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Asgard  作者: 橘花
3/32

3.吸血鬼

 3.Graduale



 普段温厚な人ほど怒ると怖いと言われる事がある。

 それは常常怒らないからこそ、そのギャップが強調されそうで無くとも結果的に余計に怖くみえるのだ。


 恐怖公ナイトメアという二つ名。

 それはかつて西洋で人々を恐怖の底に陥れた伝説の三大怪物が一種だからこそ、名乗れる称号。



 吸血鬼ヴァンパイアアガリアレプト。


 彼かの者、極めて危険。



「ツッ!!」



 また一撃、躱しきれずにアレックスの腕を掠める。

 彼の背に羽織る煌びやかなマントの面影は最早なく、ボロボロ布切れが辛うじてくっ付いているといった方が正しかった。



「チッ!」



 今度はあえて剣で受け止める。



(ぐっ……この化物が。どんな力してやがる!?)


 しかし当然人外であるアガリアレプトの膂力に敵う筈もなく、自らの劔はそのまま押し返される。

 剣筋が胸筋に喰い込み出血し、肉を容赦無く食い破る。

 再び血の花が咲いた。



「クッ……ソッ!」



 このままではマズイ。

 そう判断したアレックスは己の身を犠牲にして横に力を加え受け流した。更に鮮血が宙に舞う。

 しかしそれに構う事なく瞬時に反撃に身を転じた。



「うらァッッッ!!」



 限界まで肉体を強化しての渾身の一撃。

 筋繊維が幾本かブツブツと音を立て切れるが気にしている暇はない。後先考える暇などなかった。



「ふん……」



 人間の肉体の限界をも超えんとする膂力を伴って放った渾身の袈裟斬りは、然しかしながら紙一重で躱された。



(――それにしても、こんなにも人間はしぶとかったか?)


