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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

作者: まめのき

名前をつけるべからず。

グリーンに塗られたのコンクリート壁に可愛げのない字体で書かれた

大きな文字。

ここは、犬や猫を一時的に預かる保護施設。

私の職場。

ここに来て一番最初に教えて貰ったことが

名前をつけるべからずだった。


私の人生は常に犬と共にあった、産まれた時に家には既に

ゴールデンレトリバーのムクがいた。

私を自分の子供と勘違いしていたのかムクは赤ん坊の私から片時も離れなかったそうだ。

子供時代の大半をムクと過ごした。

このままずっと一緒にいるのだと思っていた。

でも私が大きくなるにつれてムクは年老いていった。

そして私が高校生二年になろうかという時、ムクは天国に行った。

大きな病気も無く、大往生だったとお父さんもお母さんも言った。

ムクはきっと幸せだったって。

でも本当にそうだったんだろうか、

最後の瞬間の寒そうに震えるムク

私はさすってあげることしか出来なかった。

私に出来ることは他に無かったんだろうか・・・

ムクの葬儀の間、そんな事ばかり考えていた。

私がやっと泣けたのはそれから少し後、ムクの残したもの片付けている時だった。

ムクとの思い出が後から後から溢れて来る。

傷や染みにすら思い出があった。

散々泣いて、やっとお別れが出来た気がした。


私が獣医になろうと思ったのはこの時のことが大きい

今思えば、ムクは老衰で大きな苦しみは無かったと思う。

でも震えるムクの寂しそうな目を私は忘れない。

寂しかったり、寒かったり、痛かったりしたかもしれない。

そこに少しでも苦しみがあるなら私はそれを取り払ってあげたい。

その思いは日に日に強くなっている。

ゆくゆくは小さな病院を開こうと夢に見ていた。

そこで私の出来る限りを尽くそうと・・


「ボーとしてどうした?」

私に向けられた声に驚く。いけない研修中だった。

目の前にいる無骨な見た目の先輩が注意散漫な私に円らな瞳を向けていた。

体格に似合わず目が可愛くて、

性格もその目に違わないことをここ3日程で分かってる。

「大丈夫か?」

たしなめるというよりは優しい声音だった。

「大丈夫です。すみません。」

「・・・佐藤は犬や猫が好きか?」

「はい!大好きです。」

「そうか、悪いことは言わないから別の職場に行ったらどうだ。」

先輩の言わんとしてるこは直ぐに分かった。

今日の仕事が何かもう事前に聞いてる。

「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫です。」

先輩の目がさらに小さくなったがそれ以上何かを言うことは無かった。


私が彼の檻を訪れたのは一通り仕事を終えた、昼前過ぎ。

昼食には少し遅いが彼に僅かばかりの食事を与える。

彼は少し足を悪くしているので、ロングコースは無理だが散歩に行った。

緊張や不安は伝わると、ここで先輩に怒られる。

確かにそうだ、私がしっかりしなくては。

散歩を終えて保護施設に戻った。

いつもと違う順路だからか、いや、やはり私の心の動揺のせいだろう

わずかにリードに抵抗感があった。

それは本当に僅かだったが・・・

檻には戻らず小さな小さな部屋に彼と共に行く。

そこには動物用の診察台以外殆ど何もない部屋だった。

彼と一緒に入り、彼を台に乗せた。

彼は怖がって震えていた。

これからどうなるか彼には分かるのだ。

ただ暴れることはしなかった。

怯えながらも私を見つめている。

「ごめんね、あなたはこんなにも賢く素晴らしいそれなに・・・

ごめんね、あなたは何も悪くないのにね。

私は忘れない、あなたのことを忘れない。」

私が注射を打ってから数分、彼の震えが止まった。

「ごめんね。」

その夜、私は一晩中泣いた。


翌日、どうあがいてもまともな顔にならなかった私に

先輩が声をかけてきた。

「寝れなかったか、少しは食えたのか。昨日の昼も食べて無かっただろ」

「いえ、でも食べなくて良かったです。」

「・・・・辞めてもいいぞ。誰も責めない。」

「・・・私は、犬や猫が好きです。犬や猫達の為に出来ることはないか、

たとえ少しでも彼ら彼女らの苦しみ和らげれるようになりたい、そう思って獣医になりました。」

「それなら、ただ動物病院に勤めて、こんな話なんて断れば良かったんだ。

何だったら知り合いに紹介する。新しい職場のことは気にしなくていい」

「ありがとうございます。でも、知ってしまったんですもん。年間に何万頭もの犬や猫達が殺処分されてることも、その殆どがガスによって殺されてることも。」

「・・・」

「獣医の心的負担を軽減する為にガスが使われているのは知っています。

でもそれでは・・・あんまりじゃないですか。私の言っていることは偽善です。

それでも、少しでも苦しみを感じて欲しくない。せめて責任を持ちたい。

一匹一匹とちゃんと向き合いたい。

先輩もそう思うから、ここでは絶対にガスを使わないんですよね。」

「俺は、べつに・・・」

「私がいなくなったら、また一人になっちゃいますよ?

