付けられていた。

 だが、その脳内の葛藤も直ぐに終わった。



「…………」



 些かぞんざいな扱いで運ばれる伊奘冉だが、アガリアレプトの横顔を見て思った。



(焦っておる?)


 アガリアレプトの横顔から伺えるは焦燥感。普通の人間ならよく有る表情だろう。

 だが、彼ら黒円卓議会にとって焦りとは無縁。それは至極当然だった。

 彼ら圧倒的強者には脅かされる対象が存在しない。故に、冷静沈着にして余裕のある立ち振る舞い、それが彼らの常だった。



(まあ中には切れやすい奴もおるがの)


 其処で結論付く。


 アガリアレプト程の者が礼を欠き、焦りを隠すこともせず、尚且つ自分が必要とされる理由。

 一つしかない。


 まさか。



「!!急がんか!」



 伊奘冉も気づいてしまったのだ。

 自分が想定し得る最悪の可能性に。



「伊奘冉殿!お願いします!!」



 王座の間に到着したアガリアレプトは伊奘冉をカルシファーの前においた。



「うっ……『大地の精よ、我の血肉を糧とし与えん。我に癒しの力を”神の左手”』」



 伊奘冉は目の前にある惨状に目を覆いたくなるが、直ぐ様最上級回復魔法を躊躇なく行使した。

 上級の更に上、場合によっては自分の生命力すら奪う最上級魔術。

 その治癒力は凄まじいが、カルシファーの損傷は余りにも大き過ぎた。

 完治は幾ら伊奘冉とはいえ無理だと悟っていた。


 そして、魔法の詠唱中特に回復魔法は多大な集中力を要する。

 それを知るルシファーは彼女から静かに離れ、周囲に防音の結界を展開した。



「『”防音壁サイレントウォール”』」



 ルシファーに立ち眩みが襲う。

 得意でない回復魔法を全力で行使し続けたからだ。

 しかし、彼女が引き継いだ以上自分に出来る事はもうない。

 ルシファーは立ち尽くすアガリアレプトを見た。



「アガリアレプト……リリス同様この城の者を纏めておいてくれ。創造主様は言付けで待っていろと仰られた。勝手な行動を取ることのないよう普段通り城を守るのだ。創造主様がお目覚めになられるまで」


「命にかえても役目果たしましょう」



 私は少しだけ休む、そう言いルシファーは亜空間へ沈んていった。



 外界から隔絶された空間の中で伊奘冉は思った。

 不味い、と。


 我が君の容態は想像以上に良くなかった。

 まず、血液を流し過ぎている。いや、蒸発したといった方が正しいか。

 何方にせよカルシファーが固有の単体種である以上輸血は出来ない。今はカルシファーの自然治癒力を信じるしかない。

 更に左腕の欠損。

 元の左腕がない以上繋ぎ合わす事も出来ないし、何より炭化してしまっている。治癒は不可能であった。

 そして全身の火傷。これが一番酷かった。

 長期的に治療すれば全身とはいかないが治るかもしれないが、今は時間がない。

 全身の80%以上火傷を負っているにも関わらず、今だ息があるのは最早奇跡に近かった。

 通常であればショック死するだろう。

 種族に救われたのかそれとも何か別の要因か。


 何方にせよ今、伊奘冉には全力で治療に専念するしか選択肢はない。


 長い戦いになる。


 伊奘冉はそう思いながら汗を拭う事もせず、回復魔法をただ只管掛け続けていた。



 ▼▼▼



「あら?狼じゃない?こっちはハズレかしら?」


「……なんだてめぇは?」



 ウッドベリー西地区を一人侵攻するジル。

 次の獲物を次の獲物をと捜すその眼前に何処からともなく現れた一人の少女。

 恐らくテレポートかなにかで転移したのだろう。



人間ゴミのくせぇ匂いだな)



「私は『八星将』が一人『千里眼のルミナス』よ。宜しく遊「まあいい。死ね」」



 目の前の人間ゴミが偉そうに口上をのたまっているが、そんなもの待つ義理もない。

 ジルは己の脚力を活かし、瞬時にルミナスの後ろへ回りこむ。

 そして手刀で頚を刈り取らんとした。



「何?」



 ——だが、ジルの予想に反し高速で振るわれた手刀は空を切った。



「残念ね。私には当たらないわ。どんなに速くてもね?」



 ——可笑しい。

 と、ジルは思った。


 あの女は確実に自分を目で追えていなかった筈だ。

 しかし、さも最初から手刀がくる事を分かっていたかのように瞬間移動した。

 何かの能力か?


