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えっ、私って悪人なんですか?

作者: Beo9

初めまして。

名前だけで大体どんな人物なのかわかったらいいなと思い付けてみました。

「貴女は、王子のお相手に相応しくないわ。今からでも辞退しなさいな」

 目の前には数人の令嬢。私と一緒にいるのは侍女だけ。早速来たかと、暗澹たる思いで私は溜め息をついた。


―――――


 とある夜会で、この国の王子であるトレストリーム・ブリーダ王子が婚約者を捕まえたのが数か月前。

 そのお相手は、見目麗しき公爵令嬢……ではなく、小ぢんまりした領地しか持たぬペルス男爵家の、小ぢんまり……いや、とても小さいチワニアン令嬢。つまり私だ。

 とにかく小柄で、目がくりっとしてて、髪はふわっとしてて、きれいではなく圧倒的可愛い系と言われ、おかげで逆に恋愛対象にならないと言われ続けた私が選ばれるとは思わず、本当にびっくりした。

 当然、周囲は身分差を理由に大反対したし、私自身も全力で辞退しようとしたが、ブリーダ王子は頑として譲らず、最終的には周囲が折れて婚約者としての地位が確立されてしまった。

 貴族としてのマナーなぞ最低限しか身に付けておらず、学もある方ではない私がいきなり王妃教育を始めるのは、とても無理な話だった。そのため、まずは基本的な学力やマナーを身に付けようと、王都にある貴族の学校へ入ったのが一週間前。


 ただでさえ、貴族の中で最低の男爵家の娘が、王子の婚約者として入学する。もう嫌な予感しかしないし、逆の立場だったら絶対納得できないと思う。

 そして今、私は数人の令嬢に囲まれ、先程の言葉を受けているというわけだ。ちなみに、囲んでいる令嬢方は、三人中二人がとても大きい。たぶん周囲から見ても、私が囲まれているのは気づいてもらえないと思う。

「そう言われ……仰られましても、私も何度も辞退しようとはしたんです。それでも、王子が受けてくださらず……」

 私の言葉に、先頭に立つラミュート公爵令嬢は扇子を広げ、不快そうに口元を隠す。

「たったそれだけを言い返すのに、言葉遣いを乱すなんて。貴女には身分だけでなく教養も足りていないのね」

 これに関しては、悔しいけど言い返すことができない。実際、教養も知識も身分も足りてない。一方のラミュート様は、公爵令嬢に相応しい気品と迫力がある。銀の混じった白く豊かな髪に、とっても大きな身長と胸。身分も身長もこの中では一番だ。下手な男性より背が高いせいか、婚約者はまだいないそうだけど。

「男爵の娘が、王子と結婚だなんて、あまりにも身分不相応よ。分をわきまえなさい。それが貴女自身のためよ」

「そうそう。王子に相応しいのは、ラミュートお姉様なんですから」

 また別の令嬢が言う。そんなこと、私だってわかってる。だけど、王子は受けてくれなかったし、私だって今は王子のことを好きになってきている。

 まだ数回しか会ってはいないが、彼はいつも私のことを気に掛けてくれ、とても優しくしてくれる。私だって同じくらいの優しさと愛情を返したいと思っているし、諦めようなんて微塵も思わない。

「ご忠告、ありがとうございますシヴァーケン様。ですが、王子が私を相応しいと思ってくださったのなら、私はそれに応えたいと思います」

 ピクッと、シヴァーケン侯爵令嬢の太い眉が動く。この人は今私を囲む中では唯一小柄だけど、やっぱり私の方が背が低い。だけど、小柄でもこの人はとんでもなく腕が立ち、身長をからかった男子生徒を一瞬で捻じ伏せたことがあるとか。

「忠告は聞けない、と?」

「ええ」

「じゃあさー、私達の方で動いてあげよっか?『チワニアン様からは言い辛そうだから、私達が代わりに~』って感じで話せば……」

 ハスキー伯爵令嬢の能天気な声が響いた瞬間、ラミュート様が扇子で口元を隠しつつ「チッ!」と舌打ちをした。瞬間、ハスキー様は「ひっ!?」と悲鳴を上げ、真っ青な顔でガタガタ震えだす。

「……淑女たるもの、常に優雅に、よ」

「は、はい……そ、その、チワニアン様は男爵令嬢ですので、やはりご自身からは言い辛いでしょうし、既に断られているとも聞きます、わ。ですので、チワニアン様が身分違いの婚約に悩み、苦しんでいるとお伝えすれば、王子もご一考くださるかと」

 この人、落ち着いてれば才色兼備の御令嬢なのに、すぐ興奮して平民みたいな振舞いになるんだよねえ。子犬っぽい愛嬌はあるんだけど。とはいえ、ラミュート様に次ぐ身長の持ち主で結構な威圧感があるけど。しかも髪色はラミュート様そっくりで、たまに姉妹と間違われている。

「なるほど。わたくし達で話せば、聞き入れてくださる可能性はあるわね」

「ですよねー!?だからやっぱ私達……」

「チィッ!」

「ひぅ!?」

 真っ青になり、涙目でガタガタ震えるハスキー様。馬鹿なのかな。アホの子なんだろうなあ。というかラミュート様、舌打ちは淑女としてどうなの?

 そんなことを考えていると、侍女のフリーゼがスッと前に出た。

「お嬢様方。言いたいことがあるのはわかりますが、たった一人を数人で囲むのはいかがなものかと」

 すると、ラミュート様とシヴァーケン様が、揃って冷え切った視線を向けてきた。

「……主人の会話に割り込む侍女など、一体どんな教育を受ければそう育つのでしょうね?命の危機でもない限り、主人に黙って付き従う……貴族の常識ですわよ」

「まあ、そんな侍女がいるんですのね。わたくし、見たことも聞いたこともないわ」

「二人とも、そんな言い方っ……」

 言いかけて、あれっと首を傾げる。確かに、侍従が主人の会話に割り込むのは無礼極まりないものだと聞いた覚えがある。私を守るためとはいえ、フリーゼはそれをしてしまった。

 が、ラミュート様は、今『見たことも聞いたこともない』と言った。これはつまり、無かったことにしてくれるって意味?