私にも背負わせて下さい。」

「・・・分かった、でも無理はするな。」

「はい。」

それからの日々は苦悩との戦いだった。

慣れることなどあるはずがない。あってはならない。

助けたいと思っていた命を奪う日々

一日に一日心に頸木が刺さっていく。

でもこの痛みすら感じることのない人間になりたくはない

私は、逃げない逃げたくない。

何もかも忘れて過ごすなんてもう私は出来ない。


ここに来て一年が経とうとしていた。

職員の数は減ったり増えたりで変わりは無いが後輩も出来た。

名前をつけるべからず。

あの可愛げの無い文字にも慣れた。

聞けば先輩が書いてあそこに貼ったらしい。

先輩が脚立を使って貼っているところを想像すると

少し笑えた。

「あら、久しぶりに笑ったわね。響子ちゃんは可愛いんだから笑顔、笑顔。」

私のにやけ顔を事務の草壁さんに画面越しに見られたようだ。

「草壁さん、やめて下さいよ。・・・私、そんなに笑ってなかったです?」

「そうよ、心配だったんだから。皆ね。

遠野君なんて、私に貴方の様子を聞くのよ。いい大人が情けない。」

「先輩がですか?」

「あら、貴方には遠野君の話が鉄板かしら、あの張り紙の話をした時も笑ってたし。」

「らしいなって思って。」

「確かにらしいわね。とにかく少し笑顔が見れて良かったわ。」

「ご心配をかけて申し訳ありません。」

「何かあったら言ってね、私は免許持って無いから、貴女の辛さの半分も

分かってあげられないかもしれないけど、話は聞くから。」

「ありがとうございます。」

「おばちゃんとの約束ね。」

「はい!お姉さん。」

「もう大好き!」

こんな会話久しぶりだ。私は本当に余裕が無かったらしい。

私が再度笑ったのを見て草壁さんは安心した様子だった。

「おはようございます。涼しー」

「おはよう、舞ちゃん。」

汗だくの後輩が余裕のない表情で入ってくる。

「何の話してたんですか?今日入って来る子の事ですか?」

そういえば今日、新しく保護犬がやってくるのだった。


その日は、日差しが質量を持っているかの様な暑い暑い日だった。

少し外に出ただけで、滝のように汗をかく。

先輩など、どこにそんなに水が入っていたのかというくらい汗をかいていた。

だって先輩がどこを通ったか分かるんだもん。

ワゴンの中もむせ返る様な暑さだった。

彼は檻の中でその大きな体を横たえていた。

その目は静かに私達に向けられている。どこか既視感を覚えた。

「興奮はしていない様ですね。」

「この暑さだからな、ばてているのかもしれない。一通りの検査後

体を洗ってやろう。水で洗ってやれば喜ぶだろう」

「それは先輩もですか?」

「・・・・」

「何でちょっと嬉しそうなんですか?」

「違う、誤解だ。軽口が久しぶりだったから・・・その・・・」

「さ!検査検査。」

「・・・・」

ぐったりしていたから心配だったが、

少し胃腸が弱っている以外、検査に異常なし、感染症にはかかっていない。

薬の入った流動の餌も食べてくれた。

彼は体を洗う時も大人しかった。

なんなら気持ちよさそうにしている。

先輩の言う通り暑さにやられていた様だ。

しかしそれを差し引いたとしても、保護直後でこんなに身を預けてくれるのも珍しいが

「あら、その子見違えたわね。」

彼を洗い終わり檻に連れて行く途中、草壁さんに声をかけられた。

「ええ、綺麗な毛並みですよね。」

「本当にねぇ、この子、毛が白色だったのね。茶色い犬だと思ってたわ」

「私もです。なんか益々似てるんですよね。」

「似ている?」

「昔、実家で飼っていた犬に、特に目元なんてそっくりで。」

「へー、そうなの。」

「同じ犬種ってのもあると思うんですけど、私もびっくりです。」

「くれぐれも情は移さないようにね。」

「はい、肝に銘じます。」

草壁さんと別れ、彼を檻に入れる。