 同時に、



(チッ……流石に心は読めないわね)


 と、ルミナスは思った。


 それにしてもギリギリだった。

『千里眼』で予知してなお間一髪……。

 これはかなり厳しい戦いになる。


 ルミナスは表面上では平気を取り装っていたが、内心ではかなり焦っていた。

 あろう事か『八星将』の自分が目で追いきれないレベル。

 まだこんな化物が地上にいたとは思いもしていなかった。本気で行かねば殺られる。



「じゃあこっちもいくわよ。『竜神よ、我に力を”激竜槍”』」



 高速詠唱と同時にルミナスの周囲に数百もの光の槍が浮かんだ。


 その光景は正に圧巻。

 しかしあまりにも幻想的なそれは途端に暴力へと変貌する。

 数百もの光の槍は鉾先を一斉に標的へかえ、雨のように突き刺さっていく。

 対するジルは微動だにせず。

 ただ、己の拳のみでその全てを打ち破った。



「化物め……」



 ルミナスは小さく呟く。

 全力は行かずとも魔力は充分に込めていた。

 しかし何の魔力も纏っていないただの拳に相殺させられたのだ。



「甘いっ!」



 そしてルミナスはジルの掌底を回避する。

 反応出来なくとも先が”視え”ているから避けるのは易い。別に相手の速さに合わせる必要はない。


 反転し、今度は自分のもつ魔法の中で最も威力の高い魔法を放った。



「『”魔光弾”』」



 簡略詠唱での上級魔法である。


 生身の人間など当たれば即爆散する程の威力を持つそれは、脅威的な速さを持ってして放たれた。



「ふん」



 だが、ジルは難なくそれをかわした。

 しかしそれを見てルミナスは不敵に微笑んだ。



「残念。当たるまで止まらないわよ?」



 その言葉と同時にジルの無防備な背中に魔光弾が突き刺さった。魔光弾が向きを変え、反転したのだ。


 ——刹那、凄まじい爆音と共に周りの家諸共ジルを吹き飛ばした。紅蓮の空に燃え盛る木片が舞い、土煙が立ち昇る。

 通常、上級魔法とはいえただの魔光弾にここまでの威力はない。

 込められている魔力の桁が違うのである。

 はっきり言って八星将は人外であった。



 ——だが、ジルもまた"人外"であった。



「——ッ!?」



 爆心地から離れた所に浮遊するルミナスは”視た”。


 自分の心臓の位置に手刀が届こうとする未来を。



「グッ——」



 直ぐ様テレポートし回避する。

 しかし、間に合わず脇腹を少し抉られる。



(ぐふっ……なんで?……千里眼を持ってして間に合わないというの?)



「……どいつもこいつも」



 ルミナスが脇腹を抑えながら地面に降り立つと、背後には魔光弾を直撃した筈のジルがいた。


 しかし、全くの無傷で。



「ひっ……」



 ジルの背後に薄っすらと幻視されるは巨大な幽鬼。

 その圧倒的な威圧感にルミナスは思わず息をのむ。



「てめぇはケツからはらわた引き摺り出して嬲り殺してやる」



 ジルが一歩近付く。



「いっ……」



 ルミナスは後退る。呼吸は今にも止まりそうなぐらい荒い。


 ——直後、ルミナスは”視た”。


 文字通り肛門から腸を引き摺り出され、無惨に殺さる自分の未来を。



「ジル」



 突如背後から掛けられた声により、振り上げられたジルの腕はピタリと止まった。



「…………」


「一旦城へ戻るわよ」



 声の主はリリス。

 カルシファーの言付け通りに同胞達を城へ連れ戻しにきていた。



「……親父は」



 消え入りそうなほど小さな声でジルが呟いた。



「大丈夫よ。今は伊奘冉が治療している」



 助かるかどうかは正直判らない。

 だが、リリスははっきりと言い切った。



「そうか…………よかった……」



 ——私は助かったの?


 二人が会話する最中、今にも飛びそうな意識の中でルミナスは思う。


 ——まだ、生きている。


 恐怖の余り、下腹部から生暖かいものが流れ出ていたが気に留める暇など最早なかった。



「てめぇら覚えておけよ……。一人残らず、絶対に嬲り殺してやるからな……」


「ヒッィ!!」



 振り返り際にジルがそう睨み付けた時、ルミナスは完全に失神した。



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 ■Name—《厄災猫パラノイド》ジル

 ■ベース美洲豹ジャガー

 ■Level—155

 ■黒円卓議会席次—第5位

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