7.八星将
7.Tuba mirum
ヴェルディ領の丁度中央に位置する街『ウッドベリー』。
古くから領土の要として発展するこの街では数多くの人々が暮らしている。
人口は約八千。
勿論数多くとは言えど、その殆どが人間である。
異種族に排他的な今の世、獣人やエルフ、ドワーフといった人為らざる者達は地方でひっそりと一目に触れず暮らすのだ。
王都ほどではないが、規模にすればこの国でも5本指に入るほど大きく、国の経済の一端を担うウッドベリー。
この地は数十年、目立った他種族の侵攻も紛争もなく悠久の時を刻んできた。
——だが、その長きに渡る平穏は最早、終熄を迎えようとしていた。
「一体この街で何が起きているんだ!?それに領軍はどうした!!」
「それが領主様の指示で半数は出払っておりまして……後の半数は殆どが街の西で壊滅」
街の中央に位置する城砦の一室、下士官は青白い顔をして報告を上げた。
その顔には生気は無く悲愴感が漂っている。
知らせが入ったのはつい先ほどの事だった。白昼堂々事件は起きた。
西門が何者かに突破され応戦しているので救援を、と警備についていた兵士が血相を変えて飛び込んで来たのだ。
そのあまりの慌てように直ぐ様、領軍を招集させ西へ鎮圧に急行させるが瞬く間に壊滅。
そして、今に至る。
「市民にも被害が既に……建物も薙ぎ倒されているらしいです」
「一体何が暴れているんだ!大型の魔獣か!?」
武官長は報告に来た下士官を怒鳴り散らした。
彼自身、此処で幾ら声を荒げようが何一つ自体は良好に為らないのは百も承知だが、怒鳴らずにはいられなかったのだ。
領主不在の今、立場上彼が責任者だったからだ。
(クソッ。あのクソ領主め……肝心な時にクソの役にも立たねぇな!)
心の中で悪態をつくが、領主は今郊外の自宅に帰っている筈だ。
いつもそうだ。
あの領主は殆んど他人に仕事を丸投げ、自分は民から巻き上げた税を貪って悠々自的に暮らすのだ。
ウッドベリーや、地方の農民達の領主に対する評価は低い。
だが勿論、不平不満を貴族に言えばタダで済む筈もなく、誰もが暴慢な領主に対し何も言えずいた。
「不確かな情報ですが」
下士官が口を開いた。
「早く言え!!」
何はともあれ街を混乱に陥れている原因の解明が今は先決される。
流石に領主の悪態をついている場合ではないと、武官長は気持ちを切り替え下士官の次の言葉を待った。
「それが……暴れているのはどうやら巨大な『狼』らしいです」
「——狼。だと?」
▼▼▼
ウッドベリーは少しずつ、侵食されていく。
『殺戮』という名の正義の下に。
西門から始まったソレは、今や街の中心部まで到達しようとしていた。
「た、たすけ————」
家は燃え盛り瓦礫は舞い、大人達は逃げ惑い子供達が泣き喚く。
老人達は逃げ遅れ、次々に轢き殺されていく。
ウッドベリー上空は燃え盛る炎で紅く染まり、大地は血で真紅に染められ正に地獄を体現していた。
阿鼻叫喚の中を駆けるは一匹の狼。
本来ならば白銀の美しい毛並みで有ろうそれは今や返り血で真っ赤に染まり、より一層妖しさを引き立てていた。
その狼は美しい赤の毛並みを存分に靡かせ、逃げるまとう人々を次々と蹂躙していく。
ただ、其処に慈悲などなく、誰しも等しく平等に死が与えられるのだ。
「足りぬ……」
——《魔人》オルトロス。
彼は狼であり、人狼でもある。
人狼とは文字通り人と狼との交配によって誕生した言わば、半人半獣である。
人間世間一般では多くの獣人と同様出来損ないや半端者と煽りを受けるがそれは違う。
