ブサイク令嬢は、眼鏡を外せば国一番の美女でして。~相手の寿命がみえちゃう令嬢が、想い人の命を救って幸せになる話。
私には気になる男性がいる。
筆頭公爵家の次男、ファビアン様だ。
けれど彼は、第一王女カタリナ殿下の婚約者。
カタリナ殿下は美的感覚に優れ、社交界に流行を発信し続ける美貌の王女様。
ファビアン様は豊富な知識で、画期的な仕組みや道具を開発されては、社会貢献に勤しまれる素晴らしい貴公子。
我が国を牽引されていくお立場のおふたりは、伯爵家の私から見ると、雲の上の世界にいらっしゃる。
だから私の憧れは誰にも告げず、そっと秘めて終わるはずだった。
なのに。
最近流行りの小説の、悪役令息みたいに。
このままではいずれ、ファビアン様は処刑されてしまうのではないか。
そんな不安が突如、湧き上がるようになってしまった。
だって私には、見えてしまうのだ。
他の人の、死相が。
◇
プ──ッ、クスクス。
「ねえご覧になって? リブレ家のアルドンサ様、またあんな丸眼鏡。お顔からはみ出してらっしゃるわよ」
「本当に。入り婿探しでガーデン・パーティーにいらしてるはずなのに、ドレスも古風ですこと。それにあの引っ詰めた髪型。お洒落の方向が外れすぎていて、理解できませんわね」
遠巻きに、けれど私の耳に届く距離で、他家の令嬢たちが笑っている。
声のほうを見ると、優越に浸った表情と出会った。
(──ほっ。とりあえず、彼女たちは無事ね?)
しっかりと明確に形を保ち、色づいている令嬢たちの死期は遠い。
周囲を一通り見回すも、この会場で直近、命の危機に瀕している人はいない様子。
安心の、吐息が漏れた。
「まあ。溜め息なんて、相変わらず陰気な方」
「仕方ありませんわ、あのご器量ですもの。こんな晴れやかな場は、憂鬱でいらっしゃるのでしょう」
令嬢たちが受け取り違いをして騒いでいる。
元気そうで何よりだと思う。
(どんな相手であれ、死が迫ってるなんて辛いもの……)
アルドンサ・リブレ。
リブレ伯爵家の一人娘である私は、特殊な力を持っている。
近々、命を失う人。
そんな人は、生身の色味が抜けたように薄く見える。
肉体の輪郭が景色に溶けそうなほど、ぼやけていることもある。
(こんな異能、欲しくなかった)
事の発端は私の父、リブレ伯爵にある。
私がまだ母のお腹にいた頃、父は死神と出会い、そして相手を助けたらしい。
死神を助けるなんて、どんな状況だったのかよくわからないけれど、とにかく父はそのお礼として、"人にはない能力"を実子に貰うことにした。
──相手の死相が、わかる視力──
政敵の死期がわかれば、政界で有利に動くことが出来る。
先手を打ったり、お家騒動を助長したり。有利な陣営も、間違えずに選べる。
到底ろくでもない使い方だが、我が父、リブレ伯爵はそういう考えの持ち主だと、私は知っている。
父は死神に願った。
生まれて来る子に、能力を授けて欲しいと。
ところが生まれてきた子どもは、私。
つまり女子だった。
家門を発展させる、跡取り息子ではなかった。
父はきっとガッカリしたことだろう。
それでも得た力を使おうと、時折来客に引き合わせては、命の残量を私に確かめさせた。
この秘密を知るのは家族だけだったが、母は"この世ならざるものが見えるなんて"と私を非難した。嫌そうに眉を顰めたのは、気味が悪いと思ったからに違いない。
両親の態度で、使用人たちも察するところがあったのか。
彼らからは避けられてしまった。世話も会話も最低限。
迷信を信じない頑迷な乳母だけが、一方的に私を縛るばかり。
私は寂しかった。
だから、"眼鏡をかけたら死相は見えなくなる"という設定を勝手に作って、母に吹き込んだ。
実際はレンズを通そうが、死相は見える。
でも、見えないことにした。
そうすることで私は、母の前で普通の女の子になれた。
使用人たちの警戒も、僅かだが解けたようだ。
少しずつ、構って貰えるようになった。
以来、度のない眼鏡をかけて過ごしている。
眼鏡があることを遠目からもわかるように、大きく目立つ、丸い眼鏡。
顔の半分以上が眼鏡で、私自身より眼鏡が本体。
周りから"ブサ令嬢"と呼ばれても構わない。
それで私が平穏ならば。
(散策したし、お料理も食べた。そろそろ帰ろう)
私は十六の適齢期。
父からは"婿"を見つけてくるよう毎回言われているが、パーティーには顔を出したし、名目も立つと思う。
"釣り書に寿命の明記はないから、自分で探せ"だなんて、無茶を言う。
しかも"有能で有望で役に立つ、美形で強い婿を所望する"だなんて、高望みも良いとこだ。
強引な父が周りにもそう触れ込んでいるせいで、私は"身の程知らず"と嘲られている。
まあ、"不気味だ"と怯えられるより、マシでいい。
ふいに「カタリナ王女殿下がいらしたわ!」との声が聞こえ、会場が沸き立った。
(! ファビアン様!!)
