006
カトレアはキッチンの戸棚から食料を取り出し、適当に色々な物で包んでリュックに詰める。鞄が複数個あったので、それらも使ってとにかく詰め込む。
意外な事にパンパンになったリュックも鞄も、見た目よりは重く無く、女性であるカトレアでも持ち運びができた。
「これが不思議な鞄か」
きっと重量軽減などの魔法でも掛かっているのだろう。
カトレアはそんなことを思いながら、リュックを背負い、鞄を持って玄関に向かった。
廊下がギシギシと激しい音を立てて軋む。
「お前、意外と力あるな。さすが召喚者といったところか」
カトレアの後に続いて、金髪大男が現れた。その後ろからハゲ男も現れる。
二人とも大きなリュックを背負っており、ハゲ男は手に厚手の外套を持っていた。
「こいつを着ろ。そしてフードを被れ」
渡された外套を着用し、フードを被る。男物なのか、かなり丈が長く、膝下まですっぽりと覆われる程だった。
「よし。行くぞ。カトレアの靴はこいつを使え」
金髪大男が足で転がしてきたのは、ローファーのような革靴であった。
「サイズが合わないなら、この布を足に巻いて調整しろ」
ハゲ男が薄手のボロ布を渡してきたので、一度靴に足を通してみる。多少大き目の靴であったが、これならそのままでも途中で脱げることは無さそうだった。
カトレアの準備が整うと、金髪大男とハゲ男は頷き、家の扉を開ける。そして足早に木々の間を歩き始めた。カトレアはその後を黙ってついていく。
金髪大男とハゲ男は時折すれ違う冒険者から声を掛けられるが、笑顔で手を上げるにとどめていた。カトレアは男二人の歩行スピードに追い付くため、少し早足で歩き続ける。
意外とイケるな。やっぱり若い体って凄い。
四捨五入したら四十歳となる男の体であっても、今のスピードで歩き続ければ息が上がるはずだ。しかし、この女性体の持久力と筋力はなかなかの物で、男二人のそれなりに早い歩行スピードに難なくついていける。それも、パンパンに膨らんだリュックと、両手に鞄をぶら下げた状態でだ。
町とは思えないような森の中に乱立するログハウス郡を抜けると、一気に田畑が広がる田園風景が現れた。その中を一本の道が続いている。
金髪大男とハゲ男は前後左右を確認し、それから歩きながら地図を取り出す。
「今のうちに自己紹介を済ませるか。俺はクズだ」
金髪大男のクズがチラリと振り返り口を開いた。その隣で地図を見たまま、ハゲ男も同じように自分の名前を伝える。
「俺の名はツルツルだ。それと今なら聞きたいことに答えてやる」
地図を仕舞い、ハゲ男のツルツルは歩行スピードを上げた。若干の駆け足程度の速さになる。カトレアはその後ろを荷物を持ったまま追いかけた。
カトレアは色々と聞きたいことが山ほどあったため、どれから聞こうか迷ったが、まずは二人の名前について聞いてみた。その適当さは一体なんだと。
「クズとツルツルってどういう名前の付け方なんですか?」
「クズ野郎と禿げ野郎って意味だ」
そのままの意味だった。絶対偽名であろうが、この際どうでもよかった。
カトレアはクズとツルツルに並ぶようにして次の質問をする。
「これからどうするんですか? 犯罪者となって町に入れなくなったんですよね? どこに身を隠すんですか?」
「ダンジョンだ!」
クズが間髪入れずに答える。それからツルツルが正面から少し左にそれた位置を指さした。
「二日程走れば、あの山の麓にあるダンジョンにたどり着く。そこで半年程度は籠る」
カトレアは半年と聞いて、背中のリュックと鞄の食料を思い出す。だが、どう考えても半年も持つような量では無かった。おまけに飲み物は全く持ってきていない。
「この食料じゃ全然足りない気がするんですが」
「現地調達するんだよ。ダンジョンの深層に行けば食料も飲み水も確保できる」
ツルツルの言葉にカトレアは首を傾げた。だが現地民が自信をもって答えるのだから、その点は問題ないのだろうと納得することにした。
「ではもう一つ。そもそも私は誰かに召喚された訳ではなく、自分でこの世界に旅行に来ただけです。女神様に出会ってスキルを貰ったわけでもないですし、魔法が使えるとも思えないのですが。使い方も分かりませんし」
一定の呼吸を保ち、男二人と並走して駆けるカトレア。この時点で彼女の身体能力が通常ではない事に、クズとツルツルも気付いていた。
食料がパンパンに詰まった自分の身の丈ほどのリュックと、両手に大きなカバンを持った状態は、クズだったとしてもそれなりに苦労する重さだ。