獣特有の優れた直感と桁外れの身体能力。人間特有の柔軟な思考とその狡賢さ。
それを一身に受け継いだ非常に優れた個体なのである。
彼は人間フォルムを好んでとっているが、本来の型は狼だということを失念してはならない。
血に飢え本能のままに敵を貪る孤高の獣。
古来、極寒地より吼える神と讃えられた蝦夷狼の勇猛さと戦闘力は推して知るべし。
《黒円卓議会席次第四位》という肩書きは決して飾りではなく、愚かな人間達がその身をもって証明していた。
「ぎゃあああぁ腕があぁぁ…………」
また一人、また一人、と逃げまとう塵をその凶悪な爪で屠っていく。庭の雑草でも刈るように気に留める事なく次々と刈り殺る。
少なくとも彼、オルトロスはこの国を更地に変えようと考えていた。
この街は始まりに過ぎない。
こんな所で時間を掛けてはいられないのだ。
そして無事、それが叶った後は責任をとって自決する心算だった。
——いや、彼が自決しようがしまいがどの道、ルシファーに処分されるだろう事は容易に推測できた。
カルシファーが己の名を捩り名付けた神出鬼没な亜空間の主は、黒円卓議会随一の実力者であり、同時に同僚達に命令を下させる唯一の権限持ちだ。
オルトロス自身も高々自分の命程度で赦されるとは思っていない。
それほどにまで彼らの主であり親であり、アインザッツ城主である、カルシファー=アインザッツの生命を危機に瀕しさせた罪は大きいのだ。
彼ら黒円卓議会にとって何よりも優先すべきは主の生命であり、命令である。
それすら守れないと言う事は彼らにとって、存在意義すら無いのだ。
仮にオルトロスが、あの謎の大爆発が魔法でも何でもない課金アイテムの攻撃で、プレイヤー以外には探知出来ないと知ったところで、言い訳する心算は無かった。
これが終わればどんな罪でも甘んじて受け入れよう。
そう考えながらオルトロスはまた一人と人間を屠っていった。
………
……
…
——その頃、西門とは対極に位置する東門住宅街。
突如、街を恐怖の底に陥れた混乱の余波は東地区にも及んでいた。
非常事態の鐘はけたたましく鳴り響き、人々は追い立てられるように街の中央の城砦へ向かい逃げて行く。
人間は、本能的に危機に晒されると高い所へ逃げる傾向がある。
街の一段高い丘になっている中央の城砦に逃げようとするのは必然だった。
どの道、街の外に逃げたとて意味が無いのだ。
それに加え、街に住まう人間は知っている。
兵士がおり、堅固な城砦が一番安全であると。
「うっ!」
広場で一人の少年が転んだ。
だがそれを誰一人気に留める事はなく、人々は己可愛さに逃げて行く。
少年は、家族とは混乱の最中離れ離れになり、一人で城砦へと逃げる途中だった。
「痛ッ……」
人混みに押された少年は、捲れ上がった石畳みに躓き転んだのだ。
尖った石で足を切ったのか血が滴っている。
まだ十にも満たないだろうその少年の足は恐怖で竦み、中々立ち上がれないでいた。
「あっ」
ふと、頭を抱え脅える少年に誰かが近付いてきた。
「よぉ……大丈夫か!」
そして、その人物は喧騒の中とは思えない程軽い口調で少年に声を掛けた。
声色からして若い女の声だ。背丈は大人と比べて低い。
そして少年を立ち上がらせる為か手を伸ばしてくる。
「大丈夫……です」
其処で初めて少年はその女性の顔を見上げた。
——綺麗な人だ、少年は素直にそう思った。
ハッキリと整った顔立ちに、意志の強そうな此方まで引き込まれそうになる茶色の瞳。
耳が頭から生えているから獣人の人だろうか?それとも別の種族だろうか?
