10.決起
オスヴァルトは唇を噛みしめ目を閉じた。瞼の裏に横たわる小さな体と首の無い大きな体がちらつく。落ち着こうと息を吸い込めば、吸い込む息さえ震えている。
「何だよ、怖気づいてんのかー?」
無かったはずの記憶に飲まれそうになったオスヴァルトの意識を、首のつながったままの親友がばしりと背中を叩いて引き戻した。
「痛いぞ、ハインツ」
「あー?お前が震えてるから活を入れてやったんだよ!」
「武者震いだ」
「ほーん?んじゃ、良いけどな?俺たちの白嵐がぷるぷる子犬みたいに震えてるんじゃ、士気が落ちるんだよ」
「俺が剣を抜けば違うものが落ちるぞ」
「こえーから止めろ。とげとげすんな、ヤマアラシ」
「お前から落ちるか」
「ははは、元気そうで何よりだ!」
オスヴァルトとハインリヒの普段通りのやり取りに、呆れた顔をしたライナーの横でフリートヘルムが楽しそうに笑っている。
記憶の中ではハインリヒとフリートヘルムだけではない、ライナーも倒れていた。確かに今、誰もがまだ生きている。
ひとしきり笑うとフリートヘルムが真剣な顔になった。
「揃ったかい?」
話している間に徐々に濃くなっていた人の気配が一気に周囲に集まって来る。数えれば、話していたオスヴァルトたち四人を除けば二十八。次の合流地点への伝令として走っている者を抜いて全員だ。
「はい。揃っております」
「そうか…オスヴァルト、ハインリヒ」
「「はっ」」
「相手は百と少し、厄介な者もいる。行けるかい?僕は姉上を危ない目には合わせたくない」
「それをそのまま仰ると王女殿下は怒りますよ。こっちの台詞だ、軟弱ものが!とか」
「あはは!言いそうだね!だが乱戦は危ない…そうだろう?」
「お勧めはできません」
「であれば……オスヴァルト。その男だけでも、何とかできるかい?」
真剣な顔でじっとオスヴァルトを見つめるフリートヘルムを見つめ返すと、オスヴァルトはゆっくりと頷いた。
「仕留めてお見せしましょう。ただし、殿下が安全なところで守られてくださる前提です」
「分かっている。僕も鍛錬はしているとはいえまだまだ完全に足手まといだろうからね」
「いえ。大事を取ってです。ただの雑兵程度なら殿下も負けはいたしませんよ」
口角を上げて小さく首を横に振れば「そうだと良いけど」とフリートヘルムが笑った。
「では、合流前にあの大男だけは討つ。オスヴァルト、頼む」
「御意に。ライナー、状況は?」
「はい、斥候によるとやはり敵は合流地点の広場に陣取ったようです。広場の周囲に隠れるかと思いきや…堂々と広場の真ん中にいるそうです」
「不意打ち、する気も無いんだな…」
「会話を聞くに、やはりあの大男がいれば何があっても問題ないと判断しているようです」
「なるほど、な……」
じとりと手が汗ばんでくる。間違いなくあいつだと、オスヴァルトの中で警鐘が鳴る。フリートヘルムとハインリヒ、部下たちの仇。無かったはずの、けれど忘れることなどできはしない、記憶。
「ハインツ」
「おう」
「お前、どうしたい?」
「あ?」
「お前、アレとやり合いたいか?」
「アレがどれか、俺は見てないんだけどな?」
「ああ、そうだな。そうだよな……」
ついつい、仇を討ちたいかと聞きそうになりオスヴァルトは苦笑した。あれは起こっていない未来だ。だからこそ、オスヴァルトは今、ここにいる。
「お前……ごめんな。俺、まじで強く殴り過ぎたんだな……」
「いや、もう頭は揺れてないぞ」
「だってお前何か変だろ」
「そうかもしれないが、そうじゃない」
「だけどなぁ……」
がりがりと頭を掻くと「うーん」とハインリヒは腕組みをして唸り、それからふるふると頭を横に振った。
「いや、俺はフリートヘルム殿下をお側で守る。俺は盾だ。剣として、お前が蹴散らしてこい」
「そうか。では俺がやる」
「おう。がっつりやってこい!」
「守れよ、ハインツ」
「任せとけ!」
「絶対生きろ。絶対生かせ」
「わぁってるよ!ったく、珍しいな…お前も生きろよ!んで全員!絶対生きて帰ってうまい酒と鴨の燻製だ!!」
「おう!」と口々に声が上がる。もちろん、敵に気取られないよう全てが小声だ。それでも騎士たちの熱気と士気だけは天頂で輝く満月に届きそうに高い。
「守りはハインリヒだけで良い。今日は月が明るい。各自、ライナーの初射を合図として森の中からクロスボウである程度減らした後に突入、雑兵を減らせ。突入のタイミングもライナーに従え。大男はひと目見れば分かる。基本、近付くな。俺が対応する。他の蛮族は可能なら減らせ。ただし、そう間を置かずに第二部隊が合流するはずだ。それまでは安全を優先しろ。殿下」
「うん。全員…生きて帰ろう。あとはハインリヒが言ったとおりに」
「うぉ!すいません、殿下!」
「ふふふ!僕が全員に奢るからね。僕は飲めないけど…。さぁ、勝ちに行こう!」
「「「「「御意!」」」」」
本当に、腹立たしいほど月が明るい。けれどその明るさを、ただ忌々しいだけだとはオスヴァルトはもう、思わない。