彼は素直に入り、ゆっくりと体を横たえた。

彼は檻の扉を閉める私をじっと見つめていた。

「ムク、また明日ね。」


ムクはみるみる元気になった。

今では固形の餌もしっかり食べる。

浮いていたあばらも気にならなくなった。

「おはよう、ムク。」

「おはようございます。・・・むく?」

「おはよう、舞ちゃん・・・いい天気だね!」

「今日めっちゃ雨です。」

「・・・・先輩には黙って欲しいです。」

「・・・分かりました。安心して下さい。私、口は固いですから!」

「本当?」

「本当です。響子先輩の頼みですもん。絶対に喋りません。」

「ありがとう、舞ちゃん。」

「それに先輩が少し元気になったのはその子のおかげですよね、感謝感謝。」

「そう見える?」

「はい!」

舞ちゃんの言う通り、私はムクに元気を貰っている。

あの時感じていた安心感をこの子から貰っている。

それにしてもこの元気な後輩にも心配をかけていたんだな。

もっとしっかりしなくては、私は責任がある。

今まで見送った、いや奪った命に対する責任が

本当はもっと根本から変えなきゃいけないんだ、誰かが終わらせなくてはいけない。

とは言っても私に何が出来るだろう。

私に何か出来ることないだろうか。


「先ずは知ってもらうことからじゃないかしら。」

「え?」

電話越しの母の言葉に驚く。

「え?じゃないわよ。出て行ってから何の連絡もよこさない

薄情な娘の悩みを聞いてあげているというのに。」

この仕事につくと決めた時、母と揉めた。

私は母の反対を押し切り、半ば家出の形で今日に至る。

「それはさっき謝ったじゃん。でどういうこと?」

「皆知らないのよ、現状なんて、年間に2万頭もの犬猫が殺処分されてることも

職員が足らず常に後手になってることも。そもそも保護施設の存在も知らない人だっている。」

「お母さんも前は知らなかったのに。」

「だってお母さんだもん。とにかく一人で抱え込まず、人を巻き込みなさい。私もね。」

「ありがとう。」

「どういたしまして、それと年末ぐらい帰ってきなさい。

「はい。」

その晩、初めて父からメールが送られてきた。

「父も」

スマホも使えない父が精一杯にうったのだろう。

これは帰ってやるか年末ぐらい。


「皆さん、ご提案があります。」

翌朝の朝礼時に、大きく手を上げた。震える足から意識を逸らす為に

「どうした藪から棒に。」

「やぶからぼう?」

「いいから、それで提案って?」

「イメージチェンジしませんか?」

「イメージチェンジ?」

「はい、保護施設の暗いイメージを払拭して、新しい出会いの場にしたいんです。

これまでも里親を探す活動には力を入れてきました。

でも死や病気の印象が強くて、引き取っても直ぐ死んでしまうんじゃないかとか

野良だったり捨てられているから狂暴なんじゃないかとか

マイナスのイメージのせいで見つからないことが多い。」

「確かにねぇ。」

「私は検査が徹底されてるから安全なイメージですけど。」

「そうなの、でも世の中の人は何も知らない。保護施設の存在を知らない人もいる。」

「確かに私の友達も知らなかったですね。」

「俺達が、日夜戦っていること。向き合っている命、世の中の人は知りもしないんだな。」

「そうなんです。だから発信しましょう。もっともっと良いイメージで。

ここは悲しい場所じゃない。」

「具体的にはどうするの?HPでも情報は発信してるけど。」

「SNSを活用しましょう。生活で目にふれる機会を作るんです。興味を持つ最初がないと駄目だとおもうんです。」

「SNSなら私に任せて下さい。得意分野です。」

「舞ちゃんありがとう、お願いね。それとHPですが、興味を持った人が調べてくれた時に、マイナスなイメージを持たない様に一新したいです。病気対策や活動の内容も大事ですが、可哀そうって感じが強いです。」

