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Asgard  作者: 橘花
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30.拵

30.拵



形容し難い。



空中に現れた亀裂。その内部は言葉では言い表わせなかった。

奥行、深度、色合、匂い、方角、明暗。

何れもが曖昧で、不安定で計ることが出来ない亜空間。

数瞬それを覗いただけで陥る空間識失調。



エキドナは直視しない様眼を細めた。



「——全く。暫く留守にした間に勝手なことをやっている」



亜空間が更に広がり中から声が落とされる。無機質な声だ。その感情を伺え無い無垢(むく)な声の主をエキドナは知っている。



「ルシ、ファー……帰った、のか」


「大方の予想はつく。そこに至る理由も、背景も」



亜空間の縁に手が掛かり、軈てその人物は大地に降り立つ。両脇に抱えるのは——メタトロンと、長耳族(エルフ)の娘。両者共、まるで等身大の人形のようにぶらりて手脚を投げ出す。目立った外傷も無ければ序でに意識も無い。



「お姉ちゃん!」



サリアは目の前に突如現れた男に臆することなく駆け寄った。

ついさっき目の前で首を落とされ殺された筈の姉が、紛れも無く五体満足で存在している。近付いてわかるが血色も良く、胸が上下しているから呼吸もある。ただ純粋に眠っているだけだ。

自分は夢でも見ていたのか?——いや、あれは確かに現実だった。


でも今はそんなことなんかどうでもよかった。

姉が無事だった、ただそれだけで。



「済まないね。身内が少し驚かせたみたいだ」



ルシファーは愛想良くサリアに声かけた。



「だが、見ての通り怪我一つないので安心して欲しい。勿論、迷惑料は支払うし、今日の所はゆっくり休むが良い。アインザッツの賓客として丁重に持て成そう。あと、コレ(・・)には厳しく言い聞かせて置くよ」



ルシファーは有無を言わさず一息で言い切ると亜空間を再び開く。



「お呼びでしょうか。ルシファー様」



淫魔サキュバスが三人、精錬された動きで静かに降り立った。

現状、彼女らはアインザッツ城での小間使いの様な扱いであるが、その実リザードマンの衛兵よりLevelは高い。



「この二人を客室に案内しろ。ついでにそこで気絶している海鮫人(ロドン)もだ。後、メタトロンは拘束し地下牢に入れておけ」


「……畏まりました」



最高幹部の一人を牢に入れる命令を素直に聞き入れるのは、ルシファーがその中でも頭一つ飛び出た存在であるが故。

淫魔(サキュバス)の一人が恐る恐るメタトロンを抱き抱えるのを確認したルシファーはオルトロスに向き合った。



「さて、問題の一つ(・・)は解決した」


「——帰ったのは成果が有ったのか」


「そう逸るな。先ずはメタトロン以外の黒円卓議会を全員召集しろ。創造主様へは私が直接出向く」


「アガリアレプトが未だ帰投していない」


知っている(・・・・・)。既に対処済みだ。片道切符だがイフリートを送った(・・・)。両名暫く帰るまで掛かるだろう」


「……主人の許可無しにか?」



オルトロスの顔が険しくなる。

黒円卓議会最高峰の単純戦闘力を有するイフリートを無断で赴任させるのは大問題であった。

オルトロスはルシファーの能力を大凡理解している。彼が知る限り万能ではなく、その能力に制限がある事も。



「私がある程度の裁量を下す許可は頂いている。それ程緊急だったという事だ。何にせよ此れからの方針として黒円卓議会第十二席、誰一人欠けることは許されない。急ぎ、残った黒円卓議会を召集しろ。現状確認と今後の指針を話す。あと……」