王女殿下が会場入りされたなら、婚約者である公爵令息も共にあられるはず。
私の活力、目の保養。
見ているだけで幸せになれるファビアン様をひとめ崇めるため、私は騒ぎに向かって歩き始めた。
ファビアン様には、以前助けていただいたことがある。
その日は風のある日で。
突風に煽られて転倒しそうになった時、近くにいたファビアン様が支えてくれたのだ。
乳母の主張で、フープスカートを着て出席した式典だった。
ドレスを釣鐘状に丸く膨らませる骨組みが、風を孕んで私を押し上げたのが、転びかけた原因。
「馬の毛で作られているクリノリンは軽いが危ないから、気をつけた方が良い」
引火事故も多発していると告げられ、私は帰宅後、乳母に受け売り知識で反抗した。
以来、時代錯誤なフープスカートは免れている。
身体から離れて広がるドレスには常々注意が必要で、大変だったから、有難さもひとしおだった。
乳母が未だフープスカートを愛用しているのは個人の嗜好なので、止める気はないけれど。
(あら? ファビアン様は?)
人々に囲まれる王女殿下の隣に、ファビアン様がいらっしゃらない。
代わりにいるのは別の男性。
「やはり噂は本当ですのね。王女殿下がこの頃、男爵家のマルケス様に入れあげてらっしゃるという……」
(えっ?)
「真面目で寡黙なファビアン様より、明るく楽しいマルケス様が夫君として選ばれるのではないかと専らの話ですわ」
「それでファビアン様が、マルケス様に厳しく接してらっしゃる姿を目撃したという話が出ていますのね」
「そうそう。ですから、王女殿下はお怒りになって、余計ファビアン様を遠ざけていらっしゃるのだとか」
こういう時は令嬢たちの情報に助けられる。
(そんな。ではファビアン様はどこに──)
「!!」
少し離れた木陰に佇むファビアン様を見つけ、私は息が止まりそうになった。
◇
気持ちが沈む。
明日からどう、生きたら良いのかわからない。
(まさかファビアン様に"死の影"が見えただなんて……)
王女殿下のお心変わりを儚んで、早まられてしまうのだろうか。
それとも巷溢れる"悪役令息"小説のように、王女殿下に断罪されてしまう?
ファビアン様は全く"悪役"じゃないけど、構図が物語のそれだ。
あれから調べてみた。
王女殿下の新しい恋人は、メンヒバル男爵の末息子・マルケス様。
あけすけで人懐こいマルケス様は、公爵家で厳しく育ったファビアン様とは対照的で、とてもストレートな方らしい。
身分差をわきまえず、王女殿下の美しさを称え、求愛を繰り返した結果、王女殿下が彼をお傍に置き始めた。
婚約者がいる相手を口説くなんて、常識がないにも程があるのに。
ファビアン様は双方に対し、公式の場では適度な距離を保たれるように諭されていたが、王女殿下はそんなファビアン様を疎ましがられ、エスコート役をマルケス様にお与えになられるようになった。
あっという間に人々の口の端にのぼる話となったが、世間に遅れている私は知らなかった。
(こんな時ばかりは、友達のいない自分を恨むわ)
かといって、"ファビアン様を応援したいから、良い方法はないか?"だなんて相談は、たとえ友達がいても無理だろう。
(どうしよう。王女殿下からマルケス様を引き離すため、私がマルケス様を誘惑してみる?)