どちらにせよ優しそうな人だ。
人の良さそうな笑みを浮かべ自分に手を差し伸ばしてくる女性に、少年は心の底から安堵していた。
(獣人にもやさしい人がいるんだなぁ……)
近年、人類圏に定着した差別主義。
カーストの頂点に立つ人間と、土台を構成するその他種族。
その認識と教育はまだ幼い少年少女にまで浸透しており、自分より劣った素行の悪い野蛮な種族として教えられてきた。
故に少年は自然に思ったのだ。
獣人の中にも良い人がいるものなんだ、と。
危険に囲まれた中ということもあって、吊り橋効果で少年の獣人に対する好感度は一気に上がっていた。
「大丈夫か!それはよかった——ッと!!」
だが、獣人の女性は手を伸ばしてくる少年の頭を勢い良く踏み抜いた。
石を砕く時のような軽くて耳障りの良い音が、少しだけした。
あまりの勢いに後頭部の頭蓋は完全に砕かれ、中の脳味噌は飛び散る。
辺り一面にうにゅぅとピンクのミミズのような脳髄が広がった。
それと同時に少年の身体は陸に打ち上げられた魚の様に、二度大きく跳ね上がった。
そして、事切れて締まりが悪くなったのか死体は脱糞と失禁を同時に始め、辺りには血と糞尿の混じった芳しい臭いが充満していく。
「…………」
そしてゆっくりと"ジル"は少年の頭を踏んでいた足を上げる。
彼女の厚手ブーツの裏には、少年の頭皮と肉が若干の髪の毛を伴ってしつこく張り付いていた。
「さて……あと何匹駆除すればいいのかな」
ついさっき自分が踏み潰したモノに一瞥もせず、ジルはつぎの標的に向け直ぐに移動を開始する。
——黒円卓議会席次第5位にしてLevel150、ジルは自分でも驚く程その胸中は冷静であった。
無論、彼女とて今直ぐにでもカルシファーの所へ帰りたい気持ちはある。寧ろそれが大半だ。
だが、その前に与えられた仕事をこなさなければいけないのだ。
彼女ら三人がルシファーから受けた事付けは後始末。
即ちこの地に住まう、カルシファーに弓を引いた人間を一人残らず始末しなければならない。
判っていない。
愚かな人間達は。
己らがどれほどの事をしたと言う事実に。
老若男女出目出身経歴身分全て関係ない。
ただ、同じ『人間』というだけで殺すに値……いや、死してなお償えない罪を犯した。
劣等風情が姑息な手を使い、敬愛する主を一目で判る程の瀕死の重症に追いやった。
カルシファーが助かるかどうかは判らない。
主が、幾ら堅固な鱗を持つ太古の覇者、暴君竜だとしても致命傷は見るに明らかだった。
だが、ジルもオルトロスも主が助かると信じている。
故に激憤すれどギリギリの所で暴走せず、淡々と漏れの無いよう人間共を処分していっている。
(問題は)
問題はメフィストフェレスだった。
………
……
…
「…………」
半壊した街の喧騒の中、メフィストフェレスは壁に腰掛け佇んでいた。
その目に普段のような生気はなく、虚ろな目で虚空を眺めていた。
元より彼女のまだ幼いが色白く愛くるしい容姿も相待って、端から見ればまるで西洋の美しい人形が佇んでいるのかと錯覚するくらいだ。
頭に生える角を除けば、だが。
彼女、メフィストフェレスの型は言わずもがな鬼である。
嘘を嫌い、何事にも素直でいつも元気なメフィストフェレスだが、今は打って変わって心あらずだった。
カルシファーの凄惨な容態を一目した彼女は、心が壊れる寸前まで追い込まれていたのだ。
何より心を寄せる主の無惨な姿は彼女の目に焼き付けられていた。
それだけではない。
鬼、という性質上責任感が非常に強く彼女にのし掛かり、精神を極度に摩耗していたのだ。
「…………」
こうなったのも全て自分の責任だ。
自分がご主人様を守れなかったからだ。
メフィストフェレスは朧げながら思う。
やっぱり人間の言う事なんて聞いたら駄目だったんだ。
人間は嘘つきだ。
自分にもっと力があれば。
「…………」
街は火の手に包まれ、パチパチと木造の平屋が燃える音が聞こえる。黒煙が空へと高らかに立ち昇る。
今だ佇むメフィストフェレスの直ぐ横まで火の手は迫ってきていたが、相も変わらず彼女は茫然自失し座り込んだままだった。
▼▼▼
「仕方ない」
城砦から見下ろす街は一面火の海だった。
城下の街までかなり距離はあるものの、住民達の悲鳴や怒号は聞こえてきている。
城門には行き場を失った大量の難民達も押し寄せていた。
最早一刻の猶予も許されない状況下の中、ウッドベリー領軍の裁定を持つ武官長は決断を下した。
「王都に遣いを直ぐに出せ。クソ領主の署名で『八星将』の要請も忘れるな」
「……ッ!分かりました」
——八星将。
それは魔王にすら打ち勝つと言われる『勇者』に次ぐ人類最高峰の力の持ち主達に与えられた称号である。