ルシファーはそこまで言って、未だ這い蹲るエキドナを一瞥した。



「会議にはお前も参加しても良い。伊奘冉(イザナミ)にでも診て貰ってから来い」


「……怪我人を労わる気持ちは、ないのかルシファーよ。もう一体淫魔(サキュバス)を呼んでくれるとかの」


「舐めているからそうなる。自業自得だ。最初から本気で在れば無様を晒す必要は無かった物を」



そう言いつつルシファーは亜空間を広げる。



「こいつを伊奘冉の所へ持っていけ」


「畏まりました」



更に一体召喚した淫魔(サキュバス)にそう告げてルシファー自身も亜空間に入って消えた。



◆◆◆



ーーと或る海域にて



「……!」



「どうしたんでぇ、親方」



暗雲立ち込める夜空を閃光が駆け、辺り一面真昼間のように照らされた。次いで腹の底から響くような轟音が響き渡った。

滝のような雷雨に荒れ狂う海原には地平線の果てまで夜の闇が広がっている。

吼えるように波飛沫擧げる海上に、一隻の船が揺られていた。船首から船尾まで黒一色の漆塗りに染め上げられたガレオン船である。

その船尾で胡座を掻く青年が一人。身体中に強く打ち付ける雨風を気にも止めず、宙を見上げてぽつりと呟いた。



「判るか。ダグラス」


「いや、全くで」



ああ。また始まった、と海鮫人(ロドン)の中年”ダグラス”は溜息を吐いた。

この青年が不思議な事を言うのは今に始まった事じゃない。

普段から少し可笑しいのだ。

どこかがズレていると言うか、良く言えば感受性が高いと言うか。



「潮の流れが変わった」



甲板に降り頻る大雨と波飛沫の音が青年の声を掻き消そうとする。しかしダグラスはそれを聞き漏らすことなく確かに首を傾げた。



「潮の流れって……親方ぁ。こんな嵐だしいい加減中に入りましょうぜ。他の連中も待ってることだし」



こんな大時化に潮の流れもクソもあるか、と言いかけたが流石に止めておく。一応この不思議な雰囲気の青年は、自分よりも遥かに歳若いがこの船の船長であり、血の気の多い海鮫人(ロドン)の中でも指折りの実力者だ。荒くれ者の多いこの周辺海域を取り纏めている者たちの一人である。

海鮫人(ロドン)という種族は、古来より極めて実力至上主義なのである。


ダグラスは改めて青年を見る。ボロ切れのような黒羽の外套を羽織った彼は、海鮫人(ロドン)には珍しい白磁の肌をしている。体躯も小柄で、その優顔も、腕も脚も線のように細く華奢だ。おまけに美形である。

