鬼嫁ですが何か?〜旦那様、離婚したいならもうちょっと頑張ってくださいませ〜
「これはただの政略結婚だ。だから、お前を愛することはない!」
結婚式を終え、華やかに飾られるべき夫婦の寝室は、シンプルを通り越して殺風景だった。使用人の怠慢というより、明らかな悪意。
そんな中、私はベッドに腰掛け、夫となった人を待っていたのだが。
扉を開けた瞬間、そんなことを――のたまった。
「はい! やり直し」
私は間髪をいれず、パンパンッと手を叩きダメ出しをする。
「……は!? な、なに?」
夫は、私がショックを受け狼狽えるのを期待したのだろうが、そうは問屋が卸さない。
「なに……ではありません! そんな陳腐なセリフで新妻にダメージを与えられるとお思いで?」
「え……いや、別にダメージを与えるつもりは……」
「はっ。ならば、そもそも言う必要は無かったのでは?」
グッと言葉に詰まる夫に追い討ちをかける。
「巷で一世風靡し使い回されたそのセリフは、気弱かつ、相手に愛されたいと期待した者にしか通じませんわ。愛を求めない私にとっては痛くも痒くもありませんから」
「私はただ、愛する者がもういるから君を愛せないと……」
「そんな宣言、どうでもいいです。さ、早くやり直してくださいませ!」
「え……何を?」
「ですから」と、私は大きくため息を吐く。
「これから蔑ろにする予定の妻に、効果的にショックを与えるセリフを言うのでしょ!」
ビシッと扉を指差した私の気迫に、反論もできないヘタレな夫は一晩中やり直しをすることになった――。
が。
結局、私に微かなダメージを与えることすら出来ず、日が高くなってしまう。これで、あの公爵の息子とは呆れるわ。
新婚初夜……もう日中だけど、夫婦の寝室の床で疲れから膝を折った夫を見下ろす。
「いいですか、旦那様。先ずは相手を知りなさい。ちゃんと下調べをし、何が相手にとって最もダメージになるのか、そしてどうしたら喜ぶのか……飴と鞭を使い分け、手のひらで転がすのですよ」
私は、これでもかというほどの慈愛を込め、童顔の夫アルノーに笑みを向けた。
「……鬼……」
項垂れたアルノーからこぼれた呟きに、私は満足する。
「そうです。私はあなた様の為に鬼嫁になりますので……覚悟なさいませ」
耳元でそっと囁くと、綺麗なままのベッドに夫を放り投げ、着替えを済ませて寝室をあとにした。
◇
女主人が使うべき執務室へ向かう途中、朝食の準備をしながら、くだらないお喋りに花を咲かせる使用人に遭遇した。
あら、こっちも躾が必要なようね。
「あなた達の中で、昨夜の寝室の準備をしたのは誰かしら? いえ、違うわね。すべき仕事を放棄した者は誰かしら?」
使用人たちは、一斉に私の方を向くと小馬鹿にしたように笑う。
「それは、旦那様が……」
「ねえ。どうせ奥様はお飾りでしか……」
「それに、このお屋敷には愛されるべき方がもう……」
などと、コソコソと話す。
「今、私を馬鹿にした者! 前に出なさい」
私の視線を直接受け、しぶしぶと一歩前に出た。
この邸に夫の愛人が住んでいることなど、とっくに知っている。落ちぶれた元男爵家の令嬢で、アルノーの幼馴染み。
使用人達は、夫から愛されない私より、実質的な妻を愛人の方だと思っているに違いない。
「あなた方は何もわかっていませんね。これは政略結婚であり、契約でもあるのです。私は夫であるアルノー様のお父上、ロレーヌ公爵様によって選ばれたのですよ」
皆、知らなかったのか「え?」と青褪める。
ま、そうなるわよね。
ただの子爵令嬢と、公爵家に関わりがあるとは想像もしないだろう。夫が私を選ぶように仕向けたのは、義父となった公爵様なのだから。
公爵家の三男であり、跡取りになれなくとも幾つかあるうちの爵位を受け継いだアルノー。
伯爵は伯爵でも、バックが違うのだ。平民になった幼馴染みは、身分も含めここの伯爵夫人になるのは到底認められる訳がない。
そこで白羽の矢が立ったのが、飛ぶ鳥を落とす勢いで発展していた私の実家である子爵家。爵位を金で買った浅ましい成金だと言われているが、それがどうした。
公爵は、夫人が甘やかして育てた残念な三男の行く末を心配し、現子爵を立派に育てあげた私に息子を託したのだ。
受けるにあたり、それなりの条件はつけたけれど。
「つまり、女主人の権限は私に委ねられているのです。旦那様がなんと仰ったかは知りませんが」
私は頬に手を当てて、残念だわ感をアピールする。
「と、いうことで。あなた方はクビね」
使えない者に支払う給金など無い。
私が立ち去ろうとすると、ドタバタと品の無い足音が聞こえ、バーンと扉を開け勢いよく人が入ってきた。
「待ちなさい! あなたに勝手はさせません」
