006:門番
早朝に出発したにしては、町に到着するのが早かったと思う。
季節と陽の落ちる時間は分からないけど、この茜色の空なら町に入れてくれると思う。
俺たちは片付けしている門番の場所まで行くと、体力の限界からか前のめりに倒れ込んでしまった。
「君、大丈夫かい?」
「大丈夫かダメかで言ったら、ダメそうです……」
「おい……。人が少ないからって省略するなよ!」
「分かってるさ」
人間の身体と思われるこの肉体は、何故かもう一人のやる気に引っ張られている気がする。
ただ考えてみれば、あの結界内では食事は必要とせず、今日食べたのは赤い果実一つだけだった。
森巨人だったら満足出来た果実も、人間の身体では間食でしかない。
生まれて初めてかという空腹に、もう一人が参っていても仕方がなかった。
「そのままで良いから訊かせてくれ。名前・職業・出身地・この町に来た理由を」
「はい、俺の名前は……クロス。まだ仕事はしていなくて、出身地は分からない。仕事を探しに来た」
「あぁ……、冒険者に憧れたクチか?」
「はい。俺は冒険者になって、慎ましやかに暮らしたいんです」
話を聞いてくれる門番は優しいけど、もう一人の門番はこちらを厳しく横目で見ていた。
ここにうつ伏せで倒れているのは迷惑なので、腕立て伏せの要領で上体を軽く上げる。
「プッ……、慎ましく暮らしたい冒険者か。時代が変わったな」
「ほら、この水晶に手をかざせ。犯罪者なら、もちろん町には入れんぞ」
「はい、こうですか?」
これはどこにでもある『善悪の水晶球』で、犯罪歴があれば黒く濁り、害意があれば赤く染まる。
両方とも分かりやすく変化するので、やましい事がある者は触れようとはしない。
ちなみにここで言う犯罪者とは、害意を持って他者を傷つけた者を指す。
だから職務上他者を傷つけても、犯罪にはカウントされない。
王族・貴族・騎士・兵士・冒険者など、ある種の生殺与奪権を得ている者は多く存在する。
「それで町に入る為のお金は持っているかい?」
「……ごめんなさい。無一文です」
両膝を地面につけた状態で優しい門番に答える。
すると『冒険者なら各国の入場料はかからないんだけどなぁ』と、もう一人の門番に視線を向けていた。
「間もなく門を閉める。それくらいの手続きは……」
「あっ、これが入場料だね」
「既定の金額を納めたなら問題ない」
優しい門番は明らかに自分のポケットから出した銅貨数枚を木製の箱に入れた。
もう一人の門番はそれを見ながら、『フッ』と笑ったような気がした。
この町は人が少なくて入場が緩いのか?
そんな事を考えていたら、若い門番が今日の食事と寝床を用意してくれると言った。
「あの……俺、返せるものが……」
「良いんだよ。俺も世話になったからなぁ……」
そう言うと又もう一人の門番を、憧れの人を見るようにボーっと眺めていた。
育ちが良くなかったから、優しくされたら何か裏を勘ぐってしまう。
それでも今日は優しい人に出会えたのだから、素直に厚意を受け取っておこうと思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
門を潜ると、思ったよりも活気がある町並みに感心する。
主に仕事帰りの人の流れだと思うけど、ここだけを見ても町の規模が分かる。
門番――ラドリーさんも着替えて軽装になり、今向かっているのは自宅近くの食堂のようだ。
「それにしても、その状態でよくこの町に来れたね」
「運が良かったんだと思います」
町を歩きながら、細かく情報を拾っていく。
だけど知り過ぎてはいけない。
スラム出身の冒険者の先輩である人の教えだった。
徹底的に目つきについて指導され、次に醸し出す気配について指摘された。
騙し騙されるのが普通の世界で、それでも子供たちは上を目指していた。
真っ当に就ける仕事なんてほとんどなく、自分の命を賭けられるのは冒険者ぐらいだった。
少なくともギルドは冒険者を騙すようなことはしないし、仲良くなればある種の連帯感が生まれる。
スラム出身の先輩もそんな人で、色々な事を教えてくれた。
「随分白い肌だし、その手で荒事は……」
「側溝さらいだろうが、力仕事だろうがなんでも頑張ります。後、お借りしたお金は……」
「余裕が出来たらで良いさ。じゃあ、明日の鋭気でも養うか」
ラドリーさんに案内されたのは一般的な食堂で、席に案内された瞬間テーブルに突っ伏してしまった。
手早く注文をしたラドリーさんに御礼を言い、ついでに昔話がてら何をしにこの町に来たのか質問をする。
「それ程むかしの事ではないけど、小さな頃はガキ大将だったんだ」
そこそこの村で、そこそこ地位のある家の次男坊。
そんなラドリーさんは反抗期と己の武勇伝と共に家出を敢行し、安全にこの町にたどり着いたようだ。
秋の収穫祭のどさくさに紛れて出発したので、喰い溜めようとする野生の動物や盗賊と出会う危険な時期だった。
「今、同じことをやれと言われたら、全力で断るけどな」
「はいよ、お待ちどうさま。パンはお代わりがあるからね!」
白濁したスープに色とりどりの野菜が入っている。
木製の器に入ったそれは、俺にとっては豪華な皿だった。
そしてもう一人の俺が覚醒したのか、急に腹の虫がキュルキュルキュルと鳴り出し刺激されていた。
まるで洪水のように唾液が貯まりだし、大きく唾をごっくんと飲み込む。
「久しぶりの食事か? どうぞ召し上がれ」
「……はい! 頂きます」
篭に入ったパンには目もくれず、何故か俺は木匙でオレンジの野菜を掬いあげる。
前だったら小さくても肉を探すのに、何故真っ先に野菜を……。
「お、『オイシイ……』」
「だろ? ほら、パンも喰えよ。これをスープに浸すと格別だぞ」
「『ホ、ホント?』」
「ん? 急に国の訛りか?」
「あっ……」
「詮索するつもりはねぇよ。慌てて詰め込むと明日は大変だぞ」
そんな言葉を聞き流すように、俺は極力上品に上品にとしながらも、もう一人に釣られて満腹以上に詰め込んでしまった。
これだけはどうしても直すのが難しい。スラム出身の冒険者特有の、最初にして最大の弱点とも言える。
いくら見た目を直しても、内面を整えても欲求に抗う事は難しかった。
その後ラドリーさん宅に一泊させてもらい、翌朝挨拶すると俺は冒険者ギルドへ向かうのだった。