彼自身、当初はなんでこんな奴が船長をやっているのか不思議で仕方なかった。非力そうな、常に気怠そうな覇気の無い女男が。

ーーただ、自身の先達に禁句(タブー)を幾つか忠告されていなければ、そしてそれを素直に聞き入れていなければ今の自分は無かっただろう。



「全員叩き起せ。船を出すぞ。錨を上げろ。帆を張れ」


「帆を張れってこの嵐の中ですか!?って船を出す??」


「嗚呼。丁度良い風が出ている」



胡座を掻いていた静かに青年は立ち上がり、腰に携えた白銀の長剣を抜いた。雷鳴が再び轟いた。



「い、いやいや親方。流石に意味が分かりませんぜ。第一この大時化でまともに進めるかーー」


「日和ったかダグラス。泳ぎ方も忘れたのか。お前は本当に海鮫人(ロドン)か」



青年の後ろ背は少し苛立っているかのように見えた。本来、滅多に人を煽る事のない気性である。

対するダグラスも頭に血が昇る。真っ当に意見しただけで、何故ここまで扱きおろされなければならないのかと。

ダグラスは小さく舌打ちをした。どうせこの嵐では聞こえはしまい。

だが青年が次に放った言葉は、彼の苛立ちを霧散させるには充分であった。



「”母上様”が危ない。全員出陣だ」


「……す、直ぐに準備させます」



大海の執行者(ジャガーノート)が一人、白の(・・)アイルバイン”。

総勢六十名にも及ぶガレオン船の船長であり、”母上様”の忠実なる僕である。

彼への禁句(タブー)は、彼の前で少しでも敬愛する存在を蔑ろにすること。

それ破った者に与えられるのは無慈悲な死のみ。同族からは死神アイルバインと怖れられている。



「野郎どもぉ!!船長命令(・・・・)だ!錨をあげろ!出陣だ!」



銅鑼を鳴らすと共にダグラスは船内に駆け込んでいった。



▼▼▼



先に仕掛けたのはアカリだった。


悠々と、自然体に構えるイフリートに向けて蚊でも払うように手を振るった。



「小賢しい」



そう吐き捨てるイフリートはその場から微動だにしないが、代わりにジュッと何かが蒸発する音が数度に分けて鳴った。同時に身体から凄まじい蒸気が上がり視界を埋め尽くす。


イフリートの目にはそれがはっきりと見えていた。

アカリが手を振るった折投擲した小さな氷のつぶては、彼の高温に満ちた体表に到達するや否や蒸発していく。子供騙しにすら成り得ない稚拙な攻撃。

しかし、その時に生じた大量の蒸気は一瞬ではあったが確実にイフリートの視界を遮った。



「——っごっ!」



次の瞬間イフリートは脇腹に大きな衝撃を覚え肋骨が悲鳴を上げた。辺りに大小様々な木屑が弾けたように舞い散った。彼の身体も後ろに数歩、蹈鞴たたらを践む。



「チッ」



憎々しげに舌打ちする150cmにも満たない華奢な少女の手には、氷漬けにされた大木が握られていた。



硬い。


と、アカリは思った。


生物である以上個々には各々特性というものが存在し、全てのステータス値が均一になるなどまずあり得ない。

速度、膂力、咬合力、魔力、防御力、精神力、善悪性、など様々なステータスのどれかが突出しその他はそれより劣るという現象が必ず起こる。そして実力の拮抗する者同士、それが優位な点にもなり弱点にもなり得るのだ。

今、眼前にいるイフリートは魔力に秀でたタイプであるとアカリは睨んだ。見た目に反して。


事実、その読みは正解である。

紛れもなくイフリートは魔力のステータスが、その他より突出して高い値を持つ。

そして対象に何が劣っているかを考えたアカリは、彼の防御力が低いと当たりを付けた。

しかし、


(違う。想像以上に硬い!)


よもや根元から引き抜いた大木で、イフリートを薙ぎ払うように打ったアカリの手は痺れていた。


(搦め手はどうせ駄目、なら……)


アカリは次の一手を思考する。


自らに巣食う激情とは対極に、思考は冷静に働いていた。そうでなければ勝てない程の強敵。出し惜しみなど以ての外だった。


だが、その思考は直ぐに中断させられる事となる。



「フッ!!」



短く息を吐くと同時に、体勢を立て直したイフリートの炎拳がアカリを強襲する。


丁度振り降ろされる形で放たれた拳は轟音と共起して地面を楕円状に大きく抉り取った。

同時に、イフリートはその腕に確かな手応えを感じていた。

目下(もっか)、その爆心地では太腿から下だけの細い左脚が、圧搾機(プレッサー)に掛けたように破裂し、ひしゃげながらも奇妙に蠢いていた。



「”『超海流(コリエンテ)』”」


「(?!脚を囮に)」



突如聞こえるアカリの鼻にかかった声に、空気が共鳴するかの如く(つぶさ)に震えた。

背後からの詠唱を聞くや否や、イフリートは迷わず地を蹴る。


——が、間に合わず。



「残念!魔法は苦手だと思った?!得意なの!!」



一瞬にして背後に回り込み、さも得意気に言い放ったアカリの魔法は背後からイフリートを穿った。



「……ッ」



——秒速約800m(メートル)

超加圧された水流の弾丸は、寸分の狂いも無く彼の膝裏を撃ち抜いた。


鍛え上げられた肉体、尋常ではない筋密度と類稀な体躯を持つイフリートとて所詮は二足歩行。

所謂人型のバランスを一瞬でも崩すには十分な攻撃であった。


イフリートは苦々しく顔を歪める。

それを好機と追い討ちを掛けるようにアカリは拙速する。

そして右腕を一度大きく引いた。


この時、既に、彼女の破砕された左脚は再生していた。



「ふふっ——死ね」



凄まじい速度で空を舁き切り、標的へと吸い込まれていく鞭打。

当たれば、もっていかれる。



「チッ……」



攻撃を避ける自分にイフリートは舌打ちを禁じえない。

無理な体勢から辛うじて後方へ半歩下がりそれを回避——



「『狐火(キツネビ)』」



すると同時に右手を突き出し短く詠唱する。


光を(たた)えた右手からは、囂々(ごうごう)と燃え盛る(てのひら)大の火球が打ち出される。

速い、なんて代物ではない。



「くっ……鬱陶しい」



隕石の如く飛来する火球をアカリは身を屈めて躱した。

頭の数センチ上を掠めるように通過していくそれに、引っ張られるように幾本か、彼女の髪が宙に舞った。


それ(・・)を認めるとアカリは歯を見せてにやりと不敵に口角を吊り上げる。

そして狂気に満ちた赤の瞳を鈍く光らせ粛々(しゅくしゅく)と謳う。



「”血の代償を捧げ賜う、絶海の王よ汝に冠を……」



永遠の安息(レクイエム)を。




「『氷河期(アイス・エイジ)』”」




彼女が詠唱し終えたその瞬間、文字通り世界が凍った(・・・)



