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孤独 The World

作者: YOU-SUKE

邦允(くにちか)起きなさい! 邦允! 会社間に合わなくなるわよ!」

 

 (あーもうそんな時間かよ。昨日夜遅くまでゲームしてたから全然寝た気がしないな。)

 (よし!あと、5分だけ寝たら起きよう。)


 邦允は耳元で鳴り響くスマホのロックを解除し、アラームを止めた。


 すると、一階からドタドタと勢いよく階段を上がってくる音が聞こえてすぐに部屋のドアが空いて耳元で邦允の母親は咆哮するように言った。

「起きなさーい!」

 母親は布団を引き剥がし、邦允の体は室内の冷たい空気にさらされた。

「もう、朝からうるせぇな」

 寝起きのまだ動いていない脳で、ムニャムニャとつぶやく。


 毎朝親がうるさいけど邦允が実家で暮らししている理由は家賃はタダだし、飯は勝手に出てくるし、洗濯もしてもらえるし一人暮らししてるよりだという。


 そう言い聞かせて邦允は眠い目をこすりながら上半身をゆっくりと持ち上げる。

「あんた社会人なんだからもっとシャキッとしなさいよ。あと、朝ごはんできてるからさっさと食べちゃってね。あと、自分で食べたお皿ぐらい洗いなさいよ。いつも食べたらそのままにしていっちゃうんだから」

 母は起きたばかりの邦允にはまだ処理しきれないくらいの情報量で話しかけ終えた後、「お鍋火つけっぱなしだったわ」と思い出したように小走りでまた階段をドタバタと下っていった。


 邦允はノソノソと階段を下って洗面所へ行き、顔を洗ってひげを剃ってからリビングで朝食を摂って食器を流し台に片付けた瞬間、母親に睨まれたので渋々皿を洗って、また自室に戻りスーツに着替えて母親の「いってらっしゃい」という言葉を背に家を出た。

 

 少々寝坊したので今日は駅まで早歩きで行き、駅のホームに行く階段も一段とばしで駆け上がりホームに出て、社会人になってから毎朝乗っている電車の同じ車両に乗り込んだ。ここの車両に乗っておけば会社の最寄り駅で扉が開いてすぐに階段になるから、いつも始業ギリギリに到着する邦允にとって貴重な時間の節約ポイントとなっている。




「おい、近藤! また同じミスしながって一旦何度言ったらわかるんだ! これはS社に提出する大事な書類なんだぞ」

 仕事が始まってすぐ邦允の上司飯田は昨日提出した書類に不備があったことに顔を真赤にして怒っていた。


 はあ、うるせぇな。

 大したミスじゃないだろこのくらい。この人絶対、日頃のストレスを俺にぶつけたいだけだろと邦允は内心思っていることだろう。

 しかし、そんなことは言えず上司の飯田に邦允は「すいません」と一言、心にもない言葉で謝罪をする。


「大体、お前はもう入社2年目なんだからいい加減仕事覚えろよ。このままだと来年入る新入社員の方がまだ使えるかもしれないな」

 飯田はハハハと高笑いして邦允の肩を2度叩いた。


 こう言われる度に邦允は「じゃあ新入社員に仕事任せたら良いだろ」だとか「朝からうるせえな」と思っているがそんなことは口が裂けても言えない。

 

 邦允はもちろん上司の飯田のことが嫌いである。仕事で訊きたいことがあった場合はなるべく飯田以外の人に訊くようにしている。いや、そもそも社内でもあまり人と会話しない邦允は仕事でわからないことがあっても極力自分で解決してコミュニケーションの回数を一つでも減らすことに仕事以上に注力していた。


 ようやく今日もつまらない仕事を終えて帰宅しようと帰りの支度をしている時、後ろから邦允の肩を誰かが叩いた。振り向いて確認してみるとその人物は同期の神田だった。


「よう近藤。相変わらず、つまらなそうな顔してんな」


 神田は邦允と対照的で人懐っこく明るい性格でいつも周りに人が集まってくるタイプの人間だ。2人は入社2年目だけど、この会社は人脈で昇進が決まるようなものなので、この性格なら出世の可能性を秘めているし、人脈だけでなく仕事もデキるやつで上司も一目置いている人物である。


