本日はお日柄も良く、絶好の婚約破棄日和でございます
「貴様との婚約を破棄する!」
天高き秋の、すっきりとした空気が漂うその日。アカデミーの卒業パーティーにて、エリン・パルプキン男爵令嬢は、婚約者である伯爵令息カイル・ゴーストンから婚約破棄を突き付けられた。
「貴様は私とメイアの仲に嫉妬して彼女に嫌がらせをしただろう? 証拠も証人も揃っているんだ、観念しろ!」
ザワザワと周囲が眉を顰める中で、カイルの腕の中には子爵令嬢のメイア・スパイダルがほくそ笑んでいる。そんな二人へエリンは優雅に膝を曲げた。
「承知致しました。婚約破棄を受け入れます」
「な、なに?」
「今までお世話になりました。それではご機嫌よう」
「おいっ! エリン!」
何の未練もなく会場を去るエリンに、カイルは狼狽える。カイルの計画では、泣いて縋るエリンを赦し、美しくて気品溢れる彼女を正妻に、妖艶で尻軽なメイアを愛人にする予定だった。
愛人を認めさせるために正妻となるエリンに非を作り、両手に花の生活を手に入れようとしたカイルの計画は失敗に終わる。偽の証拠や証人まで用意したと言うのに。
逃がすにはあまりにも惜しいエリンの美貌。こうなれば父である伯爵に泣き付いてエリンを連れ戻すしかない。上手くいかず、カイルは悪態を吐きながらシャンパンを呷った。
パルプキン家に帰ったエリンは、既に帰宅していた父の元に向かった。
「なんだエリン、随分と早いではないか。夜会はどうだったのだ? 婚約者であるカイル様に粗相をしなかっただろうな」
「お父様、今日の夜会でカイル様から婚約破棄を言い渡されました」
「……なんだと?」
「お父様の了解を得ず、その場で了承させて頂きました」
エリンの父、パルプキン男爵の顔色がみるみる変わる。
「この……親不孝者がっ!!」
立ち上がった父は、エリンの肩を掴むと怒りを露わにした。
「伯爵家との婚約のため、私がどれほど苦労したか分かっているのかっ!? 事業提携も決まっていたんだぞ、それを破棄だと!? あれ程カイル様に媚を売れと言ったのに、お前ときたら、愛想の一つどころかカイル様を拒み続けおってからにっ……!」
手の早いカイルは、婚約者という立場を利用して事あるごとにエリンに手を出そうとしてきた。その度にエリンが拒んだ結果、痺れを切らしたカイルは浮気に走ったのだ。
カイルの父である伯爵からやんわりと苦言を言われていたエリンの父は、カイルに体を許すよう娘に迫った。しかしエリンはカイルを拒み続け、その結果が婚約破棄。父の怒りは収まらない。
「容姿しか取り柄のない女のくせにっ! お前の使い道など政略結婚しかないのだぞ!? それを破棄されたお前にもう用はない! この家から出て行け! 勘当だ!」
「はい。お世話になりました」
エリンは頭を下げると文句一つ言わず、そのまま荷物も持たずに家を出たのだった。
その頃カイルは、酔っ払っていた。
ブツブツと悪態を吐き続ける姿に、カイルの横にいたメイアは相手をし切れず逃げ出していた。
そんなカイルに、グラスが差し出される。
グラスの先を見上げたカイルは、歪んだ視界で相手の顔を見て驚いた。
「ラウル! いつ帰国したんだ?」
「兄上、お久しぶりです」
そこにいたのは、カイルの腹違いの弟、この五年ずっと隣国に留学していたラウル・ゴーストンだった。
「こんなところで何をしてるんだ?」
「久しぶりに帰国しましたら兄上は卒業パーティーだと聞きましたので。……婚約者のエリン嬢が見当たりませんが?」
会場を見回したラウルの問いに、酔ったカイルは声を荒げた。
「ハッ! あの女! あんなのはこっちから願い下げだ! 外見はいいが、身持ちが固くて敵わない。婚約者だと言うのに、キスどころか手を握っただけで嫌がるんだぜ? 今時体くらい許すのが普通だろ? たかが男爵令嬢の分際で生意気な。そんな女だから愛想を尽かされて浮気されるんだよ」
「兄上」
「ん? どうした?」
ラウルはニコリと笑い、兄の顔面を思い切り殴り付けた。
「ブッッ!? な、何をする! 気でも狂ったか!?」
弟に殴り付けられたカイルは、先程の酔った発言も相まって、周囲から白い目を向けられていることに自分で気付いていない。
「私生児の分際でっ! 俺が言い付けたらお前なんか追放されるんだぞっ!? 分かっていて俺を殴ったのか!?」
正妻の子であるカイルとは違い、妾の子であるラウル。伯爵に恋をし、ラウルを身籠った母は親と縁を切り伯爵の元に来たが、伯爵には既に正妻がいた。外聞のため伯爵家に囲われた母と私生児のラウルが長年虐げられ続けたのは言うまでもなく、心労と絶望でラウルの母は早くに亡くなっていた。
「それはいいですね。ちょうど除籍申請をお願いしようと思っていたところです。後日書類を送りますので、父上に何卒宜しくお伝え下さい」
涼しい顔で言い切ったラウルは、最後にグラスの水を兄にぶち撒けてから夜会会場を後にした。