「————————」



燃え上がる木々も、血と体液で染め上げられた大地も、矮小な動植物も何もかも全てが、まるで時の止まった様に静止した。

燃え盛る獄炎の世界は今や無く、月光を反射した氷像達によって、芸術的にまで美しい氷の—絶対零度の世界が、其処に形成された。



「——————」



そして、肩で呼吸をするアカリの直ぐ後ろで、頸を焼き斬ろうとしていたイフリートも、そのまま(・・・・)の状態でただ無言で佇んでいた。



「……どう?コレ(・・)を使ったのはッ……初めてよ……ぐっ」



一瞬にして、周囲を極寒の世界に変えた少女は顔を顰める。


代償は大きい。

氷の最高位の古代魔法、且つ最大威力まで魔力を込めたそれは幾ら彼女でも身体への負担は無視できない。

尤も、動けなくなる程余力が無いという訳でもない。

アカリとて自身の顔を焼かれて憤慨しているとはいえ、後先考えぬ程馬鹿ではなかった。



「まぁ、返事はできないか。……とはいえこれで大分涼しくなったわね」



そう言うとアカリは背後に居るであろうイフリートを一瞥もせずに歩を進める。

彼女の中ではもう既に勝敗は決していたのだ。


アカリの小さな足が歩を進めるその度に、凍結した地面が割れる小さな音が響いた。

そして木陰で同じく氷像と化しているであろうもう一人を捜す。



「こっちの吸血鬼さんも……は?」



何故?

ああ、そうか。


と理解する迄僅か一秒。

不自然に凍っていない(・・・・・・)アガリアレプトの周囲に足を踏み入れ、彼に手を伸ばし始める迄更に一秒。


——自分よりも仲間を優先したのか。


間違いなく、アガリアレプトはアカリの古代魔法に巻き込まれていたら即死していた。

如何に生命力の優れる吸血鬼(ヴァンパイア)でもこの怪我で耐えれる筈がなかった。

何より、アカリとアガリアレプトでは地力が違い過ぎる。


自分の身を呈して仲間を守る。

仲間意識の強い種族なら当然の行動。

称賛に値する美意識。


しかしアカリはそれを目の当たりにして、最も別の、ドス黒い感情を抱いていた。


(嘗められている)