「いきなり話しかけてきてそれはないだろ」

「わりぃわりぃ、なあ、これから飲みいかね?同期のみんなも誘ってんだ」

 もちろん邦允はこの誘いを訊いた瞬間から断るつもりでいる。

 その理由は、ただでさえ会社で人間関係に疲れ切っているというのに仕事が終わった後もなんで疲れにいかなきゃいけないのか理解できないからである。

「ごめん今日はパス」

「え?何?もしかして彼女出来たとか」

 なんで飲み会を断っただけでそうなるんだよ。ただ単に行きたくないだけだと邦允は思ったがもちろん口には出さない。誰しもが「飲み会に行きたい!」みたいな感じで誘ってくる神田には邦允の気持ちは永久にわからないだろう。


 帰りの電車で徐にスマホを取り出していつものように「転職 1人でできる仕事」と検索しては毎回眺めるだけで行動は起こさずに転職後の自分に妄想だけ膨らませていると、珍しくLINEの通知が来た。それは大学のゼミのLINEグループからだった。


(田中)久しぶりにみんなで集まりませんか?○月✗日土曜日これる方はスタンプを押してください。


 もちろんここでも邦允はスタンプを押さなかった。休日は1人部屋に引きこもってコミュニケーションを遮断している邦允にとって、せっかくの休日になんで人に会わなくちゃいけないのか理解できないからである。


 そもそも、邦允は大学のゼミのメンバーとは殆ど会話したことはなく、1人で卒業論文を書いていたので話す機会も殆どなかった。


 邦允(くにちか)は卒論だけじゃなく就職活動も受験勉強も大学の授業を受けるときも大体の人生で起こるイベントは1人でなんとかしてきた。

 だから単独行動を好み、集団に交わることが邦允にとって最も苦手なことであり、会話するのがめんどくさいとさえ感じている。そのため、1人の時間が何よりも大切である。


 帰りの電車で高速で流れていく景色を見つめながら邦允はふと心の中で思った。


 毎日朝は母親がうるさいし、出勤すれば上司がうるさいし、会社の人とは話したくないし、神田は高いコミュ力でなんかキラキラしてるし、どうでもいい誘いを断るのもいちいち気を使うし、人間関係ってめんどくせえなぁ。


 あー1人になりてー。


 その日、帰宅して夜眠っている時、邦允は夢を見た。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「起きなさい、青年」

 夢の中で起こされた邦允は昨日の朝とは違ってすぐに目を覚ました。


 邦允に話しかける人物は身長は160cmくらいで白いマントとフードに身を包み、マント以外にこちらから見えるのは顔だけで。その見えている部分から推測すると、年齢は70〜80歳くらいの男性の老人で白くて太い眉があり、サンタクロースのように口元を覆う白いひげはこちらから見える範囲でも喉元まで伸びているように見える。いかにも仙人という風貌だった。


