キュウリのお味噌汁
ご飯と味噌汁に焼き鮭。妻が作る定番の朝食だ。
「ありがとう。いただきます。」
僕は湯気が立つ味噌汁を一口すすった。
味噌汁を飲むと僕は決まって高校時代を思い出してしまう。
味噌汁の具の話題に躍起になる、あの女子学生のことを―。
高校3年の頃。
廊下を歩いていると、教室から大きな声が聞こえてきた。
「キュウリが1番!本当おいしいんだって!」
教室のドアを開けると、松崎 千歳が大声で、クラスメイトに何かを訴えていた。
僕が教室に入ってきたのを見つけた彼女は、僕のところへ走ってきたなり、こう言った。
「君もそう思うよね!?」
僕は訳が分からず、必死に訴える彼女をただ見つめることしかできなかった。
何も答えない僕に、彼女は、ねぇ答えて!と何度も懇願した。
僕は彼女の勢いに押され、
「う、うん。」
と頷いてしまった。
彼女は泣きそうな表情から一転し、
「やっぱり!おいしいよね!君もわかってくれる!?」
と、目をキラキラと輝かせた。
そうして、鼻歌を口ずさんでクラスメイトの元へ戻って行った。
僕は呆然とその場に立ち尽くしていた。
彼女と僕は今まで話したことがない。
クラスで人気者の彼女がどうして僕に聞いてきたのか。
本を読んで誰とも関わろうとしない僕に。人と距離をとって孤立を選ぼうとする僕に。
なぜ。
どうして。
僕はその夜、彼女のことが頭から離れず、初めてキュウリの味噌汁を作った。
出来はイマイチだったが、とても温かくて、どこか甘酸っぱい味がした。
そうして約10年の月日が経った。
今思うと、あれは僕の人生の転機だったのだろう。僕の数少ない青春の1ページとして、こっそり心の中にしまってある。
きっと千歳はきれいさっぱり忘れているだろうけれど。
朝食を食べながら、ふと疑問が浮かんだ。
「キュウリが美味しいってなんで知ったの?」
僕は台所に立つ妻に聞いた。
「確かお母さんが作ってくれたの。そういえば初めて食べた時、美味しすぎてみんなに伝えなきゃと思ったんだ。嬉しいことはみんなと分かち合いたいでしょ?
でも、みんな絶対嘘だって言って、誰もわかってくれなかったの。貴方だけが頷いてくれて、すごく嬉しかったんだよ。まぁ私が無理やり言わせちゃったんだけどね。」
思わず箸が止まった。
…君を選んでよかった。
僕は味噌汁のキュウリを頬張り、心から幸せを噛み締めた。
里 稀美と申します。
初めての投稿です。お手柔らかに。