却下だ。
王女殿下からの抹殺対象が私になるだけ。
それより何より、私の見た目と手管でマルケス様を誘惑できるとは思えない。
そんなことが可能なら、我が家の婿はとっくに決まっているはずだもの。
(思い切ってファビアン様に、真実を打ち明けてみる?)
"このままいくと、お命を落とすことになります──"。
……無いわ。
狂人扱いされ、どこかの病院に放り込まれてしまうかもしれない。
悶々としたまま、屋敷にいても気詰まりで、気分転換に街に出た。
いつだって人通りの多い王都の通りは、たくさんの建物に囲まれてにぎやかだ。
大きな劇場は人気の演目が上演中とあって、ひときわ人が集まっている。
(いつか私も、好きな方と観劇したりするのかしら)
そう思いながら何気なく劇場の方を見て、私は目を見開いた。
「あっ、あっ、あっあ……!」
(劇場に入っていく人たち、皆、身体の色が、薄く白くなっている!!)
それはつまり、死が迫っている──!!
衝撃で、上手く息が出来ない。
緊張と興奮で早鐘を打つ心臓が、内から私を押し潰してくる。
真っ青になって震えながら、崩れ落ちそうになった時、声をかけられた。
「ご令嬢、どうかされましたか? ご気分でも悪いのですか?」
振り返ると、
「ファビアン様!」
「僕をご存知で……。ひょっとしてその眼鏡は、いつかのフープスカートのご令嬢……?」
ファビアン様が私を認識してくださっていた?!
眼鏡で覚えて貰えていた!
眼鏡で良かった!!
ではなくて。
どうしよう。どうしたら。
ファビアン様の死期は近いまま。
私の目には彼の全身も薄れて映る。
美しい金の髪が白金に、藍の瞳が青色に。そして肌は、紙のように真っ白に。
(退色が進んでいる……! 残る時間が少ないのだわ)
"劇場で何かが起こり、大勢の方が亡くなるかも知れません"。
伝えてそれが、ファビアン様の死因になってしまったら?
(そもそもこんな話、信じて貰えないわ)
そんな私の横目には、嬉しそうに母親と手をつないだ子どもが、劇場に向かっていく。
(ふたりとも、色がない!!)
「ご令嬢? 大丈夫ですか?」
「大変……! 大変なんです、ファビアン様!! 助けてください!!」
私は無我夢中で、縋っていた。
◇
(大変な一日だった)
私が叫んだ後。
私の尋常ではない様子に驚きつつも、ファビアン様は私の話を聞いてくれた。
私は"私のとんでもない能力"をそのまま彼に伝え、劇場の危機を何とかしたいと訴えた。
呆れられると思ってた。
けれど、ファビアン様には思い当たることがあったらしい。
最新の劇は、たくさんの照明を舞台に配置した華やかな演目だった。
彼は以前より、灯火が所狭しと並べられる舞台には、劇場火災を懸念していたそうだ。
今日はその対策を提案すべく、劇場支配人に面会を取り付けていた日だったという。
"もしや"という危惧から急ぎ劇場に足を運んだ私たちは、まさに舞台で発生した火事を目の当たりにした。
逃げようと慌てる人々に、冷静な声掛けをしたファビアン様は、的確な指示を劇場雇用人たちに飛ばす。結果、大きな混乱もなく速やかな避難が行われ、多くの人が軽傷で済んで、劇場の大焼も免れることになった。
色褪せていた人々の姿は、無事に元の色を取り戻した。
運命が変わって、命が延びたのだ。
ほ──っと、私は大きな息をついた。
隣にはファビアン様。私を伯爵家まで送ってくださると言って、付き添ってくださっている。
そして彼の色は依然、薄いままだった。
(泣きそう……)
たくさんの命が助かったことは嬉しい。
だけどファビアン様の命はじき尽きる。
せっかく私のことを覚えてくださっていたのに。せっかくお話する機会が出来たのに。
元々が王女殿下のお相手。
だけど私だって、憧れの相手とお知り合いになるという名誉な体験がしたかった。
思いがけずそれは叶ったけど、緊急時の大騒動で、服と顔が煤けた思い出しかない。
そのうえ"能力"を打ち明けてしまった。
王族と近しい方に、秘密を知られてしまったわけで、これからどうなることか。
そんな私の気持ちとは裏腹に、ファビアン様はとても穏やかな目で、助かった人々のことを語っていた。
「彼らの笑顔を守れたのは、アルドンサ嬢のご活躍のおかげです」
嬉しそうに、笑みを向けられた。
とんでもない話だ。ファビアン様がいなければ、私は何も出来なかった。
彼がいたから劇場支配人も話を聞いてくれたし、迅速な対応がとれたのだ。
(ああ、本当に良い方)
どうしてこんな良い方が、王女殿下に袖にされ、いずれお命を落とすというの?