私より豪華な、宝石が散りばめられたドレスを身に纏った可愛らしい顔立ちの女性が、うずくまる使用人を庇うように両手を広げる。
もう一人のターゲット、フェリシー。
長身で切れ長の目をした私とは正反対。旦那様は庇護欲をかき立てるタイプが好きなのだろう。どうでもいいけど。
「お、奥様……」と使用人たちは愛人へ縋る。
「ちょっとそこ、その子は奥様ではないわ。なんなら全員まとめて伯爵家から出て行ってくれて構わないのだけど?」
ピラッと巻物を開き、全員が見えるように前に突き出した。
こんなこともあろうかと、公爵様に一筆頂いておいたのだ。ここの人事権、伯爵領の運営権を全て私に与えると。
◇
「それで、姉様はまだ離婚しないの?」
久しぶりに実家に帰省し、仕事に追われる弟の執務室で、ゆったり私はお茶を飲み寛いでいた。
「それがね、なかなか旦那様が動いてくれないのよ」
せっかくフェリシーに、結婚式翌日から徹底的に貴族としての在り方やマナー、経営学に護身術とたたき……教え込み、奪われた男爵家も取り返したというのに。予想外のことが起こってしまったのだ。
私の契約は、アルノーとその恋人フェリシーを伯爵領を立派に運営できる人物に育てること。
この、可愛い我が弟のように。
人が良く、騙され貴族から平民におとされた両親を見て育った私は、幼い頃に悟ったのだ。人が良いだけでは、生きて行けないと。
私は死にものぐるいで自分を鍛え、裏稼業や、やり手商人に弟子入りし、生き抜くノウハウを身につけた。
そして、それを弟に伝授し二人で稼ぎまくった。
結果、子爵位まで手に入れ、更に投資した鉱山が大当たりすると、今や弟は海外貿易でこの国にはなくてならないほどのパイプを持つ人物となったのだ。
これで、私は手に入れた島で隠居しのんびりと過ごす予定だった。
なのに!
あの公爵……お義父様は、私のことを調べ上げ軽く脅し、なんと息子の嫁にと打診してきた。自分が出す条件をクリアすれば離婚も許すと。
「条件はクリアしたのでしょう?」
「……ええ。一つを除いてね」
◇
馬車が伯爵邸の門をくぐり、玄関付近で止まった。
すると、小窓からいつもの光景が見える。
執務で忙しいはずのアルノーと、ドレスではなくメイド服に身を包んだフェリシーが言い合いをしていた。
が、馬車に気付いたのか二人して速歩でやってくる。
馬車の扉が開かれると、勝ち誇った顔をフェリシーに向けたアルノーが私に手を差し出した。
「おかえり、愛しいエミリア」
「た……ただいま帰りましたわ」
それを見て「くっ」と悔しそうにするフェリシー。
「フェリシー、これお土産よ。使用人のみんなに分けてくれるかしら?」
お菓子と私の一言に、きゅるるんとフェリシーは瞳を輝かせた。
「ありがとうございます! やはり奥様は……私たちをいつも気にかけて下さっているのですね」
それを見ていたアルノーがムッとする。
「エミリア、僕の分は?」とアルノーはうるうると私の手を握った。自分の顔立ちをよく理解しているのか、一人称まで変わっている……。
「もちろんありますわ」
またも、きゅるるんと私を見つめる二人。
正直、なんだこれ?な状況。
私は躾を間違えたらしい。アルノーとフェリシーはお互いを牽制し合う程、私に懐いてしまった。
更にフェリシーは、取り戻した男爵邸には帰らず、メイド長として私に仕える者を厳しく育てることに生き甲斐を見出してしまったのだ。
もう崇拝に近い。淡すぎやしないか初恋よ。
最後の条件――。
二人が心から愛し合い、公爵様に直談判してくれたら、私との離婚が成立するのに。一向にその気配は無い。
◇
その夜。
新婚初夜の時と同室とは思えない、普段より華やかに飾られた寝室でアルノーが待っていた。
「アルノー様、そんな瞳で見つめないで下さいませ」
「だって急に実家に行ってしまったから……」
「すぐに戻ると言ったではないですか」
どうも、この捨てられた仔犬みたいな瞳に見つめられと妙にドキドキしてしまうのだ。
「本当は優しく弟思いのエミリア。君の好きなものは全て知っているよ。相手を知りなさいと言ったのはエミリアだからね。可愛い僕の鬼嫁さん」
甘い声であざとく言って、アルノーは私の手に指を絡めると、そのままベッドに引きずり込んだ。おねだりする仔猫のように。
どうやら私が、小動物系にめっぽう弱いと知られてしまったみたいだ。
それにしても、私の前でだけ可愛いなんて。手強く成長しすぎよ旦那様。
予定していた隠居生活はまだまだ先になりそうだわ。
あの島へは、二人……いや三人で旅行も悪くないかも、ね?
◇ END ◇
お読みいただき、ありがとうございます。
誤字脱字報告もありがとうございました!
訂正致しましたm(__)m