魔王様、世界制服より頭を撫でるのを優先する
★〜第一章:血も涙もない玉座の間〜★
その日、魔王城の謁見の間は、文字通り“凍りついて“いた。
「……報告は、それだけか?」
漆黒の玉座に深く腰掛けた魔王、ヴァルガス。彼の放つ圧倒的な魔圧に、百戦錬磨の魔族将軍たちが、生まれたての小鹿のように膝を震わせている。
先日の人間界への侵攻において、わずかな手落ちがあった。
ただそれだけの理由で、先ほど一人の上級魔族が、音も立てずに霧へと変えられ消滅したばかりだ。
「は、はい……。聖教国アルセウスの防衛線を突破するには、あと三日は……」
「三日だと?」
ヴァルガスの冷徹な声が響く。
切れ長の瞳が、獲物を屠る獣のように細められた。
「余が直々に赴けば、三秒で終わる。貴様らの無能を、時間の浪費で購えると思うな。……次は、首を跳ねるだけでは済まさないぞ」
「ひっ、申し訳ございません、魔王陛下!!」
将軍たちが床に額を擦りつける。死の香りが立ち込める中、ヴァルガスの指先が、次の“処刑“を告げるために僅かに動いた──その時だった。
本来、何重もの結界と精鋭近衛兵に守られているはずの扉が、音もなく開く。
パタパタと、その重苦しい空気に全くそぐわない、軽い足音が響いた。
「あ、ヴァル様! やっぱりここにいた! 見つけました!」
殺気にあてられれば一瞬で事切れるはずの人間が、あろうことか魔王の魔圧を”涼しい風”程度にしか感じていない様子で駆け寄ってきたのだ。
★〜第二章:世界一甘い【お仕事】の中断〜★
殺気に満ちた空間に、一輪のひまわりが咲いたような声が響く。
魔族たちが驚愕に目を見開く中、玉座のすぐ脇にある重厚なカーテンが、内側から小さな手で押し上げられた。
実はこのカーテンの奥には、魔王が仕事中もリノの気配を感じられるよう、彼女専用の隠し通路とプレイルームが直結していたのだ。
そこから現れたのは、質素だが可愛らしいワンピースを纏った十歳の少女──リノだった。
「……リノ。部屋で休んでいろと言っただろう?」
ヴァルガスの声から、刃のような鋭さが消える。
つい一秒前まで世界を滅ぼさんとしていた破壊神の顔が、愛しい宝物を前にした熱烈な愛好家のような、とろけきった質感へと劇的に変化した。
「だって、ヴァル様がお茶の時間になっても帰ってこないんだもん。パタパタ走って探しちゃいました。お仕事、まだ終わりませんか?」
リノは、床に這いつくばる将軍たちのことなど“転がっている石“程度にしか思っていない様子で、ヴァルガスの膝元までトコトコと歩み寄る。
そして、血に汚れたはずの彼の大きな手に、自分の頭をぐいっと押し付けた。
「あのね、さっき本を読んでたら、ちょっと怖い魔物が出てくるシーンがあって。……なでなでしてくれないと、怖くて夜眠れないかもしれないの」
その瞬間、謁見の間を支配していた絶望的な“殺気“が、完全に霧散した。
代わりに満ちたのは、脳が焼けるほど甘ったるい、平和そのものの空気である。
「……なんと。それは一大事だ。余としたことが、お前に恐怖を与えてしまうとは」
ヴァルガスは、先ほどまで魔族を霧に変えていたその指先で、壊れ物を扱うかのように優しくリノの髪を漉いた。
「よしよし、怖かったな。余がここにいる。世界の誰もお前に指一本触れさせはしない。……ふむ、少し髪が乱れているな。余が整えてやろう。お茶の準備もすぐにさせよう」
★〜第三章:“戦利品“から“宝物“へ〜★
それは、今から少し前のこと。魔王軍が人間界の辺境にある村を蹂躙した時のことだった。
ヴァルガスにとって、人間など羽虫も同然。泣き叫ぶ女子供を冷ややかに見下ろし、村の守護聖像を粉砕しようと彼が右手をかざした、その時だ。
「……だめ。その石像、小鳥さんが巣を作ってるの」
煤で汚れた小さな手が、魔王の漆黒の外套をぎゅっと掴んだ。
それが、当時七歳のリノとヴァルガスの、最悪で最高な邂逅だった。
ヴァルガスは眉をひそめ、足元を見やった。
そこには、恐怖で震えるどころか、心配そうに自分を見上げる幼い少女がいた。
周囲の魔族たちが「死にたいのか!」と絶句する中、リノは真っ直ぐに魔王を見つめていた。
