003:譲れない想い
この世界には神さまがいる。
『人は死ぬと何処にいくのか?』と、教会の炊き出しの前によく聞かされたものだ。
生前良い事をした者は、神さまの御許で飢える事なく楽しく過ごせるらしい。
生前悪い事をした者は、死んだ後も苦しい試練の日々が待っているようだ。
スラム出身者の俺は、生前苦しい試練の日々を過ごしていた。
だからこれから行く先がどこだろうと、俺にとっては些細な問題だった。
もし神さまが人間を一人ずつ創っていたのなら、こんな不良品を産んだ事に文句を言いたいと思っていた。
そう思っていたのに……、結果的にやり直すことになった。
その間の記憶は、すっかり抜けている。
ただ俺が『封印』という能力を持っていた事が関係し、それを使って最初の局面を乗り切って欲しいと言われた。
俺の肉体は既に朽ちている。
そして新しい身体の候補は、放っておけば死んでしまう肉体だった。
普通なら記憶さえもまっさらな赤ん坊からやり直すらしいけど、話し合いの結果記憶を残したまま……。
『う、うわぁぁぁ』
まるで夢から現実へ覚醒するように、意識だけになった俺はある方向に引っ張られていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
森の中の一本の樹の前で、巨人が仰向けになって倒れている。
目の前には高嗤いしながら、狂ったように巨人に小さな傷をつけている黒い妖精がいた。
あれはどう見ても悪魔の手先にしか思えない。
「このくらいで良いかしら? アナタの命が吸収される頃、この樹から成熟した果実が取れるのよ」
「オデ……、オデ……」
「アナタは最後に役立ったのよ。だから喜んで良いわ……」
「マジュツシサマ、ゴメンナサイ……」
俺の意識体からは、巨人の上で膝を抱えている小さな子供が見える。
良く分からないが、一方的にやられているのは何か理由があるのだろう。
いくら相手が悪魔っぽい妖精だからって、巨人が本気を出したら体力勝負的に勝ち目がある筈だ。
『なあ、何でやり返さないんだ?』
『オデ、ヤクソク、マモレナカッタ』
『お前、まだ子供だろ? 無理な約束なんて、守る必要ねぇよ』
『マジュツシサマ、シンジテクレタノニ』
膝を抱えている小さな子は、巨人の心象がそう見せているのだろう。
俺はこれから、この体を乗っ取る事になる。
今にも尽きそうな命の灯に、俺はこの体を乗っ取った後の事より子供の方が気になっていた。
『お前は頑張ったんだよ。だから安心して神さまの御許へ行けるんだ』
『オデ、ワルイコ。マジュツシサマ、オコッテル』
『ハァ……、分かったよ。もし心配なら、一緒に謝ってやるよ』
『ホントウ? デモ、オデ、モウ……』
巨人の上に座っている子供の色素が、一段階透明度を増したように感じた。
その周囲には昼間なのに、小さく黄色い光が子供を包むように点在している。
きっと、残り時間が少なくなってきているんだと思う。
黒い妖精がいなくなったからか、小動物が集まって来た。
まるで巨人の死を悼むように、周囲から花を摘み周りに供えていく。
『お前の気持ちを聞かせてくれ! デモもダッテも無しの本音をだ』
『オデ、マジュツシサマニ、ツタエタイ。ムラオサニ、アヤマリタイ』
『少し姿形は変わるかもしれないけど構わないか?』
『……ウン』
膝を抱えている子供は顔を上げ、差し出した俺の手を掴んだ。
俺の持っている封印という技能がどれだけのものかは分からない。
ただ光が巨人を包み込み、まるで体の傷を補完するように肉体が縮んで再構築していく。
一つの体に二つの魂が溶け合い、樹の前には裸の少年の俺がいた。
ゆっくりと上体を起こすと、小動物が一定の距離を保ちながら輪を広げる。
そしてコロンと落ちたのは、一つの魔石と思われる物だった。
「あーあー。おで……、俺?」
巨人――森巨人の記憶は朧気に覚えていて、邑が在る場所は理解している。
でっかい腰蓑を胸の前で結び、俺はどちらの要件を先に済ませるか思案する。
「やっぱり、邑長だよなぁ……」
魔石が証拠になるかは分からないけど、とりあえず拾っておく。
そしてストレッチをするように体を左右に捻ると、若干の違和感を覚えずにはいられなかった。
体のサイズは生前の俺に近いと思う。
肌の色は人のそれだし、封印のスキルがどう作用しているかは分からないけれど、初めて剣を握った時の事を思いだしていた。
これは多分森巨人の記憶に引っ張られていて、無意識に力の制御をしようとしていると思う。
封印というスキルについては、結局どういう物かは分からなかった。
一歩踏み出す。
ゆっくり次の足を出す……。
数歩進んで、ふと歩みを止める。
「ここが結界の境目……なんだな」
自分への問いかけに、何故か頷いてしまう。
魔術師さまとの約束を破る忌避感……。
それはとても恐ろしいものだった。
ただ記憶からの情報によると森巨人でないと結界の維持が出来ないようだ。
分かっていながら進められない一歩と、願いを叶えてあげたい一歩が交錯する。
ぎこちないその一歩は、結界に拒まれることなく通り抜けることが出来た。
そう思った瞬間、右手に軽い衝撃を受けて魔石が結界の内側に残ってしまう。
「どういう事だ?」
魔法については詳しい事が分からない。
ましてや結界という高度な技術を使えるなんて、並大抵の魔術師ではないだろう。
ただ、あの魔石は森巨人の欠片なのだろう。
「説得の仕方を考えないとな……」
そう口に出した瞬間、『オデ、ガンバル』と聴こえたような気がした。