番外編③王太子の後悔
夜の執務室は、やけに広く感じる。
王都アステリアから離れた辺境領。
王太子の座を退いた私――アルベルト・ルクセリアは、今この地の統治を任されている。
窓の外に広がるのは、王城の白亜ではなく、荒野と灯りの少ない村々だ。
「……静かだな」
かつては常に誰かの視線があった。
重責も、期待も、そして――彼女も。
エリシア。
月を持たぬ白薔薇と囁かれた、美しき婚約者。
いや。
元婚約者、か。
最初に彼女を見た日のことは、今も覚えている。
王城の謁見の間。
白いドレスに身を包み、凛と立つ美しい姫君。
魔力は持たぬと聞いていた。
だが、その瞳には揺るがぬ強さがあった。
「王太子殿下、どうぞよろしくお願いいたします」
静かな声。
その瞬間、私は悟った。
この女性を守らねばならない、と。
守るはずだった。
それなのに。
守られていたのは、私の方だったのかもしれない。
婚約期間、彼女は何も求めなかった。
冷たい視線にも、陰口にも、理不尽にも。
ただ静かに、王妃としての務めを学び続けた。
「つらくはないのか」
そう尋ねた夜がある。
彼女は微笑んだ。
「私は大丈夫です」
その言葉が、どれほど無理をしていたのか。
私は気づいていた。
それでも――
王太子という立場が、彼女を手放すことを許さなかった。
いや、正しくは私が、手放せなかったのだ。
レオン・ヴァルディエ。
騎士団長。
幼い頃から彼女の傍にいた男。
彼がエリシアを見る目を、私は知っていた。
嫉妬した。何度も。
剣を交えたあの日。
怒りと焦燥が、理性を越えた。
だが、剣を交えながら、理解してしまったのだ。
彼の覚悟を。
「俺は、命よりも彼女を選びます」
あの言葉は、嘘ではなかった。
私は――どうだった?
王位か、彼女か。
天秤にかけた時点で、敗北は決まっていたのかもしれない。
夜風が書類を揺らす。
辺境地の改革は容易ではない。
反発もある。資源も乏しい。
だが、不思議と後悔はなかった。
エリシアは今、笑っているだろう。
あの男の隣で。
悔しさがないわけではない。
未練がないわけでもない。
だが。
「……これでよかったのだ」
王とは、選ぶ者だ。
己の感情よりも、国の未来を。
彼女を愛していたからこそ、
私は彼女の望む未来を選んだ。
私の隣ではなかったが。
それでも。
ふと、月を見る。
ルクセリアの空に浮かぶ淡い光。
「月がなくとも、白薔薇は咲く……か」
皮肉だな、と小さく笑う。
私の手の中では、咲かなかった。
だが。
別の庭で、美しく咲いているのならそれでいい。
静かに目を閉じる。
「幸せであれ、エリシア」
それは王太子としてではない。
一人の男としての、最後の祈りだった。