「おじさん、そんなに怒ってると、お顔が怖くなっちゃうよ?」
「……余を『おじさん』と呼ぶか。貴様、自分が誰の前に立っているか理解しているのか?」
ヴァルガスの瞳に、紅い殺意が宿る。
しかし、リノは怯えるどころか、彼の大きな、血に汚れた手にそっと自分の手を重ねた。
「冷たい手……。おじさん、ずっと一人ぼっちだったの?」
その瞬間、数千年の時を生きた魔王の心臓が、初めて「ドクン」と大きく跳ねた。
数多の勇者が剣で、賢者が魔法で穿とうとして叶わなかった魔王の心の鎧が、七歳の子供の、あまりに無垢な言葉によって粉々に砕け散ったのだ。
ヴァルガスは、その場で進軍を停止させた。
「この娘は余が連れて行く。……“戦利品“だ」
そう自分に言い聞かせ、彼はリノを抱き上げた。
城へ連れ帰った当初は、家臣たちも「陛下はついに残酷な人体実験を始めるのだ」と戦慄していた。
だが、現実は予想の斜め上を突き抜ける。
まず、リノの居室としてあてがわれたのは、薄暗い捕虜収容所ではなく、魔王の寝室に隣接する最高級の客間だった。
食卓からは魔界特有の猛毒食材が一切排除され、リノのために人間界から拉致──もとい、破格の条件で雇用──された一流料理人が、栄養満点の食事を振る舞う。
さらには、魔王自らがリノに文字を教え、夜な夜な絵本の読み聞かせをすることさえ日課となったのだ。
ある夜、慣れない城の空気に知恵熱を出したリノが、うなされながらヴァルガスの指を握った。
「……ヴァル様……なでなで、して……」
その弱々しい声を聞いた瞬間──魔王の中に“この子を悲しませる全ての事象をこの世から消し去りたい“という、世界征服よりも遥かに巨大な欲望が芽生えた。
彼が不器用な手つきでリノの頭を撫でると、彼女は安心したように微笑み、深い眠りについた。
その寝顔を見たヴァルガスは、静かに、だが鋼のような決意を固める。
「……決めたぞ。余が征服するのは世界ではない。この小さな頭を、永遠に撫で続ける権利だ」
こうして、かつて「破壊神」と呼ばれた男は、一人の少女に仕える“最強の過保護保護者“へと変貌を遂げた。
──そして現在。魔王城の謁見の間では、その「決意」が遺憾なく発揮されていた。
★〜第四章:世界征服、越えられない壁〜★
──回想は終わる。今、眼前に広がる光景こそが、魔王の出した“答え“だった。
漆黒の玉座で、無心にリノの頭を撫で続ける魔王。
そのあまりに平和な光景に、数分間、誰一人として声を上げられずにいた。
だが、ついに意を決した筆頭将軍ゼノンが、震える声で沈黙を破る。
「あ、あの、魔王陛下……?」
恐る恐る、筆頭将軍のゼノンが声を上げる。
「聖教国への進軍ルートについての最終決定を……。今このタイミングで決断を下さねば、好機を逃します!」
ヴァルガスはリノの頭を愛おしそうに撫でながら、氷のような視線をゼノンに向けた。
「黙れ。今、リノが『怖い』と言っているのだ。聖教国などというゴミ溜めの掃除と、リノの心の安寧──どちらが優先されるか、貴様ほどの脳髄があれば理解できるだろう?」
「い、いや、しかし、世界征服は魔族千年の悲願でして……」
「そんなものは明日でも来年でもできる! だが、今この瞬間にリノを甘やかすことは、今しかできないのだ!」
断言した──。
魔王は、リノの柔らかい髪の感触を堪能しながら、うっとりと目を細めている。
「リノ、もっとこっちへ来い。……ああ、いい匂いだ。お前の髪を撫でていると、世界を征服するなどという些細なことが、どうでもよくなってくるな」
「えへへ、ヴァル様の手、あったかいです」
リノが幸せそうに目を細めると、ヴァルガスの胸の奥から、ドクンと大きな鼓動が響いた。
彼はもう、将軍たちの顔すら見ていない。
「……ゼノン。全軍に告げよ。今日の作戦会議は中止だ。向こう一週間、余はリノと中庭で日向ぼっこをする。侵攻の準備は、適当にやっておけ」
「一週間!? 陛下、それはあまりに──」
「死にたいのか?」
「喜んで中庭のお掃除をさせていただきます!!」
将軍たちは一斉に退散した。