「確かに、そっちで作っていたわ。」

「え?あれ草壁さんが作ってたのか?」

「そうよ、SNSとかは苦手だけど、そういうのは得意なの。昔、グラス姫って名前でブログ活動してたから。」

「あんただったのか!?」

「遠藤君、もしかして読者だった?」

「うん、めちゃくちゃ勇気貰ってた・・・」

「草壁さん、お願いします。雄雌、毛並み以外にも性格とかも乗せて

もっと身近に感じれるようにしたいです。」

「任せなさい!グラス姫の本領発揮よ。やっぱりポジティブ発信してこ私だもん。それならさ、皆が動物と触れ合っている写真ものせましょう。」

「良いですね!私撮りますよ!」

「俺はどうすれば?」

「先輩は動画に出てもらいます。」

「動画だと・・・」

「はい、私たちの活動や思いを皆に知って貰いたいんです。」

「そうは言ってもな、口下手だし、こんな顔だし。」

「だから説得力あるんじゃない。」

「お願いします。私がここで働き始めた時、先輩の思いに言葉に私は心撃たれました。その思いを皆に知って貰いたいんです。勿論私も出るので。」

「そりゃ響子ちゃんも出ないと。」

「花がないですからね。」

「悪かったな・・・・分かった、出来る限りを尽くそう。」

「ありがとうございます。」

心から話して良かった思う、この仲間ならきっと出来る。変えられる。

いつ止まったのかも分からない震えの代わりに熱を帯びている体が

心地良かった。


保護施設は少しづつ変わっていった。

日夜、どうすればより知って貰えるか、あの子達の魅力をどうすればより伝えられるか話し合った。

通常業務と平行しての作業が続いたが、文句を言う人なんていなかった。

手が足りない時、両親やボランティアの人が手伝ってくれた。

投じた一滴が広く広く波紋を広げていく。

HPを見て保護施設を実際に訪れてくれた方

SNSで逐一配信していた、日々の交流の風景をシェアしてくれてた方

動画に関心しコメントや電話をくれた方

私が少しでも助けにと思って書いた似顔絵を褒めてくれる人もいた。

もちろん良い意見ばかりでは無かったが、そんなの気にならないくらい

嬉しいことばかりだった。

結果っとして里親が見つかるケースがここ数か月で10倍になった。

少ない職員、設備でも管理が出来るようになり病死が減り

安楽死させるケースもかなり減った。

里親になった方々から多くの感謝の手紙や写真が届いた。

「いいのあれ、剥がしちゃって?」

「良いんですよ、せっかく届いた写真や手紙を貼った方がいい。

ここは悲しい場所じゃない。」

「そうね。」


「響子さん、やっぱりここでしたか。飾り付け終了しました。」

「ありがとう、舞ちゃん。・・・先輩どんな顔してた?」

「心配要らないですよ、目がきゅってなってましたから。」

「そっか。」

「ムクちゃん、なかなか里親が見つかりませんね。」