「あなたは?」

「ワシは神じゃ」

 神様は一言一言を区切るようなゆっくりとした口調だった。


 「神」という突拍子もない回答に首を傾げる邦允だったけど神と名乗る人物はそんな事お構いなしに話を続けた。


「青年よ、見ていたぞ一人になりたいそうだな?」

「はい、そうです」

「集団に混ざるのが嫌なのか?」

「嫌です」

 質問する神に淡々と質問に答える邦允。

「そうか。ならお主の望みを叶えよう」

「ほんとですか!」

 邦允の長年の夢を目の前で実現すると言い出す老人に目を輝かせる邦允。


「ああ、本当だよ。ワシからのプレゼントじゃ。楽しんでおくれ」

 そう言うと神は姿を消し、目を開けてみるといつも見ている実家の天井が視界に広がっていた。

 夢から覚めたようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「…何だ夢か」

 独り言のようにぼそっと呟いた。しかし、いつもはアラームや母親に起こされるのに今日は珍しく1人で起きた。


 でも、1人で起きた事自体になにか嫌な予感がしてスマホの時間を確認してみると時刻は午前10時を回っていた。


「ヤバい!!!」


 部屋には1人しかいないのに思わず邦允は叫んで急いで一階に駆け下りて、椅子に座ってテーブルに並べたおかずをつまみ、遅い朝食を摂っている母親に言った。

「母さんなんで起こしてくれなかったんだよ!」

 しかし、母親は邦允の声が全く聞こえていなかったかどころか邦允のことを一切見ること無く、味噌汁を口に運んでいた。

「母さん!おい、母さん」

 何度呼んでも母親は気づいてはくれなかった。

「母さんってば!」

 母親の肩を掴んでゆすろうとした時、邦允の腕は母親の肩をすり抜け、バランスを崩し、椅子とともに床に体を打ちつけた。

「…すり抜けた。てか、椅子が二つ?」

 そう言って、邦允は手元にある椅子と母親が座る椅子を何度も見比べた。まるで椅子の分身を持っているようだった。

 しかし、それも気になったが、椅子と一緒に床に転んで大きな音を立てたはずなのに、それでも母親は邦允の存在に気づかない様子だった。

 意味不明な現状に混乱する邦允だったがそれよりも大切なことを忘れていた。

「あ!そうだ会社に連絡しないと。また、飯田さんに怒られる」

 邦允は慌てて手に持っていたスマホを開き電話帳アプリを起動させ、上司の飯田の電話に連絡をした。

「飯田さんおはようございます。IT部の近藤です」

 すると、飯田は少し間を置いてから話し始めた。

「えっと、すいません。うちの部署に近藤という名前はおりませんのでおかけ間違えではないでしょうか?」

「ちょっと何言ってるんですか飯田さん、僕ですよ。近藤邦允です」

 飯田の性格ではありえないが、きっと遅刻して冗談を言ってるんだろうと思って少し笑みを浮かべて邦允は答えた。

「存じ上げませんね。それでは会議があるので失礼します」

 飯田はそういうと電話を切った。

「飯田さん?飯田さんちょっと!」

 邦允の呼びかけも虚しく電話口からはツーッツーッという音だけが鳴っていた。


 母親も上司の飯田もまるで邦允のことが見えていなかったり、知らないという反応をする。いや、飯田の言い方だと初めから邦允が存在していなかったかのような言い方だった。もし、最近まで近藤という名前がいたらベテランの飯田は知っているだろうし、その事をさっきの電話で伝えていたかもしれない。


 そして、相変わらず邦允が電話中でも全く声が聞こえていなかったかのようにテレビを眺める母親。


 すると、このいつもとは違う不自然な状況に邦允はなにか思い出したように目を見開いた。

「まさかあの夢って本当のことだったのか」


 流石に会社ぐるみでドッキリを仕掛けるわけでもないし、社会人にもなってそんな事するはずがない。それに、いつも朝うるさい母親が今日は何も話しかけてこなかったどころか部屋にすら入ってこなかった。

 あの時見た夢はただの夢だと思っていたがどうやら現実になっていたらしい。


「よっしゃー!これで1人だ!」

 邦允は誰にも聞こえないことを良いことにいつもより声を張って、両手の握りしめてから飛び上がり、まるで新しいおもちゃを買ってもらった小学生のように喜んだ。


 そして、邦允は今の自分の状況を整理した。

 飯田と母親とのやりとりから自分が人から見えなくった。いわば透明人間のような状態になっているらしい。しかし、さっきも母の肩をつかもうとしたらすり抜けたように人に触ることは出来ない。しかし、スマホを握ったり服を着ることができることから人間以外の物体には触ることができる。さらに、会社に再度連絡して「近藤邦允という社員はいるか?」と聞いたところ在籍していた経歴はなかった。飯田の反応からも邦允の存在が初めからいなかった様子が伺えた。

 もし、邦允が透明人間であればスマホを持っていたらスマホが浮いているように見えるし、服を来ていたら服が人間の形状を保ったままひとりでに動いていることになる。だから、厳密にい言えば透明ではなく存在が認知されていないだけなのかもしれない。


 試しに、朝食を摂っている母親の卵焼きをつまみ食いしてみたが母親は目の前で卵焼きがなくなったことに気がついていない。いや、よく見てみると卵焼きは無くなっておらず、まるで幽体離脱でもしたかのように卵焼きは分身して、食すことも出来た。