そんな私の悲しい気持ちを読まれたとは思えない。
けれど、私の目をじっと見ながらファビアン様が続けられたお言葉は、私の心を覗いたような内容だった。
「死ぬ前に人の役に立てて良かった。死期が見えるアルドンサ嬢にはお気づきかもしれませんが、僕の命は幾許も残っていないのです」
「!!」
(ご自分で知ってらっしゃる?!)
私は言葉を失うほど、驚愕した。
呆然とする私に、ファビアン様がおっしゃった。
ご病気、なのだそうな。
それはどうにも助からない病で、ファビアン様は身辺整理を始められた。
王女殿下は、ファビアン様のご病状を知らない。
しかし偶然にもカタリナ王女がマルケス様に惹かれ始めたため、後任はマルケス様にお願いしようと、ファビアン様は考えられた。
マルケス様は男爵家の末息子。
放置され、奔放に育っている。
身分も教養も、周囲への配慮も知識も人脈も。何もかもが足りない。
このままでは王女殿下とマルケス様は、早々に引き裂かれることになるだろう。
王女殿下の想いを汲むため、何とかマルケス様を王族の配偶者に相応しく引き上げようと口を出していたら、ふたりから思い切り嫌われてしまったらしい。
公式発表こそまだだが、ファビアン様はすでに王女殿下から、婚約を破棄されたという。
「そんな……!」
「ああ、うん、それは良いのです。元々が政略結婚。僕とカタリナ王女の性格も合ってませんでしたし、僕もこんなことになったので」
良くない!
先が見えない病気の時こそ、人は寄り添って欲しいものでは?
ファビアン様はまだ十八。もっと楽しまれて良いお年頃のはずなのに、最期まで王女殿下に尽くされようとしている。
知らないこととはいえ、カタリナ王女のファビアン様に対する仕打ちが残酷すぎて、自然と涙があふれてくる。
同情なんて失礼。
よく知りもしない私が、おこがましく物申すことは出来ない。だけど。
私はファビアン様のことが好きなのだ。一方的にステルスな片思い中なのだ。
好きな相手には、満たされて幸せになって欲しい!
「死相が見える私の能力と引き換えに、ファビアン様のお命を助けることが出来たら良いのに」
思わず呟いた私の言葉に、知らない声が軽やかに。
「いいよ!」と、返事をした。
◇
突然。世界が黒い幕に覆われた。
「何が起こったの?!」
暗闇の中で、私は慌てた。
私の他には誰もいない。今の今まで、すぐ隣にいたファビアン様も。
そして目の前には光る……。
「クラゲ?」
「失敬だなぁ! クラゲはないだろう!」
「クラゲが喋った!!」
ふよふよと漂う発光体が、目の前で青白く上下している。
丸い傘部分に、何本もの細い触手。見た目はクラゲそのものだ。
「だからクラゲじゃないってば! 吾輩には顔があるし、体は水で出来てないぞ?」
(顔……?)