「大型犬だし、もう若くも無いから少し難しいかもね。」

「そんなー、こんなに良い子なのに、うるさくしてるとこなんて見たことないですよ。」

「・・・それは、ムクには声帯が無いから。」

「え?」

「声帯除去手術を受けているのよ。あんまり公に飼えなかったのかな。」

「身勝手ですね。」

「声帯除去手術に関しては賛否両論ある。私は好きでは無いけど

完全に悪いとは思わない、家庭の事情で必要なら獣医の私たちはその手術を行う。」

「でも声を奪われて、その上捨てられるなんて、あんまりですよ。」

「そうね、事情は分からないけど捨てるって選択だけはしないで欲しい。」

「私たちの活動が広まって行けばきっと無くなりますよ。」

「そうね。頑張らなきゃね。」

「そう言えば今度テレビの取材があるんですよね。」

「そう、なんか動画を見て連絡下さったみたいで。」

取材の依頼があったのは先日、動画には先輩と出ていたが

私をメインに取材したいとの事だった。

頂いたコメントの中には私の容姿を褒める言葉も数多くあった。

勿論、ありがたいし嫌な気がした訳ではない。

でも伝えたい事が伝わっているのか不安には駆られた。

それもあり最初この話を聞いた時は、断ろうと思った。

でもより多くの人に知って貰える機会だと言われ思い直した。

「お化粧どうしよ。」

「自然に自然に。」

「響子さんはそれで良いですけどね。でも楽しみだな芸能人になったみたい」

もし私の容姿が犬や猫を救う事に繋がるならそれでいい。

それはきっと私に出来ることの一つだ。この可愛い後輩の様に

素直に喜ぼう。


取材は非常に丁寧なものだった。

私達の施設の細かな所や、犬猫達の様子、現状や取り組み

壁に飾ってある写真や手紙には特に反応してくれた。

元のHPは残ってないかと言われ、草壁さんが目を回す以外、トラブルは無く。

最後のインタビューで私が話して終わりだ。

「佐藤さんはどうしてこの仕事をしようと思ったのですか?」

「命を守りたかったからです。」

「逆のイメージも強い職業ですが。」

「その通りです。でもこの仕事が無ければ、犬や猫が街に溢れかえり

人の生活に迷惑がかかります。病気が蔓延し多くの命が失われる。

そうなれば人は犬や猫をどうするでしょう。

だから保護なんです。保護して病気を防ぎ、人の手からも守っている。

勿論、現状保護出来る数に限りはあります。

病気等になってしまった犬や猫は同じ檻に入れておく訳にもいきません。

苦しみが長く続くくらいならとやむなくそうすることもあります。」

「佐藤さんはこれまでどれくらい安楽死を経験されましたか。」

「2年で700匹です。全て覚えています。初めて経験した日は涙が止まりませんでした。今も気持ちが変わることはありません。この仕事に携わっている全ての人がそうしたくはないと思っています。」