 アガリアレプトは思う。

 これまで数多の人間をほふってきた吸血鬼は、これ程にまでしぶとい人間は記憶になかったのだ。

 それに自分の根源である"恐怖"に触れても全く怯えは見当たらない。

 恐怖公であり黒円卓議会の一席であるアガリアレプトにとってこれは何たる屈辱か。

 だが、アガリアレプトは目の前いる男が人類でも類い稀な才能があり、尚且つ"ギルドランクS"という猛者である事は知らない。

 いや、その事を知った所でアガリアレプトにとってはどちらにせよ唯の人間ということは変わりないだろう。

 ランクなど関係ない。

人間れっとう」は何処まで行っても「人間れっとう」なのだ。



「威勢が良いのは最初だけか?小僧」



 目に見えた挑発、明らかな嘲笑を浮かべるアガリアレプト。


 林縁内で対峙する二人には決定的な違いが見られた。

 方や満身創痍。方や至極健康体。

 まだ十数合程度しか打合せていない二人だったが、アレックスは身体に無数の切り傷を作り、既に肩で息をしていた。

 対するアガリアレプトは立派な燕尾服に幾つかの破れを作り、頬には一つの切り傷が走っているだけ。

 その傷も今や塞がり掛けている。



「ハァ……ハァ……クソッタレ……化物が」



 更にアレックスに休む暇を与えずアガリアレプトは距離を詰めた。



「ぐおっ……ッ!?」



 剣を上げて防ぐ暇はない。

 かと言ってそのまま受ける訳にもいかない。全てが一撃必殺の攻撃だ。

 ならば、と身体を無理やり捻じって回避した。

 身体の直ぐ横をアガリアレプトの抜き手が通過する。

 無理な体制で躱した為か、脚の筋が切れる耳障りな音と同時に激痛が奔った。



「〜〜ッ!」



 力の差は歴然。


 寧ろただの人間が吸血鬼であるアガリアレプト相手に此処まで良くやったと言ってもいいだろう。


 しかし、アレックスはまだ闘志を失ってはいない。

 Sランクとして二つ名を与えられた者の誇示か、それとも唯ただ、彼にとって負けられない戦いなのか。


 アレックスは大きく深呼吸をすると再び赫の大剣を正眼に構え直した。



「まだだ……もう少しだ……」



 死の淵に立たされて尚、彼の闘争心は一向に消沈しない。

 頬の血を舌で舐めとる間も、アガリアレプトの些細な一挙動を見逃すまいと決して視線は外さなかった。



「中々煩わしい小僧だな。脚が笑っているではないか。もう楽になっても構わないぞ」



 言い切るや否やその場から消えるアガリアレプト。



「ガハァッ!?」



 咄嗟に回避行動をとったアレックスだったが、間に合わずアガリアレプトの鋭い一撃はその横腹を掠め取った。

 明らかに彼の動きは機敏でなくなっていた。


 衝撃で弾き飛ばされたアレックスだが何とか両足で踏ん張って大地に立つ。

 装備していた帷子ごと抉り取られた横腹からは血が滴り落ちている。



(グッ……内臓がやられたか。長期戦はマズい……)


 傷は浅く無い。


 再び構えようとしたアレックスだったが、手に力を入れた瞬間変化が起こった。


 それは、



(な……に?)


 強烈な眩暈。

 世界が歪み、天地がひっくり返し返った様に目の前が徐々にフェードアウトしていく。

 平衡感覚すらなくなり視界に映るもの全てがグニャグニャに変化していく。

 まるで酒に溺れた時、その感覚を10倍酷くしたような視界の揺らぎ。



(血が……)


 血が足りない。

 度重なる猛攻で血を流し過ぎたのだ。



 一般的に人間は全身の血液の20%を失うとショック状態に陥り、最悪死に至ると言われている。

 アレックスが此処までで失っていた血液量は既に20%を越えていた。

 周りをよく見ると酸化したドス黒い血溜まりが出来ている。


 堪らず立っていられずに、片膝を地面に着き傷口を片手で抑えるアレックス。

 ここに来て更に明らかな致命傷を負い、最早止血しなければ助からないだろう。


 どちらに転んでも行き着く先は"死"。



 ――だが、





「何故貴様は嗤っている?」



 この男は、嗤っていた。


 圧倒的劣勢の中、己の肉体も既に限界近い過酷な状況の中、ただこの時を待っていたと言わんばかりに嗤っていた。



 ――気でも狂ったか?


 いや、違う。

 これは敗北者や狂人が見せる諦めの境地の笑みではなく、場の決定権を持つ絶対的な支配者が魅せる確信の嗤み。



「何故……何故嗤う劣等!!」



 アガリアレプトが風前の灯火の生命を刈り取らんと大地を蹴る。



 った。


 アガリアレプトは確信した。



「逝け」



 ――だが、男はまだ嗤っていた。





「何!?」



 ガキィン、と金属同士がぶつかるような甲高い音が鳴り響いた。森の鳥達が一斉に羽ばたいた。

 それはアガリアレプトとアレックスの爪と大剣が互いに激突した際の慟哭。



(馬鹿な。何処にそんな力が)


 目の前にあるのはアガリアレプトがアレックスの胸を穿つ光景ではなく、その手刀を易々と受け止めている光景だった。

 しかも今のアレックスには以前までの攻防の時とは決定的に違う事があった。



(この男。反応速度が上がっているだと?それに力も……)


 アレックスは怪我を負う前よりも更に、強くなっていた。

 事実その反応速度は増し、膂力も今やアガリアレプトと互角。

 ――否、



(私が押し負ける?)


 アガリアレプト以上の膂力を持って目の前に君臨していた。

 