 母親はこの卵焼きの分身も見えてないらしい。目の前で卵焼きが浮遊していたら普通は驚くはずだ。つまり、邦允が掴んだものも邦允同様認知されなくなるらしい。


 情報を整理した邦允の中で一つの結論が出た。

「俺は自由だ!うるさい母親もいない。寝たいだけ寝れるし毎日会社に行かなくても生きていけるし、ムカつく上司や会社のやつと顔合わせ無くていい、煩わしい飲み会もない。最高!」


 それから邦允はすぐに家を飛び出して人通りの多いところへ向かい再度自分が認知されていないかどうか慎重に確認して、自分の情報が正しいと判断するとその後はやりたいことをなんでもやった。


 今の邦允(くにちか)にお金は必要ないけど銀行の金庫に忍び込んでみたり、好きなアイドルを尾行して部屋に入ってみたり、無料で新幹線に乗って無料で高級ホテルに泊まり、高級料理に舌鼓をうち、贅沢な一人旅をしたり、漫画喫茶に居たいだけ居ることが出来たし、読みたいだけ漫画を読むことが出来た。新刊だって本屋に置いてある物のラッピングを剥がして堂々と立ち読みすることも出来た。

 当然、会社には一度もいかなかった。いくら存在が認知されないとはいえ、あんな忌々しい場所には絶対に行かないと邦允は思っていたからだ。


 そんな1人生活を満喫して1ヶ月が経過したある日、邦允は地元の繁華街の居酒屋にいた。

 客が注文したビールやつまみの分身を作り、無料で好きなだけ飲み、好きなだけ食っていた時、目の前の席に夢で見た「神」と名乗る老人の姿が現れた。

「フォッフォッフォッ。お主、今の生活は楽しいか?」

 あの時に夢で見た姿と同じく白いマントとフードを深くかぶって、白いひげがマントからは溢れていた。

「神様のおかげで毎日超楽しいですよ。ホンットに感謝してます」

 酒も入って頬を赤くした邦允はテーブルに額をぶつけそうになるほど深々と頭を下げた。

「そうかそうか。それはよかったのぉ。お主の笑顔が見れてワシも幸せじゃよ」

「いやいや、神様のおかげで煩わしい人間関係から開放されて僕はこうやって自由を手に入れることができたんですから。もう、あなたは命の恩人です!」

「なら、ワシも一安心じゃ。お主の喜ぶ姿が見れてよかったわい。では、ワシはそろそろ行こうかのう」

「まだ良いじゃないですか、一杯やっていきましょうよ神様」

 邦允はビールを注いだグラスを神様の方へ渡そうとしたが、神様は白い煙と一緒に消えていってしまった。

「行っちゃった…まあ、いっか」と神様のために注いだビールを一気に飲み干す。

 この日、邦允は店の明かりが消えるまで、ただ酒だだ飯を堪能し、家に帰るのが面倒だったので近くにある、普段の邦允の給料では絶対に泊まらないような高級ホテルのフカフカのベッドで眠った。


 

 あれから月日は経ち、居酒屋で神様と会ってから更に1年が経過した。

 道ですれ違う人、居酒屋で隣の席に座る人、家に帰っても父も母も誰も邦允の姿が見えていないため、邦允は容姿を気にしなくなり、ひげは伸び放題になり髪の毛は1年間切っておらず前髪は目が隠れるくらいに伸びた。体が臭っても誰にも迷惑をかけないため風呂にも入っていない。服は元々興味がなく、良い服を来ても見せびらかす相手もいないので通りかかった店に入り手頃な服を調達していた。


 この頃から1人で好き放題に自由を謳歌していた邦允は想像もしていなかった事実に直面する。


 それは孤独である。


 あれだけ1人になりたいと思っていたのにも関わらずたった1年間と数ヶ月1人で生活しただけなのに邦允は孤独を感じていた。

 誰からも存在を認知されない、存在自体がなくなり人間関係を全て断ち切って1人生活を満喫して自由を謳歌していた日々の充実感は消えてなくなり、じわりじわりと体中を蝕む毒のように日々孤独感は増していった。

 そもそも、1人でできることは限られており、思いつくことは透明人間になってから2ヶ月ほどで全てやり尽くした。だから、もうやりたいことは何もない。

 それ以降、残ったのはこの世界から隔離されたという孤独感だけ。


 その孤独感を紛らわすためか、働きたかったわけでもないけど意味のもなく会社に行ったこともあった。邦允の人間関係は家族か会社しかないから寂しさのあまり同僚の顔をふと見てみたくなったからかもしれない。