「いや。それはない。召喚されたとかそういうのは抜きに、カトレアが別の世界とやらから来た時点で普通じゃ無い事は確定してる。それに、魔法も使えないとか言ってる奴が、しれっと身体強化を使って俺たちについてきてる時点で異常だ」
ツルツルが走りながら笑っている。
カトレアは「身体強化魔法」と呟き、自分の両手でぶら下げて居る鞄を見下ろす。普通のトートバック程度の重さしか感じていなかったのだが、どうやら鞄自体に細工がしてあるのではなく、自分がおかしくなっているのだと漸く気が付いた。
そして同時に「よっしゃぁ!」とも思っていた。
無自覚でかなり有用そうな技能を使えていることにより、自分がこの世界でも生きていける可能性が高まったからだ。ついでに言えば、この身体強化を使って、もしクズとツルツルが性的暴行に及んでも、抵抗が出来る可能性が見いだせたことが、カトレアのテンションを高めた。
カトレアは身体強化魔法についてクズから色々と教えてもらいつつ、一昼夜走り続けた。そして当初の予定の半分程度の行程で、ダンジョンにたどり着く。
その間に偽名と真名についての話や、自分が捕まっていたログハウスのような建物は何だったのかも質問しておいた。
「真名を知られると、名指しで状態異常の魔法に掛かりやすくなる他、良い事がない。あのログハウスはダンジョン周辺に立てられる冒険者用の仮宿というわけですね?」
「そのとおりだ。やっぱり異世界から来た奴らは頭が良いな。想定していたよりもカトレアが有用そうで何よりだ。俺たちの予想は間違っていなかった」
ツルツルが嬉しそうに凶悪な笑みを浮かべた。
目的地であるダンジョンは太古の遺跡跡地にダンジョン魔という魔物が住み着いた結果、ダンジョンとなったものだそうだ。
ダンジョンについては道中でツルツルからレクチャーを受けたが、実際に見るのと聞くのでは全然違った。
ダンジョンの入り口辺りには屋台のようなお店が立ち並び、人でごった返していた。そんな騒々しい広場を見ているだけで、カトレアはワクワクしてきてしまう。しかし、今は追っ手の掛かった犯罪者集団であるため、3人は早々にダンジョンへ潜った。
立ち寄った露店といえば酒を売っているお店で、それなりの値段がする酒をツルツルが購入していた。支払いには銀貨と銅貨が使われるようで、未だに金貨は見たことが無い。
「よし。祝い酒も買ったし、早速潜るぞ。深層に行けば追っ手も早々手を出せんし、俺たちは快適に時間を潰せる」
クズが武器を手に先頭を歩き出した。その後ろをカトレアがついていき、最後尾をツルツルが行く。
「階層1番から5番までは洞窟っぽくて雑魚しかいないし、場所が狭い。精々小型動物や小鬼共が好きそうなエサしかない」
時折現れる大き目の鼠やカピバラのような動物をクズとツルツルがあっさりと倒していく。ゴブリンと思われる小鬼が石を投げてきたときも、飛んできた石をあっさりつかみ取り、投げ返して頭を粉砕していた。
「俺たちが目指しているのは階層30番以降だ。そこまで行くと、銀等級でも上澄みの連中しか足を運ばなくなる」
「翻訳機を盗んできた負債額と殺人の犯罪度からすれば、追っ手に差し向けられるのは銀等級の下から中。そいつらにとって階層30番以降に手を出すのは躊躇するだろうな」
小休憩と大休憩を挟みながら、クズは疲れ知らずにダンジョンを進んでいく。カトレアはその後を苦もなく突いていく。その様子をツルツルが最後尾から眺めていた。
緩やかな下り坂が延々と続いているのだが、徐々に通路は広がり、所々に明るい部屋と緑の苔が増え始めていた。現れる動物達も少しずつ体が大きくなり、イノシシ、熊、鹿などが襲い掛かってくるようになった。
「この辺りから階層20番台だ。人外の連中が増え始めるし、魔法を使うやつらも出てくる。それと、部屋が広くなる」
先頭のクズが少しばかり急な坂道を一気に滑り降りた。降りるためのロープが地面に垂らしてあるにも関わらず、全くそれを使うそぶりも見せない。
「初めてダンジョンに来た奴らは、大抵ここでビビる。」
ツルツルはカトレアが持っていた両手の荷物を代わりに受け取り、クズに続いてロープを使わずに降りていった。
カトレアはしっかりと荷物を背負いなおし、ゆっくりとロープを使って崖のような坂を降りていく。命綱無しの懸垂下降のような形になっていたため肝を冷やしたが、それなりに上手く坂を下りられた。
そして、クズとツルツルが待つ部屋に入るとカトレアは目を見開いて口をぽかん、と開けたまま固まった。
「……うぁ」
「これがダンジョン中層だ。行くぞ。今日中には階層25番くらいまで行っておきたい」
ここが地下であることを忘れさせるような天井高と明るさがそこにはあった。