確かに、子どもの落書きのような目と口がついている。
アンバランスに歪んだそれは、見ようによっては可愛く見えない……こともない?
「あなた、何?」
「ん──。君たちのいうところの、死神?」
なぜ疑問形。
でも待って。
「死神ですって??」
「そうそう。アルドンサ。キミに幽冥界の視力を与えたのは吾輩だよ」
「なっ!」
私が人生迷惑してるのは、このクラゲ──、もとい死神のせい?!
「いやぁ、参っちゃったよ。アルドンサ、意中の彼と共謀して、たくさん命救っちゃったねぇ」
共謀。悪いことしたみたいに表現されて、カチンと来る。クラゲはなおも続けた。
「吾輩、上司にすっごく怒られちゃったよ。あの火災で死ぬはずだった人間が、大勢助かっちゃってさ。幽冥界の入荷数が足りなくなったわけで」
「人間の命を品物みたいに……」
「まあまあ。こっちにもいろいろ事情や都合があるんだ。だけどアルドンサ? これまでは死期が見えても、妨害なんてしなかったでしょ? それが今回の"裏切り"だよ。"与えた能力を回収してこーい"って上から大目玉」
("裏切り"ですって?)
ぷるぷると、握りしめた拳が震えた。
声が、気持ちが、絞り出される。
「今までだって……。救えるものなら救いたかったわよ!! 歩くだけで、母を亡くすだろう幼子を見かけ、息子を失くすだろう老父を見かけ、どれだけ悲しく泣いてきたことか!! あげくに自分の母親からは気味悪がられて、父親からは利用されて!!」
ずっと押さえつけていた気持ちが吹きこぼれる。
この死神のせいで! 私はずっと割り切れない思いを抱え続けてきた!
「うんうんうん。人間には重すぎる力だからねえ」
「わかっているのなら、なんで私に──」
「アルドンサのパパが望んだからだよ。吾輩、彼に助けられたんだよね」
「っつ」
それは父も、言っていた。
「当時、吾輩は新米でさ。知ってる? 死神ってそんな万能じゃないわけで。死んだ人間に、この触手を絡ませて魂を吸うんだけど、完全に死んだ相手じゃないと、逆にこっちが吸われちゃうんだよ」
クラゲが何本もあるヒラヒラとした触手を動かして言う。
「それで、しくじっちゃったんだなぁ。まだ息がある人間に、うっかり命を吸われかけて」
「……」
「その人間にサクッとトドメをしてくれたのが、アルドンサのパパだったわけ」
「な!!」
(それはつまり父が、人を殺したという意味で──)
「いやぁ。すごかったねぇ。壮絶だった。多勢に襲撃されて、ぜーんぶ返り討ちにしちゃうなんて、パパ何者?」
「え……?」
(父が襲撃された? どういう状況なの?)
そんな話は聞いてない。父はただの強欲な伯爵家当主で、強いなんて欠片も聞いたことがない。
そう答えると、クラゲは「ふぅん?」と、愉快そうにフワリと揺れた。
「まあいいや。それで吾輩、うっかりパパに姿を見られちゃったんだ。回収焦って早く駆けつけすぎたし、暗幕も張り忘れてたし。で、彼との会話で、生まれて来る子に力を与えるよう約束しちゃったわけ。パパは常々命のやり取りをする立場にあるっぽいし、我が子に自分の死期を知ってて貰いたかったのかもね。覚悟が出来てれば、別れる心積もりも出来るでしょ」
「父はそんなつもりで、私に力を望んだわけじゃないと思うけど……」
「ま、そこは親の心子知らずっていうか、互いにわかんないよね。誰の心もさ。さてと、話を戻すよ? そういうわけで、アルドンサの力を回収したい。代わりに、キミの要求に応じるね。望みは、片思い相手の延命、ということでいいのかな?」
クラゲみたいな死神の言葉に、もう一度自分の心を確かめる。
この視力があれば、今日みたいに人助けが出来る。
だけど、この力のせいで、これまで散々苦しんできた。
消えゆく命を見守るだけというのは、本当に精神を削られることで、何度経験しても決して慣れはしない。
諦めの中で生きるうち、自分がとても薄情な、最低な人間のようにも思えて辛かった。
ずっと力を手放したいと願い続け。
その上、初恋相手の命を助けることが出来るのなら。
(私が報われたいわけじゃない。ファビアン様には、この取引を一生秘密にするつもり)
「ええ。それでお願いするわ」
私はクラゲ相手に頷いた。
「でも死相が見えなくなったら、ファビアン様の病が癒えてるかどうか、私には確かめられないわね……」
"本当に約束を守ってくれる?"