「そっ、そうですね。うちにも、そんな無礼を働く侍女はいませんよ、お、おほほ……」

「お嬢様!?」

 目を剥くフリーゼに、視線で黙るように指示を送る。一瞬考えてから理解してくれたらしく、フリーゼは再び私の後ろに戻った。

「チワニアン、貴女、ブリーダ王子のことをどれくらいご存知でして?」

「え?えっと……人並み、くらいは?」

「そう。では、王も匙を投げるほどの怠け者だということ……いえ、噂話はご存知かしら?」

「え?」

 王子が怠け者?そんな話は聞いたこともない。思わず返事もできずにいると、ラミュート様は小さく溜め息をついた。

「ちょっと独り言を言いますわね。王子は生来の怠け者で、勉強でも公務でも何でもサボる癖がありますわ。当然、王としての資質には大いに疑問符が付きますが、王子はブリーダ王子お一人のみ。必然的に、将来は彼が王となりますわね。そんな怠け者が王になって、この国は一体どうなるのでしょう?」

 ラミュート様の独り言は、結構とんでもない内容だった。私、そんな人の隣に立とうとしてるのか……。

「だから、力づくでも言うことを聞かせられる、お姉様が相応しいんです!」

 そう言ってなぜか胸を張るハスキー様。ちなみに、ハスキー様はラミュート様より一歳年上だったりする。

「ええっと……その、事情はわかりましたが……」

「本当にわかっているんですか?そうなった時、貴女は何と言われるかわかりますか?『教養もない男爵家令嬢の癖に、王妃になどなるからこうなる』などと陰口を叩かれるのですよ。貴女には一切の非が無くとも」

 ……えーと?なんか、ちょっと雲行きが怪しいと言うか、思ってた方と違う方に流れてると言うか……最初、彼女達は嫉妬から婚約者を降りろって言ってるのかと思ってたけど……もしかして、私本気で心配されてる?

「チワニアン、貴女、王妃教育は受けていて?」

「いえ、まだです。まだ私には教養が足りないので、学校卒業後に始めることになっていますが……」

「うーん……それも一理ありますが……王子は何と?」

「『王妃教育なんか受けなくても、僕が必ず幸せにする』と……」

「あの馬鹿、とんでもねーこと抜かしやがりますね!」

 ハスキー様の毒舌にも、ラミュート様は目を瞑って眉間に扇子を当てている。きっと、全員が同じことを思ったんだろう。

「王妃はお飾りではなく、足りない部分や手の届かない部分を補う役割だということを理解しているんでしょうか、あの三流王子は……」

「理解していたら、そんな台詞は出ませんわね。王妃をただの愛玩動物とでも思っているのでしょう」

「そ、それじゃあお嬢様はっ……あ……」

 思わず口を開いたフリーゼに、三人の令嬢は鋭い視線を向けた。それを受けてフリーゼが黙ると、シヴァーケン様が口を開く。

「今、誰か何か言いましたか?チワニアン様、言いたいことがあればどうぞ」

 あ、これ本気で無かったことにしてくれてる。何これみんな良い人すぎる。

「え、えーと……私は、どのように動けば良いのでしょうか?この国の未来も安泰で、私自身も皆に祝福されるような結婚をするには……」

 私の言葉に、三人は一斉に考え込んだ。しばらくして、ハスキー様が口を開く。

「チワニアン様は、非常に可愛らしいです」

「えっ!?あ、ありがとうございます?」

「加えて、愛嬌もありますし、小首を傾げる仕草なんて反則的に可愛いですし、全体に庇護欲をそそります。ラミュートお姉様に対して、チワニアン様は妹的存在ですね!」

 何だろう、ものすごく恥ずかしいんだけど。逆にこれ嫌がらせかな?

「ですので、それを利用しない手はないかと!」

「確かに、チワニアン様は『可愛い』を具現化したような存在ですね。たとえ脳内にオダマキの花畑を持つような言動をしても、うっかり許してしまいそうな危険な可愛らしさです」

「お、おだまき?」

「花の名前です。花言葉は『愚か者』」

 ボソッと、フリーゼが教えてくれた。ていうか、だんだん私が危険人物みたいになってきてるんだけど。

「その可愛らしさで、王子を籠絡しちゃいましょう!首を傾げてお目々うるうるの上目遣い……同性だって怪しいのに、男性なら絶対拒否できませんよ!その魔性の可愛さで、王子をまともにしちゃうんです!」

「ハスキー。貴女って、本当に落ち着いてれば優秀ね」

「うはぁーい!ラミュー……」

「……」

「ご……ごめんなさい……」

 人を三人ほど殺してきました、と言うような目で睨み付けられ、ハスキー様は涙目になっている。学習能力ってないんだろうか。

「わたくしも、ハスキーの言うやり方を推しますわ。貴女には手札は少ないけれど、強力な切り札がある。それをうまく使うことですわ」

 うーん、何だか思った以上に責任重大。ていうか、そりゃ結構な大ごとだとは思ってたけど、失敗したら国が滅びかねないとか怖いんですけど。そしてそれを腕っぷしで解決しようと考えてた御令嬢方がいたのも結構恐怖。

「男爵令嬢である貴女に、辛い仕事を押し付けてしまうのは心苦しいですが、これは貴女自身も望むこと。貴女も貴族の端くれなら、その務めを立派に果たして見せなさい。もし手助けが必要なら、わたくし達もその労は惜しみませんわ」

 最後にラミュート様にそう言われ、私はようやく解放された。とはいえ、私の心は全く晴れない。

 素敵な男性だと思っていた王子様は、実はとんでもない怠け者で、それをどうにかしないと国の将来が怪しくて、そんな役目を男爵令嬢に負わせるのは可哀想だと本気で心配する令嬢方がいて……たった数分なのに、本気で疲れた。