「だからこのような活動を?」

「はい、捨てられる動物の数は減らず、自然繫殖でも増えている。一方で職員や施設の数はいつも足りません。

私の頭ではどうしたらいいか分からなかった。どうやったら変わるのか良くなるのか。

だから色んな人に考えて貰おうと思ったんです。

私は自分が出来ることを出来る限りやろう、手の届く所から変えよう

私たちの事を知って貰えれば、色んな人がそうやって少しづつ変えてくれるんじゃないか。

人一人の力は小さくても寄り集まればきっと大きな力になります。

もう殺処分なってしなくていい世界にしたい、その一歩になればと思って。」

「その活動の結果、この保護施設は全国で最も安楽死の数が少なく里親の見つかるケースが最も多い、その証明があの壁に飾ってある写真や手紙なのですね。」

「はい、そうです。全て皆様のおかげです。この活動が全国に広がることを心から祈っています。」

私の今言えることは全部言った。伝わるかな、伝わるといいな。


「はい、ありがとうございました。良い番組になりそうです。少しチェックさせて頂くのでお待ち下さい。」

「分かりました。今のところが最後に流れるんですよね?」

「そうですね、ちなみに殺処分の映像とかあります?」

「いやないですけど・・・どうしてですか?」

「いや、構成としてあったら嬉しいなってぐらいで気にしないで下さい。」

「・・・はい」


番組冒頭で、モザイクではあるがガスでの殺処分の映像が使われた。


「どうしてあんな映像を使ったんですか。そもそもどこから。」

「いや、そっちの方がより伝わるかなとこんな悲しい現状を変えようと

努力している人たちがいると。別の所も取材しまして。」

「世間はそう受け取ってくれなった様です。抗議や嫌がらせの電話がとまりません。」

「こっちもそうですよ。今回のことは申し訳ありませんでした。まぁ人間なんて

すぐに飽きますから。お互いに耐えましょう。」

「ふざけるな。」


「そんなに叩きつけたら電話壊れるわよ。」

「いっそ壊せば良かったか。」

「ほんと。」

「私のせいで、皆さんに迷惑をかけてごめんなさい。」

「いやいや、響子ちゃんは何も悪くないのよ。」

「でも、私がTVに出ようって決めたから。」

「そんなことは気にするなあいつが悪いんだ。」

本当にそうなんだろうか、この責任を人に渡していいのだろうか。

「響子先輩、少し休んだ方がいいんじゃ、顔色悪いですよ。」

「そうだな、活動もしばらく出来ないだろうし。」

「バカ・・・また頑張る為に少し休みましょう。ね?」

「・・・はい。」

こんなに迷惑をかけた人達に、私のせいで罵詈雑言浴びせられている人達に

それでも優しくしてくれる人達に私はうなずくことしか出来ない。


数日休みを貰った。

休みの間、SNSやネットは絶対に見てはいけないとのことだった。

皆が火消しの為に動いてくれているのに私だけ見ることすらせずにいて

いいのだろうか、活動を今後も続けるならこうなった原因を探る為にも

見た方がいい。そう思う、私は逃げたくない。

明日、母が来る。そうなればもう見ることは出来ないだろう。

そっとスマホの画面を開いた。

私の事を書いてある記事や書き込み、SNSは無数にあった。

その一つを開く。


ガスえぐ、人間とは思えない


700匹!?殺戮者じゃん


美しき殺戮者www


今日も殺してるのかな?


殺して販売してる説


どこに売るんだよ。


中国


肉屋じゃん


じゃあ喜んで殺している訳か


快楽安楽死


地獄に堕ちろよ


私が殺しているのはお前らのせいなんで、私が殺さないように

考えて下さい。


守ってるwww殺してんのお前じゃん


可愛そうなヒロイン気取り


毎日殺してるのに良くあんな風に犬や猫と触れ合えるよな。

サイコパス?


でも可愛かったよな


こいつ本人か?


綺麗ごと言ってるけどエゴだよな。


殺される犬や猫達には関係ない


捨てられて、拾われて、優しくされたと思ったら殺される訳か

そりゃたまったもんじゃないわ、悪でしょ


悪だ、エゴだ、悪だ、エゴだ、悪だ、エゴだ、悪だ、エゴだ、悪だ、エゴだ


お前が死ねよ。


「私が・・・死ねばいいの?」

どうして人はこんなにも残酷になれるんだろうか。

でもこれは私がやってきた事の結果なんだ。

私が実際に手を下した。どの子のことも忘れていない。

受け止めなきゃ、今吐いたら駄目だ、今逃げたら駄目だ。

こんな思いをする人は私で最後でいい、変えるんだ、変えなきゃいけない

皆を巻き込んだ、私が、だから、だから?どうしよう・・・

プルルッ

不意の電子音に驚く。

「舞ちゃんから?」

「あの先輩、突然すみません。ムクちゃんの様子がおかしくて。遠藤先輩も出はらってるし、私じゃ分からないし、電話するか迷ったんだすけど。ムクちゃんだし。」

「舞ちゃん、落ち着いて。電話ありがとう。直ぐ向かうね。」

電話を切って直ぐ支度を行う。

幸い家と保護施設は近い、直ぐに行ける。直ぐに行けるから。

止まって涙、こんな顔じゃ会わせて貰えない。


「響子さん!」

「他の皆は?」

「手が回らないので方々に協力のお願いに行ってます。ここに居るのは今は私だけです。」

「分かった。」

会話しながらも足は止めなかった。

ムクは檻の中で、体を横たえていた。

さっそく診察に入る、お腹がかなりはっている。

ムクは鳴けないので分かりずらいがかなり痛みもかなりあるらしい。

まさか、腹膜炎?