「…………」



 一旦距離を取り離れるアガリアレプト。

 無言で見つめるのは眼前の面妖な男。



「紅剣のアレックス」

 ギルドランクS、そのLevel実に92。

 人間の限界をも超えんとする実力を持った男は圧倒的な風格をもって此処に確かに存在した。



「ふぅ」



 アレックスは短く息を吐いた。

 アレックスの身体に刻まれた大小様々な傷口は今では完全に塞がっている。

 その手に持つ大剣は当初綺麗な赫色に染まっていたが、今は赤黒く、今にも完全に漆黒へと変化しそうであった。



「――ッそらぁっ!!」



 爆発的な加速の後、アレックスは気合いと共に一気に力を込めてアガリアレプトを弾き飛ばした。

 アガリアレプトは綺麗に空中で一回転し着地する。その壮麗の顔を伝うは一筋の汗。



「貴様、それはまさか」



 アレックスは手に持つ黒の大剣をゆっくりと地面に刺した。



「"魔剣"か」


「ご名答」



 アレックスの急激な力の増幅、及び肉体の損耗に伴う脅威的な回復力。

 その根源は彼が持つ大剣にあった。


 魔剣、魔槍、魔槌、魔杖、様々な"魔"を冠する武具達はある程度の代償と引き換えに、使用者に絶大な力を分け与える。

 古代エンシェント級の武器であるアレックスの紅剣は、使用者の力と血を常に微量ながら吸う。

 故に、刀身が紅い。

 本来ならば漆黒のその魔剣は、使用者の血を過度に吸い取ったその時、真の力を解放する。

 今迄溜め込んできた分を瞬時に還元するのである。

 その爆発的な力の奔流はアレックスに戦闘前、よりも強大な力を齎らした。



 第二ラウンドは、たった今幕を開けた。



「待たせたな人外。俺は窮地に立たないと本気が出ない性分でな……」


「…………」



 ――はっきり言おう。


 この男、アレックスが生涯本気を出した事は二度しか無い。

 一度は今まさにこの瞬間。

 吸血鬼アガリアレプトと激闘を繰り広げている今だ。

 もう一度はかつて、火龍山脈に住む「レッドドラゴン」と死闘を繰り広げた時。

 伝説級、とも言われてきた古龍種である「レッドドラゴン」を相手に見事勝利したアレックスはその武勇を讃えられ、Sランクに昇格したのだ。

 Sランク昇格後は退屈の日々だった。

 通常状態のアレックスですら片手で捻れるような相手しか居らず、真の強者と戦う事は出来なかった。


 故に、アレックスは"ヴァルハラ"行きを誓う。


 人間を超越した者だけが行く事の出来るといわれている強者の園。

 大陸の外には未だ人類が到達し得ていない魑魅魍魎の地があるという。

 それが"ヴァルハラ"。

 真偽の定かは判らない。

 しかし彼はそれを追い求める。

 例えどんな障害が立ちはだかろうと。


 そして、アレックスは続ける。



「だが安心しろ。俺は人間の限界を超えて何いずれは"ヴァルハラ"へ行く男だ!!誇りに思って良い……この俺に殺「もういい」」



 不意に、沈黙を守っていた男が口を開いた。

 ひどく冷涼な声はよく響いた。



「もういい」



 同時に胸ポケットから一枚のハンカチを取り出し顔に付いた返り血を拭った。

 そして自らの言葉を遮られ、不愉快なアレックスなど知って知らぬかアガリアレプトは続ける。



「もう飽きた。何か隠していると思ったらそれだけか。実につまらん。やはり人間は取るにたりませんでした、とご主人様に報告するか」



 完全に臨戦状態を解いたアガリアレプトは最早帰る支度すら始めていた。

 樹の根元に預けてあったアレックスの荷物を勝手に回収し、自分も服に付着した埃をパンパンと払う。



「貴様!何をやっている!!」



 激昂。

 明らかな舐め切ったアガリアレプトの態度にアレックスが憤慨しない理由はない。

 まだ勝負は終わってないのにすら関わらず、アガリアレプトは完全にアレックスなど眼中にないかのように振舞っていた。

 アレックスは吼えるが最早アガリアレプトが振り向く事すらなかった。

 完全に興味を失っていたのだ。

 目の前のアレックスという男に対して。



「いいぜぇ。じゃあお望み通りに殺し……て……?」



 突如、アガリアレプトが移動しだした。



(いや、違う。奴は動いていない。俺が動いているのか?)