 会社へ行き邦允が毎日座っていたデスクを見てみるとそこには同期の神田が座っていた。

 それを見つけた邦允は肩を大きく前後に振りながらズンズンと大股で歩き、すぐに神田の元へ行った。

「おい神田、そこは俺の席だぞ。どけよ!」

 自分が居た場所を奪われた邦允は自分のデスクに居座る神田を両手で張り倒そうとするも、当然ながらすり抜け、分身の椅子と一緒に床に転ぶ。

「あーもう!」と誰も聞こえないのに怒鳴り散らし、頭を掻きむしった。

 すると、聞き覚えのある声で神田の名前を呼ぶ声が近づいてきた。上司の飯田だ。

「神田君、君のおかげでS社のプロジェクトうまくいったよ。S社も君の人間性を評価してくれている。やっぱりこのプロジェクトに君を選んで良かったよ」

「飯田さん。ありがとうございます。僕もお力になれて良かったです」


「ちょっとまて!S社は俺が担当してたプロジェクトだろ。飯田さん、なんで神田なんですか?」

 

「今、I社のプロジェクトを部長とやってるんだがそっちにも入ってくれないか?」

「はい、是非やらせていただきます」

 神田はスーツの襟を整えて、部長のデスクに向かう飯田の後をついていった。


 ヘナヘナと座り込む邦允。

「そうだよな。聞こえるわけないよな…そもそも存在してないんだった…何してんだろう俺」



 それから寂しさを紛らわすように毎日毎日浴びるように酒を飲んでいた。

 スーパーからビールを一箱と適当な惣菜を実家に持ってきて飲んでいたが、いくら話しかけても邦允と全く会話が成立しない両親を見ているのが苦痛になり、孤独を紛らわすためにどこでも良いからよりにぎやかな音を求めて1人居酒屋で飲むようになった。といっても、話し相手はいない。

 周りから、友人同士、家族、カップル、会社の同僚だろうか仕事の愚痴をこぼすスーツを着た若者などから楽しげな笑い声が聞こえてくるのに彼らには自分の事が見えてすらいない。

 邦允は彼らに負けじと大きく笑ってみるが周りにいる人間には何も聞こえておらず何も反応がない。


「何やってんだ俺…」


 居酒屋で孤独感を埋めるように酒を飲み、外に出てみると、居酒屋に入る前より繁華街は人で賑わっていた。その賑わいに引き寄せられるように邦允はあてもなくフラフラとさまよい続ける。


「今すれ違う人たちは一生俺のことを視界に入れることもなく生きていくんだな」


 近藤邦允(こんどうくにちか)という存在が1人消えたとしてもこの世界で誰も悲しまず、当たり前のように世界は回っていく。会社では1人いなくなってもまた代わりの者が現れ、当たり前のように日常を繰り返してゆく。

