005:故郷に別れを告げて
戻って来た見張り番と一緒に行くと、家の近くにある大樹に凭れている邑長を見つけた。
若い森巨人は、よく新芽に喩えられる。久しぶりに会った邑長は、まるで古木のようだった。
「『オデ、オデ……』」
自然とこぼれ落ちる涙に、邑長は『泣くでない……』と諭してくれる。
理解出来ないと思ってた言葉は自然とこぼれ、邑長の言葉は直接胸に響いてくる。
仕事を頑張ったから認めてくれたのか? それとも、発奮を促す為のキツイ言葉だったのか?
あの時見えなかったものが、今になって鮮明に見えてくる。
自身の姿は変わっても、邑長は親のような存在だ。
嗚咽と吃音が交ざっても、あの場所で起こった事を報告しないといけない。
それが俺たちに課せられた最後の仕事だから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この邑と魔術師は元々関りがあるらしく、時々依頼を受ける関係のようだ。
基本的に森を護る役目を請負い、小さな世界として森を管理していた。
近隣にある村へは魔術師を通して協定を結び、人間は少なくない恵みを享受しているようだ。
『こんな結果になったが、お前の頑張りは皆が知っている』
「『オデ、オデ……』」
報告の前に泣かせないで欲しい。
俺たちは事実を元に、あの場で起こった事を報告する。
話の途中で邑長は見張り番を派遣し、あの場に残った魔石を回収する役目を請け負ってくれた。
もし森巨人と黒い妖精の契約が続いていたら、あの樹は護れなくなってしまう。
森巨人の意思が魔石にあるのか? この体にあるのかは分からない。
邑長の話では俺たちにはもう出来る事がないらしい。
そして邑の安全を守る為には、一刻も早く出て行かなければならないようだ。
『魔術師さまには報告しておく』
「良いのですか?」
『その腰蓑は形見として預かろう。代わりの服は、そこから選べば良い』
相談の末、腰蓑の代わりに全身すっぽりと覆えるローブとサンダルを貰った。
今まで素足で歩いていた事に驚いたけれど、何故か痛みは感じていなかった。
鈍感という訳ではなく、皮膚が厚いのか? それとも体が頑丈になったのかもしれない。
「役目を果たせず、すみませんでした」
『お前たちは死んだのだ。だから邑へは戻って来るな』
「『オデ、ワスレナイ』」
再び胸がザワザワしてくるけど、この旅立ちは悪いものではない。
俺たちにとって、これは第二の人生だ。
自由に生きたいとは思うけど、人生にとって目標は大切だと思う。
『息災で……』
「『イッテキマス』」
これで俺たちが『お帰り』と言われる場所は無くなってしまった。
まずは拠点を作って、安らかに眠れる場所を確保する必要があると思う。
「もう永眠したくないからな」
『ネムルノハ、アキタ』
邑長に別れを告げた後、邑から離れ人里の方を目指して歩いていく。
ここの地理には疎いし、田舎ほど余所者には警戒心を抱くものだ。
それでも都市を目指すなら、通過しておかないといけない。
なだらかに下る森を抜けて行くと、二人の猟師風の男たちに出会った。
こちらを警戒しているようにも見えるけど、相手は弓矢も持っていれば腰元のベルトにナイフも挿している。
お互いに簡単な挨拶をして、世間話のようにどこに行くか確認をする。
猟師風の男たちは、少し深い森に入って採取を行うそうだ。
「お気をつけて」
「あぁ、お前さんもな」
『オデ、シンパイ』
頭の中に声が響いたけど、森巨人がいた場所はもう安全と見て良いだろう。
近くに行けば大きな狼が睨みを利かせるだろうし、そもそもあの場所は魔術師と協定を結んだ立ち入り禁止区画だ。
二重にも三重にも辿り着けないだろう困難に、たった二人だけで挑む程人は愚かではないと思う。
俺は餞別に貰った果実を一齧りし、村を経由して最初の町を目指した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
キュルキュルキュル……。
考えなしに行動した自分を恥じてしまう。
空腹には慣れているけれど、まるで初めての空腹感に俺たちはやる気を削がれていた。
こういう時、都会のスラム育ちの無教養さに嫌気がさす。
最初の果実は俺たちをやる気にさせたけど、どうやらこの体は人間のそれだったようだ。
腹にたまるパンが欲しい、具が少なくても良いから塩味の利いたスープが欲しい。
かろうじて川の流れと平行して町を目指せたので問題はないけど、それでも空腹感には勝てなかったようだ。
『モウ、ウゴケナイ』
「町は見えてるんだから頑張ってくれ」
自分で自分を鼓舞する。
最初はどこを見るのでも好奇心いっぱいだったもう一人に、情報量が間に合わないから静かにしててくれとお願いした。
村や町・街や都会など、一歩外を出れば基本的に安全を保証してくれない。
だから冒険者のような存在が職業として成り立ち、スラム出身の俺たちでさえ未来を見る事が出来た。
今の俺たちに出来る仕事は田舎にはない。
だからみんな都会に出て仕事を探す。
大半は奴隷やスラムに身を堕とし、そこそこの人数は町にさえ辿り着けない。
元冒険者の俺だからこそ、周囲の警戒をしながら歩くことが出来るんだと思う。
『ハラヘッタ』
「はぁ……、本当はダメなんだが水飲むか?」
スラムではよく『飲んではいけないレベルの水』を飲んで来た。
冒険者講習では、どんな綺麗な水でも煮沸しろと指導されている。
大きく頷く俺の体に、仕方なく革袋で汲んだ水を与える。
正直この体は、燃費が良いのだか悪いのだか分からない。
ただ言える事は、町についた所でお金がないことだ。
それをもう一人が理解出来るとは到底思えない。
最悪、町に入る事さえ出来ない可能性もあった。
『ミズ、タイセツ。オデ、スコシゲンキデタ』
まるで、でっかい弟と接している気持ちで、俺は町の出入口を目指す。
ここが最初の関門であり、何としても通り抜ける必要がある一歩目だった。