 しかしアレックスもまた脚を動かしてはいない。

 おかしい、地面か?とアレックスが下に目を配ると自ずと答えは出た。



「え?……あ?」



 自分の身体が、徐々に滑っていた。

 腰を境目にしてゆっくりとだが、確実に斜めに上半身だけが滑り落ちていく。



「は?」



 咄嗟に剣を投げ捨て、両手で断裂部を抑えるが支えきれない。

 そして思い出したかのように血がどぼどぼと溢れてくる。



「なん……で?」



 何故下半身の感覚がないのか。

 一秒でも考えれば自ずと答えは導かれた。



「まっ……て……たの――」



 アレックスは縋るようにアガリアレプトの方へと手を延ばす。

 だがその行動は自らの死を一秒間早めるだけだった。

 やがて支えを失った上半身は遂には下半身と離れる。

 完全に二分されたアレックスは大地に転がり物言わぬ人形と成り果てた。

 その周囲には綺麗なピンク色をした臓物と糞尿を撒き散らし、辺りには異臭が立ち込める。

 死せる表情は驚愕に包まれ、瞳孔の開ききった眼で虚空を見ていた。



「さて、一旦帰りますかな」



 下半身からはみ出ていた腸を踏み潰し、アレックスの形見でもある赫の大剣を軽々拾いあげてアガリアレプトはその場を後にした。





 ▼▼▼



 真っ白な天井。

 自分を包み込む柔らかい布団。



「ここは……」


「目が覚めたか」


「!?……ぐあっ……」


「おっと無理はいけない。寝たままで結構」



 微睡みから覚醒し一瞬で意識を失う直前を思い出した男は、ベッドから跳ね起きようとするが鋭い痛みであえなく中断された。



(ここは)


 手当てをされているのは間違いないだろう。

 仰向けに寝た状態から首だけ動かして自分の右腕を見れば分かる。

 肘から先には本来有る筈の腕はなく、包帯が巻かれている。

 同時にそれが、気を失う前までに起こった出来事が紛れもない事実であると告げていた。



(とすれば此処はあの城の中かもしくは)


 望みは低いがまだ街に搬送されたという可能性は残っている。

 だが、その望みは次の瞬間カルシファーの一言で一蹴された。



「右腕は運が悪かったな。部下のちょっとした遊び心だ。だが、此方に協力してくれれば最大限で君をサポートすると約束しよう」



 淡々と語られる有無を言わさぬ一言。

 カルシファーのその一言は逆らえば殺す、と男には言っているように聞こえた。



「これから幾つか質問をするが、嘘偽りなく素直に答えて貰った方が良い、という事だけ先に言っておく」



 そしてカルシファーは一枚の緑のカードを手に取り男に語りかけた。



「まず……キッド・ジョンズと言う名に聞き覚えは?」



 キッド・ジョンズ。

 聞き覚えが無いわけがなかった。長年苦難を共にしてきた彼のパートナーだ。

 だが、彼はおそらく――



「ある……俺の相棒だ」


「そうか。残念だったな。彼もまた、運が悪かった」



 そう、殺されている。


 あの化物に果敢に無謀にも挑んだかつての相棒はもうこの世にいない。

 何という不条理で弱肉強食の世界。

 だがこの世界に足を踏み入れたのも自分達自身だ。責任は自らにある。

 例え目の前の男の部下が自分の相棒を殺したとしてもだ。

 しかし、やり場のない怒りが込み上げてくるのを抑えられなかった。

 自然と残った左腕に力が入っていった。



「おい人間」



 男が憤怒に駆られ黒い感情が支配しようとした矢先、凛と良く通る声が響いた。



「親父の前で少しでも怪しい動きしたら……一族郎党嬲り殺すぞ」



 男が寝ていた寝台より少し離れた場所で、腕組み壁に背を預ける女が言った。

 丁度影になり暗くてよく見えないが、その姿は何処となく獣人に似ている。

 だが、纏わり付く雰囲気は明らかに違った。


 一目で分かった。

 この女があの化物スケルトンの仲間であると。

 そして、その大言は蝶々しい喚きではなく紛れもない真実であると。


 同時に室内を満たしていく濃厚な殺気。

 その全てが寝台で寝ている男に向けられる。

 粘液のように濃密で纏わりつく様な明確な殺意の波動は、男の直ぐ其処まで迫っていた。

 男にはハッキリと死神が視えた。自分の頸に掛けた鎌を今か今かと引き留まっているのだ。


 ――1mmでも身体を動かしたらその瞬間死ぬ。


 呼吸すら許されない。

 人間として奥底に眠る動物的本能が最大限の警告を鳴らしていた。



(死――――――)