 すれ違う人々も邦允の存在を知ること無く、知るすべもなくこれから先、一人一人の人生を完結させていく。

 たった1人が消えたところでこの世界にはなんの支障もない。

 消えても困らない存在。それが近藤邦允だった。


「神様!出てきてくれ神様!お願いだ」


 賑わい続ける繁華街の中心で邦允は腹の底から叫ぶ。もちろん、周りの人間は何も反応しない。

 しかし、邦允の目の前で白い煙が立ち上がり例のごとく神様が現れた。

「あ!神様!俺を元に戻してくれ。頼む」

 邦允は神様の脚にしがみつき顔をグチャグチャにして涙ながら頼み込んだ。


「それは無理じゃな。一度、やったら戻すことはできん」

「そんな…うそだろ。一生このままなのかよ」

「お主は一人がいいんじゃろ?そう言ったじゃろ?何が嫌なんじゃ?」

「言ったけど…。こんなはずじゃなかったんだ…」

「ワシはお主の願いを叶えたまでじゃ」

 そう言い残して神様はまた白い煙に包まれて消えていってしまった。


「神様?神様!」

 邦允はわずかに残った白い煙をつかもうとするも、その手はすべて空を切るだけで手のひらには何も残らない。邦允は地面に両手をつき大粒の涙を流した。


 どんなに泣いても、どんなに叫んでも道行く大勢の人々は邦允の存在を認知することもなくすり抜けてゆく。視線すらこちらを向けない。


 取り残された邦允は何度も何度も神様を呼んだ。しかし、それ以降神様が現れることは二度となかった。



 その日からまた5年の月日が流れ。透明人間になっておよそ6年が経過した。

 髭も髪も伸び放題、服を着替える気力も無く毎日毎日同じ服を着ていたためボロ雑巾のように傷んでいる。酒以外は孤独を紛らわしてくれないためろくに栄養のあるものを食べず、体はやせ細り生きた骸骨のようになり5年前の邦允とはまるで別人になっていた。


 邦允はこの5年間言葉を一言も話さなかった。以前は独り言をたまに話したり、聞こえていない親や居酒屋の客に向かって話していたが返事をするはずもなく会話も当然ながら噛み合わない相手に話しかけても頭がおかしくなりそうなのでやめた。唯一会話できた神様はもう姿を見せなくなり言葉を発する気力もなくなった。


 この世界は邦允にとって生きていくための衣食住は全て十分なほどに整っている。この世界中にある衣食住は全て邦允のもだ。何不自由無いし、さらにはこの5年間、邦允は風邪も引かないし病気にもならなかった。


 しかし、それはただただ生きているだけに過ぎなかった。


 1人で生き続けてきた人間に残されたのは孤独を通り越した虚無だけだった。


 静寂は虚無を増大させると学習した邦允はいつものように地元の繁華街の喧騒を聞きながら瓶ビール片手に抜け殻のように店の前に座り込み、昼から酒を飲む。

 隣ではホームレスの老人が物乞いのように空き缶を置き、ダンボールを布団代わりにして眠っている。時折、通りすがる親切な人が空き缶の中に小銭を放り込みカランという音が聞こえてくる。


 邦允は瓶ビールの中身が空になったことを確認すると目の前を歩いてる人々に向かって放り投げた。当然ながら誰にも当たらず、人間をすり抜けて向かい側の壁に当たり瓶が大きな音を立てて割れた。その音さえも目の前を歩く人も隣のホームレスの老人も誰も聞こえていない。


「…もう死のう」


 それが邦允が5年ぶりに発した言葉だった。5年ぶりに発した声はかすれていて弱々しく周りの喧騒に飲み込まれていった。


 邦允は寄りかかっていた店の外壁の凹凸部分に手を掛けてゆっくりと立ち上がり店内に入った。

 店内はランチタイムで慌ただしく店内を走り回る店員がおり、全員邦允をすり抜けて邦允は厨房に向かい、包丁を物色していた。確実に死ねそうな刃物はないか。短すぎても傷が浅くなってしまう。より長く、より鋭利な刃物はないか一本一本確実に死ねそうなものはないか選んだ末、マグロの解体ショーなどで見たことがある、まるで刀のような包丁を見つけた。

 その分身を手に取り首に押し当てる。


「これで全部終わるんだな」


 邦允は包丁を持つ手に力を込めて自分の首を切り落とそうとした。しかし、力を入れているはずなのに包丁は首に食い込むことはない。何度も何度も腕に力を入れて包丁を押し込むも首の周りに頑丈なコルセットでもしているかのように包丁は微動だにしない。


「神様…死なせてもくれないんだな…」


 首元に刀のような包丁を掴む邦允は乾ききった眼球から大粒の涙がこぼれ落とす。


 邦允は刀のような包丁を目の前の流し台にめがけて思いっきり投げつけた。大きな音が響いたが誰もその音に反応するものはいない。


 フラフラと力なく歩き店の外に出た。外は最も太陽が高く登る時間ということもあって非情にも燦々と輝く太陽が邦允の細くて白い体を焦がすように照らし続ける。


 「死」に望みを掛けていた邦允は膝から崩れ落ちるようにその場にしゃがみ、空を見上げた。


「ねえ神様。もう上司や同期、母親のことをもっと大切にするよ。だから、お願いだ…お願いだからもとに戻してくれ」

 