火蜥蜴野郎はこう言っているのだ。

俺は仲間を優先してもお前に勝てる、と。


ならば殺してやろう。

この吸血鬼(はいぼくしゃ)から先に。


鬼の形相で手を伸ばすアカリの指先がアガリアレプトの頭を捉える数cm手前。

アガリアレプトは笑みを浮かべた。



「ふぐっ!?」



踏み込んだイフリートの拳がアカリの鳩尾(みぞおち)に深深と入る。

丸々拳一つ分、鳩尾が埋没する程の膂力。

無慈悲な一撃は小柄な彼女の身体を容易(たやす)く浮かせ、遥か後方へと弾き飛ばした。

そこで更に追撃が入る。

目にも止まらぬ速さでの殴打。

だが、アカリもただしてやられるだけじゃない。

連撃の応酬。

魔法を詠唱している暇すらない純粋な殴り合い。

イフリートの一撃を貰う度にアカリの皮膚は歪に凹み、雪原のような肌は浅黒く焼け爛れていく。

アカリの一撃を貰う度にイフリートの体表は裂け凍傷を起こし、血が滲んでいく。


息つく暇もない猛攻に耐えながらも、イフリートは一際大きく拳を振り抜いた。

火球を伴って放たれた炎拳は、ガードしたアカリをそのまま弾き飛ばした。

アカリは受け身も取らずに不恰好に地に墜ちる。

その背後では、先程放った火球が勢いを殺す事なく次々と木々を薙ぎ倒して森に大きな風穴を開けていった。

そしてそれは爆発的な勢いで、再び森に火を灯していく。


一体何ha(ヘクタール)もの土地が燃えているのか定かではない。

ただ、燎原の火の如く燃え盛るそれを止める事は、限りなく不可能に近かった。



「……鬱陶しい」



それでも尚、異常な熱気と灰塵に満ちた赤を背景に少女はゆらりと立ち上がる。

痛みに顔を歪めることも、疲弊した様子で膝に力を入れることもなく、ただ平然とした顔付きで。


無脊椎軟体動物のアカリにとって打撃技など蚊に刺された程度にも成らない、取るに足りない攻撃なのだ。

例えそれが自分と同格の強者(あいて)だったとしても。


そして、真っ黒に炭化していた彼女の皮膚も所々白みを帯び始め、艶のある氷肌(ひょうき)を覗かせる。

(さなが)ら脱皮する(さなぎ)のように修復しつつあった。



「…………」



相対するイフリートにも致命傷は見られない。

擦り傷や刺し傷、痣は有るものの邂逅の時に負った貫通痕など最早塞がりかけていた。



「…………やーめた」



思慮深く顎に手を当てたアカリは少し時間を置くと、一度深い溜息を吐いて気の抜けた声を発した。

数々の打ち合いの中、幾分か冷静になったアカリは言葉を続ける。



「……私は”弱い者”虐めが好きなの。別にお前と遊びたい訳じゃない」



両手を広げ、まるで演説するかのように彼女は言った。



「貴様……消耗しているな」



イフリートがすかさず確信をつく言葉を発した。

その言葉にアカリはピクリと眉を上げる。



「匂うぞ……人間(ゴミ)共の臭いが」



(おぞ)ましい程の怨みと怒りの籠った声で強調して、イフリートは言った。



「……だから何?私がお前に負けるとでも言いたいの?」



あくまで素っ気なく、髪の穂先をくるくると指で弄りながら言う。

しかし、表情は能面のように一切の感情を示さない。



——奇妙な偶然に、この日廃墟と化した街は、黒円卓が襲撃したウッドベリーだけではなかった。

王都へと続く道の途中、ウッドベリーの隣街は、たった一人の少女の手によって殺戮の限りを尽くされていたのだ。


苛々した、ただそれだけの理由で。


連戦に継ぐ連戦により、表面上は見えないがアカリの体力は少なくとも消耗していた。

元々持久力のあるイフリートよりは確実に。

このまま闘い続ければ(いず)れはイフリートに軍杯が上がるだろう。

ただ、それが何時(いつ)になるのか判らないが。



「——ねえ!だとしたら何よ!!……そこに転がってるお爺さん放っておいたら死んじゃうんじゃない?……ほら、もうすぐ夜が明けちゃうわよ?」



いつ迄経っても返答しないイフリートに、痺れを切らした少女は声を荒げながらも一気呵成に(まく)し立てる。


それも事実(・・・・・)だった。


全ての物事には優先順位というものがあり、イフリートの第一の目的はアガリアレプトを帰投させる事。

次いで第二に障害の排除が上がるのだ。

自力で帰れぬほど衰弱しているアガリアレプトを放置して置くのは懸命ではなかった。

世が明ければ吸血鬼(ヴァンパイア)としての能力が下がり、危険な状態になるのは必須。

痛い所を突かれたのは彼女だけではなかった。



「…………」



苛立った様子で眼前を見据えるイフリート。

不本意ながらも今の彼には見逃がす、という選択肢しか選ぶ事が出来なかった。



「いいわ。丁度・・迎えも来た。この借りは必ず返す。絶対に」



アカリは吐き棄てると踵を返し海辺へと歩き出す。何か巨大なモノが波を搔き分ける音が徐々に近づいてくる。自身の眷属たるこまの迎えだ。

浜辺に出ると気を失っている黒長耳族ダークエルフが眼に入った。確かあの吸血鬼と同船していた。取るに足らない矮小な種族。

帰るついでに頭でもプチっと踏み潰していこうと脚を上げる。



「ん?これも……」



しかし何か気付いた様に少し考えると宙に脚を上げた状態で踏み止まり、そしてゆっくりと脚を別の場所に降ろした。



「……ああ、私の可愛い夫は一体何処に行ってしまったの。やっぱり彼処・・かしら?——戻る?——戻れる?眷属こまも増えてきたしそろそろ捜しに行くべきかしら。それとも……」



少女の悩みは迎えに来た海鮫人(ロドン)の船員の一人を、腹癒せに挽肉にするまで尽きることは無かった。



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