「ねえ、フリーゼ。次の王子様とのお茶会は、いつだったかしら?」

「二週間後です。場所は学園の第一応接室を借り切っていますね」

 二週間後か。それまでに、私はどうするべきなのか、何を聞くべきなのか。色々考えておかなくっちゃ。


「やあ、チワニアン!今日も可愛らしいね!」

「ありがとうございます、ブリーダ様」

 爽やかな笑顔を浮かべる王子に、私も笑顔で礼を返す。やっぱり王族スマイルいいなあ……などとうっとりしそうになるが、今日はしっかりやらなきゃいけないことがある。

 お互いの近況や、学園生活について話しつつ、王室のお茶とお菓子を楽しむ。どれもこれも、私が普段飲んでいるものとは全然別物で、ついついこれ目当てに結婚してもいいかなあ、などと思ってしまう。もちろん、そこまで不純な動機で結婚はしないけど。

 ある程度話題が落ち着いたところで、私はおもむろに口を開いた。

「ところで、ブリーダ様。私の王妃教育についてなのですが……」

「王妃教育?いいよ、あんなもの受けなくても。君のことは僕が必ず幸せにしてあげるから」

 即答した王子に若干呆れつつ、ちらりと王子側の侍女達に目を向ける。するとばっちり目が合い、『頼むからこいつの言うことを真に受けないで!』という気持ちが痛いほど伝わってきた。

「うふふ、お気持ちは嬉しいです。ですが、やはり教育はしっかり受けた方が……」

「いいんだよ。花だって、変に切り取られて生けられたものより、自然に咲いているものの方が美しい。君だってそうさ。そのままの君が一番可愛いのに、王妃教育なんて受けたら型に嵌ってしまって、せっかくの可愛らしさが無くなってしまう」

 うーん、一見いいこと言ってる感があるけど、意訳すると『お人形のままの私がいい』ってことだよね。あと花を生けることを仕事にしてる人だっているんだから、その言い方はいただけない。

「それとも、君はそうなってしまってもいいの?僕が支えると言っても不安かい?」

 若干責めるような声で言われるが、さすがに馬鹿正直に『はい不安です』とは言えない。たぶんこれ、自分が楽したいからなんだろうなあと、何となく想像がついてしまう。うーん、そう考えると結構腹立ってくるな。その結果、私がどうなるか想像つかないのかな。

 悪鬼のような表情を浮かべそうになって、慌てて表情筋に力を入れる。違う違う、この表情はやばい。それより効果的な表情にしないと。

 二週間前、皆に色々教えてもらったから、私は色々準備ができた。噂が本当だとも確認できた。婚約者やめようかなと、本気で思ったりもした。

 だけど、やっぱりそんなことはできない。馬鹿だと言われても、私はブリーダ様が好きだし、彼を支えられる人物になりたい。あと国も滅んでほしくないし、私に謂れのない中傷が来るのも勘弁してほしい。

 私は視線を落とすと、少しだけ瞼を落とし、目に僅かな涙を浮かべた。まったく悲しくなくたって、涙を浮かべるくらい私には朝飯前だ。

「えっ……チ、チワニアン!?」

「ご、ごめん……な、さい。嬉しいです。嬉しい、のに……悲しくて……」

「う、嬉しいのに悲しい?な、何が?」

「ブリーダ様が、そこまで私のことを想ってくれて……で、でも、私っ……!」

 そこで涙を拭きもせず、キッとブリーダ王子を見上げる。思わぬ眼力に、ブリーダ王子は少し気圧されたようだった。

「私もっ……ブリーダ様のお役に立ちたいんです!立派な王妃様になって、立派に国政を務めてっ……で、でも、私、男爵家の育ちだから……そんなの、わかんなくてぇ……でも、王妃教育……う、受けたら、きっと……自信、持って……隣、立てるって……う、うぅ……!」

 お父様相手なら百発百中、必殺の泣き落とし。その際、気丈に振る舞おうとしつつ、だんだんと感情に負けてしまうように泣いてみせるのがコツだ。さて、ブリーダ様にはどれくらい効くかな?

 そう思った瞬間、私は勢いよく手を掴まれ、驚きに目を見開いた。

「えっ……?」

「すまない、チワニアン!僕が間違っていた!」

 そのまま抱き着かれそうになり、シヴァーケン様直伝の護身術を使ってやんわり身をかわすと、ブリーダ様は改めて私の手を取り、まっすぐに目を見つめてきた。

「君が、そこまで僕のことを想ってくれてたなんて……僕はね、男爵令嬢の君には、王妃教育は辛すぎると思ってたんだ。だから、そんなの受けなくていいと……でもそれは、君の気持ちを少しも考えていなかった」

 しみじみ語るブリーダ王子。とりあえず私の気持ちを考えてくれたのは嬉しいけど、国のことも考えてほしい。

「でも、僕は目が覚めたよ。王妃教育は、本当に辛いと思うけど、頑張れるかい?」

「はい……ブリーダ様と一緒なら、どんなことでも頑張れますわ」

 しれっと、王子を巻き込むことも忘れない。とりあえずこれで、私が王妃教育を受けられないということはないだろう。

 その後のお茶会は和やかに、しかしほんのりと未来への熱意を伴って終わった。帰り際、王子の侍女達へ視線を向けると、それに気づいた一人が万感の思いを込めて目礼し、それに気づいたもう一人がビシッとサムズアップを決めてくれた。

 これで第一段階突破と、私はホッと息をついた。だけど、こんなのはまだまだ序の口。この国と私の未来のためには、もっともっと頑張らないと。


 数日後、私はラミュート様の教室を訪ねていた。しかし彼女の姿はなく、ハスキー様もシヴァーケン様も見当たらない。

 知らない人に声をかけるのも躊躇われ、どうしようか迷っていると、一人の女子生徒が目についた。彼女のことは、ラミュート様から聞いている。初対面だけど絶対間違いない。

「あ、あの……ピレニー様、ですか?」

 おずおずと声をかけると、その人はおっとりとした動作で振り返った。

「ん~?あれ、どこですかぁ?」

「下、下です」

 でっかい。『大きい』でも『でかい』でもなく、『でっかい』。ラミュート様をさらに上回る長身の持ち主で、恐らく2メートルを超えている。でも髪は真っ白でふわふわしており、人畜無害そうな垂れ目が何とも愛嬌のある顔を作っている。