秋の澄んだ夜長、王都を歩くエリン。そしてラウル。二人は必然のように巡り会う。
「……エリン嬢!」
「……ラウル様!」
そして互いの姿を見て駆け寄った。しかし、抱き合う寸前で同時に足を止める。
「その、抱き締めても構わないだろうか」
「……はい」
エリンの返事を聞いて、ラウルは壊れ物を扱うかのように優しくその華奢な体を抱き締めた。エリンの手も、その存在を確かめるようにラウルの背に回される。
「……夢みたいだ。こうして貴女をこの腕に抱き寄せられる日が来るなんて」
「夢ではございません。五年前に、お約束しましたでしょう?」
「ああ。貴女は約束を果たしてくれた」
「貴方様も、お約束を果たして下さいました」
五年前のこと。
エリンは、父に連れられていった伯爵家で、婚約者としてラウルと出逢った。
互いに一目で恋に落ちた二人は、親同士が堅苦しい挨拶をする中、そっと微笑み合った。互いの想いに気付いた二人は、嬉しさと恥ずかしさで同時に頰を染める。そして彼女となら、彼となら、幸せになれるだろうと思った。
しかし、その幸せは、一瞬にして崩れ去る。
弟の婚約者を覗き見しに来たラウルの兄カイルは、エリンの愛らしい外見を気に入り自分が婚約者になると言い出したのだ。
元々は跡取りであるカイルとの縁談を進めたかったエリンの父はいたく喜び、長男にだけ甘い伯爵も息子が気に入ったならと了承した。
大人達とカイルが満足げに笑う中、エリンとラウルは切ない目で互いを見た。立場が弱く聡い二人には、初恋を諦める道しかなかったのだ。
「エリン嬢」
その帰りのこと。伯爵と話があると言う父に待たされていたエリンは、呼ばれた気がして辺りを見回し、物陰で密かに立つラウルを見つけて近寄った。しかし、二人だけで話すことはあまり好ましくない。互いにそれを理解している二人は、声が聞こえるギリギリの距離を保って別々の方向を向いた。
「五年。もし叶うならば、五年だけ時間を頂けないでしょうか」
ラウルは、小さな声でそう言った。
「私は私生児と蔑まれていますが、私の母は隣国の王女です。父に騙されて身分を捨て、この国に来た哀れな女性でした。父は母の本当の身分を知らず、死ぬまで虐げました。私は隣国へ行き、五年で王孫としての地位を確立させます」
エリンは、静かにラウルの話を聞いていた。
「五年後、再びこの国に戻ったら……その時は、貴女に愛を乞う許しを頂けませんか」
既にラウルの兄の婚約者になってしまったエリンは、本来であればラウルの話を断らなければならない。しかし、エリンはそうしたくなかった。だから考えた。
答えの無いエリンに、ラウルがその場を去ろうとしたところで。エリンは、小さく呟いた。
「……では私は、五年後に婚約が破棄されるよう仕向けます」
ラウルは思わず振り向きそうになって拳を握った。
「そうすれば私はきっと、家を追い出されるでしょう。行き場のない私を、迎えに来て下さいますか」
「……必ず。必ず伺います」
二人が交わしたのは、それだけの、とてもとても短い会話だった。
それから五年。二人はこの時の数分の会話、一瞬の視線の交わりだけを心の支えに生きてきた。そして互いを信じ、自らのやるべきことを成し遂げた。
抱き締めていたエリンの頬に伝う涙を、ラウルが優しく拭う。五年の時を経て、初めてエリンに触れることが叶ったラウルは、堪らなく愛おしい彼女を甘く見つめた。
顔を上げたエリンがその視線に気付き、同じように視線を甘くする。そうして二人は、初めて会ったあの時のようにそっと微笑み合った。
「エリン……貴女を愛している。どうか私と一緒に来て頂けないだろうか」
「……はい。私も愛しています、ラウル様。どうかどこまでも、ご一緒させて下さい」
「……行こう」
秋の澄み渡る星月夜に見送られ、二人は密かに国を出たのだった。
その後のこと。
隣国で行われた王太孫の冊封にてラウルが公の場に姿を現したことにより、長年行方不明だった王女がゴーストン伯爵に騙されて弄ばれ、虐げられた果てに亡くなっていたことが発覚した。
ゴーストン伯爵家は隣国と自国、どちらからも相当な非難を浴びることになる。そして、ゴーストン家と距離を取りたい者達は、エリンがメイアに嫌がらせをしたと言うカイルの発言が嘘だったと白状し、偽の証人を頼まれていたと証言した。
これによりエリンの潔白が白日の下になったが、罪の無い娘を身一つで追い出したエリンの父、パルプキン男爵は社交界で孤立していった。また、メイアは尻軽の嘘吐き女として修道院に送られた。
親子二代に渡って女性を弄び、非難の的となったゴーストン伯爵家、娘を道具のように使い捨てたパルプキン男爵家はどちらも没落。それぞれラウルとエリンに泣きながら和解を申し入れたが、縁を切った二人が実家に情けをかけることはなかった。
王家の直系であり優秀な王太孫ラウルと、美しく聡明なエリンは隣国で絶大な人気を集め、二人は末長く幸せに暮らしたのだった。
本日はお日柄も良く、絶好の婚約破棄日和でございます 完