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月を持たぬ白薔薇と虐げられていた私が、王太子妃になりましたが、幼馴染の騎士が独占欲を拗らせています  作者: かなた


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月下の毒

 その衣擦れの音は、確かに誰かのものだった。


 王妃宮の廊下は夜更けともなれば人影は少ない。

 だが、完全に無人になることはない。


 翌朝には、その囁きは形を変えて広がっていた。


「近衛騎士が王太子妃に不埒な想いを抱いている」


「王家の権威が揺らぐ」


 そしてそれは、魔力至上派の耳にも届く。


 北方侯邸。


 重厚な石造りの広間で、老侯爵はゆっくりと杯を傾けた。


「好都合だ」


 魔力なき王太子妃は排除したい。

 だが王太子アルベルトは強硬だ。


 ならば――事故にすればいい。


 



 その夜、王城では小規模な晩餐会が開かれていた。


 各地の有力貴族を招いた、穏やかな顔合わせの場。


 エリシアは淡い白のドレスをまとい、月晶灯の下に立つ。


 この世のものとは思えない美しさだ。


 だが、視線の奥には敵意がある。


 アルベルトは常に彼女の傍にいた。


 そして少し離れた位置に、レオン。


 銀の瞳は一瞬たりとも緩まない。


 給仕がワインを差し出す。


 エリシアは微笑み、杯を受け取った。


 その瞬間。


 レオンの背筋に、ぞわりと嫌な感覚が走る。


 香りが、わずかに違う。


 月花酒特有の甘さに、かすかな苦味。


 彼は一歩踏み出した。


「お待ちください」


 鋭い声。


 場が凍る。


 エリシアの唇に、すでに杯が触れている。


 レオンは躊躇なく手を伸ばし、杯を弾いた。


 赤い液体が大理石に散る。


「何をする!」


 重臣の怒号。


 だがレオンは跪いたまま、冷たい声で言う。


「毒です」


 場は騒然とする。


 医官が呼ばれ、残った液体を検分する。


「……強い神経毒。即死ではありませんが、徐々に心臓を蝕みます」


 空気が凍りつく。


 エリシアは立ち尽くした。


 もし、レオンが止めなければ、静かな“病死”として処理されたのだろう。


 アルベルトの表情が初めて怒りに染まる。


「犯人を捕えよ」


 王太子の命が下る。


 だが給仕はすでに消えていた。


 計画的。内通者がいるーーー


 




 晩餐会は中止となり、王妃宮は厳戒態勢に入った。


 部屋の中で、エリシアの手はわずかに震えている。


「……私を、消す気だったのね」


 それは疑問ではない。


 確信。


 ルクセリア王国において、魔力は正義。

 魔力なき妃は異物。


 排除は、理屈として成立してしまう。


 レオンは片膝をついたまま、顔を上げない。


「私の落ち度です」


「違うわ」


 エリシアは首を振る。


「あなたがいなければ、私は――」


 言葉が途切れる。


 レオンの拳が震える。


 恐怖と怒り。


 そして、抑えきれない衝動。


「……もう、王宮には置けません」


 低く、押し殺した声。


「何を言っているの」


「ここはあなたを殺そうとする場所だ」


 それは騎士の判断ではない。


 彼の本音。


 連れ去りたい。守るのでは足りない。



 ーーー閉じ込めたい。自分だけの安全な場所に。


 アルベルトが静かに口を開く。


「レオン」


 その声に、はっとする。


「越えるな」


 王太子としての警告。


 だが、怒りは同じだ。


「これは私への挑戦だ。王太子妃への毒は、王家への反逆に等しい」


 蒼い瞳が冷え切っている。


「徹底的に炙り出す」


 王太子として動く決意。


 そしてレオンは悟る。


 アルベルトは“守る義務”ではなく、“怒り”を抱いている。


 それは初めて見る表情だった。


 




 夜更け。


 エリシアは一人、窓辺に立つ。


 月光が差し込む。


 震えはもう止まっている。


 恐怖よりも、別の感情が胸を満たしていた。


 レオンの、あの声。


 “置けません”


 所有にも似た響き。


 アルベルトの怒り。


 国家としての決意。


 どちらも、彼女を守ろうとしている。


 だが、熱が違う。


 エリシアは胸に手を当てる。


 脈が早い。


 恐怖ではない。


 選ばれた存在ではなく。


 ――選びたいという衝動。


 その夜、ルクセリア王国の均衡は決定的に崩れ始めた。


 毒は、杯だけではない。


 心にも、静かにまわり始めている。

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