 すると、目の前が眩しく光り輝く。「神様か!」そう思ったがそれは自分が放り投げたビール瓶の破片が太陽の光を反射しているだけだった。


「クソッ!!」と拳を地面に叩きつけ、悲痛に叫ぶも誰も彼の相手をしない。



 それからもう何十年、いや何百年経ったのだろう。邦允は毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日同じことを繰り返すようにあの時の店の前で酒を飲んでいた。やがて日付を確認することすらしなくなり、今が何年何月何日なのかもわからない。

 通り過ぎる人々のファッションが多少変わったような気がするがそんなことはもはやどうでも良かった。

 繁華街の街並みはガラリと姿を変え、いつも座り込んでいた店の目の前にあったブロック塀は取り壊され訊いたこともない名前の飲食店が建っていた。


 あれから口に入れたのは酒だけ。そんな生活を続けてきて邦允の体は腐るように崩れ落ちていった。

 脚の指先は腐敗し、感覚がなくなり、手の指先も次第に感覚がなくなって動かなくなると青く変色し始めた。

 やがて手足はボロボロと崩れ落ち四肢はなくなり胴体だけになった。断面からは出血さえもしなくなり、そして酒も飲めなくなった。

 

 眩しい太陽を見つめながら邦允の脳内には走馬灯のように記憶が蘇る。


「おい、近藤飲みいかないか?」

「邦允、起きなさい!」

「近藤また、同じミスをしてるのか!しっかりしろ!」


「ああ、消えて無くなるときも1人で過ごした思い出も出てこないんだな…」

 力ない言葉をつぶやくと邦允の体は全て灰になり消えていった。


「邦允! 起きなさい! 何時まで寝てるの!」

 邦允の耳元で咆哮する母親の声。

「母さん! なんでいるの? え?あれは夢だったのか…」

 邦允は母親の肩に触れてみると肩を触っている感触があった。

「何言ってんあんたは。ここは私達の家でしょ?意味分かんないこと言ってないでさっさと起きなさい」

「俺の声が聞こえるの母さん!」

「あんた寝坊して頭おかしくなったんじゃないの?さっさと起きて支度しなさいよ、もう何時だと思ってるの?会社遅刻よ!早く連絡入れなさい!まったく社会人だってにだらしないで!」

 邦允はスマホで時刻を確認すると午前10時だった。日付も透明人間になる前の年に戻っていた。

 そして、邦允はすぐに会社に連絡を入れた。

「おはようございます。IT部の近藤です…」

「おい!近藤!お前何時だと思ってるんだ!さっさと会社に来い!でないと、お前をプロジェクトから下ろすぞ!」

「はい!ありがとうございます!飯田さんの声が聞けて…ホントに…ホントに…嬉しいです」

「何お礼言ってんだよ! 寝ぼけてないでさっさと出社しろ。もうすぐ会議始まるんだぞ」

「はい!いつもありがとうございます。飯田さんこれからもずっとずっとよろしくおねがいします!」

 説教されているにも関わらず涙ながら話す邦允。

「どうしたんだ?何があったか知らないけど早く来いよ」

 説教をしているはずなのに少し優しい口調の飯田。

「はい!」

「邦允、会社連絡付いた?」

「母さん今まで本当にありがとう!」

「何よあんた急にそんなこと言って」

「俺、ずっとずっとみんなのこと大切にするから。もっと、みんなのこと大切に思うから。母さん長生きしてね」

「何言ってんののあんたはさっさと支度しなさい」

 会社に行く間も邦允は「夢で良かった」と胸をなでおろす。


「飯田さん、おはようございます」

「何時だと思ってるんだ?あとこの書類また間違えてるぞ。いい加減成長しろよ」

「はい!」

「怒られてんのに何ニヤニヤしてるんだよ気持ち悪いな」

「いえ、ついうれしくて」


 ああ、夢で良かった。本当に良かった。

 これからは人とのつながりを大切にしよう。

 一人一人の繋がり。

 話せる相手がいることの喜び。

 自分の存在を認めてくれる人がいるってこんなに嬉しいことだったんだ。

 

 

「フォッフォッフォッ。ようやく気づいたかのぉ」

 神様はそう言うとまた白い煙に包まれて姿を消した。

 それ以降、邦允の前で神様が現れることはなかったという。

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