「"ジル"」



 カルシファーのその短い一言で、室内を満たしていた殺気は一気に霧散した。



「ッ……ハッ……カッ…ハァ…ハァ」



 男――"ジャック"の身体は思い出したかのように呼吸を再開した。


 生の実感。生への渇望。

 産まれてこの方二十四年、これ程にまで"生きる"事を実感した事は一度たりとも無かった。

 男が呼吸も荒く、涙を流しながら生への余韻を実感しているとごほん、と咳払いが聞こえた。



「ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。私はカルシファー・アインザッツ。この城の城主だ。君は?」


「……俺は、ジャック・フォルテシモ……流れの冒険者だ」



 まだ荒い呼吸を整え、質問に正直に答える。

 最早嘘を吐こうという気は寸分も起こらなかった。



「そうかジャックか。では質問に戻るが、君の鞄の中に入っていたこの"地図"は本物か?」



 そう言いながらカルシファーは一枚の地図を摘まんでひらひらさせる。

 所々血痕の付着したその地図はまさしくAsgard(アスガルド)の地図そのものだった。

 国や関所や大きい街などが概略記されたそれは名前こそ聞いたことの無いものもあったが、地形はほぼ一緒だった。

 例え三世紀経ったとしても地形まではそう易々変わらないだろう、というカルシファーの読み。



「ああ、ギルドで売っているごく一般的な地図だ」



 ジャックはそう断言する。



(確定だ。これでこの世界はAsgardの約300年後の世界、という事だ)


「そうか。じゃあ約三百年前に何か大きな出来事はなかったか?」



 カルシファーは曖昧な質問を投げかけた。



「三百年前?……ああ、確か大きな戦いが起きたという事は一度小耳に挟んだ事がある。それ以外は残念ながら知らない」


「なるほどな。じゃあ、それから……」



 その後も幾つか軽い問答が繰り返された。


 この男からは思った以上に有益な情報が聞けたとカルシファーは満足していた。

 狂骨には後で何か罰をと考えていたが、結果的に良かったのでまあ良しとしよう。



「ルシファー」


「はい」



 呼ぶと直ぐ様亜空間から金髪の青年が現れた。

 便利だな、とカルシファーは思う。



「この男を森の外まで転移させてやれ」



 ジャックには幾らかの金子を握らせここでの事は他言無用だと言ってある。

 恐らく彼がその口約を破る事は一生ないだろう。

 そして彼が冒険者として再始動することも生涯ないだろう。

 片腕となった冒険者はその職で生きていく事は難しい。

 なんらかの形で冒険者としての生命を断たれた者達は、一般的に引退後その経験を生かしてギルドで働いたり剣の指南役で生計を立てたりする。

 仮にもしジャックが片腕にならなくとも、彼は街に戻ったらそのまま冒険者を引退するだろう。


 壮絶なる死の恐怖と生への渇望を知ってしまったから。



「分かりました。では」


「……殺すなよ」



 言うがルシファーは頷くと素早くマントを翻す。

 グニャと空間が一気にねじ曲がりジャック諸共飲み込む。

 そして元々誰も居なかったかのように消え去ってしまった。



「便利だな」


「うん。んっ……」


「ところでジル、纏わりつくのはやめてくれないか」



 ルシファーがいなくなるや否やジルはカルシファーの身体に自分の身体を密着させ、猫のように擦り付けていた。

 ただ、じゃれているだけのようにも見えるが色々と当たっていて健康的に非常に宜しくなかった。



「え……もう少しだけ」



 ――ああ、そうか。


 猫のマーキングみたいなものか。

 確か自分の縄張りに匂いをつける習性があったな。


 リリス辺りが見れば憤死しそうな光景を、何処か達観した目で他人事のように見ているカルシファーの姿があった。

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