彼らの背中には「もうこの上司にはついていけない」という絶望と、「でも逆らったら消される」という恐怖、そして「世界が滅びなくてよかったのかも」という妙な諦めが同居していた。
★〜第五章:世界征服より、君の寝顔〜★
静かになった謁見の間で、ヴァルガスはリノを抱き上げ、自分の膝の上に座らせた。
そこへ、一度は退散したはずの筆頭将軍ゼノンが、真っ青な顔で戻ってきた。
「へ、陛下! 恐れながら、一言だけ、一言だけ申し上げます!」
ゼノンは床に這いつくばり、震える声で訴える。
「先ほど、リノ様と『日向ぼっこ』をされるとおっしゃいましたが……! その予定されている中庭は、現在、対聖教国用の魔導重砲の試射場となっております! 今すぐ撤収させねば、リノ様が大きな音に驚いてしまわれます!」
ヴァルガスの眼光が、鋭く研ぎ澄まされた。
「……ゼノン。貴様、今なんと言った?」
「は、はい! ですから、重砲の移動に時間がかかり、日向ぼっこのお邪魔に――」
「そうではない。……リノが、音に『驚く』だと?」
ヴァルガスは、膝の上で不思議そうに自分を見上げるリノの耳を、宝物を守るように両手でそっと塞いだ。
「リノの平穏な鼓動を乱す要因が、余の城にあるというのか。……ゼノン、その重砲は今すぐ全て破壊して捨てろ。リノが蝶を追いかけるのに邪魔な突起物は、この城には一切不要だ」
「ぶ、武器を捨てろと!? 魔族の最高火力を、ただの障害物扱いですか!?」
「当たり前だ。リノが『わあ、綺麗』と言わない鉄屑など、余にとっては道端の小石以下。それとも何か? 貴様はリノの安眠よりも、人間を数千人殺すための道具の方が大切だとでも言うのか?」
「そ、それは……人道的──魔族的? ──に言えば、世界征服の方が……」
「答えは『否』だ。リノが欠伸を一つすれば、世界征服などという退屈な野望は、宇宙の塵よりも価値がなくなる」
ヴァルガスの背後に、漆黒の魔力が渦巻く。
「……一分だ。一分以内に城内全ての武器を撤去し、中庭をふかふかの芝生に変えておけ。さもなくば、貴様を人間界の『猫カフェ』とやらに放り込み、一日中、愛想を振りまく刑に処す」
「ひいいっ! 直ちに! 直ちに重砲を粉砕し、最高級の芝生を敷き詰めます!!」
ゼノンは、かつてない速さで謁見の間を飛び出していった。
「ヴァル様、あのおじさん、なんだか急いでたね?」
「ふふ……気にするな、リノ。少しばかり、庭掃除のやる気が出ただけだ」
魔王は再び、慈しみに満ちた顔でリノの頭を撫で始めた。
世界最強の軍隊は今、一人の少女の「お昼寝」のために、全力で武装解除を始めたのである。
「ヴァル様、お仕事いいんですか? 世界を制服……じゃなくて、征服するんですよね?」
「……リノ。余にとっての世界とは、お前のことだ」
ヴァルガスはリノの額に軽く唇を寄せ、再び、大きな手でゆっくりと彼女の頭を撫で始める。
「広大な土地も、跪く民衆も、積み上げられた財宝も。お前のこの、柔らかな髪の一房にも値しない。余が力を求めたのは、誰にも邪魔されず、こうしてお前を愛でるための場所を作るためだったのかもしれん」
「……難しいことはわかんないけど、ヴァル様が優しくて嬉しいです」
リノはヴァルガスの胸に顔を埋め、安心しきった様子で小さな吐息を漏らす。
その無防備な姿に、魔王の独占欲は狂おしいほどに満たされていく。
かつて、この男は“破壊の化身“と呼ばれた。
だが今、彼の全魔力は、一人の少女の寝顔を守るための結界として展開されている。
「おやすみ、リノ。明日も、明後日も、世界が滅びるその日まで。余はお前の頭を撫で続けよう」
窓の外では、魔王軍の兵士たちが血眼になって魔導重砲を解体し、必死に芝生を植え替えるという“前代未聞の突貫工事“を繰り広げていたが、当の主君は、愛しい少女を抱いたまま幸せそうにまどろんでいる。
世界征服という大業は、今日もまた、一人の少女の“なでなで“によって先送りにされるのであった。
〜〜〜fin〜〜〜
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