力を持つ者、ホロリアム
その夜。
道場は、いつもより少しだけ静かだった。
壁に空いた大穴には、板が仮止めされていて、ところどころ隙間風がひゅうと鳴いている。
「……あー……」
ニニは、道場の床にごろんと仰向けになっていた。
天井を見つめながら、両手をぱたぱた動かす。
「やっぱりさ、あたし……やばいよね」
「やばい?」
端のほうで包帯を巻き直していたエルナが、首をかしげる。
「だってさ、教える側なのに、相手を吹き飛ばすって……」
「……それは、はい。さすがに」
エルナは正直だった。
「うぅ……」
ニニは腕で顔を隠した。
「カンフーって、本当はこんなんじゃないんだよ。もっと、こう……地道で、汗かいて、ちょっとずつできるようになるやつでさ」
「ニニさんのカンフー、かっこよかったですけど」
「それは……派手だっただけだと思う」
拳を握る。
昼間の衝撃が、まだ骨の奥に残っている気がした。
軽く突いただけなのに、爆発みたいな音が鳴って、エルナが吹き飛んだ。
──自分の力じゃない。
それは、もう疑いようがない。
「ねえ、エルナ」
「はい?」
「ホロリアムって……みんな、ああいう力、持ってるの?」
エルナは少し考えてから、首を横に振った。
「記録によれば、能力の現れ方はさまざまです。強化、干渉、変質……でも、共通しているのは」
「共通してるのは?」
「……本人が、望んでいない力だということです」
ニニは、目を閉じた。
なんだか、すごく納得してしまった。
「望んでないのに、与えられるって……ずるいよね」
「……はい」
エルナは、静かに答えた。
「でも」
その声は、少しだけ強くなる。
「だからこそ、使い方を選べるんだと思います」
ニニは顔を上げた。
エルナは、まっすぐこちらを見ていた。
「ニニさんは、怖がっていました。私を傷つけたかもしれないって」
「当たり前だよ!」
「でも、それができないホロリアムも、記録にはいます」
「……え?」
「力を振るうことに、ためらいがない人。守るより、壊すことを選んだ人」
エルナは小さく拳を握った。
「私は……ニニさんが、そうじゃなくて、よかったです」
一瞬、言葉が出なかった。
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「……ありがとう」
それだけ言うのが、精一杯だった。
***
翌朝。
森のはずれ、朝靄の中。
ニニは一人、立っていた。
深く息を吸って、吐く。
拳を握る。
「……よし」
今日は、型じゃない。
力を、出さない練習だ。
ニニは、ゆっくりと腕を動かす。
突かない。振らない。踏み込まない。
ただ、構えだけ。
呼吸と一緒に、体を動かす。
──ドンッ。
足元の地面が、わずかに沈んだ。
「……うわっ」
慌てて動きを止める。
「だめだめ、出すな出すな……」
自分に言い聞かせるように、呟く。
すると。
ぱちん、と空気が弾けた。
ニニの拳のまわりに、見えない圧が集まって、すぐに散る。
「……これ、やっぱり勝手に出てるよね?」
その瞬間。
──ざり。
背後で、草を踏む音。
「……誰?」
振り返る。
そこには、誰もいない。
……いや。
木の影が、不自然に揺れている。
「……気のせい?」
ニニは首をかしげて、また前を向いた。
その背中を。
少し離れた場所から、誰かが見下ろしていた。
肩には、パンダのマスク。
無表情な目の奥で、観察するような視線。
「力、制御できてない……」
黒い短剣を、指先でくるりと回す。
風が吹き、草が揺れた。
次の瞬間、その姿は、どこにもなかった。