 ちなみに、この人とラミュート様、ハスキー様で女子の身長トップスリーを占めているらしい。男子まで含むと、ピレニー様すら三位なんだとか……恐ろしい。

「あぁ、ごめんなさいねぇ。もしかしなくても、チワニアン様ですねぇ」

 ピレニー辺境伯令嬢。彼女はラミュート様から『自分達がいない時は彼女に話を』と紹介された人物だった。曰く、男爵令嬢が公爵令嬢に話しかけるのも貴族の常識からするとやや外れるそうで、爵位が二つ程度の差で収まるハスキー伯爵令嬢か、このピレニー辺境伯令嬢から話を通してほしいとのことだった。

「王子様の婚約相手。どんな御令嬢かと思ったら、こんなに小さな方だったんですねぇ」

 どことなく見下ろす……ではなく、見下されるような雰囲気を感じ、私は少し顔を引き締めた。

「本当に、貴女のような方に、あの王子の結婚相手が務まるのですかぁ?」

 ああ、今度こそ来たかと、私は心の中で溜め息をつく。いくらラミュート様の紹介とはいえ、彼女達の派閥も一枚岩ではないだろうし、それにこんなものは最初から覚悟していたものだ。

「……貴女が、どう思うかは知りません。ですが、私は全力を持って、ブリーダ様の伴侶となるつもりです」

「無理だと思いますよぉ。ラミュート様でなければ、私かハスキー様がお相手になろうと思っていたんですが~……そうでなくても、男爵家には荷が重いですよぉ」

「何事も、やる前から無理と決めつけないでください。たとえ男爵家の出であろうと、私はブリーダ様に相応しい相手になるつもりです」

「でもぉ、絶対考えなしに側室作りまくるでしょうし、そうなった場合は首根っこ引っ掴んで叩きのめさなきゃいけないじゃないですかぁ」

「なんて?」

 令嬢らしからぬバイオレンスな台詞に、私は思わず聞き返してしまった。

「ブリーダ王子って、絶対に女を可愛がるだけのものと思ってますよぉ。側室を持つこと、それ自体は認められていますけどぉ、国の将来を考えると、あんまり子供が多いと国が乱れる原因になるじゃないですかぁ」

「そ、それは、まあ、はぁ」

 思った以上にまともな意見に、私は気の抜けた返事しかできなかった。

「その側室だって、男爵家より下ってことはなかなかないでしょうしぃ、チワニアン様だとすっごく苦労すると思うんですよぉ」

「えっと、お気遣い、ありがとうございます?」

「それに、側室が調子に乗った時だって、最低鼻がひん曲がるくらいには叩きのめしますでしょう?」

「なんて?」

「チワニアン様だと、それも難しいなあって思うんですよぉ。それでも、結婚するおつもりなんですかぁ?」

 なんでこの国の御令嬢方は、こんな戦闘民族みたいな思考をするんだろうか。我が国は修羅の国ではないはずだけど……それなのに、私に対しては滅茶苦茶優しいのもまた解せぬ。しかしこの人、一番大人しそうなのに一番血の気が多そうだな。

「……はい。私は生涯、ブリーダ様と共に生きたいと思っています」

 私の言葉を聞くと、ピレニー様は頬を染め、にっこりと微笑んだ。

「うぅ~ん、一途ぅ……こんな子と結婚なんて、ブリーダ様にはもったいないくらいですねぇ。わたくしが頂いてしまいたいくらいですよぉ」

「はい!?」

「うふふ。もちろん、そんなことはしませんよぉ。でもぉ……ふふ、ラミュート様達が言ってたこと、わかった気がしますぅ」

一体何を言われていたのかと、思わず表情が固まってしまうが、ピレニー様は優しい微笑みを向けてくれた。

「チワニアン様は、私達では決して出来ないようなことをやってくれる、と。あの王子を、この国の未来を、きっと変えてくれる方だ、と、そう仰ってましたよぉ」

 そこまで信じてくれるのかと、胸の奥がじんわりと暖かくなる。同時に、その期待に応えなければという熱い使命感も湧き上がる。

「あんまり小さくて可愛くて、ずっと手元に置いておきたくなっちゃいますけどぉ……チワニアン様は、すっごく大きなことを成し遂げてくれそうですねぇ」

 ああ、この人は別に私のことを見下してたわけじゃなくて、ついつい愛玩動物的な目で見てただけなのね。何だかんだ、この人も良い人だよね。『逃げたくなったら、ぜひぜひ私の領地へ来てくださいねぇ』という声は聞こえなかったことにする。


 何度かラミュート様達と会い、作戦会議をし、今後の方針を決め、少しずつ実行していく。

 とにかく、私の目指すところは三つ。一つ、王妃教育をしっかり受ける。二つ、王子のサボり癖を矯正する。三つ、あまり多数の女性に手を出させないようにする。

 一つ目はひとまず何とかなったと思うけど、あとの二つはこれからの課題だ。特に二つ目、これが一番の難敵だと思うけど、これに関してはハスキー様とピレニー様が絶対に大丈夫と太鼓判を押してくれた。

 そんなこんなで、今日は試験の成績発表の日。成績上位者は廊下に名前と得点が貼り出されるようになっており、多数の生徒がそこに集まっている。

 何とか足元を縫うように歩き、掲示板を見上げて名前を探す。すると、30位のところに自分の名前を見つけた。ここ一ヶ月ほどのハスキーブートキャンプの成果がしっかり出せたようだ。ちなみに、他の参加者であるラミュート様は学年総合4位、シヴァーケン様は学年総合15位。ピレニー様は実技のみ2位で座学は31位。ハスキー様は何と座学の学年1位を取っている。あの人ほんとに頭いいんだな……実技は壊滅してるみたいだけど。