この段階に至るまで気が付けなった。

ここ数か月、新たに入ってくる子の対応ばかりで既存の子の検査はしていなかった。

でも良く観察していれば分かった筈なのに。

ここにレントゲンを撮れる設備はない、近くの動物病院にいって

手術する?ムクだけ特別に?

それは出来ない・・・

「ムクはもう長くない・・・」

「うそ・・・」

「私が安楽死させる。」

「そんな、他に手はないんですか。」

「あるよ、でも選べない。」

「そんな、そんな事って。」

「舞ちゃん、二人にさせてくれない?」

「でも・・」

「お願い。」

「・・・分かりました。」

「ありがとう。」

ムクを台車に乗せて、小さな小さな部屋に向かう。

ムクは震えていた。かなり痛いのだろう。

診察台でムクと目を合わせる。

「ごめんね。」

この言葉を口にしたのは何度目か、私はあの時から何も変わっていない。

無力だった高校二年生のあの時から

「ムク、私ね。折れちゃった。もう嫌だなって、もう辞めたいなって、私だってやりたくてやってないって、しかたないんだって、もうあんなこと言われたくないって思っちゃった。そんな事を思ってしまう、そんな程度で折れちゃった。そんな私を私は許せない。」

「ムクには私のこんな気持ちなんて関係ないよね、一生懸命生きてるだけだもんね。

ムクはどうしたかった?沢山、走り回りたかった?思いっきり吠えて、いっぱい食べて、もっともっと生きたかった?」

何度目か分からない痛みの波がムクを襲っている。せめて鳴けたらまぎれたかもしれないのに、私がさすっているだけではどうしようもない。

「ごめんね、痛いね。直ぐに楽にしてあげるから。」

注射の用意をする。手が震えた。私は今何をしているんだろう。

ムクは死にたいなんて思っていない、助けて欲しい、痛みを取って欲しいだけだ。

私は何なんだ、ムクにとっては死神か、助けたいなんて私のエゴだ。

駄目だ、こんな状態では注射を打つことすら出来ない。

ムクは苦しんでいる

私に唯一出来ることでしょう?

痛がっている、やらなきゃ私がやらなきゃ

ムクは暴れる気配はない

私がやることをじっと待っている。

お願い止まって私の手、お願い。

その時、ムクが私の震える手を舐めた。

本能的に注射器は怖い筈なのに。その手を

「ムクは凄いね、私、ムクのようになりたい。もう大丈夫だよ。」


一時間程経って、寄り添うようにして動かなくなった響子とムクを

香坂 舞が発見する。

動物の安楽死用の薬を自らに注射していたこと、近くに遺書らしきメモ書きが

あった事で、自殺と認定された。


皆さん、先立つ事をお許し下さい。

全て私のわがままです。本当にごめんなさい。

ムクと一緒にいたかっただけです。

願わくばこのような事が最後になることを祈ります。

命を大切にして下さい。


「私が、私が悪いんです、私が電話したから、私、私が・・・」

「舞ちゃんは悪くない、絶対に悪くない。」

「でも、せめて私がもう少し早く・・・」

「舞ちゃん、どうしても悪者を作りたいなら、皆が少しずつ悪かったんだよ。

あんただけのせいであるんもんか。」

「そうだ、・・・そうだ。」

若き獣医の死は世間を騒然とさせた。

連日、彼女の事がニュースで流れた。

多くの人が、保護施設の実態、苦悩を知る事となった。

この事件を機に、安楽死自体の撤廃、禁止を訴える人が増え、法改正の必要性が論じられた。

またネットでの彼女に対する誹謗中傷が原因の一つではないか

取り上げられ

一部で誹謗中傷を行った人物の特定、その人物達に対する誹謗中傷が激化した。

「何にも分っちゃいない、ばかやろう。」

                    

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