文字通り八人の戦略級武力達だ。
ギルドランクでは測定不能の域に到達している尋常ではない戦闘能力は、一説には一人で千兵にも値すると言われている。
各国王及び領主が非常事態のみ救援を要請できる八星将だが、発足以来要請が起こった事は未だなかった。
大抵の有事の際は軍で対処出来るし、八星将は国の敷居を越えた存在なので各国の戦争の都合で要請する事は不可能なのだ。
どの勢力にも肩入れする事のない人類不変の味方。
それが八星将なのだ。
今回ヴェルディ領領主ハスカールの名を借り勝手に、前代未聞の八星将要請を下した武官長だが、その判断に間違いはないと確信していた。
(時間がない)
あり得ない速度で進む侵攻と破壊、それに今まで感じた事のない悪寒が迫ってきているのだ。
武官長だけあってLevelは高く、今まで数々の修羅場をくぐってきていたが、この尋常ではない胸騒ぎは感じた事がない。
(八星将の到着までこの街が持つか判らんがな……)
本音を言えばそうだろう。
残る領軍五百の内三百を鎮圧に向かわせたが、一向に敵の侵攻は止まらなかった。
それどころか現場の状況すら分からない。
そして、仮に王都に早馬出したとて二日はかかる。
高々一時間足らずで、決して狭くはないウッドベリーの城砦近くまで侵攻されているのだ。
到底八星将の到着が間に合うとは思えなかった。
「民を城砦に避難させろ。俺たちも打って出るぞ。残りで領軍を招集させろ!」
「了解しました!」
しかし、最後まで戦わねばならない。
例えどんなに屈強な敵であるとしても。
「……おい。何をしている早く行け!!」
武官長は何時まで経っても動かない下士官を怒鳴った。
恐怖で足が竦むのは判る。
しかし、ただでさえ時間が無いのだ。
腐っても軍に身を置く者としてそのくらいは理解し行動しろ、と。
そう思い下士官を睨みつける。
「た、たた、た隊長!!!後ろに!!!?」
「何?」
下士官は確かに見たのだ。
今まで誰も居なかった筈の窓際に、いつの間にか悠々と腰掛ける少女の姿を。
「あら?『八星将』はお呼びじゃなくて?私が態々来てやったのにその態度はなによ?」
武官長が咄嗟に後ろを振り向くと、窓枠に腰掛けるローブ姿の少女がいた。
腰まである金髪に宝石のような緑眼。
年の頃は十代半ば、すっと通った鼻筋に線の細い輪郭。
紛れもなく美しい少女がそこに居た。
少女は右手で杖をくるくる回し、弄んでいた。
(馬鹿な!?全く気配が無かったぞ!?)
いつからこの部屋にいたのか?
一体何故八星将が此処にいるのか?
しかもまだ要請していない筈だ!
様々な思考が武官長の頭を巡る。
「そうね。貴方程度なら気配なんか悟られる訳ないでしょ?まだ要請していないって?それは偶々近くにいた私が駆け付けただけよ?……異様な気配を感じてね」
あろう事か目の前にいる少女、ルミナスは武官長の脳内でも覗いているかのような解答をした。
だが、それは何故か武官長はだいたい予測がついていた。
「……それが噂に聞きし『千里眼』、という訳ですか」
「ええ、まあだいたいそうね?」
見た目の割に大人びた話し方をする少女。
通称『千里眼のルミナス』。
彼女は渾名通り『千里眼』を持つ。
明らかに格下の相手だと心の中でさえ見通されてしまうその能力は、人々にとって畏怖の対象であった。
「まぁこの眼のおかげで他の八星将呼ぶ手間省けたんだしいいんじゃないの?」
もっともだった。
これで漸く助かる可能性がでて来たのだ。武官長は安堵した。
「可能性?失礼ね?見くびり過ぎじゃない八星将を。……まぁいいわ。私が行くから貴方は民でも避難させなさい」
「……判りました。御武運を」
言い終わるや否やルミナスはその場から消えた。
「転移!?それも詠唱なしで!」
下士官が呻いた。
高位魔術のテレポートである。
恐らく此処までも千里眼で発見し、テレポートで移動して来たのだろう。
通常、名の知れた魔術師であってもテレポートはあまり使いたがらない。
何故ならテレポートという魔法は、あまりにも魔力消費量が多過ぎるからだ。
更に先程の八星将の少女、ルミナスが使ったテレポートは詠唱破棄。
詠唱破棄時の魔力消費量は詠唱時のそれと比べて二倍とも三倍とも言われている。
如何にルミナスが桁違いの魔力を持っているのか想像に難く無い。
伊達や酔狂で齢十六にして、人類最高峰と呼ばれる八星将を名乗っている訳ではないのだ。
(どうやら神はまだ俺たちを見捨てていないらしい)
「……よし。ルミナス様が食い止めている間に準備するぞ!急げ!」
「了解です!」
下士官は短く返事をすると、慌ただしく走っていき部屋の外へ出て行った。