運命の歯車
それは、唐突に告げられた。
「王太子殿下との縁談が来ている」
父の執務室は、やけに静かだった。
重厚な机。差し込む午後の光。
その中央に置かれた王家の封蝋付き書状。
「……わたくしに、ですか」
問い返す声は、驚くほど冷静だった。
「そうだ」
父は短く頷く。
「魔力の問題はある。だがルヴァルディア公爵家との結びつきは、王家にとって必要だ」
必要。
その言葉の重みを、私は理解している。
近年、隣国ヴァルディナ帝国は魔導兵器の開発を進めているという。
王国内でも保守派と改革派の対立が深まりつつある。
王太子の婚姻は、国の均衡を示す象徴。
だからこそ。
魔力を持たぬ私でも、意味がある。
「……お受けします」
迷いは、なかった。
公爵家の娘として生まれた以上、義務は果たすべきだ。
それがたとえ、愛のない婚約でも。
その日の夕刻。
私は庭園で、レオンに会った。
いつものように剣を振っていた彼は、私を見るなり足を止める。
「エリシア様?」
私は、微笑む。
「王宮へ上がることになりました」
ほんの一瞬。
風が止まったような気がした。
「……どういう意味ですか」
「王太子殿下との縁談を、お受けしたの」
沈黙。
剣が、地面に落ちた。
鈍い音が響く。
「冗談、ですよね」
かすれた声。
「冗談ではないわ」
その瞬間、彼の瞳から色が消えた。
「なぜ」
低い声。
「なぜ、あなたが」
「国のためよ」
そう答えると、彼は一歩、近づいた。
「あなたは……魔力がない」
わかっている。
誰よりも。
「それでも、必要とされたの」
「違う」
即座に否定される。
「政治だ」
拳を握りしめ、彼は歯を食いしばる。
「あなたを、駒にしているだけだ」
胸が、わずかに痛む。
けれど私は首を振った。
「それでも構わないの」
「構わなくない」
鋭く言い切られる。
気づけば、彼はすぐ目の前に立っていた。
子供の頃よりも、ずっと大きい。
見上げるほどに。
「俺が守るって、言いましたよね」
あの日と同じ言葉。
けれど今は、震えている。
「守られるだけの立場ではいられないの」
そう告げると、彼は苦しそうに目を閉じた。
「……行かないでください」
それは、騎士の言葉ではなかった。
一人の男の願い。
胸が締めつけられる。
けれど。
「レオン」
そっと名を呼ぶ。
「あなたは騎士になるのでしょう?」
彼の夢。
王家を守る近衛騎士。
「ならば、王太子殿下を守って」
彼の瞳が、見開かれる。
「それは……」
「わたくしも、殿下を支える」
微笑む。
震えないように。
「同じ場所で、国を守りましょう」
それが、最も正しい答え。
そう思った。
けれど彼は、何も言わなかった。
ただ、ひどく静かな顔で私を見つめる。
その瞳の奥で。
何かが、壊れた音がした。
数日後。
王宮にて、正式な対面の日が訪れた。
白い大理石の広間。
高い天井に浮かぶ巨大な魔力結晶。
その下に立つ青年。
金糸の髪が光を受け、翡翠の瞳が穏やかに細められる。
「初めまして、エリシア嬢」
王太子アルベルト。
想像していたよりも、ずっと優しい声だった。
「お会いできて光栄です、殿下」
礼をすると、彼は静かに言った。
「あなたのことは、聞いている」
一瞬、身構える。
魔力のことだろう。
だが。
「強く、誇り高い方だと」
思わず、顔を上げた。
「……失望は、なさいませんか」
問いは、無意識に零れた。
魔力を持たぬ婚約者。
王太子にとって、不利でしかない存在。
けれど彼は、微笑んだ。
「失望? なぜ」
その声音に、嘲りはない。
「魔力が人の価値を決めるなら、私は随分とつまらない人間だ」
軽く肩を竦める。
「私は、あなたを選んだ」
静かに、はっきりと。
胸の奥が、わずかに揺れる。
愛ではない。けれど尊重がある。
この人は、敵ではない。
そう思えた。その広間の隅で。
近衛騎士として控えていたレオンが、こちらを見ていた。
無表情で。感情を消して。
けれどその手の甲には、白く浮き出た血管。
爪が食い込むほど、強く握られた拳があったーーー