 その時、人混みがさっと左右に分かれた。何事かと振り返ると、そこにはブリーダ王子が立っていた。

「ほう、30位とはなかなかいい成績だね、チワニアン」

「ありがとうございます、ブリーダ様。ハスキー様達と一緒に、お勉強会をした甲斐がありました」

 ポンポンと、優しく頭を撫でられる。つい嬉しくなってしまうけど、それに浸っているわけにもいかない。

「でも……その、ブリーダ様、は?」

 この王子、学年は私と同じである。私は編入と言う形で途中参加だが、ブリーダ様は私よりちょっと長く学校に通っている。その分、勉学では有利なはずだが、成績上位者の中には入っていない。

 私の言葉に、ブリーダ様は困ったように笑った。

「あはは……僕は、勉強は苦手だから。でもまあ、卒業できる程度の学があれば、そこまで頑張らなくたって……」

 たぶん、この人の成績は王子じゃなかったら落第しているだろう。現に、試験中もまったく問題が解けていなかったようだという、信頼できる筋からの情報もある。

 私はへなりと眉を下げ、ブリーダ様を上目遣いに見上げる。

「……一緒じゃなきゃ、嫌です」

「え?」

「私、ブリーダ様の婚約者です。だから、どこでも一緒にいたいんです。この張り紙の中でだって、一緒がいいです!」

「え?こ、これ?え、でもこれ、成績上位者の……」

「……ダメ……ですか……?」

 ほんの少し唇を尖らせ、ちょっとだけ目を潤ませる。もちろん、両手を胸の前で組むことだって忘れない。『言うこと聞かなきゃ泣いちゃうぞ』という、子供じみた脅しだ。だけどこれは、私の容姿でやると凄まじい威力を発揮する。

「ぐふっ!?」

 狙い通り、王子は胸を押さえ、変な呻き声をあげた。直後に慌てて口を押え、赤くなった顔を慌てて逸らす。

「だ、ダメなわけないだろう!?こ、今回はその、ちょっと調子が悪かっただけさ!次は、絶対に一緒さ!」

「ほんとですか!?嬉しいです!じゃあじゃあ、次は一緒に載って、その次は並んで、最後にはブリーダ様が1位、私が2位で並びましょう!」

「え、い、1位!?」

「ねっ、絶対ですよ!約束ですよ!」

「え、あ、ああ、そうだね!うんわかったよ!約束は守るよ!」

 最後は若干やけくそ気味だったが、言質は取れた。これで少なくとも、勉強をサボるようなことはなくなっただろう。

 達成感に、思わずむふーっと大きな息をついていると、周囲からぼそぼそと声が聞こえてきた。

「すげえ……あの王子が1位目指すってよ」

「あれが婚約者……どんなのに男が弱いか、全部わかってやがる」

「あんな小さいのに、恐ろしい女だ」

「あんな小さい子が婚約者……王子はロリコン?」

 何だか私が悪女みたいな噂が広がってる気がするけど、やめてもらえます?私は国のために頑張ってるんですよ?あと王子のロリコン疑惑は……疑惑のままにしておこう。


 そうして、私はあざとく可愛い婚約者として振る舞い続けた。ブリーダ王子はやればできる子だったらしく、成績もめきめきと上がっている。約束は破らない辺り、最低限の信頼は置けそうだなと、王子の評価を上方修正する。

 もちろん、立派な王になってもらうために、努力は欠かさない。


「ブリーダ様、勉強教えてください!歴史なんですけど……あ、なるほど……わぁ、ブリーダ様って物知りですね!それに説明も分かりやすかったです!」

「王族としてのマナーはどんなことに気を付ければいいですか!?やってみせてください!」

「ブリーダ様、このクッキー、フリーゼに習って焼いてみたんです!おいしい……ですか?よかったぁ……だって、ブリーダ様はすっごく頑張ってますから、私もできることで応援したくって……ふふ、ありがとうございます!」

「すごいすごい!ブリーダ様、6位ですよ6位!ついに抜かされちゃいました!あ……えへへ、そうですね。でも、ブリーダ様だと、抜かれても悔しくないんです。むしろ、嬉しくって……はい!次は、並びましょう!」

「ブリーダ様?誰を……ああ、ファーレーヌ様ですか。可愛らしい方ですよね。ちょっと嫉妬しちゃいます……そう、ですか?うふふ、嬉しいです!」

「ピレニー様!?他の方を見るぐらい大丈夫ですって!ほんとに気にしてないですから!ちょ、ネックハンギングツリーはダメです!ブリーダ様逃げてー!」


 褒めて、おだてて、頼って、支えて、繋ぎ止めて、全力で逃がして、忙しい日々が過ぎていった。

 もはや王子は、怠け者だったとは信じられないぐらいに成長しており、そのことで王と王妃に呼ばれ、涙ながらに感謝されたことも記憶に新しい。

 最終学年の試験では、ついに最後の牙城であったラミュート様を抜き去り、私が1位、王子が2位になることに成功した。理想とは逆だったけど、そんなのは些細な問題だ。約束が守れなかったと落ち込む王子は、理想と逆だったけど大体理想通りなことを強調しまくった結果、何とか立ち直ってくれた。