疑問を持ってクラゲを見たら、クラゲは妙に嬉しそうだ。
「アルドンサのそういうところ、しっかりしてて吾輩は良いと思うよ。だから特別……」
そう言ってクラゲは、ファビアン様だけでなく、万病に効く特効薬の作り方を教えてくれた。
「この薬で愛しい彼を治してあげなよ。きっと感謝されるから」
「いいの? 彼だけじゃなく、他の人にも使える薬のレシピなんて……。たくさんの命を救ったら、死神と幽冥界が困るんじゃないの?」
「ハハハ。今日みたいにいっぺんに運命を覆されないなら、治療の間にこっちも人数を融通出来るんだよ」
幽冥界にも何かの法則があるようだ。
クラゲの傘がフープスカートみたいに、ブワッと膨らみ広がった。
「ねえアルドンサ。これからは自分の目に見えてることだけじゃなく、見えてない部分まで、見てみて。そしたらキミの人生はもっと豊かで、彩に満ちてることに気づくと思うよ」
「? 見えてない部分は、見えないでしょう?」
ナゾナゾみたいなことを言う。
不満を顔に出すと、クラゲが私の機嫌を取るように言った。
「まあまあまあ。とりあえず、その丸眼鏡はもう外すといい。若いキミには似合わないから」
その言葉と共に、私の周りの黒い幕は立ち消え、目の前には私に向かって心配そうに呼び掛ける、ファビアン様のご尊顔があった。
近ッッ!!
◇
王都の劇場火災の一年後。
権威ある大聖堂で、貴族令嬢たちが扇子で口元を隠し、会話をしていた。
「今日の結婚式、わたくしまだ信じられませんわ。ファビアン様には密かに憧れてましたのに」
「まったくですわ。王女殿下の婚約者だからと諦めてましたけど、こんなことならわたくしがファビアン様を狙えば良かったわ。アルドンサ嬢如きにとられてしまうなんて」
「いまからでもお誘いすれば、心変わりされるんじゃなくて? 伯爵家の婿養子だなんて、ファビアン様には不足過ぎですもの」
「そうね。それに奥方となられる方が、あの丸眼鏡の"ブサ令嬢"ではね」
めでたい式場で、ひそひそと陰口が囁かれる。
この一年、社交界には驚きのニュースが駆け抜けた。
ひとつ、カタリナ王女とファビアン公子の婚約が解消となったこと。
ふたつ、カタリナ王女は男爵令息マルケスと、ファビアン公子は伯爵令嬢アルドンサとそれぞれ婚約したということ。
そして今日の壮麗な式は、ファビアンとアルドンサの結婚のため準備されたものだった。
彼らの挙式は、王家が執り行うことになっていた。
人々はなぜ目立たない伯爵家の婚姻に王家が乗り出すのかと首を傾げたが、目をかけていたファビアン公子の晴れ舞台だからと納得した。
妬み半分、身の丈に合わない婿を迎えるアルドンサを笑ってやろうと、物見高く人々が注目する中、新郎新婦の入場となった。
「!!!!」
「えっ……? どちらのご令嬢?」
「ファビアン様のお相手は、ブサ令嬢のアルドンサではなかったの?」
客席がそうどよめく程、花婿花嫁ともに煌びやかな美男美女が、祭壇に向かってゆっくりと歩く。
丁寧に誂えられた純白のドレスは、隙間なく凝った刺繍が施され、散りばめられた宝石と共に、揺れるたびに光を放つ。
そんな格調高いドレスに身を包んだ花嫁は、ドレスよりもいっそう美しい美姫。
もちろんその白い顔に、無粋な眼鏡などかかっていない。
丸眼鏡姿のアルドンサ・リブレを想定していた者たちは、それこそ目玉が転がり落ちるほど驚いた。
(あの眼鏡の素顔が、これ???)
