004:帰郷
結界を出た俺は、振り返って小動物たちに別れを告げる。
大きさ的に人間になったのかは分からないけど、もうこの場所に戻って来ることはないだろう。
「みんな、元気で!」
冷静に考えれば、意味のない行動をしていると思う。
きっと森巨人の優しさがそうさせているのだろう。
ただ動物たちは俺を見送っているのか、静止したまま一歩も動かない。
もしも願いが叶うなら、この楽園が無理のない形で続くようにと祈りたい。
俺は邑のある方向を見つめると、森の中から一匹の大きな狼がのそりと姿を現した。
小動物とは違い、人を襲うタイプの獣だ。
普通に動かせる程度には馴染んだ体だけど、素手で狼と闘って勝てる未来が見えなかった。
「オオカミさん、みんなを守って!」
ふと零れた言葉に狼は地面に伏せて、尻尾と頭が近付くように丸まった。
不器用そうに警護を引き受けてくれたんだと感じ、俺は邑へ続く道をひたすらに走った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「この近くの筈なんだけどなぁ……」
森の香りが濃くなってくると、どこも同じ風景に見えてくる。
それでも感覚的に近付いているのが分かるのか、不意に目的の方向を指差しその方向に向かって歩き出す。
「そういえば、お前の名前は?」
『オデノ、ナマエ?』
言葉に出さなくても頭の中で処理出来るけど、何故か口から出てしまう。
俺が死んだ理由もコイツが死んだ理由も、小さな子供を大切に想ってしまったからだ。
生まれ変わったら自分勝手に生きてやると思っていたけど、案外そういう訳にはいかなかった。
特にスラムではひねくれた奴が多く、そういう奴は愛情にも飢えていた。
『オイ……トカ、カス?』
「それは名前じゃないだろう? ちなみに昔の俺はクロだ」
『クロ、カッコイイ』
「でも、俺たちは生まれ変わったんだ。まあ、これから謝罪の旅だけどな」
何故か、心の中が申し訳なさで一杯になる。
これはきっとコイツ――俺たちの気持ちが十分に混ざり合っていないのかもしれない。
体が馴染むのに時間がかかるように、心の方もゆっくりと一つになっていくのだろうか?
「俺も昔は、名前で呼ばれた事なんてなかったよ」
『ナ、ナンデ?』
「俺はお前の言う、『邑に住んではいけない存在』だったんだ」
『カワイソウ……』
同じような境遇だけど、森巨人は動物に囲まれて過ごしていただけマシだ。
飢える事もなく、日がな一日お昼寝三昧。汚れ仕事もなければ、周りから非難されることもなかった。
ただ仕事が失敗に終わった今、こうして後始末をしなければならないけど……。
「なあ、俺たちの名前どうする?」
『ナマエ、ナンデモイイ』
「クロとカスでクロッカス……。ロクでもないな」
『オデノナマエ、ミジカクテイイ』
そもそもカスは名前ではないと思うけど、クロッカスでは何か弱々しい名前に思えた。
森巨人は優しいというか控えめな性格のせいか、一文字でも名残があったら嬉しいようだ。
俺たちは打ち合わせの結果、クロスと名乗る事にした。
ちなみに俺のクロだって本当の名前ではなく、薄汚れた風貌からそう呼ばれていただけだ。
移動しながら話をするのは、周囲の警戒が疎かになるのでやるべきではない。
それでも俺たちが邑に着く前に、話しておくべき事は少なからずあった。
特に口下手な森巨人に任せたら、話が進む前に排除される可能性があると思う。
記憶を頼りに邑の入り口に到着すると、何か違和感を覚える。
「『オデ、カエッテキタ』」
猪や小熊くらいが通りそうな獣道――というか茂みが目の前にある。
濃い緑に飲み込まれそうな場所で、その中でもある一点を凝視する。
すると何もない場所から、急に棍棒を持った4mくらいの巨人が立ち上がった。
「グボォォォアァァァ(人間、その腰蓑を何処で手に入れた?)」
何故これほどの巨人が目に映らなかったのだろう?
俺は驚きながらも両手を肩より少し上に上げ、武器を持っていないアピールをする。
頭に思い浮かべる『森巨人は温厚な種族』という言葉が記憶違いかと混乱する。
それでも再度こぼれた言葉に、目の前の森巨人は反応した。
「『オデ、カエッテキタ』」
俺自身、森巨人の言葉は話せないし理解することが出来ない。
それでも溢れ出た言葉に、目の前の巨人は棍棒を落とし、両肩をそっと――強く捕まえにきたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
森の中に住んでいる森巨人の邑は、特別な空間に創られていた。
考えてみれば巨人が集落単位で住んでいたら、見つからない方がおかしいと思う。
目の前の巨人は話を聞きたがったけど、邑長に報告する方が先だった。
そして一つ気付いたのは、邑で居づらくなったと言ってたけど、思いの外心配されていたんだなって言う事。
それは森巨人が役目を頑張った月日がそうさせたのかもしれない。
「『オデ、ガンバッタ』」
一緒に付いて来てくれる見張り番の巨人にアピールしながらも、俺は邑の様子を見回して感心する。
文化のレベルは高くはないけど、スラムよりかはよっぽど衛生的だ。
雨をしのげる家もあれば、主に果樹栽培のような事をしている畑をチラホラと見かける。
少し早足気味なペースで巨人の歩幅に追いつくと、一本の巨木に隣接した家があった。
「『オデ、スコシコワイ……』」
長く続く道の果てにあるのは邑長の家だ。
見張り番の巨人は『マッテロ』と言い、邑長の元へと駆けていく。
俺は破裂しそうな程に緊張している胸を押さえ、大きく深呼吸をして見張り番の巨人の帰りを待った。