 王子だけでなく、私自身も皆のブートキャンプで知識、教養、常識やマナー、護身術に至るまで叩き込まれ、王子ともども今後の憂いなどない。

 あとは何事もなく、学園を卒業するはずだった。


 「すまないが、チワニアン。君と結婚することはできない」

 卒業パーティーで、王子が無表情に告げた。その傍らには、そんな王子を熱の籠った瞳で見つめる一人のとても小柄な御令嬢。

 一瞬、何を言われたのか理解できず、呆けたように口を開けて王子を見つめてしまう。だがその直後、後ろからビシリパキパキと音が聞こえ、慌てて口を開く。

「り、理由を教えてください。はっきりと、嘘をつかず、早めに」

 振り向くまでもなく、後ろでラミュート様、シヴァーケン様、ピレニー様が臨戦態勢に入っているのが分かる。ピレニー様やめて、さっき握り砕いたグラスを武器にしないで。

「碌な爵位もない君を婚約者にしたのは、間違いだった。そのことに気付いた、それだけの話だ」

 ああやめて。ラミュート様、何か重そうな扇子持ってましたけど閉じないで。戦闘態勢にならないで。シヴァーケン様も無表情やめて、本気で危ないやつそれ。

「……隣の、御令嬢は?」

「知らないのも無理はないか。理解できるように言えば、『か』、彼女は……『ん』ん……『ちょ』っと待って……そう、『う』、生まれた時から出会いを運命づけられていたような……そんな女性だ」

 ああ、『間諜』ね、でも王子もうちょっと頑張って!結構ギリギリだったよ今の!幸いにも気づいてないみたいだけど!

 とにもかくにも、王子からのメッセージは受け取った。後ろに素早くハンドサインを送ってから、私は静かに頭を下げた。

「爵位のことを言われてしまえば……私に、言えることはありませんね」

「本当にごめんなさい、チワニアン様。でも、ブリーダ様も、やはり侯爵の娘である私の方が相応しいと判断してくださったんです」

 ちらりと見れば、優越感たっぷりに私を見下ろす令嬢の姿。なるほど、実際自分のものにしたいとは思ってるわけね。それに気づいた瞬間、何となく胸のつかえが取れたような気がした。

 そうそう、こういう妨害行為よ!私が待ってたのは!いや待ってないか、想像してたのは!なのに皆さん本っ当に親切極まりなくって、肩透かしを食らいまくったこの数年、ようやく想定通りの場面が来たわ!

「……ブリーダ王子、最後の贈り物に、お花を送りたく思います。どのような花が良いですか?」

 私の言葉に、ブリーダ王子は眉間に皺を寄せて考え込んだ。やがて、静かに口を開く。

「ゼラニウム、白がいいな。それと大輪の向日葵もいい。黒薔薇、黒百合、マリーゴールドもつけてほしい」

「まあ、ブリーダ様。黒い花がお好きなんですね」

 令嬢の能天気な言葉に、私は引きつった笑いを浮かべる。思ったより鈍い方のようで何より。

 今王子が挙げた花の花言葉は、それぞれ『偽り』『偽りの愛』『憎悪』『復讐』『絶望』だ。何かあった時の暗号として、花言葉を二人で覚えたのが、まさか学園卒業前に役立つとは。そして救助要請が、まさかの私から王子ではなく、王子から私とは予想外にも程がある。あと王子、後半お気持ち駄々漏れなチョイスしないように。

 後ろでラミュート様達が動いているのを感じつつ、さてこちらはどうするかと思っていると、御令嬢が口を開いた。

「チワニアン様、名残惜しいのはわかりますが、もう身を引いてくださいな。この私、プードル・ティーカの侍従は、とぉっても優秀なんですよ」

 ん?んんん?プードル侯爵……?あれ、確かスタン様、ミディア様、ミニー様、トーイ様の四兄弟だったはず。ティーカなんて名前は聞いたことがない。

「優秀すぎて、王子様の寝所にだって入れちゃうかもしれないんですよ。それに、とっても忠誠心があって……障害となったら、何でも排除しようとしちゃいますから、だから、お願いですから、身を引いてくださいな」

 よく見ると、彼女の体は微かに震えており、顔は貴族らしい微笑を湛えているものの、どこか引きつっている。そして、今の言葉……ブリーダ様に視線を向けると、彼もやや怪訝そうな顔をしつつ、小さく頷いた。

「お断りします、と、申し上げたら?」

「こ、困ります!」

 いや『困ります!』じゃないでしょ!そこはもうちょっと頑張って!間諜なんでしょ!?そういう訓練受けたんじゃないの!?

「と、とにかく絶対に身を引いてください!王子様はもう我がく……私のものですから!」

 『我が国』って今漏らしかけたよね!?いやほんと何やってるの間諜!?わざと!?わざとだよね!?そういえば、わざわざバレやすい名前名乗ってたし、震えてるし、これもう絶対わざとやってるよね!?

「そうですか……わかり、ました……ブリーダ、さま……わ、わた、し……これまで、おせわ、に……う、うぅ……」

 とりあえず時間を稼ごうと、私は彼女の言葉に従い、身を引こうとするも思わず泣いてしまうという形で演技をする。

「チ、チワニアン……!」

「んぐっ……お、おいたわしい……!」

 いやちょっと。ブリーダ様はともかく何で暫定ティーカ様にもダメージ入ってんの。そこはほら、奪った側なんだから嘲笑とか追い打ちとかさぁ!しっかりして自称ティーカ様!

 願いが通じたのか、ティーカ様(仮)は軽く咳払いをすると、私の方を微妙に見ないようにしつつ、嘲笑を浮かべた。

「ふ、ふふ、ごめんなさい。私の方が……わ、私なんかの方が、王子には相応しいですもん……」

 だからぁー!もう隠す気とか一切ないでしょ!?なんでそんな自己評価低いの!?なんでそんな自分で自分の悪意に押し潰されそうになってんの!?ああもう早くこの場を何とかしたい……!

