002:森の巨人
「なあ、この前見たんだけどよぉ」
「何をだよ?」
「山のあの辺に、旨そうな実がなっている樹があったんだよ。あの赤い実、絶対旨いぞ」
「おいおい、あそこら辺は立ち入り禁止区域だろ?」
「はぁ? 長老達が怖くて猟師が出来るかっつうの。俺達は山の獣を狩って生活してるんだ。熊だって猪だって、チームであたれば負けることはねぇよ」
まだ若い二人の猟師は今日の仕事を早めに終え、道具の手入れをしながら情報交換をしていた。
何故こんな辺鄙な村落に豊かな狩場があるのか、そして行動範囲内に立ち入り禁止区域があるのか?
それが分かる頃には、この村は……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「オデ、ナカマハズレ」
とある森の一本の樹の下で、胡坐をかいた森巨人は大きな幹に背をもたれていた。
軽く目線を上にやれば、色とりどりの小鳥が求愛活動をするようにクルクルと飛び回っている。
森巨人の足元ではウサギが下草を食み、リスたちは器用に追い駆けっこをしながら肩まで登ってくる。
「フフ、クスグッタイ……」
ここは一本の樹を中心に描かれる、まるで楽園のような場所だった。
ここにいる限り空腹を覚える事もなく、ほど良い温度は昼夜の寒暖差も少なかった。
晴れれば小動物が遊びに来るし、雨が降ればカエルの合唱を聴くことができる。
森巨人は森の番人で、平和を守る管理者のようでもあった。
「マジュツシサマ、オデガンバル」
それは森巨人が邑から追い出される時、たまたま訪れた人間の魔術師と邑長が交わした契約。
この樹を護る役割を仕事として請負い、その役割を一人の森巨人が担う事になった。
とても孤独で、いつ終わるか分からない仕事。
それでも邑で『役立たず』・『極潰し』と言われずに済んだ。
邑の戦士は「力不足だ」と止めようとしたが、「では、代わりにやるかい?」と質問した魔術師に口を噤んだ。
森巨人なら誰でも出来る仕事。
そして邑の役立たずを追放出来る、体の良い口実になる仕事だった。
「ワスレテハダメ……。マイニチ、サンカイ、クリカエス」
この樹になる実は一見して多く見えるけど、実際に熟すのはたった一つらしい。
そして、それを得る事が出来るのはたった一人。
樹に祈りを捧げ、光輝く果実を手に入れれば、その者には限りない祝福が訪れるだろうと言われている。
自然に落ちた実は動物の為に、自然に成る実は鳥の為に……。
森巨人がやるべき事は、決められた場所から出ない事。
悪意ある者は招かれなければ入れないし、その権利を持つ者は森巨人しかいない。
ある意味『永遠を縛られた契約』であり、それでも樹を護る仕事に愚直で真剣だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
樹を中心とした楽園は、魔術師の結界によって管理されている。
第一に森巨人の姿は、多くの者にとって見えなくなっていた。
これにより『楽園』には、入れる者しか入る事が出来なくなっている。
ある地点から見えない透明な何かに遮られ、樹に近付こうとすればする程何故か興味が薄れていく。
魔法や魔術のようにも思えるが、これは一般的に『祝福』と言われている。
それは神のごとき御業であり、一概に魔法や魔術と言うには憚られるものだった。
これだけ大掛かりな祝福は、ある種の条件をクリアする必要がある。
一つは中心にある樹であり、もう一つは管理する森巨人の存在だった。
「キョウモ、イイテンキ!」
季節によって蜂や蝶、その他諸々の生き物がやってくる。
不思議と中型以上の動物は寄ってこないが、たまに狼が遠目から見学に来るくらいだ。
森巨人は特別な力を持っている。
比較的温厚な種族と言われているが、人が分類した所によると魔物に近い。
背の高さは様々だが、樹を守護する者は『出来損ない』と言われる程小さかった。
それでも『緑と大地の加護』を得て、種族独自の会話を出来る頭脳がある。
また、頑健な体に強靭な膂力を内包し、ある者は分業して邑を運営していた。
森を豊かにするには、栄養豊富な土壌が必須だった。
もし体に見合った食料を望めば、森はあっという間に容量を超えてしまう。
森巨人は、果実から多くの栄養を受け取る事が出来る種族でもあった。
「アノ、ムシサン。コノマエモ、キテタ」
樹を中心にした楽園は花々も咲き誇り、各種の生物が一時の休息を求めにやって来る。
特に森巨人が招かなくても、入れる者は入れるし入れない者は認識することが難しい。
それでも偵察に来る虫たちもいて、それに対して森巨人はただ眺める事しかしなかった。
「ハナシカケラレルマデ、ハナシカケテハダメ」
特に悪意がある者かの判断がつかない以上、基本的に話しかけてはいけないと魔術師に言われていた。
森巨人が居る事が重要であり、役割が終わる時期はその時が来れば自然と分かると言われている。
悪意があれば森巨人を見る事が出来ず、結界の中に入る事は出来ない。
悠久にも近い年月を過ごさなければならず、まだ両手で足りる季節しか巡ってはいなかった。
「クッ、忌々しい……」
一匹の黒い蝶と思われる者が、ふと言葉をこぼした。
その蝶は結界の外周に触れたかと思うと一瞬だけ鱗粉が舞い、咄嗟に中心部分を羽で包み込む。
まるで真っ黒い蛹のようになり、結界に張り付くと一部分を溶かしにかかった。
森巨人は不思議そうに蝶を見ている。
なんで他の虫たちのように、こっちまで来ないのだろうと……。
しばらく見ていると、黒い蝶が何かをしている部分が淡くオレンジ色に輝きだす。
そして一瞬だけ結界に綻びが生じ、燃え上がった蛹から声が聞こえたような気がした。
「タ、助けて……」
燃え上がった蛹から、再び黒い蝶が誕生する。
その姿は一回り大きくなり、蝶だと思われた中心には小さな小さな人の姿があった。
「ヨウセイサン?」
「そう、私は妖精。あなたは、ここの管理者ね」
結界の綻びはすぐに元に戻ったが、森巨人が呼び掛けた事で黒妖精に認識されてしまった。
羽ばたきをする黒妖精の鱗粉は、結界の外に降り注いでいる。
「ヨウセイサン、ハイレナイ?」
「えぇ、さっきの炎で帰る力も残ってなくて……」
「ソレナラ、ヤスメバイイ」
「でも、怖いの……」
森巨人は少しだけ考えこむ。
大きさが違うとはいえ、自身に近い姿形をしている者は何となく恐い。
それでも、仲間外れにされる辛さも知っていた。
だから何気ない言葉でも、ついつい言ってしまった。
「ヨウセイサン、ココデヤスメバ?」
「ありがとう、おバカな巨人さん」
黒妖精は羽ばたきを止めたかと思うと、スーっと結界を通り抜ける。
森巨人の周りにいた動物たちは一斉に逃げ出した。
「オデ、マチガッタ?」
「どちらにせよ、アナタは死ぬ運命だったわ。ゆっくりと、大樹の肥やしになりなさい」
それでも森巨人は両手を広げ、黒妖精から樹を守ろうとする。
黒妖精は「こんな結界を作った奴を恨みなさい」と吐き捨て、数十の風の刃を森巨人に向けて放った。