2.脱出
「馬鹿を言うな!お前だけ残して先に行くなんて許せるわけが無いだろうが!!」
炎と煙の上がる城塞を背に、ハインリヒは憤怒の表情でこぶしを振るった。思い切り振り抜いた。この非常時に何てことをしてくれるのか。
「お前…これで俺が気を失いでもしたらどうするつもりだったんだ」
「笑わせんな、こんなんで意識飛ばすような柔じゃねえだろうがお前は!」
忌々し気に吐き捨てた親友の隣、大切に守って来た尊い御身が顔を上げて首を横に振った。
「私も同じ意見だよオスヴァルト。お前をここに残して逃げたとして私にどれだけの未来があると思う」
「少なくとも、ここで命尽きるよりは間違いなくありましょう」
ハインリヒに強かに殴られた頬を撫でつつ言えば主君…フリートヘルム第二王子がオスヴァルトの腕を掴んだ。
「無いよ。お前を失った時点で私の命運は尽きる。ハインリヒとお前、ふたり揃ってこそ私の剣であり盾だ。どちらを失っても私はこれ以上戦えないよ」
「分かっております、殿下。だからこそ俺が残るんです。俺はあなたの剣だ。あなたの行き道を切り開く剣。だからここは俺が引き受けます。あなたは盾に守られて逃げて、必ずや生き残ってください。俺もすぐに追いつきます」
「阿保かお前、盾だけで行き道を押し通せるわけねえだろうが!」
「お前の盾は猪より猛進で何でも跳ね飛ばすだろうが。いつも通りその巨体ですっ飛ばしていけ」
「はぁ!?阿保も休み休み言え!」
こんなところで言い合いをしている場合では無いというのにハインリヒもフリートヘルムも引こうとしない。このままでは公爵の手の者に捕まって…殺されてしまうというのに。
今夜は満月だ。城塞から上がる煙に燻されているというのに苛立たしいほどに明るい光が森まで差し込み、こちらからも良く見えるが、あちらからも当然良く見える。夜陰に紛れて…というのは難しい。
「阿保はお前だ、ハインツ。ここでぐずぐずしてると余計に逃げられなくなるぞ」
「だからってお前、あの公爵家だぞ?黒狼騎士団だぞ?ひとりで相手にして何とかなると思ってんのか!?」
「勝算はあるさ。これは不当な襲撃だ。時間さえ稼げれば白鷹騎士団が来る」
「その時間がひとりで稼げるわけねえだろって言ってんだよ!」
勝算はある。ただし三割だ。五割は殿下は逃がせてもオスヴァルトが死ぬか捕まる。残りの二割は…考えたくもない。だが八割も殿下の生きる可能性があるなら、これはかなり割の良い賭けだとオスヴァルトは思うのだ。
「いけるさ。ちゃんと種は撒いて来ただろう?」
「だが…動くとは限らんぞ」
「動くさ。必ず動く。アナスタシア殿下ならきっとだ」
「お前のアナスタシア殿下信仰はこんな時でも健在かよ」
げんなりとした様子で肩を落としたハインリヒにフリートヘルム殿下も笑った。
「私も姉上が動くかどうかは五分だと思うよ。私がいなくても弟のアベルがいる。姉上にとっては私で無くても良いはずだ」
「動きます。必ずです」
アナスタシア第三王女殿下。国王陛下が最も愛する側妃が産んだ、側妃と何もかもそっくりな美姫。公爵の娘である正妃や他の側妃が産んだどの王子よりも王女よりも陛下の寵愛を受ける姫だ。王太子よりも。
「そうだと良いけどな…お前、あの顔に弱いもんな」
「あの方は容姿だけの方では無い」
にやりと笑ったハインリヒに、オスヴァルトは不服そうに眉をひそめた。
フリートヘルムはアナスタシアと同じ側妃の産んだ王子だ。
アナスタシアと同じ髪の色、同じ瞳の色。けれど陛下とよく似た容貌はまさしく側妃と陛下ふたりの子であることを体現した姿であり、陛下の寵愛も深い。下手をすれば正妃が産んだ長子である王太子の座が揺らぐほどに。それがゆえの今回の襲撃だ。
「蛮族と手を組んだとなれば陛下も黙ってはいないはずだ。今はここを切り抜けて生きて陛下へ直訴することだけ考えろ」
「まじで形振り構ってねえな公爵家!」
オスヴァルトがハインリヒの肩を叩くとハインリヒは心底嫌そうに眉をひそめた。