 思わず天井を仰いだ瞬間、何やら見覚えのある侍女が私に合図するのが見えた。見間違いかな、見間違いじゃないんだろうなあ。

「うぅ……で、では、最後に……私、から……一言だけ、いいですか……?」

 目の前の大根役者と違って、私は完璧に悲しみに沈んだ表情を作り、二人を見上げる。何だかその瞬間、二人ともきゅんとした表情してた気がするけど、気のせいだということにする。

「い、いいですよ。その……ご自由に」

「チワニアン、何を……?」

 王子はさすがに何かしら感じ取ったようだけど、私は目礼をするに留める。そして、こちらを窺う周囲の人達をぐるりと見回し、涙に潤んだ目で一人一人を見つめると、震える声で言った。

「……皆さん、お願いします!」

 うおおおおっ!と、主に男子から熱い歓声が上がり、全員が一斉に動いた。

「な、何をっ……うわあっ!?」

「やめてください!放して!」

 本っ当に、あっという間だった。ティーカ様と名乗る間諜及びその侍従達はその場にいた全生徒に飛びかかられ、外にいた関係者も、侍女に化けていたハスキー様が手を回していたおかげで、既に捕えられていた。てかハスキー様何してるんですか。去年卒業しましたよね。

 ハスキー様曰く、『見慣れない顔があったから調べていた』とのことだったけど、この人学園の全生徒の顔覚えてるんだろうか。有能すぎて怖い。

 ブリーダ王子の話によると、数日前に誰も入れないはずの寮の私室に、手紙が置いてあったそうだ。内容は、私との婚約を破棄し、ティーカ様と結婚しない場合、王族の安全は保障しない、という内容だったとか。

 それを置いた人、恐らく隣国の暗殺者なんだろうけど、彼は現在狩りの獲物よろしく、ピレニー様の右手にぶら下がっている。足じゃなくて首掴まれてるのが気になるけど、王族を脅迫した人だからしょうがないかな。顔は土気色じゃなくて紫だから、まだ生きてそうだし。

「それで、貴女はなぜこんな真似をしたんですか?」

 最初からほとんど抵抗らしい抵抗を見せなかったティーカ様に尋ねると、彼女は顔を伏せつつ話し出した。

「……私の家は、没落寸前の男爵家です。元はテリア侯爵家の流れを汲む家ですが、今では見る影もありません」

 彼女の本当の名前はペイズリー。もう家は没落一直線で、どうにもならない状況になっていたところ、王家より今回の任務を受けたそうだ。任務内容は、我が国の王子を籠絡し、国を乗っ取ること。成功すれば、多額の報奨金を約束されており、そうでなくとも隣国の王妃となれるため、選択の余地はなかったという。

 本来なら、簡単な任務だった。ところが、考えの足りない脳内お花畑王子と聞いてこの国に来てみれば、いつの間にかブリーダ王子は立派な王子になっており、しかも婚約者をとても愛しており、付け入る隙がない。学園卒業までに何とかできなければ、私達は婚約から結婚に変わり、もうチャンスがない。

 そのため、とうとう強引な手段に打って出たのだという。とにかく私を引き離せば、王子一人ならどうとでもできると考えたのだろう。

 ただ、そこで誤算だったのが、ペイズリー様が思った以上に乙女だったことと、人が好過ぎたことだった。

「だって、あんなに愛し合ってるってわかる方達を、無理矢理引き離すなんて、そんなひどいことできません!王子様は、その……と、とても素敵ですし、その、で、できるなら私が、とか、思っちゃいましたけど……で、でも、そんなことしたらチワニアン様が可哀想すぎますっ!」

 力強く言い切ったペイズリー様の言葉に、数人が『わかる』と言いたげに頷いている。ピレニー様、ぶんぶん頷かないでいただけます?首もげますよ?

「だから、私……みんなに、バレればいいって思って……」

 隣国の不幸な、と言うか迂闊だった点は、駒として扱いやすいかどうかだけ確認して、ペイズリー様自身がどういう人なのかを把握してなかったことだ。そうでなければ、相手に同情して国を裏切るとんでも令嬢に、こんな任務は任せなかっただろう。

 少し雰囲気が緩み、あとは国の然るべき機関に……と考え始めた時、ペイズリー様の侍従が周囲の生徒を振り払って立ち上がり、懐に手を入れた。

「お前さえいなければ!」

「チワニアンっ!」

 あっと思う間もなく、ナイフが私に迫る。ブリーダ王子が思わずといった様子で駆け寄ってくるのが見えるが、男爵令嬢を庇って王子が傷つくのはまずい。

「大丈夫です!」

「えっ、きゃあ!?」

 躊躇いなく、私はペイズリー様を引っ張り、盾にする。その胸にナイフが吸い込まれる寸前、ナイフとペイズリー様の間に誰かが割って入った。

「あら、なかなか良い贈り物ですわね。でも、渡し方はもう少し考えた方がよろしくってよ」

 広げた扇子に阻まれ、ナイフは届かない。それでも、まさに目の前数ミリまで迫った刃を瞬きもせずに見つめ、ラミュート様はそう笑ってみせる。

「わたくし達の国で、これ以上の好き勝手は許しませんわ。シヴァーケン」

「はい」

 気が付いたときには、ナイフを投げた人が空を飛んでいた。直後、背中から石の床に叩きつけられ、その人は再び取り押さえられた。シヴァーケン様、いつ投げたんだろう。投げられる側でもほんとわからないんだよね、あの投げ技。

「チワニアン、大丈夫だったかい!?」

「あ、はい。大丈夫です。ラミュート様とシヴァーケン様と、ペイズリー様が助けてくれましたから」

「え……?」

 私のせい……では断じてないけど、死にかけたペイズリー様は『嘘でしょ』とでも言いたげに私を見つめている。

「貴女は、わたくし達から見れば国を奪おうとした大罪人。しかし、その証人でもありますわ。貴女の命は、わたくし達が預かる。異論はありませんわね?」

「あ、はい……ありま、せん……この命、お預けします……」

 そう言い、ペイズリー様は項垂れ……いや、顔赤いな。ラミュート様、最高のタイミングで助けに入ったし、しょうがないか。実際格好良かったしね。ハスキー様、ライバル登場ですね。

