その伍・(仮)は終わりを告げる。
松風さんに連れられ廊下をひたすら歩く。
別館から渡り廊下を通り、本館へ。
本館……?
そこから一階から四階を通り過ぎて五階にやってきた。
五階といえばここの領主様のプライベートフロア……じゃなかったっけ?一介の侍女である私が来ていいところじゃないと思うんだけど。
そして着いた場所は五階の奥の厳かな風格のある扉がの前だった。ここはもしかしなくても領主様の執務室…とかではないだろうか。
松風さんが三回扉をノックする。
「失礼します、松風です。」
少しの間の後に「どーぞ。」という声が聞こえた。
この声は、もしかして。
……嫌な予感。
そして松風さんは扉を開けた。
◇
執務室に入ると、他の部屋とは違い独特なインクの匂いがした。この匂い、嫌いじゃない。
部屋の真ん中らへんには立派な机と椅子が置いてあり、机には高く書類が積み上げられている。椅子には人が座っているのだろうが書類のせいで顔が見えない。銀色の頭がチラチラと見える程度だ。
「ごめんね、急に呼び出しちゃって。」
そう言いながら銀色の頭の主は立ち上がった。
見慣れた瑠璃と銀。今日は黒縁の眼鏡をかけている。
「……あれー?驚かないの??」
数回瞬きをした後、不思議そうな顔をされた。
「何にですか?」
「いや、ここに僕が座ってることについて。」
多少なりとも驚いているのかもしれないが、なんとなく高貴な人なんだろうという予想はしていたし、そもそもこの部屋に入る前に聞いた声が夜に聞く声とそっくりだったからどちらかといえば『あー、やっぱりか』という感想の方が大きい。向こうから名前を聞いてきたのに名乗られなくて少し不自然だなと思っていたし。
「まー、いいや。……そういえば、自己紹介をしていなかったね。僕の名前は瑠威。一応ここの領主をやってる。よろしくねー。」
あまり身分が上だということを感じさせないような態度。誰に対してもこんな感じなのだろうか。
「……もっと驚いてほしかったんだけども。」
領主様は恨めしそうに呟いた。そんなこと言われたって、じゃあどうやって反応すれば良かったんだ。
それよりも、だ。
「なぜ私をここに呼んだのですか?」
こちらの方が重要だ。あまり姿を知られていない領主様がたまたまとはいえ侍女(仮)に姿を見られ、あまつさえ呼び出すなんて前代未聞のことだろう。
ここに来てから二年ほどになる若菜でさえ、その姿を見たのは数回だけだと言っていた。
「ん?あー、えーと、ここの部屋を見てみてどう思った??正直に言っていいよ。」
ここの部屋を、見て……?
「そうですね、汚いと思います。」
「わぁーお、ド直球。」
そっちが正直に言えと言ったんだろうが。
「まぁ、そんな感じでこの部屋は汚いわけなんだけども……簡単に言えばこの部屋含め、このフロアの掃除を君にお願いしたいんだよね。」
は?
まだここで働くようになってたった半月ほどしか経ってない私に……?
「なぜ私なのでしょうか?まだ仮採用の私ではなく、他にもっと適任の侍女がいるかと思いますが。」
「あれ?そっか仮採用なんだっけ?じゃー今から本採用ってことで、掃除お願いしてもいい?」
こんな緩くていいのか!?
「このフロアは自分で掃除したり、松風や侍女長に頼んで掃除してたんだけど…広いのとみんな忙しいくてご覧の通りこんなふうになっちゃって。ほら、基本的にここのフロアは立ち入り禁止になってるでしょ?一応機密事項とかあるし、侍女に掃除してもらうのは良くないかなと思ってそうしてるんだけど……。」
それが仇となったってことか。
「なら尚のこと私は適任ではないと思うのですが。」
機密事項のある部屋の掃除を新人に任せるって明らかに良くないだろう。若菜とか他の侍女に頼めばいいと思う。
「んー、そう思ったんだけど、君と話をするの楽しかったし、掃除をしに顔を合わせるなら話したことない侍女よりか君の方がいいかなと思って。」
なんですか、その基準。
「言いたいことは色々あるだろうけど、どう?任されてくれないかな?」
有無を言わせない声。
「分かりました。」
不本意だが、渋々頷いた。
◇
「何だったの?」
戻ってみると、心配そうな若菜が裁縫をしながら声をかけられた。さっきより縫い終わったカーテンやテーブルクロスの量が倍になっている。さっきまでは私に分かりやすく裁縫のやり方を見せるために、普段のスピードより遅く縫っていたのかもしれない。私が下手なばっかりに申し訳ないことをした。
「なんやかんやありまして仮採用ではなく本格的に採用してもらうことになり、さらに明日から本館五階の掃除をすることになりました。」
面倒くさい説明を省いて大雑把な説明をした。
「え!じゃあこれからも一緒に働けるってことだね!やった!」
きらきらとした顔で若菜が見てくる。まぁ仮採用から本採用になったのだから一応はそういうことだろう。
何かない限りは。
「それにしても五階の掃除を任されるなんてすごいよ。私、一度も入ったことないもん。それだけ鈴蘭が認められたってことだね!」
そういうわけではないと思うが……。
「私としては断りたかったんですが……押し切られてしまいました。」
雰囲気によらず、物凄い押しの強い人だった。
「えー、そんなの勿体ないと思うよ!せっかくのチャンスだよ?きっと普通の侍女よりお給金上がるだろうし。」
若菜は見た目によらず、意外と現金だ。この間は「お金大事だよ。お金がないと何もできないもん。」としきりにお金の大切さについて語っていた。
「鈴蘭と仕事できる時間が少なくなるのは寂しいけど……なんにせよ、頑張ってね!」
……頑張ります、はい。
次回の更新は日曜日です。