15.覚悟
ぼんやりと、オスヴァルトは王城の庭園の一角で空を渡る月を眺めていた。
北方砦の裏切りから一ヶ月と少し。あの日オスヴァルトたちを忌々しいほどに照らした月は、一巡りして次の満月を過ぎ下弦の半月よりさらに細くなっている。あと四日もすれば新月、あの明るさが嘘のように今日の月はオスヴァルトを照らさない。
あの後、合流した陛下直属の暗部、梟からの情報でオスヴァルトたちは西の公爵家の騎士団赤獅子がこちらへ合流するために進軍中であることと、北方砦が完全に落ちたことを知った。
陛下の命が無ければ動かない梟が動いた。つまり、陛下は選んだのだ。
「父上は…陛下は、心を決められたのですね」
「ああ。私が間に合ったなら動くとのお約束だった。私は間に合った。ゆえに梟が動き、赤獅子が来る」
「異母兄上は…王太子殿下はどうなさるのでしょう」
「王太子殿下の紫鷲騎士団は今回、全く動いていない。あえて動かないことを選ばれた。王太子殿下も…選ばれたのだ。ゆえに王太子殿下への直接の咎めは無いはずだが王都で金竜が狩りをした。東の公爵家と黒狼騎士団は終わらずとも王太子派の損害は大きいだろう」
「そう、ですか……」
東の公爵家の勢いが削がれれば正妃と王太子の勢力が弱まる。そうなればまた次の玉座を巡る攻防が激化することは間違いない。王太子とフリートヘルム以外にも、力の強弱はあれど王子は下に三人もいる。それぞれがまだ次期国王の座を諦めてはいない。
「異母兄上は私たちの死を望まれません。私も…異母兄上たちに何かがあることを望みません………」
「ああ、私もだ。異母兄上は王太子に相応しい厳しくも優しい清廉なお方だ。あの方をお支えすること自体に異議は無い」
王太子もフリートヘルムも、王位継承権を持つ本人たちはお互いを全く憎んでも疎んでもいない。
そもそも外圧のせいで王太子派、第二王子派に分かれてしまってはいるが、母である側妃も含めフリートヘルムもアナスタシアも現王太子を次期国王に推している。それでもただ、国王の寵姫と寵愛の深い王女と王子という立場ゆえに王太子派に疎まれる。
視線を下げたフリートヘルムにアナスタシアも一瞬だけ辛そうに眉を寄せると、フリートヘルムの肩に手を置いて「それに、だ」と頷いた。
「今回、金竜が狩りに出たのは正妃様のお力だ」
「正妃様の?」
「ああ。正妃様が『兄はどうしようもない野心家ですが同時に臆病者の愚物でもあります。万が一のために必ず何かひとつは手元に残しています』と仰ってな。梟が踏み込めるだけの粗を探し出し、正妃様が公爵を面会に呼び出している間に金竜が公爵邸に踏み込んだ」
「それは…………」
「正妃様も王太子殿下も完全な無傷では済まないだろう。それでも正妃様は動かれた。そうして私に『国の安寧のために行きなさい』と仰られた」
「見事な方でいらっしゃいますね……」
「母上は美しく柔らかく弱いがゆえに父上に愛される。だが私は、凛としなやかで強い正妃様にこそ憧れるな」
アナスタシアは何かを堪えるように微笑んだ。その微笑みにフリートヘルムもまた、「ええ。あの方こそ正しく国母でいらっしゃいます」と悲しげに微笑んでいた。
蛮族の手に落ちた北方砦は赤獅子騎士団の到着後、一日と経たず奪還した。そもそも北の辺境伯家と青熊騎士団そのものは裏切っておらず、東の公爵に抱きこまれた一部の北方貴族による独断だった。曰く、辺境伯家の頭を挿げ替えると唆されたらしい。砦を落としたはずの蛮族たちもほとんどが砦から放逐され、強く抵抗したものは殺されていた。
北の辺境伯家と青熊騎士団の怒りは実に苛烈で、北方砦が数刻の内に危うく文字通りの更地になるところだった。当然のことだが、裏切られた形になった蛮族たちは一切、北方砦を助けなかった。
更地にならずに済んだのはガンゾリグの存在があったからだ。
「コウシャクは俺を力だけの馬鹿だと思っているからな。俺がお前らの言葉を理解しているなど思ってもいない」
そう王国の言葉で言って呵々と笑ったガンゾリグは、ガンゾリグを侮るがゆえに平気でガンゾリグの前で王国の言葉で様々なことを話していた東の公爵の言葉をしっかりと覚えていた。
その内容や北方砦の至る場所に残されていたものが証拠になるということで、倉庫の爆発でかなりの損害を受けてはいたが北方砦は残され、調査が済み次第再建されることが決まった。
公爵は全ての調査が終わるまで北の塔の貴族牢に監禁され、ガンゾリグは今、王城にいる。捕虜としてではなく協力者、そして蛮族の特使としてだ。
ガンゾリグとの会話の中で北方砦と領兵の巡回路の一部が蛮族の…ガンゾリグたちナラン族を含む北方部族たちの聖地を含んでしまっており、そこを奪還したくてナラン族たちは国境を侵していることが分かったのだ。
今、ガンゾリグや他の北方部族の族長たちとこの国の有識者とで国境線の引き直しや今後についての話し合いが行われている。
「オスヴァルトとは存分にやり合った。俺がこの国にいる間にやり合うぞ、ハインリヒ!!」
まだまだ右腕の調子も戻り切らず左の肩の傷も塞がらないのに、ガンゾリグは日々、楽しそうに白鷹騎士団の鍛錬に顔を出している。




