スライムの名前
オスカーさんが、他のギルドメンバーより早く拠点となるバルツァー公爵領地に来たのには理由があった。
それは、ギルド支部で開かれるギルド発足研修に参加するためだ。
この研修は、これからギルドを立ち上げて活動するギルドマスターが必ず受けなければならない研修で、まずマスターが単独で受ける研修が五日間。
これには、ギルド法や税法、商業ギルドや魔導士ギルドなどの他のギルドとの関係、依頼人とのトラブル対応方法など主にギルド運営に関わることを学ぶらしい。
その後、マスターとギルドメンバー最低一人で一緒に受ける講習が二日間ある。
こちらは、ギルドメンバーの加入や脱退、指導など、主にメンバー間のあれやこれやを教えてもらえる。
オスカーさんは、他のメンバーが来る前に、マスター研修を受けておこうと計画していて、その研修第一日目が明日からなんだそうだ。
研修は、朝から夕方までビッシリとスケジュールが組まれているらしく、途中で抜け出したり休んだりはできないとか。
厳しいように思えるけど、実際ギルドで受けた依頼の期日が守れなかったらペナルティだし、信用問題になるから事前研修が厳しくても仕方ないのかも。
「だから、明日から五日間はクルト一人で留守番になる。すまん、一緒に掃除してもう少しマシな屋敷になるようにしたかったんだが……」
「そうですね。でも、ぼく一人でもお掃除はできると思いますし……」
そもそも、オスカーさんはこのお屋敷の下見のとき、そんなにじっくりと見たわけじゃなくて他のメンバーの意見を聞いて購入を決めたから、こんなに屋敷の状態が悪いとは思ってなかったんだろうな。
まさか、スライムすらもいないなんて想像もしなかったんだろう。
家具も何もない、ある意味キレイな部屋だし。
一人でこの広いお屋敷で留守番するのはちょっと……いやかなり心細いけど、弱音は吐きません!
とりあえず、ぼくにでもできること、お屋敷のお掃除がんばります!
「無理はしなくていいよ。あと五日もすれば、残りのメンバーもバルツァー公爵領地に着く。そうしたら少しずつみんなでギルドハウスを整えていこう」
「はいっ!」
他のメンバーさんたちか……、ぼくのことを受け入れてくれるといいんだけど。
オスカーさんは、「みんな気持ちのいい奴らだから、大丈夫だ」って言い切ったけど、どうかな?
その日、ぼくは明日からの留守番という重大任務とまだ見ぬギルドメンバーへの不安で、胸をざわざわさせたまま浅い眠りに落ちていった。
「じゃあ、行ってくるよ」
オスカーさんは、ぼくと朝ご飯を食べたあと、簡単に身支度を済ませ、屋敷の裏から出かけていった。
見送ったぼくは、もう既に心細いんだけど……いやいや、ダメだっ!
パチンと両手で頬を強めに叩いて気合を入れたら、ぼくは屋敷へと足を向けた。
まずは、昨日買い揃えた掃除道具を使って、お掃除だ。
オスカーさんが、よく使うキッチンとダイニング、ぼくたちが寝起きしている広い部屋とトイレの掃除だけでいいと言ってくれたが、お屋敷にあるお風呂とお屋敷正面の扉から出入りできるようにエントランスもキレイにしたい。
まずはどこから掃除をしようかなと考えながら歩くぼくの足にぽよよん、ぽよよんと何かがぶつかる。
足を止めて下を向くと、昨日草原で捕まえてきたスライム、あのプルンとした形の縁がキラキラと輝くスライムが朝の挨拶とばかりに、ぼくの足にぽよんと体当たりをしていた。
ひょいとスライムを抱えあげてぼくの顔の高さまで持ち上げる。
「おはよう」
気のせいか、スライムが返事をするようにプルルと震えた。
なんとなく、一人が寂しいのかスライムを抱えたまま、裏口からお屋敷――ギルドハウスへと入る。
「やっぱり、キッチンからかな?」
せっかくオスカーさんが、何もできないぼくをギルドの見習いとして引き取ってくれたんだし、この『器用貧乏』スキルで人並みにできることと言ったら、家事全般なんだもの。
「キッチンをキレイにしてご飯が作れるようにならなきゃ!」
毎回、屋台で買ったご飯じゃ、お金もかかっちゃうし。
ぼくはキッチンの作業台に抱えていたスライムを降ろすと、袖をまくった。
「まずはモップと箒と雑巾と……」
ゴソゴソと買ってきた掃除道具をあれこれと選ぶ。
ぽよん、といつのまにか作業台から飛び下りていたスライムが、興味がありそうにぼくの手元を覗き込む。
「……これは、掃除する道具だよ。これがモップで、こっちが箒。これは雑巾で……」
なんとなくスライムに掃除道具の説明をしてしまったけど、この子もフンフンと頷くように体を動かして聞いてくれているようだった。
愛着……湧くよね? この子ってば、昨日からぼくにピッタリとくっついて甘えてくるし、捕まえたスライムたちにビシビシ指導してくれていたし。
もしかして、普通のスライムじゃないのかも? なぁーんてね。
「でも、他のスライムとは区別がつくし、特別扱いになるのもしょうがないよね? そうだ! 名前をつけよう」
たぶんオスカーさんがいなくて、一人で留守番がぼくにとっては思ったよりプレッシャーで心細かったんだと思う。
つい、軽い気持ちで魔物――スライムに名付けを行ってしまった。
魔物をティムして使役できる『テイマー』スキルもないのに。
「んっと……かっこいい名前がいいかなぁ? ……レオとかどう?」
スライムはみょーんと触手を伸ばして自分を指してみせるから、ぼくは頷いて「きみの名前だよ」と教えてあげた。
途端、スライムはキラキラと体の縁だけでなく全体が輝きだして、ピカッと強い光を四方八方に発する。
「うわっ」
眩しくて腕で顔を覆って、しばらくそのまま動かないでじっとしていた。
ぽよよん。
ぼくの胸に軽い衝撃が当たる。
そぉーっと顔から腕を離して閉じていた眼を開けると、そこには何も変わらないスライムがぼくの顔を見つめていた。
「……レオ?」
みょーんと触手が左右から伸びて万歳のように……ぼくの呼びかけに返事をしているつもり?
「レオでいいかな?」
ぼくが首を傾げて尋ねると、ぴょんと元気よくスライムが飛び跳ねた。
このときのぼくは、ただ気に入ったスライムに名前をつけただけのつもりだったんだよ?
だって、その後にもっと驚くことがあった……というか、ぼくがやらかしてオスカーさんが驚いたんだけど。