「さて。それはそうと……わたくし達の門出を汚し、国を侮辱した隣国については、どういう仕置きがいいか、悩ましいですわね」

「そうだね。僕も、父上と今後について詰める必要がありそうだ」

 そして、早速いい笑顔で報復の算段を始める人達に、私は慌てて声をかけた。もうこれ以上のイベントはお腹いっぱいだから、あとは普通に卒業パーティーを楽しみたい。

「あ、あのっ!それなんですけど、これは『無かったこと』にしませんか?」

 私の言葉に、主に戦闘令嬢達が不満そうな目を向けてくる。

「これほどコケにされて黙っているなど、貴族の風上にも置けませんわよ?」

「そうだよ、チワニアン。隣国は、我が国の乗っ取りを目論んだ。もうそれだけで、戦争を仕掛けられても文句は言えない事態なんだよ」

「はい、それはわかっています。ですが、利益を天秤に掛けると、『黙っている』のも一つの手だと思うんです」

「どういうことかしら?」

 扇子に刺さったナイフを弾き飛ばし、ラミュート様が首を傾げる。

「隣国は王子の籠絡を計画し、今日が決行日だということはわかっているはずです。ですが、この通り実行犯は全滅。ハスキー様の手回しのおかげで、恐らく関係者は誰一人国に帰れません。その上で、私達は何も騒がない。隣国は計画の失敗は悟るでしょうけど、実行したけど失敗したのか、実行以前に失敗したのか、なぜ失敗したのか……そういった情報は、一切把握できません」

「なるほど……それは、だいぶ不安を煽れそうだね」

 それもありだと思ったのか、ブリーダ王子はニヤリと笑った。

「その上で、そんな騒動など無かったということになれば、向こうはそれを話題に出すこともできない。下手に口にすれば『どこでそんな話を?』ってなるのは明白。一枚噛んでいたと認めるようなものだ」

「さらに、王子の部屋に侵入者があったという醜聞も消せます。隣国からすれば、簡単に侵略できると思ったら送り出した駒が全員行方不明、計画実行できたかも不明。それでいて何も言ってこないという、だいぶ不気味な状況を作れます」

「我が国の防衛能力についても、評価のし直しを迫られるわけね……ふふ、チワニアンは姦計を練らせれば、この国一番かもしれないわね」

 ちょっと待ってラミュート様。姦計って……私、別に悪女じゃないですからね!?

 そう言おうと思ったけど、周囲のひそひそ声を聞いてハッとなる。

「さすが、ダメ王子を籠絡した小悪魔……またとんでもないこと思いついたな」

「チワニアン嬢は天使だろ悪魔とか言うな」

「あの子は敵に回したらダメな子ね。下手な公爵より恐ろしいかも」

「ここで、敢えて黙るって選択肢が出るのがすごいよ。ほんと、敵に回さないように気を付けよう」

 あああ、なんか既に修正不能なほど私が怖い人扱いされてる……私はただ、これ以上卒業パーティーを邪魔されたくないだけだったのに!

「ち、違うんです!私はただ、卒業パーティーを楽しみたいなって思っただけで……!」

「それで、隣国がどう怯えるか想像しながら楽しもうってわけね。ふふ、さすが王妃様は恐ろしいことを考えるわね」

「ち、違いますーっ!」

 結局、私の本心は皆に曲解されたまま、私があらゆる姦計を用いる悪女だという噂が、一気に貴族の間に広まってしまった。なまじ、王子にあざとさと可愛らしさ使いまくって勉強に仕向けたりしてたせいで、信憑性が高くなってしまったのも原因の一つだ。

 王子を隣で支えるようになった後は、とにかく良い人だと思われるように頑張ろうと、心に決めた私だった。


―――――


 その後、男爵家より王家に嫁いだチワニアン嬢は、無事に王妃としてブリーダ王子を支えるようになっていく。

 基本的に直情型である王子を、王妃は違う角度からの視点を提示し、よく支えたという。また、王妃は自身の愛らしさをよく自覚しており、時には配下にもそれを使い、うまく操ったと言われている。

 そんな話はいくつも伝わっているが、たとえば地方の治水工事予算が下りない時、経理担当はうるうるした目でじっと見上げられ、一分も経たずに音を上げたとか、不作による飢饉が起きた時、王族の食事の量と質を落とし、その分を救済に回すという案を笑顔で押し通したりした。

 果ては隣国との交渉の際にも、その能力は如何なく発揮され、我が国に有利な条約を結ばされた者も数多い。外相を変えようと、同じ女性をぶつけようと、王妃の愛らしさの前には誰も敵わなかった。

 王妃を危険視し、排除しようと考える者もいないではなかったが、ほとんどの者はその愛くるしさに心奪われ、また交友関係にはそうそうたる顔触れが並んでおり、代表的なものでも『将軍令嬢のラミュート』や『忠狼のシヴァーケン』、『安静時限定軍師ハスキー』に『極北の羊熊ピレニー』など、後の歴史にも名を残すような面子が友人として並んでおり、力づくでの排除は不可能であった。

 長い歴史の中でも、間違いなく豊かな時代を築いた彼女のことは、多くの者が『悪女』だと囁いていた。

 確かに、女の武器を最大限に利用するところや、場合によって友人の威を借る様子は悪女と言っても差支えないだろう。まして、他の国からすれば、外交担当が悉く骨抜きにされ、不利な条約を結ばされて帰ってくることから悪女としか言い様がなかっただろう。

 しかし、彼女自身はただ国のために尽くしているという認識であり、むしろ自身は善人であるという認識だった。そのせいか、そんな評価に対して彼女に尋ねると、決まって『納得いかない』と憮然とした表情で答えるのだった。

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[良い点] まともな王子を籠絡してダメ王子にする話には事欠かないが、ダメ王子を籠絡してまともにするというのはなかなかないw ちわちゃんがんばった。 さすちわ! ほんとは人畜無害なの!って顔してるけど…
[一言] もうなんか犬好きの性癖ぶち抜いてて最高です!笑
[良い点] 素晴らしい まぁこの位あざと可愛さ(無意識)がなくては男爵令嬢から王妃に成り上がるのはともかく力技で幸せにはなれませんよね。 酷いのは友人方の愛称だと思いますv(よくわかるげどw)
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