令嬢方はぽかんと口を開け、令息方は悔しがった。
年配の貴族は「なるほど、ファビアン公子は大層な面食いだったか」と談笑する。
その日から、アルドンサ・リブレは"王国一の美女"と呼ばれるようになった。
一方、美しさの象徴とまで言われていたカタリナ王女だが、最近はそのファッション・センスにも精彩を欠き、恋人のマルケスとも喧嘩が絶えないという。
知る人ぞ知る、王女のコーディネートは婚約者のセンスによるところが多く、ファビアンを失い、マルケスでは補えなくなった彼女は、始終イライラと騒ぎを起こすようになった。
王家の力で揉み消したものの、中には見逃せない失態もあったらしい。
カタリナ王女は近く、王都から離れた領地をあてがわれ、マルケスとともに送られるそうだ。
王都に滞在する際には、国王の許可を要するという。
男爵家の末息子は女癖が悪く、あちこちの貴族家から訴訟が起こったことも、この措置に絡む一端といえよう。
その後、ファビアンとアルドンサは仲睦まじく長生きし、アルドンサの薬は多くの人を救った。
ファビアンも様々に活躍したが、一例として、劇場の改築アドバイスを明記しておこう。
彼の提案と開発援助で、舞台には防火繊維で織った緞帳が掛けられることになった。
その他、各所に配された自動散水装置。
日々の誘導訓練と、しっかりとわかりやすい避難通路の表示。
そしてなぜか、秘密の地下通路。
アルドンサの孫は、後に語る。
「アルドンサお祖母様、子どもの頃はリブレ伯爵家の家業に気づかなかったみたいで。乳母の膨らんだスカートから武器と、丸めたお団子ヘアから針金が出てきた時に、とても驚いたみたいです。あと、リブレ家では"血の臭いを子どもに嗅がせないため、(戦闘要員たる)使用人たちは一定の距離を保つ"んですけど、嫌われてると勘違いしてたのだとか。まあ、まさか実家が"秘密の国防集団"だなんて、想像もしませんよね」
"曽祖父は、娘を血塗られた道に進ませたくなかったようだし、曾祖母は娘の精神成長上、嫌なものは見せたくなかったみたいだし"
当時のアルドンサの環境を、孫はそう評する。
──眼鏡を外して見る世界が、こんなに多彩だったなんて。──
実家の真実を知った後、彼女はそう呟いたという。
武力に、知力と治癒力が加わったリブレ家は、長く栄えたのだった。
お読みいただき有難うございました!!
書いてるとどんどん思ってたのと違う要素が入ってきたお話(笑)
しんみりスタートしたのに、後半からガラッと変わってしまいました。そんな変化も含めて、楽しんでいただけたら嬉しいです(*´艸`*)
タイトルに副題つけるかどうするかと悩んでいますので、変更するかもです。個人的には外しておくつもりだったのですが、季節的にホラーと間違われそうなので、とりあえずつけてます。
※「ステルス」という単語は古英語、古ノルド語に由来し、13世紀には「秘密の行動」という意味を持っていたそうです。米国の戦闘機で有名になるまで、そっちの意味で使われていたので、アルドンサが使用してても変じゃないよ~という補足でした(*^▽^*)
この欄の下に☆☆☆☆☆を見つけられましたら、ぜひ色を塗って応援してくださると大喜びします♪
★★★★★をたくさん押していただけると、この物語がたくさんの方に読んでいただけるようになるのです! ぜひよろしくお願いします°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
あとファビアン視点と乳母が武器で戦う番外編あります。『浅はかな王女の末路』https://ncode.syosetu.com/n4185ij/
カタリナ王女の追放後あります。『「わたくしは身勝手な第一王女なの」〜ざまぁ後王女の見た景色〜』https://ncode.syosetu.com/n6111ij/