5階建てのビルほどの高さの位置に天井があり、その全面に太陽光のように輝く苔のようなものが生えている。ただ明るい光を放つだけではなく、しっかりと肌に熱も感じられた。
青々とした下草と、何かの果樹と思われる木々が鬱蒼と生い茂り、どこからか動物の鳴き声や鳥のさえずりなども聞こえる。
地面はしっかりと土の大地であり、よくよくみれば、小さなアリのような虫たちがいた。
カトレアは地下奥深くとは思えないような環境に戸惑いながらも、歩みを緩めないクズとツルツルについていく。
そして、当初の予定通り、階層25番で一泊し、翌日の夕方には階層30番にたどり着いた。
流石のクズとツルツルもこの辺りからは襲い掛かってくる魔物を倒すのにもそれなりの時間をかけている。
階層30番に入ると、カトレアが丸のみにされた大蛇をさらにもう一回り大きくしたような大蛇が複数匹現れたりと、人類の生存が危ぶまれるような環境だった。
そんな場所でもクズとツルツルにはまだ余裕があるように見える。
天井高は目測でも計れない程高く、それなりに巨大な鳥類が空を飛んでいる。木々の樹高も数十メートルはあるように思え、自分が地下に居る事を忘れてしまいそうだった。
「よし。この大樹の洞を拠点にするぞ」
クズはそう言うと、巨大な木の根が複雑に絡まり合った中に出来上がる、天然の洞を指さした。高さはそれほど出も無いが、風雨を凌ぐことも出来るし、何より複雑な根に絡まっているため見つけにくそうだ。
カトレアはツルツルに指示された通りに荷物を置き、言われるがまま野営の準備を始める。
リュックから取り出した食料で夕食を作るころに、突然辺りが暗くなった。どうやらこの部屋には昼夜の概念もあるようだ。
クズもツルツルも驚いていない様子で、薄暗い中で保存食を食している。
クズもツルツルも黙ったまま食事を続けていたため、カトレアもそれにならい、言葉を交わさずに黙々と腹に食料を詰め込む。そんなカトレアの元に、ズイっと酒瓶が差し出された。
「索敵もあるからあまり大騒ぎ出来ないが、お前の歓迎用の酒だ」
クズからの突然の申し出にカトレアは少し驚く。
「奴隷を歓迎するんですか?」
そう言いつつ、カトレアは酒瓶を受け取った。暗に「無理やり奴隷にしやがって」という皮肉も込めている。
「別にカトレアが逃げなきゃ奴隷は解いても良いぞ。奴隷にしたのは、お前がどういう奴か分からなかったからだ。召喚者の中には目が合っただけで石にしてくるような魔法使いもいるからな。奴隷紋の制約が有れば、その辺りが防げる」
ツルツルはそう言うと、酒瓶の蓋を開け、ごくごくと飲み始めた。索敵はクズに任せているのか、彼はそれほど周囲に気を張っていない。
「俺も一世一代の大博打に打って出るわけだ。騙されて背中から刺されるなんて事は可能な限り潰しておきたかった。だからカトレアを奴隷にした。話を聞かせるにも役に立つしな」
「最初から友好的に接してくれれば、私だって協力したかもしれませんよ?」
「召喚者は常識が通じない奴が多いって聞いてたからな。俺たちとしても縛っておかないと不安だったんだよ」
カトレアは持たされた酒瓶の栓を抜き、少し香りを嗅いでから口を突ける。仄かにフルーツの香りが漂う、それなりに美味しいと思える酒であった。
「それで、これからしばらくはここに身を隠す事になるんだろうけれど、その前に一個聞いても良い? なんで私の名前はカトレアなの?」
「俺たちの元パーティーメンバーの女の名前だ。俺たちに馴染みがあるから呼びやすい」
「それだけ?」
「別に嫌なら、カトレア以外の名前でも良いぞ。ジョナサンでもキャサリーンでもな」
「……まぁ偽名なんてなんでもいいや」
カトレアはそう呟き、酒を口に含む。
それからクズとツルツルは交代しながら夜の番をするらしく、カトレアにはさっさと寝ろと指示が出た。
明日は言質での水と食料の調達に動くということで、それなりに忙しい日になるそうだ。
「何度も言うが、カトレアと敵対するつもりはない。お前からすれば俺たちの印象は最悪だろうが、そいつはこれから挽回するさ」
ツルツルがにやり、と悪そうな笑みを浮かべた。
カトレアはそれが本心なのかどうかも読めなかったが、私が嫌がる様な事をするつもりが無いというのは何となく伝わった。まだ二人に対して心を許せているわけではない。だがこの二人は自分がこれからこの異世界で生きていくうえでの知識を持っている。
仲良くして、知識を得て、この世界で生き残ろう。
カトレアは木々の葉を敷き詰めた洞の中で小さく丸くなり、ゆっくりと目を閉じた。
自分でも思った以上に、洞の中は暖かく、よく眠れた。